記録片 -在北師大日子-

2000年9月30日(星期六)

 国慶節前にして、そこらじゅうのデパートで割引セールをやっているので、久しぶりに西単へ秋物の服を買いにいきました。しかしなんと驚き!しばらく来ないうちに西単はすごく変わっていました。いくつかのデパートが歩道橋によってつながっていて、道へ出なくても行ったり来たり出きるようになっており、西単交差点のところには駐車場と、北京オリンピック申請を盛り上げるためのタテカンや花壇、モニュメントができていました。あいにくデジカメを持っていかなかったので、写真を載せられないのが残念です。後日載せます。

2000年9月29日(星期五)

 熱もひいたみたいで、復活です。風邪のようで咳も出なくて鼻も何ともない、変な風邪でした。
 数ヶ月前劇場公開していた「西洋鏡」という映画がちょうどテレビでやっていたので観ました。約100年前最初の映画が中国に来たときの物語です。北京の映画は言葉に”北京味儿”があり、よく観る台湾や香港の映画と少し違った雰囲気です。
 中国関連の情報を扱う総合情報サイトホームインチャイナさんから相互リンクの要請を受けました。トップページにリンクしてもらっています!ありがとうございます。求人求職、苦情相談、飛行機や列車、ホテル、劇等の各種チケットの予約もできます。是非ご覧ください。

2000年9月27日(星期三)

 senxiaは少し熱があり、寝込んでいます・・・。

2000年9月26日(星期二)

 夕方服務台で、武村さんと徳重さんとドゥオ老師と付小姐でなにやら話が盛り上がっていました。聞いてみると、何と第二公寓にマッサージ質みたいな物を作るというのです!ちゃんとしたマッサージ師を呼んでやるみたいなのですが、こんなところに作っても、人来るのか?そんな物作らなくていいから、洗濯機置いて欲しいんだけどな。
 ヤナギタ在上海的日子更新です。

2000年9月25日(星期一)

 少し前から気になっていたのですが、とうとうチャイナネットのお金がなくなってしまいました。今日はメールを見ることも、ホームページを更新することもできません。すみません。明日すぐに払ってきます・・・。

2000年9月24日(星期日)

屋上にて晩餐。 掲示板にもあったように、徳重さんが第二公寓から出てしまうということで、最後にみんなで集まってご飯を食べました。徳重さんたち特製のカレー!(定番ですが・・・)二里庄から名倉くんもかけつけました。とてもおいしかったです。夏休み前に同じようにウィルやジェルミーたちと一緒にカレーを食べたことを思い出します。
 ヤナギタ在上海的日子更新です。

2000年9月23日(星期六)

 おまたせ、徳重さんのチベット旅行記ができあがりました!とりあえずは、ここにリンクをはっておきますが、後日他の同学の旅行記と合わせて、「同学旅行記」として別のコンテンツにアップいたします。
 ヤナギタ在上海的日子更新です。柳田くんから何だか挨拶めいた言葉があります(笑)。

2000年9月22日(星期五)

 掲示板でTianzhongさんの書き込みにありましたが、以前第二公寓にいらっしゃった伊藤さんたちが運営する「嬉嬉's」(留学後の就職参照)の嬉嬉茶館がオープンしたそうです。おめでとうございます!このサイトでは中国茶や中国茶器を専門に通販を行っています。とても雰囲気の落ち着いた見やすいページです。どうぞご覧ください。
 ヤナギタ在上海的日子更新です。

2000年9月21日(星期四)

 先日名倉くんのところにおじゃましたときに、知り合いに日本語の塾講師の仕事を紹介されて、始めたばかりだという話を聞いて、とても楽しそうだなと思っていたのですが、その名倉くんの身に大変なことが起こったようです!詳しくは日本男児in北京にて。
 ヤナギタ在上海的日子を新しくアップしました。

2000年9月20日(星期三)

 上海の復旦大学に留学中の柳田くんに「ヤナギタ在上海的日子」の掲載をお願いしたら、おもしろそうだからやっちゃってくださいという返事をもらいましたので、近日中にアップします!不定期更新ですが、柳田くんがやってくれるだけ続けていきたいと思います。乞うご期待!
 北師大付近のお店久しぶりに追加しました。

2000年9月19日(星期二)

 二里庄の世界留学広場に住んでいる名倉くんのところへ、昨日作ったカレーを手みやげにして遊びに行ってきました。オリンピックを見に!中央電子台の番組は中国のやつばかりだし、日中は女子の重量挙げしかやっていませんでした。あとは、金メダルをとった男子体操の再放送や、インタビューやらドキュメントやらばかり。柔道の試合が見たい!と二里庄へ自転車を走らせました。
 優勝候補だった女子の前田はとっくに負けていたみたいでしたが、男子瀧本の決勝戦を見ることができて最高でした。久しぶりに心臓どきどきしましたね。瀧本金メダルおめでとう!日本柔道バンザーイ!

