191/4〜191/9 第三幕「愛憐、董卓討伐軍を進発させる事」

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191年4月〜8月 董卓勢力の伸張を手をこまねいて見ていては、本当に手がつけられなくなる 非常の際の第2案とは、我々愛憐軍が直接董卓軍と戦うことである。 人材の質に関してはすでに問題無い。 董卓軍猛将の呂布、張遼、皇甫嵩、華雄、 謀臣の荀攸、賈ク、李儒といった面子を押さえておけば、 愛憐軍も人材では負けていない。各個撃破で十分対抗することは可能である。 国力に関しても私が直接指揮を採り、突貫作業の5ヶ月間で楽浪の開発を行った。 兵を揃えるのも無理無い状態である。 問題はここが楽浪の僻地であるということである。 最短距離でも公孫度公孫サン劉虞張燕といった勢力下を通過しなければならない。 反董卓同盟とは言え、天子様を擁立している董卓から詔で 「愛憐軍を阻止せよ」などど命令を受ければ、群雄の足並みが乱れてしまうことは必定である。 しかし放っておけば、腰の重い上記の群雄達は王匡・張楊を滅ぼした董卓の本隊に併呑されるであろう。 そうなれば誰も手のつけられない国力になってしまう。 この場合「腰が重い日和見主義は、そのまま漢朝に対しての罪」なのである。 散々に悩んだが、思い切って私は愛憐様に直言を行うため向かった。
私  「愛憐様、本日は愛憐様にご決断頂くために参りました。」 愛憐様「あなたがそれだけ硬い表情で来たということは、相当に重大な内容のようですね。     伺いましょう。」 私  「今上(皇帝のこと)董卓に虜にされて以来、曹操の檄文各群雄に飛びましたが、     2年経とうというこのまま、袁紹・曹操を初め、     どの董卓と接する群雄も董卓に戦いを挑む者がおりません。     何の為の檄文、何のための同盟、何のための義軍でございましょう!     すでに姦雄董卓は、王匡殿・張楊殿を各個撃破で滅ぼしております。     我々は最も董卓と戦う熱意溢れているにも関わらず、不幸にして董卓までの道程遠く、     董卓の各個撃破による、猛威が肥え太るのを見過ごすばかりでございます。     董卓の暴虐を看過していることさえ、この場合は大逆にあたるではないでしょうか!?     今董卓に対し、凛として当たり、その増長している鼻先を叩かなければ、     奴めの帝位簒奪までも法螺話では無くなってまいります。     一刻も早く、董卓を叩く勢力が必要なのです。     誰もその勇気が無いのであれば、我々が先鞭をつけてやりましょう。     愛憐様、私の直言とは、董卓までの間にある勢力に文を飛ばし、     董卓への進行軍の通過を認めて貰うことです。」 その時、私とともに謀将として愛憐様に控える岑沙律殿が口を開いた。 沙律殿「・・・しかし、知美殿のこと。     それが現実的に可能かどうかはご承知の上で、愛憐様に申し上げているのでしょう。」 私  「無論の事。これは名分である。     元より一枚岩ではない反董卓同盟軍、自勢力領内を他群雄の軍が通過するなど     疑心暗鬼を生じ、決して看過し得ないであろう。     いずれにせよ、先ほど申し上げたのは漢臣の忠道に沿った名分である。     この忠道を妨げる不忠者は逆臣と見なし、     同盟と言えど戟を交える事は厭わない覚悟で臨む所存である。     そこを愛憐様にご決断頂きたいところでございます。」 私は深く頭を垂れる。 無論、愛憐様がこの様な過激な手段に訴えることは好まないことを知っている上での事だからである。 愛憐様「・・・龍獅、本気なのですか?     我々漢臣同士が相討つなど、それこそ董卓姦雄の望むところではありませんか。     今上におわしましても、そのような内乱は望まないはず。     ここは、袁紹殿や曹操殿に再度決起を促す親書を送るのが筋ではありませんか?」 私  「遅いのです! 愛憐様。     もう何度同じような檄文を各群雄に送ったことでしょう。     しかし現状はかくの如しでございます。     もはや一日も早く誰かが董卓を止めなければ手遅れになるのです!     愛憐様、私、考え抜いた上での直言でございます。     この申し上げを今ご考慮頂かなければ、我々の義軍としての意味はまったく無くなります。     ご不興を被ろうとも、曲げてお聞き届け頂きとうございます。」 そう言って、再度地に頭を着ける。 愛憐様は困ってしまい、沙律殿に助言を求めるように表情を作る。 沙律殿「・・・名分はともかくとしまして、現実問題として知美殿の意見は大変有効でございます。     上党の董卓本隊までに勢力を有する各群雄は、公孫度、公孫サン、劉虞、張燕。     これらの領地を董卓奴に奪わせる事は最も下策でございます。     実際、公孫サン以外の群雄は董卓軍に比べれば塵芥の如し、     公孫サンの白馬隊にしましても、董卓麾下の呂布を初めとした勇将達には叶いますまい。     董卓が今以上肥え太っていくのですから、尚更のことです。     知美殿が憂いていることは真実でございましょう。     そういう意味ではご決断する時期でございます。」 沙律殿の助言に、内心感謝する。 愛憐様はしばらく苦渋の表情をなさっていたが、やがて目を上げた。 