1546/3〜1548/12 第1章「雌伏、そして決意」 烈風伝メニューへ トップページへ まだ雪深い1546年の3月、陸奥津軽は石川城にて我々は行動を開始した。 第一の大きな目標は、京の都に愛田家の御旗を立てることである。 しかし、コーエーのゲーム共通の特徴として、 初期設定の国力では、隣国へ出兵もままならない状態である。理奈様「知美、我が軍と他国の様子はどのようになっていますか?」
私 「はっ。ここ石川城は南西に安東家、南東に南部家を構えており、 当面の他国という場合、この両家になるかと思います。 京の都への進出ルートは、安東家の日本海側か、 南部家の太平洋側となりますが・・・ 安東家との友好度が70以上と高いのに対し、 南部家との友好度は何と0です。」 理奈様「まあ。それは一体どういうわけですか?」 私 「シナリオ0での初期設定では、石川城は南部家の所有となっていました。 エディットで、シル(略)子がそこを開けたので、 それが関係あるのではないかと・・・。」 理奈様「それは、仕方がないですね。」 私 「で、当面の進出方向としては 太平洋側を南下という線が無難かと思います。 我が軍の兵力数が約2,700なのに対し、 南部家は2つの支城も合わせますと、約6,000の兵力がございます。」 理奈様「そうですか。それは困りましたね。」 私 「しかしご安心下さい。 南部家にはそれを使いこなすだけの武将の数がございません。 我が軍は御館様を含めまして12名もの精強な武将がいるのに対し、 南部家には3名の武将しかおりません。 そんなに南部が頑張っても、一度に3,000以上の兵は 攻めかけてこないのです。」 理奈様「そうですか。それは少し安心しました。」 私 「南部の将も、戦闘83を誇る当主晴政以外は、 戦場では恐るるに足りません。 まずは、揺るがぬだけの国造りが基本です。」 理奈様「しかし知美、そうしてのんびりしている間にも、 罪も無い人々が、飢えや病に倒れていくではありませんか。」 私 「御館様、お言葉ではございますが、我々が転生した時 ご覧になられましたとおり、この津軽でさえも人々は苦しんでおります。 この津軽の足固めさえ出来ずに、 どうやってこの日の本をお救いになるとお思いですか?」 理奈様「・・・そうですね、知美。 この地にも苦しむ人々がいるということに関わらず、 先々のことしか考えない私が愚かでした。ごめんなさい。」 私 「御館様が謝られる必要はございませぬ。 私は自分の出来る助言をしましただけ。 早速国内の整備に取りかかりましょう。」 兵を出すにしても、守備兵と必勝を期す攻撃兵の数を考えると、 単純にいけば隣国の3倍の兵士数が必要なのだ。 実際そこまではオーバーだとしても、隣国を凌ぐ兵士数を養わねばならない場合、 国力の増加は必須事項である。 この津軽地方は、日本でも僻地中の僻地なだけあって、 やはり開発の度合いは遅れているようだ。 しかし舐めてはいけない。我が愛田家臣団、武田や織田に勝るとも劣らない、 文武両道の名将がひしめいているのだ。 早速、瑠美殿指揮のもと、御館様と美香以外の10人で国内の開発を始める。
使用前(1546/3) ↓
使用後(1548/3) わずか2年。 あっという間にもうこれ以上開発できない、というくらい 国内開発が進んでしまった。 また、この津軽も東北地方の例に漏れず軍馬の名産地な為、 御館様は商人がやってきたときに軍馬を売られて、私どもの為に 地図だの刀槍だのを揃えて下さった。 我々は本当に果報な家臣である。 しかし、この2年間が全く平安な日々というわけではなかった。 1547年5月のことである。
恵美殿「御館様! 大変な事が起きました!」
理奈様「どうしたのです? 恵美、そんなに慌てて。」 恵美殿「あ、足利家が、将軍家が六角に・・・!」 征夷大将軍足利家が、近江の六角家に滅ぼされたのだという。 冗談ではない。聞いたところによると、六角家というのは幕府創立の功臣、 佐々木家の裔だというではないか。 創立の功臣のような譜代の家臣が、主家を滅ぼすなど言語道断、 日本の政もここまで乱れたか、という感じである。 問題なのは御館様。あれだけ将軍家を助けて、この日本を平安に導こうと 考えていた矢先に肝心の将軍家が滅びてしまったのだから。 見る見る間に顔面蒼白になり、よろける所を私が支えた。 理奈様「あ、足利家が・・・将軍様が・・・わ、私は一体これから そうすれば良いのでしょう・・・(蒼白)」
