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神々の沈黙 〜序章〜目覚め〜 

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 開いた穴は、地獄の底まで続いているのかと思えるほど深く、私はなすすべもなく
落下した。
 いっしょに落ちたブタは、遥か下の方まで落ちていったが、私は穴の底ではなく、
途中の岩棚の上に叩きつけられた。
 それでも、私を殺すには充分だったのだろう。いや、私は死んだはずだ。
 なぜなら、遥か上の方からキュレネーが、ふわふわと、まるで羽が生えているかの
ように宙に浮き、落ちるというより「下りて」くる幻が、そこに見えるからだ。
「……かわいそうなケーン。何も思い出せないまま、死ぬなんて……」
 キュレネーは、ゆっくりと「下りて」くると、私の傍に降り立った。
「できることなら――!?」
 と、キュレネーは、言葉を切って、目を丸くした。
「ケ、ケーン! あなた――生きているのね? ケガひとつ、していないじゃない」
 その言葉で私は、自分の生存を確信し、身を起こした。だが――どうして?
「わかった……あなた、不死身なのね!?」
 頓狂な判断――とは、笑えない。そうとでも思うしか、ないからだ。
 ますます、自分が何者なのか、わからなくなっていく――。
 だが――わからないと言えば、宙を「飛んで」いたキュレネーもだ。
 その、尋ねるような視線に気付いたらしく、彼女は、
「……隠していてごめんなさい。実は私たち、人間ではないの」
 と、自分の「正体」を、明かし始めた。
「私たちは、大地に仕える妖精なの……!」
 言下に、彼女の姿は光の中に消え失せ、かわりに数匹の、光る羽根を背中に持った
小妖精たちが現れた。
 なんと彼女は、小妖精の「集合体」だったのである!?
 妖精「たち」は、私の体を持ち上げ、穴の外まで連れていってくれた。
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 驚いたことに、村の中は、妖精でいっぱいになっていた。
 村のあちこちにひどい大穴が開いているが、建物や家畜は、私と一緒に落ちたブタ
以外、たいした被害はなさそうだ。人間の方は、実際は羽根を持った妖精たちなのだ
から、問題ないだろう。
「私たちは、大地に仕える妖精なの」
 と、穴の近くに居た妖精のひとり(?)に、改めて挨拶を受けた。
「でも――大地は今、私たちの力ではどうしようもないくらい、病んでいるわ……」
 彼女(?)は、悲しげに視線を落とした。
「……この穴は、冥界に通じているのよ。匂いでわかるわ」
 穴の淵から中を覗きこんでいた、別の妖精が教えてくれた。
 地獄の底まで続いている――、という私の印象は、図らずも当たっていたわけだ。
 さらに、まわりの妖精たちが、口々に注釈をくれる
「冥界には、死んでしまった人間たちが住んでいるのよ」
「でも、けがらわしいマモノたちも、たくさん棲んでいるの……」
「世界中に、こんな穴ができ始めたの。世界は――どうなってしまうのかしら……」
 マモノが棲むという冥界に、繋がる穴が開いた。――ということは、どうなるのだ
ろう? ――マモノたちが、地上に溢れ出す――ということに、なるのか?
 その不安は、妖精たちも同じようだ。村中が、不安なざわめきに包まれていた。
 「私たち、あなたのことで相談があるの。あなたは部屋で休んでいて」
 井戸の前の妖精に言われて、私はキュレネーの家に戻った。
 幸いここも、たいした被害はなかったようだ。
 中には、数人の妖精たちが待っていた。
 ひとりの妖精が、こちらにやってきて、私に声をかけてきた。
 「今日は、いろいろありすぎたわね……。ちょっと早いけど、おやすみなさい」
 その妖精は、キュレネーと同じ髪と、顔と、声をしていた。
 どうやら、何匹かが集まってひとりの「人」になると言っても、そこには核となる
妖精がいる――と、いうことらしい。これが、本当の「キュレネー」なのだろう。
 いくら、私が不死身(らしい)とはいっても、一度は死を確信したほどのダメージ
は受けた。また、疲れているし、混乱もしている。
 ――ので、ここはひとまず彼女の言葉を受け入れ、さきほど目覚めたベッドに、再
び戻ることにした。
 だが――。
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 ――私は、まだ休めなかった。
 眠りについたとたん、私はまたしても見知らぬ風景の中に居たのだ。
 森と岩に囲まれた、高台の上。
 そこには、巨大で奇妙な四角柱が数本群れを成して立ち、それが左右に一塊ずつ、
赤いレンガで舗装された通路を挟んで、対になっていた。
 道の端には、等身大の2本の石柱が並んでいる。
 その前に立って、「なんだこりゃ?」とつぶやいてみると――、
「私はヘルメス、すべての旅人の守り神……」
 なにやら声が聞こえて――というより、頭の中に響いてきて、驚いた。
 が、《声》は、構わず続けた。
「む? お前はどこにいるのだ? そうか、そこは夢の中だな? 夢の中までは、私
の力も及ばない――」
 《声》は、そう言って途切れた。
 ヘルメス? 旅人の神、と名乗っていた。
 確かにヘルメスは、旅人の神として祭られているが――まさか、ホンモノ?
 ……まあ、《ヘルメス》も言う通り、これが夢であることは、はっきりしている。
 夢なら、なにがあっても、不思議はあるまい。
 だいいち、「大地の妖精」などというファンタジィな存在に出会った者が、今さら
<神の声>ぐらいで、驚くこともないか――。
 私は、首を振って、柱を背に、道を進んでみた。
 すると、ひとりの男が、私と同じように、きょろきょろしながら歩いていた。
 短く刈った金髪の、いかつい顔とごつい体。力仕事関係に見えるが旅支度で、その
わりに鎧も着ていないので、旅の傭兵というわけでもなさそうという、いまいち正体
の掴みにくい男。……他人のことは言えないが――。
 話しかけてみると、
「……ここは、どこなんだろうなあ……」
 私にともなく、つぶやいた。
 それに答える言葉が、私にあるはずもなかったが、特に返事を期待している様子も
ないので、黙っていた。
 そのまま、他にすることもないので二人で歩いていくと、老人と子供の二人連れに
出会った。
「お前たち……何者じゃ?」
 老人が、かなり警戒心をこめて、話しかけてきた。
「ぼくたち、アトラスさまの子孫なんだぞー」
 私や、謎の筋肉男が、なにかを言う前に、男の子のほうが、得意げに言った。
 アトラス? 天を支えている、とされる巨神の名だが……。
「これ! 見知らぬ者に話しては――」
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