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基本的には、上の項が全てです。
しかし、「何を持って残虐描写とするのか、どこまでなら書いていいのか、わからない」
――といった声がありましたので、補足してみたいと思います。
ていうか、一度書いたんですが、これが「長いだけでわかりにくい」の声が……(泣)。
「キャラクターといえども、生きているんだ」
――この倫理規定を、一言で言うなら、こうなるでしょうか。
敵も味方も、生き物です。むやみに殺していいという道理はありませんし、
目の前で生き物が無意味に傷つけられるのを見れば、フツーは気分を害するかと思われます。
だから、書くなと。……それだけのことなんですが。
ところが、それではドラマは成り立ちません。ましてや、「伝奇SF」など。
だから、生きていくために必要不可欠な生死の描写は致し方ないでしょう。
生き物は、生きていくために、他の生物の生命を採らなければなりません。
また、狩られる方も、だからといって黙って食われているわけにはまいりません。
命を大切に思うがゆえ、争いが起こり、傷つけ合い、命の奪い合いが起こるわけです。
これまでを、書くなとは言いません。
というか、ソレを描くことこそが、「物語」というものだとさえ、言えます。
スポーツモノだって、ラブストーリーだって、突き詰めれば「勝つ」=「生き残る」。
――のが目的なわけですし。
しかし、あくまでもそれは、「生きるために仕方なく」やっているわけです。
たとえ傷つけ合いや殺し合いはしても、相手や、ましてや自分の命を軽んじているわけでは
ありません。
なので、自己、他者を問わず、「生命」を軽んじる行為をさせること。
これを、残虐描写と見なし、自粛を求めます。
理由もなく、あるいは救う努力も見せず、面倒だから殺す。甚だしくは、面白いから殺す。
……なんて行動ですね。
ただし、「悪役」だけは、「特権」としてコレを認めます。悪役特権(笑)。
「そーいうコト」をするから、「ワルいヤツ」なわけで……。
ただし、上の項にもあるように、表現に血の色は、極力感じさせないように工夫願います。
演出すべきなのは、ソイツの残虐な「性格」なのであって、ソレに過剰な血を見せるのは、
単なる刺激を求めるだけの悪趣味とみなします。血の気の多いヒト向けの青年誌とかでの連載
ならまだしも、公道たるココで、ソレは×です!
あ、だからと言って、やたら大勢「悪役」がでてきて、全員が「残虐行為」に耽られても、
結果として血の色は多くなってしまうので、「ボス格」だけですかね。これは。
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……と、こう書くと、今度は「生命を軽んじる行為」とは、具体的にどんなものか、という
声が聞こえて来そうですね。
実際、前のバージョンで「命の軽視は危険思想なので×」と書いたところ、それについて、
「命に危険があると知っていながら、あえて敵地に向かうのは、命の軽視になるのではないか」
――という声がありました。これを例に引かせて頂きます。
そこになにもないのに、仕事というわけでもなく、勝算もなく、単なる好奇心だけで行った
のなら、まったくその通りでしょう。
ですが、救いたい、救うべき「生命」がそこにあり、それが危険だというならば……それを
救いに行くことは、その「救うべき生命」を重視している――ということですので、命の軽視
には当たらないと思います。
また、時として、命より大事なコトもあり得るでしょう。
そんな時は、敢えて命の危険を顧みずに、その大事なモノを護るべく戦うこともあるはず。
演出的にも、命が大事なものであるほど、「ソレ」の重要性は高まるわけです。
確かに、無意味にむやみに危険に飛びこむことは、「命の軽視」だと思います。
でも、命を惜しんで縮こまっていることを、「命を重視する」とは言えないでしょう。
えー、具体的描写についてはどうなのだ、という点に関しては……ひとつひとつ例を挙げて
いると、またしても長くてわかりにくくなってしまいます。
ここまでの二つの項でも、どーしてもよくわからない。しかし参加はしてみたい……という
奇特な方は、談話室の私のカキコ(下線の付いた名前をクリック)から、質問メールを下
さい。こういうシチュエーションはいいのか、こういうシーンでこういう表現をしたいのだが
大丈夫か――と。
これだと、投稿リレー小説となんも変わらないので、「掲示板企画」としての意義が薄れて
不本意なのですが、仕方ないですね……。我が身の文章力の無さを恨むとします。
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最後に一言。
これは娯楽小説です。娯楽とは、人々を楽しませるためのものです。
「他人に見せるモノだ」ということを常に念頭に置き、人がソレを読んだらどういう気分に
なるのか、ということを考えながら執筆参加願います。
「自分はこーいうのを書きたいから書く」というだけでは、単なるワガママです。
絵にせよ文にせよ、それを「ひとりよがり」といって、他人に見せるに価しないものとされ、
商業雑誌の作品公募などで、「ボツ」になる最大最多の理由になってます。
シロウトが陥りやすいこの「ひとりよがり」の罠、私自身も陥ってないとは言いませんが、
せめてそうならないように、意識だけはしたいものです――。
「長くてわかりにくい」の声を受けて書き直したはずのこの倫理規定。
結局はまた長くてわかりにくくなってしまったようで、申し訳ありません。
こーいうのをこそ、「ひとりよがり」というのでしょうね……。
昔から、数学の「証明式」は苦手だったのです。答えは合っているのに……。
論理証明を、他人にわかりやすく伝える。むつかしいことです。
ともあれ、「わかりやすくて、他人を不快にさせない娯楽作品を書け」というのですから、
これはプロでも容易くはない難題です。
当然、敷居は高く感じるでしょうし、誰より当の私自身がそう感じています。
なので、無理に参加しろとは申しませんが、興味を持った方は、チャレンジして下さると
幸いです。
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