0/転換事象
a prologue / ── tward The end of“summer”...

 気がつくと、病院のベッドにいた。
 カーテンがゆらゆらと揺れている。
 外はとてもいい天気で、かわいた風が、夏の終わりを告げていた。

 ────そうか、また授業中に倒れたんだ。

 見慣れた病院の天井を見上げながらぼんやりと考える。
 僕、遠野志貴がこんなオンボロな身体になって──この、縦横に走るラクガキの線が見える様になって3年が経つ。
 先生の眼鏡のお蔭で線は普段は気にするべくもないけれど、その代わりに体の方はあんまり芳しいとは言えない。
 もっと前まではそれはもう頻繁にぶっ倒れては病院に運ばれるのが日常だった。
 最近はまだマシになってたとは言えやはりオンボロはオンボロのようで、まだ時たまこうやって気がつくと病院にいる。
 まだイシキがユメウツツの間に身体を起こしてみる。まずは眼鏡。眼鏡をかけないと、線が見えたままでは頭が痛くなる──
 しかし、思ったように体に力が入らない。
 半分ほど体を起こしたところでかくんとベッドに倒れる。
 取り敢えずベッドに寝たまま頭を巡らせると、いつものように備え付けのテーブルに眼鏡が乗っているのが見える。
 眼鏡、早く眼鏡を。
 何とか動かし辛い手を伸ばして眼鏡を掴み、ようやくかける。
 途端に視界の中のラクガキが消える。これで安心だ。
 だけど、意識がはっきりした所為で自分の体のいつもとは違う痛みに気がついた。いや、痛みというよりは、熱い。
 おなかの下辺りが微かに、でも異様に熱い。

「よぉ、志貴。目を覚ましたな」

 扉が開いていつも着流しを着ている医者らしからぬおじさん──時南さん──が入ってくる。その顔を見ておや、と思う。
 いつもは僕の前ではニコヤカに笑っているのだけれど、今日は何か違う。
 確かにワラッテはいるのだけれど、その瞳が違う。
 そう、まるで、これからしごく重要な事を告げるかのように、真面目な。
 そう、まるで、とてもとてもメズラシイモノを見たと言わんが如く。興味深く見つめる瞳。
 そんな時南さんの後から、引き摺られるかのように文臣さんと啓子さんが入ってくる。
 これもオカシイ。
 啓子さんはまだ分かる。僕を預けられた有間の家で僕の母さんをしており、こうやって倒れた後のお見舞いは殆ど啓子さんが来てくれるからだ。
 でも、文臣さんが来ることは、殆ど無い。
 別に本当の子供じゃないから愛情が無いんだ、とは言わない。だって、二人がいい人で、僕を大事にしてくれているのは骨身に染みて分かっているから。
 だけど、こんなに頻繁に倒れる僕だから、わざわざ仕事を途中で止めてまで駆け付けて来る必要は無いはずだ。
 もしかすると。
   そう、もしかすると、あんまりにもオンボロな僕の身体は、これ以上生きると言う事に耐えられないのかもしれない。
 だから、二人が来ていて、時南さんが真面目な目で僕を見ているのかもしれない。
 その時、わっと啓子さんが鳴き声を上げて顔を覆った。
 まるでその想像が的を得ている、といわんがばかりのタイミングだ。どうして、どうしてと呟いているのが聞こえる。文臣さんも顔が渋面で僕から目を逸らしている。
 と、意識が外に向いたおかげでやっと、時南さんが何か喋っていた事に気が付いた。

「──わかったか?」
「────え──?」

 ────どうやら僕は、考え事に集中していて時南さんの言葉を聞き逃してしまったようだ。

「まあ、信じられないのも分かる。理解できないのも良く分かる。だが、これは本当の事だ。もう1度言うから良く聞け。志貴。お前は────」

 今度は集中して、ちゃんと話を聞く。その言葉が頭に入った時に思ったことは、別に今死ぬような事じゃない、と言うことだった。
 反面、とても信じられなかった。理解できない。
 何故僕がソウイウコトにならなきゃいけないんだろう。
 わからない。

「──これを放って置いたら、そのうちお前は身体にかかる負担が重くなって死んでしまう。だから──」

 もう、言葉は頭に入っていなかった。いや、逆に頭では何を喋っているのか理解してる。
 そうか、だから、啓子さんは泣いているのか。
 そうか、だから、文臣さんはわざわざ駆け付けてくれたのか。
 そうか、だから──時南さんは、そんな、メズラシイモノを見るような目で僕を見ているのか。

 ────ふと、これは、選択を突き付けられているのだ、と言う事に気がついた。

 いや、違う。
 選択を突き付けられているのはあくまで僕の周りなのだ。
 そう。僕ではなく、これから手術をする時南さんであり、これからも一緒に住む有間の義両親と、その子供の都古ちゃんであり、後半年は一緒にいるであろうクラスメート達であり。
 つまりは、僕を包む環境に対して突き付けられているのだ。
 僕には選択権なんか無い──いや、それも違う。
 突きつけているのは、僕だ。
 だから、僕がすることは一つしかない。
 これで捨てる事になるだろう色々な事が頭によぎったけれど、それは以外と捨てなくて良いものだったりするから、僕はそれを頭から追い出した。
 それに。

 ──良くは分からないけれど、そんなものだったら、もうとっくに、似たモノを一度失っているような気がする────

「……分かりました。よろしくお願いします」

 僕は時南さんと義両親にひっくるめて頭を下げて言った。
 それで、全てが決まった。

 僕は。

 ────そうやって、僕を捨てた────



月姫異禄
〜 陰 姫 〜

Dark Darkness Eclipse Moon,
      Under The Crimson Edge.


第壱話 「1/胞衣」→]

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