2000年9月18日(星期一)

 第二公寓OBの小林希さんの就職体験談をアップしました。留学を考えている人、留学中の人にとって帰国後の就職活動の参考になるのではないでしょうか。このような、就職に関する情報を提供してくださる方を募集しています。よろしくお願いします。
 中国歌に我只在乎イ尓と対面的女孩看過来を追加しました。
 文軒さんが運営する北京に関する情報を扱っているホームページJina on Lineをリンクに加えました。中国関係のホームページを検索することもできます。どうぞご覧ください。

2000年9月17日(星期日)

万里の長城八達嶺にて。左から母と妹。 しばらく更新できなくてすみません。個人的な用で忙しくしていました。というのは家族が北京に遊びに来て、観光に付き合っていたのです。ここ数日北京は天気が良くとても暑い。気温も30度を超え、中秋節も過ぎたというのに夏に逆戻りしたのかと思わされます。
 そんな中お決まりの北京観光コースに加え、八達嶺から更に十数キロ行ったところの「康西草原」というところに行ってきました。馬に乗るためです。草原はもちろん、遠くには山脈が見え、湖(ダム?)もあり、結構楽しむことができました。康西草原については、後日写真が出来次第「北京近郊旅行」(ずいぶん死んだままになっていますが)のコーナーで詳しく掲載します。

2000年9月14日(星期四)

主楼は何処に? 北師大付近のお店紹介のために、付近を自転車で走っていて、ちょうど南門へ着いたとき・・・えっ!なんと主楼が無くなっているではありませんか。一体どういうこと?主楼があったはずの場所はちゃっちい公園になっていて、南門から図書館まで見渡すことができる。この間このあたりを通った時には夜だったせいもありますが、全然気付きませんでした。聞くところによると、どうやら夏休みの間になくなったそうです。ああ、驚いた。

2000年9月13日(星期三)

名倉くんとぞうさん 授業も始まって、二里荘に住んでいる名倉くんと久しぶりに会いました。バスに乗れば15分ほどで付くのですが、やはり今まで学校の中に住んでいたので、“帰る”ということが何だかしんどいといっていました(笑)。
 名倉くんは夏休みの間ベトナムへ旅行してきたそうです。北京からハノイへ行く国際列車に乗ってベトナムへ入り、その後は電車バス飛行機を乗り継いでカンボジアの国境付近まで行って来たそうです。詳しい名倉くんのベトナム旅行記は、名倉くんのホームページ「日本男児in北京」を見てください。

2000年9月12日(星期二)

第二公寓で配られた月餅をいやいや口の中へ押し込む。 今日は中秋節でした。そうです中秋の名月。薄い雲(大気汚染?)がかかっていたものの満月ははっきりと拝むことができました。月はいいんですが、中秋節の最大の難は大量の月餅が配られること。中国人だっておいしくないと思っているのにどういう訳か狂ったように売られています。どうしてもっとおいしく作らないのかと疑問に思ってしまいます。ここ第二公寓でも一人にふたつずつの月餅が配られたのですが、みんなどう処理しようかととても悩んでいるようです。

2000年9月11日(星期一)

同屋の汚いスーツケース いつもは12時過ぎまで寝ている同屋も、今日はちゃんと時間に起きて授業に行ったようです。beicunの留学している南開大学は授業が選択できるみたいですごいですね。
 柿崎くん、今日の授業は「会話」と「閲読」。どちらも硬そうな先生で、しかも苦手の作文のを書かされていきなり頭を抱えていました(笑)。
 どうでもいいけど同屋のフィリップ、部屋汚すぎます。脱いだシャツやらパンツやら靴下やらは床に起きっぱなしだし、もう来て何週間も経つのに、スーツケースの中に服をぐちゃぐちゃに入れたまま放置してある。カップラーメンの食べかすは早く捨てればいいのに部屋の中に置きっぱなし。ハエがわくっちゅうに。

2000年9月10日(星期日)

屋台で涼面をかう同屋とその同学。 北師大も明日開学です。第二公寓の部屋もほぼ埋まったようで、かなりにぎやかです。そのうちに住民紹介も更新しますね。
 柿崎くんの同屋がアメリカの大学の授業で柔道を少し習ったらしく、僕が柔道をやっていたと知ると、ちょっとやらないかという。柔道着も場所もないのにどうやってやるんだと聞くと、ここでやればいいし寝技だけでいいというので、相手をすることにしました。僕ももう3年以上もやっていないのでずいぶんと衰え、技もへったくりもない彼はただ力任せで首を絞めようとする。力ではかなわないよ。しかもルールあんまり分かっていないみたいだし。彼が脚に怪我をしてしまったので、決着が付かぬまま終わりましたが、まさか第二公寓の廊下で寝技をすることになるなんて思っても見ませんでした(笑)。

2000年9月8日(星期五)