私 「御館様、しっかりして下さい。 今はまだ国内の情勢も固まっていないとき。都の異変を知ったところで、 我々にはまだ何も出来ないのですぞ!」 理奈様「しかし知美、私はあれだけ将軍様をお助けして、天皇陛下のご指導の元、 この日の本の平和を作り上げようと思っていたのですよ!? その助けるべき将軍様がいなくなった今、私は誰を秩序の規範として、 人々を導けば良いというのですか!?」 私 「落ち着いて下さい、御館様。もう過ぎてしまったことは どうしようもございますまい。 それとも私の信じた御館様は、足利将軍家が滅びただけで、 人々の平安をあきらめてしまう、そんな方だったのですか!?」 理奈様「う・・・知美・・・」 私 「しっかりして下さい、御館様。 御館様がそんなに簡単に、信じたことをあきらめる方では無いことくらい ここにいる全員が存じ上げております。 確かに将軍家が滅びた、この完全なる混沌時代。 ですがそんな暗黒の中にもこそ、 誰かが灯を点して人々を導く人が必要でしょう。」 理奈様「その方を見つけて、お助けすれば良いというのですね・・・」 私 「さもなくば、御館様が人々を導かれるかです。」 理奈様「・・・!? そのような大それた事!」 私 「御館様が、不適任とは私は思いません。 御館様こそ、この戦乱の時代に無くてはならない慈愛溢れるお方。 御館様のような、人々に慈しみを持って接する方でなければ、 誰が人の上に立って政を行うというのですか。」 理奈様「しかし将軍様倒れた今、我こそ政権をという態度こそ、 浅ましくも醜い態度と言うべきではないでしょうか。」 私 「少なくとも、私たちはそう思いません。 御館様が普段より、苦しむ民以外の事を考えて過ごされた事が ありますでしょうか? 私は無いと思います。 私は、そういったお優しい私欲の無い方こそ、 この日の本を背負って立つにふさわしい人柄の方と存じ上げます。」 理奈様「しかし古より源氏も足利家も、「天命」天意を受けて 天皇陛下より政権を委託されているのですよ。 それに対し、軍を持って政権を奪うのは、 それは「覇道」と言うのではないですか。」 ここで、瑠美殿も助言してくれた。
瑠美殿「御館様。源氏は元々、天皇家の血筋とは言え、 遠縁の土着軍閥に過ぎません。 足利家など、更にその支流の裔。 これに「青い血」の意味など、もはやありますまい。 実際に人々に必要なのは、その「天意」とも言うべき平安を、 実行してくれる、平等な実力者なのです。 御館様がそういうお人柄と、我々が力をお貸しできるこの状況こそが、 まさしく天意とは申しませんでしょうか? 大事なのは、誰が委託されるかではなく、 誰が「王道」を実行できるかなのです。 私の知る限りこの戦国では、御館様、あなたしかおりませぬ。」
沙律殿「正義無き力は唾棄すべき輩ですが、 力無き正義こそお題目ですぞ、御館様。 あなたには幸いにも正義も力もあるのです。」
加藤様「理奈、お前が立ち上がるというなら、この私も命を懸けて手伝おう。」
蛇島殿「同じ武門の力を振るうにも、それだけの名分があれば 振るいがいがあるというもの。」
美香 「御館様、あたし達を信じて、そして導いて下さい!!」
私 「御館様、どうかご決断されて下さい。」
理奈様「・・・あなた達・・・私を信じて、命まで懸けてくれると言うのですね。 確かに今は戦国の地獄。こうやって私がオロオロしている間にも、 多くの人々が死んでいるのですから・・・ 大事なことを忘れていましたね。後世にどう思われるかではなく、 今、苦しんでいる人達をどうするか・・・ そして、私はその人達を見捨てる気はさらさらありません。 行きましょう、京へ。 そして私達がこの日本で何が出来るかを探しましょう。」 そう決意した、御館様の眼は元の明るさを、 いや、今まで以上の固い決意を秘めていたのだった。 1548年5月、我々は最初の進撃地を、羽後国(秋田県)は大館城に定めた。 ここは石川城から目と鼻の先だからである。 ここの独立勢力さえ抑えてしまえば、安東領までは大分距離がある。 そのため、ここを抑えて日本海側の防波堤にすることにする。 石川城が近いため、そこを物資の補給基地に出来るという利点もある。 支配者は前述の通り、独立勢力の浅利親子。 2,000強で山城に立て籠もるのに対し、我々は以下のような布陣で臨んだ。
立て籠もる側より大きく劣る兵数など、 実際の戦争では絶対に勝てないパターンだが、 コーエーのゲームは指揮官の能力値が大きければ何とかなってしまうのである。 そして、その通り大館城は楽勝で落ちた。 この戦いで、御館様は私にご褒美として名馬「星崎」を賜った。 浅利親子は家臣となった。 大館城には、防御戦に堪能な沙律殿が指揮官として立て籠もる。 次からはいよいよ本格的な進撃の開始である。 1548年7月。目標は南部家の本城、陸奥(東青森県)の三戸城。 先程の山城とは訳が違う。第一当主が一流どころである。 布陣は以下の通り。
ある程度の苦戦を予想したが、御館様のご加護あってか順当に勝ちを収める。 南部家当主、晴政と家臣の北信愛が愛田家家臣となるが、 石川高信は登用に首を縦に振らないため、慈愛溢れる御館様は彼を解放された。 この戦いの功として、私は侍大将へと任じられた。ありがたい限りである。 同年12月、三戸城の支城、八戸城を落とす。ここに石川が立て籠もっていた。 捕らえるがやはり登用には納得しないため、解放すると野に下った。 これから、京に向かっての南下が始まるのである。 第2章へ進む 烈風伝メニューへ endra@yahoo.co.jp
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