演歌復権への道2

11.演歌サイトの役割編 12.2001年新番組編  13.氷川きよしさん研究編
14.CD1枚の価値編  15.南の島の歌姫編  16.2002年演歌歌手「デストラ」編
17.2002年紅白演歌「デストラ」続編  18.2002年紅白演歌「デストラ」続々編
19.そもそも演歌とは編 20.そもそも演歌とは・2編
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11.演歌サイトに求められる役割

 

 最近は、演歌系にもIT化の波が押し寄せており、ネット上には、いろいろな演歌サイトが見られるようになった。その中では、大きく分けて2つの種類があり、 1つは、アマチュアが個人的に開いているサイトで、たとえば、私のサイトのような演歌評論系サイト、特定の歌手のファンサイト、自作演歌をアップしている インディーズ系サイトのような種類のサイトである。もうひとつは、公式的なサイトで、演歌歌手の事務所は開いているサイト、レコード会社が開いているサイト、 また、演歌雑誌のサイトなどもこの種類に分けられる。
 しかし、私が感じるのは、演歌サイトにおいては、特に、後者の系統、公式サイトでの情報量が少ない、あるいは、遅いということがあることである。むしろ、特定 歌手のファンにとっては、ファンサイトを見たほうが、情報が早く、しかも、情報量も多いという傾向が見られる。これらの個人サイトを開いている方々は、ファン クラブに入り、そこから入手した情報をアップしているのだが、にもかかわらず、公式系サイトの情報量より多いというのは、この公式系の世界にかかわる方々に とって、忙しいためか、あるいは、IT技術に精通してないか、または、インターネットで流す情報によって混乱が起こるのを恐れているのかはよく分からないが、本来 は矛盾していると言わざるを得ない。
 また、有名歌手でも、ファンサイトが(私の調べた範囲では)ない歌手もいる。そのような場合、インターネットでの情報収集は非常に難しい。もちろん、インター ネットでなくても、根強いファンの方々がいるので、有名歌手のコンサート、公演はにぎわっているのだが、もし、インターネット情報がもっと浸透すればさらに大きく にぎわうはずなのに、もったいないことであると思う。まして、少し名前が知られていない歌手でも、根強いファンの方はいらっしゃるし、そのような歌手のファンを 増やしていくには、インターネットは必要不可欠なのではないだろうか。これは、もちろん売れそうでも、名前が知られていない名曲に関しても同じことが言えると 思う。 
 
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12. 2001年秋の新番組「歌って最高!」に期待

 いよいよ、2001年10月15日(月)から、毎週月曜日、テレビ東京系列で、期待の新番組「歌って最高!」が始まることになった。私はこの番組に期待する ところが大きい。というのは、前番組の「歌のヒットステージ」が私見でも期待はずれに終わったからである。前番組の「歌のヒットステージ」は、演歌番組の老舗 でもある「演歌の花道」の後を引き継ぐようにして、2001年春から始まったのだが、私見でも、1度見ただけだが、イメージが少し中途半端だったような気が して、番組構成が悪かったように思える。どうもイメージとしては、10〜20年くらい前の番組イメージという気がしたからである。この10〜20年という ところが問題であって、それ以上前のイメージなら、昔の歌謡曲のイメージが残っていたかもしれない(元の「演歌の花道」のように)。しかし、10〜20年前 というのは、実は演歌・歌謡曲が売れなくなる前兆のあった時期といえる。それだけにファンに受け入れられなかったというところがあるのかもしれない。  それだけに、1クールで終わってしまった「歌のヒットステージ」の反省を活かすためにも、今回の番組には大いに期待したいところだ。実際、氷川きよしさんを レギュラーに据えて、あるいは、地方で売れているが、全国的には無名の歌手・歌にもスポットを当てるといった具合の総合的歌謡番組になるという話をどこかで 知った。それだけに、今回の番組には演歌の復権をかけた気合が入っているという気がしてならない。私も、この番組には、長く続いてほしいと願うばかりである。 (筆者注・本番組は2002年3月4日をもって終了)