愛憐様「・・・つまり、董卓までの間の群雄領を董卓より先に踏みつぶして行けというのですね・・・     実際問題としては。          ・・・わかりました。どのような罵倒を浴びようとも私が受けましょう。     確かに、龍獅・虎黒(沙律殿の字)の言うことは正しいと私も判断します。     董卓に私達が当たらねばならない時期に来ていますね。     龍獅、軍の編成を急いで下さい。将を一同に集めて準備に取りかかるのです。     虎黒、あなたは各群雄に対する我が軍進行に当たっての釈明文を作って下さい。     大義名分を示した後に進発します。」 愛憐様のご決断に、私は最敬礼をしてすぐに諸将を集める。 蛇狗殿、熊燃(馮破錬の字)を初め、譜代の将達、賢臣達、義兄達を集めて通達する。 諸将達の間に歓声があがる。 熊燃 「(笑って私の肩を叩きながら)遅かったよ、龍獅!     やっと董卓の野郎のトコに行けるじゃねぇか!     華雄だろうが呂布だろうが、このアタシがぶった斬ってやる!     勿論、先鋒はアタシに任せてくれるんだろ!?」 私は苦笑する。 私  「慌てるな熊燃。先鋒を担いたがる将はゴマンといるんだ。          軍師として一両日中に軍編成は発表する。     それまで諸将方には軍の準備を整えて頂きたい。     まずの総大将は、馬加武殿にお願いする予定である。     愛憐様のご許可を頂き次第、進行軍は出撃する!」 一斉に諸将が散り、愛憐軍は慌ただしい雰囲気となる。 私は董卓までの必勝の計を再度確かめ直すことにした。
191年9月 ついに董卓討伐進行軍の先発隊が進発した。 総大将に馬加武殿の兵8500。参軍に私と班黒禰殿、郭嘉殿の兵17000、 副将に岑聡美殿の兵12000の計37500である。 目指すは公孫度の駐屯する襄平。 残念ながら公孫度め、大義も大局も見えない馬鹿者らしく、我が軍の通過を認めようとはしない。 愛憐様は貴様のような腰抜け日和見野心家では無いわ。 公孫度に最後通達をした後、迎撃に出た公孫度軍と山あいで対峙する。 公孫度軍は、公孫度旗本の20000、公孫康率いる12000の計32000である。 素早く渡河を行い、迎撃軍の鼻っ柱を叩くため、左翼から進行する経路を選択する。 若干疲労している我が軍を奮い起こし、素早く好地を占める算段は整っている。 公孫度如きに手こずるようでは、董卓を叩くことなど夢のまた夢。 素早く片づけさせて貰う。
罪無い公孫度の兵士達を叩く必要は無い。 さっさと公孫度・康を引っ捕らえればそれで済むのである。 うまく一騎打ちで捕獲してしまえば良いのだ。 三國志VIIでは、戦場での一騎打ちの有効性が高まりました。 今までの作品では、武力の高いプレイヤー武将が 武力のより低いCOM武将に一騎打ちを申し入れても、 一定以上の武力差があった場合、すげなく断られてしまうのが実際のところでした。 そのため、原作三国志演義の一騎打ちのカタルシスは大きく削がれてしまっていました。 しかし、今作では嫌がるCOM武将を無理矢理一騎打ちに持ち込むことが可能です。 混乱しているCOM武将のユニットに一騎打ちを申し込めば、 兵達が大将を庇いきれない可能性があり、 5割くらいの確率で武力差に関わらず、一騎打ちを受けざろう得ないのです。 これにより、シナリオ2の呂布を選んで、張遼や陳宮で敵部隊を混乱させて、 バッタバッタと一騎打ちで刈り倒していく戦術も可能です。 でもこの方法、シル(略)子もなーみに教えて貰うまで気がつかなかったんですけどね(^^; 黒禰殿・嘉殿が公孫康・公孫康の隊を上手く混乱させ、 私が敵兵をかき分けて康・度に迫る。 白銀作りの額冠に煌めく胸甲、獅子頭の飾帯、純白の直垂には金糸にて黄龍の縫い取り。 七十斤の鉄槍をた挟んで、公孫康を三合で突き伏せると、素早く度を見つけて大音声で呼ばわる。 私  「どこへ逃げる、匹夫公孫度!      四海の内に貴様の及び腰を匿うところなぞ無いぞ! 歯がみして私に向き合わざろう得ない公孫度。 大刀を構えて、馬首をこちらに向ける。 ただのいじめジャン、この武力差って・・・(^^;;; 奴の腕前など、相対したときから分かり切っている。 大刀を鉄槍で右左とあしらいながら、槍の猛烈な横殴りで度を馬上から叩き落とす。 慌てて立ち上がった胸元には、鉄槍がグサリとめり込みたくお待ちかねだ。 私  「これ以上無益な意地は止められよ。我々は漢朝に義を行うべく進む者である。     これ以上我々の義心を認めぬと言うのなら、     黄巾の賊ばらや董卓姦雄と同じく成敗せねば成らぬが如何に?」 冷たく馬上より見下す私に、地に頭を叩きつけて割らんがばかりに悔しがる公孫度。まぁ当然であろう。 首尾良く康・度を引っ捕らえ、襄平に入場する先発軍である。 愛憐殿を襄平にお迎えし、公孫康・度の身柄を愛憐様にお任せする。 慈悲深い愛憐様が両将を害すはずもなく、両将は帰順か追放を選ばされる。 康は愛憐様に帰順し、度は追放された。 愛憐様の内心のお苦しみは、私にも伝わらんばかりだが、 私は心を鬼にして軍師としての責務を果たさねばならない。 まずはこの豊かな襄平の住民を安堵させ、進行軍の再整備を図らねばならない。
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