ウイグルで買った帽子をかぶって。 今日は新しい学期の入学式があったそうです。ただ、老同学の柿崎くんはもちろん参加せず、クラス分けの試験にもどうやら出なくていいと言われたみたいです。僕らの時には、学期が変わるときにはもう一度クラス分けの試験に参加させてもらえたんですけどね。
 とうとうウイグルに旅行に行っていた同屋がスカーフやら、絨毯やらをたくさん抱えて帰ってきました。一体何処に置くねん!一週間余り部屋を一人で占領していてとても快適だったのですが、同屋が帰ってきて何だか急に落ち着かなくなりました。
 明け方、外気温は15度だっていうのに、むくっと起きてドアを閉めてクーラーをつけるのです。設定温度は24℃。クーラーの音がうるさくて、しかもドアを閉め切ったためかえって暑くなる始末。彼はまたクーラーを切った。僕がどうしたんだと聞くと、蚊がうっとうしくて眠れないという。確かに蚊はいたけれども、眠れないというほどではなかったんだけどな?それに金鳥リキッドもつけている。どうやらあまり効かないみたい。でも、ドアを閉めたところで蚊は既に部屋の中にいるので、解決にはならないんだけどなあ。

2000年9月7日(星期四)

新しくオープンした超市 第二公寓から東門の通りへ抜ける途中にあった餃子屋ですが、数ヶ月前からずっと営業していないなと思っていたら、つい先日新しく”超市”に変わってオープンしました。中へ入ってみたのですが、これが以外と広くてものもそろっています。今まで閑散としていた通りも、急に人通りが多くなって、何だかにぎやかになりました。ただ、早速停電していましたが・・・。

2000年9月6日(星期三)

左が小津さん、右が森下です。 約半年ぶりに小津さん(一期一会参照)が北京に戻ってきました。でも、今回は残った荷物を整理しに来ただけで次は英語を勉強するためにカナダへ行くそうです。さすが小津さん、すごい行動力!やはり外国と関係のある仕事をする場合中国語だけでなく、英語も必要ということなのでしょうか・・・。僕は同屋との交流のために英語の必要性を感じましたが(笑)。

2000年9月5日(星期二)

北京の青い空。 昨日の雨で北京の空は洗われ、今日は透き通るような青い空です。北京にもこんな日があるのです!年に何日かは・・・
 来たばかりと思われる留学生が、早速服務台でもめていました。部屋を予約してあったはずなのに入れないとか、留学生事務室にここへ行きなさいといわれてきたのに、来てみたら話が違うとか・・・。ありがちですね。中国に慣れていない人ならなおさらですね。紹介状を書いてもらうとかして何かの証拠を残しておけば問題は起こりにくいのですが、口約束は信用できませんから。それに、来たばかりの留学生があまり中国語ができないことをいいことに、事務室の老師にいいように言いくるめられてしまったりとか、分からないうちに適当に返事をしてしまったりとかね。という僕も、もう少し来るのが遅かったらここへ住めなくなってしまうところだったらしいです。ちゃんと予約して何度も確認したのに。

2000年9月4日(星期一)

 まだ完全ではありませんが、中国留学Q&Aをアップロードしました。今までいただいた質問や、掲示板でのアドバイスを元にしています。これらについての他の意見や、これは違うという意見がございましたら、どうぞメールを頂ければ幸いです。

2000年9月3日(星期日)

こんなにたくさんの小銭をどうするんでしょう? 柿崎くんの変な”趣味”。「小銭集め」。これは今まで半年でためた角札。以前に第二公寓の服務台で何度か両替を頼まれているので本当はもっとたくさんあった。しかもこれだけでなく、コインが山のように・・・。Doleの空き瓶を集めたり、柿崎くんはいろんな収集癖があるらしい。
 教材に語言学院漢語口語速成シリーズを追加しました。語言の短期留学で使用されている教材です。

2000年9月2日(星期六)

 第二公寓も毎日新しい留学生が来ているみたいで、少しずつにぎやかになってきました。ただ、やはり韓国人が圧倒的に多いみたいですが。そんな中、夏休みまでここに住んでいた金源洙が来て、どうにか第二公寓に戻れないか交渉していたみたいですが、もう部屋は一杯だからと断られてしまったようです。実際部屋はたくさん空いているし。留学生なら誰が住んだって一緒なのに。彼は以前ずいぶん小姐たちにしつこくしてたから、嫌われたのかな?

2000年9月1日(星期五)

第二公寓の新しい住民、片山さんと小野さん。 月も変わってちょうどいいので記録片の日付のバーを少し改良しました。今まで重なって見えていた方、少しはよくなりましたでしょうか?
 新しく第二公寓に来た留学生を紹介します。左は片山さん、右は小野さん。年齢は非公開(笑)。二人も今日知り合ったばかりで、偶然にも同い年でちょうど同屋どうしになったそうです。片山さんは97年の春北師大の短期留学に参加したときの同学です。また北師大に戻ってきたと言うことです。「北京は便利になったんだねえ」と驚いていました。僕も、3年前の北京がどうだったかあまり覚えていませんが、少なくともこんなに簡単にインターネットはできなかったし、部屋には電話が付いていませんでした。

  2000年8月1日〜2000年8月31日