私の御主人様が眠りに就き、いく星霜の時が流れただろう。
 白翼城──通称、千年城ブリュンスタッド──に戻り、年月は流れ私も妙齢の頃となった。
 ミディアンス──闇に生きるモノ──たる私に数える歳はないが、容姿は御主人様に少し近く成った。
 逆に御主人様は何ら御姿にお変わりなく、静かに眠りに就いていらっしゃる。
 それはまるで、ひとかたの美術品のように……。

 下界から離されたこの地は何らの代わりも無く。
 ただ、在りし日の姿身のままに時を重ねる。
 草も樹も、そして大地も風も……天空にある星も……月も。
 御主人様が眠りに就いたあの時から、何らの代わりはない。
 ただ、人の世は移ろい流れ、随分と様変わったものだ。

 人の言う年月で、百年……それだけが流れただろうか。
 御主人様の慕った世は既に無く。
 その心に思う彼の人も既に亡く。
 世の中は、様相を異にしていた。

 しかし御主人様は永劫の眠りのまま、変わらぬお姿でいらっしゃる。
 その身を黒き鎖で縛り、漆黒の闇の中、ただお一人で褥に横たわられる。
 永劫に目覚める事の無い、夢の中で。

 眠りに就く前、御主人様はこうおっしゃられた。

「貴方は、もう自由にして良いわ……私はずっと眠りつづけるから。だから、 貴方は貴方の思うように生きなさい」

 それは、私の事を慮って下さった、珠玉のお言葉。
 しかし私は、この地に留まる事を選択した。
 一人闇の中、在りし日の夢だけを思い、永劫の闇の中にある御主人様……。
 その我が主を、吸血種の王である真祖の姫君でありながら、哀しいまでに思 い人の為に殉した彼女を、どうして見捨てられようか。

 我が二つ名は、使いの魔物……。
 我が主は、今やただ一人となった真祖の君その人だけなのだから。

 私は、その主の為に力を使いつづける。
 在りし日を夢見眠る御主人様に、私の力を使い望む夢を与える。
 それが夢魔たる私が、主たる真祖の姫に出来る唯一の事だから。

 私は願う。
 主の為の夢を。

 私は歌う。
 主の為の歌を。

 在りし日の。
 幸福な頃の想いを。

 私は歌に乗せ、願い思う。
 その想い、主に届けと……。

 御主人様が望んだ、その日の事を。

 白翼城は、ただ静かに──
 名の如く、月の光に白く照らされる……。
──月の姫を、胸に擁きながら。


月の歌

舞い落ちる 月の欠片
輝きは 銀の雫
白き夜は はるか遠く
彼方

地平には 萌える草
水面(みなも)には 蒼い風
泡沫(うたかた)の まぼろしが
銀嶺の 夜を繰る

月明かり ただ静か
在りし日を 映し
切々と 彼(か)を想い
夜に抱かれ 姫眠る

遠い 時の彼方 永久の願い
蒼の輝きは 影を 切り裂きて
暗闇 月を隠し 全てを包む

彼の者は 遠き旅路
月の姫は 彼方の城に

互いの 想いは
遥か 届く

幸せは 時の果て
彼を想い 姫眠る
ただ静か 月は或る

佐々木沙耶香

後書き

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