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13. 氷川きよしさんの人気に学ぶ

 どうやら、期待していた「歌って最高!」も6ヶ月の期間限定番組として、2002年3月をもって終了することになった。期待していただけに残念なところは あったが、また、スポンサーを代えるなどして、別の演歌番組として再スタートを切ることになることが予想される。
 ところで、「歌って最高!」では、氷川きよしさんが初めてレギュラーとして番組を務めることになったのは記憶に新しい。それだけ、大衆に受け入れられる 存在になったという証明でもある。最近は、オリコンチャートなどでも、上位はほとんどJ−POPが占める中、氷川さんだけが演歌では孤軍奮闘という状態である のだ。もちろん、氷川さんの場合、演歌業界を盛り上げるにあたって多大な貢献をしているのは言うまでもない。しかし、氷川さん一人だけでは、この業界の底上げ というにはまだまだ力不足というのは否めないところだと思う。従って、この業界の浮沈は、第2の「氷川きよしさん」のような存在を発掘できるかということにも かかってきているような気がする。もちろん、以前にも提言したとおり、吉幾三さんのように、作詞・作曲も手がけるとなれば、なおよろし、ということになる。
 さて、氷川きよしさんの人気は、演歌歌手としての歌唱力はもちろんだと思うが、やはり、「演歌のカリスマ」的な若さも魅力にあると思う。やはり、若い世代 に受け入れられてこそ、注目度も上がるというサイクルになっているのは当然のことだろう。もちろん、演歌歌手だけあって、中高年層にも受け入れられているのは 言うまでもないが、若い世代がCDを購入して、チャートも上がってこそ、このように大きく取り上げられるようになったのであろう。あとは、今まで出てこなかった ような歌手のタイプというのも大きな理由のひとつであろう。若い男性演歌歌手、というのが今までなぜ出てこなかったのか?というところも、業界の広さを考えれば 大いに疑問のわくところでもある。すなわち、この業界が今まで「常連」に頼りっぱなしだったツケが、このような「演歌不振」という形で現れたのだとすれば、 30代の男性演歌歌手の層の薄さも頷けるところかもしれない。ことここに到っては、30代を飛び越えて、氷川さんくらいの世代の20代演歌歌手(男性が望ましいが、 本当に華のある歌手なら、女性演歌歌手も含む)が次々に出現することが、業界の底上げの鍵になるような気がする。

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14. CD1枚の価値を測る

 私のお気に入りで購読している、ある演歌系メールマガジンが廃刊されることになった。このメールマガジンは、ある演歌レコード店が出していたメールマガジンであるが、 業界の構造的な不況で閉店を余儀なくされることになったそうで、正直、この記事を読んで、大変な衝撃を受けている。なにせ、私の場合、新譜情報など、 ほとんどこのメルマガから仕入れていたし、また、私の知らないような歌手の新譜の情報も掲載されていた、ということにおいて、非常に希少、貴重な価値があったので、残念で、 かつ、ショックも大きい。
 やはり、CD販売、という業界の構造的な問題の大きさが、販売店の閉鎖にもかかわっているのだろう。CDシングルは、一枚で1000円前後であるが、普通に考えてもこの 価格は高すぎるだろう。なにしろ、家庭用PCで自作の音楽CDを簡単に作れる時代だし、また、CD−Rを記憶媒体に利用すれば、コストも非常に安い。(その上、CD−Rは 記憶できる時間も長い)おそらく、CD−R(確か、74分録音可能)1枚でコストは100円とかからないだろう。それを考えれば、CDシングル1枚1000円、というの は、どうみてもマージンを取りすぎ、というのは言うまでもない。まして、日本はデフレで、物がどんどん安くなっているにもかかわらず、この業界においては、デフレ、という 感覚はないのか?とも疑いたくなるし、協会から、価格についてはかなり厚い保護を受けているのかもしれない。
 にもかかわらず、この業界では「CDシングル1枚1000円」という価格を維持しよう、という方向に進んでいる、というのが明らかな出来事もある。それは、「コピー禁止 CD」の発売で、PCにワンタッチで音声を取り込むことをできなくして、CDの価格を維持する、といった姑息な手段で業界全体を厚く保護しよう、といった姿勢が見え見え である。本来時代が進むべき流れに逆行している感じさえ受けるし、CDを安くして、大量販売、という方向に進むことはできないものだろうか?とも思える。もちろん、著作権 の保護、という観点からすれば、ある程度は(著作権の対価を保護する)必要があるのかもしれないが、でも、それならば、現段階で「CDの売り上げ」だけが(ほとんど)当該 楽曲の評価につながっている、という報道のあり方そのものを根本から変えなければならないはずで、多方面、いろいろなデータからの客観的な評価があれば(これはテレビの責任 も大きいと思う)、CD1枚1000円、という価値も変わってきただろうとも思う。(むしろ、CDの価値は下がってきているので、CDの売り上げ、というチャートはこれから は軽視される傾向になるだろうし、逆に、この傾向が続けば、実は、「CDが売れないから」評価が落ちていた「演歌業界」については、音楽業界全体での相対的地位は向上が期待 できる)
 では、なぜ「1枚1000円もするCD=普通に考えれば高すぎる」を敢えて「購入」する必要があるのか?という疑問も出てくるだろう。私も、実はCDシングルを多く持って いるが、それは、「CDに記憶されている音楽」以外の付加価値を求めているからだ。これは、私が演歌ファンであるので分かるような気がする。すなわち、キャンペーンに出向い て、歌手個人の歌を生で聞くことにより、「今歌った歌手の歌は良かったので、頑張ってほしいなぁ」という気持ちになって、それならば、「CDを買って応援しよう」という 気持ちで1000円出す、その「気持ち」が代金に含まれている、という解釈ができると思うからだ。その他の場合でも、私の場合は、CD購入の理由はさまざまで、「メイン曲と カップリングの組み合わせの見方」とか、「ジャケットのイメージ画像の研究」とか、もちろん、フルコーラスで新曲を聴きたい、というのもある。でも、演歌業界において、 「音楽以外の付加価値」を付けての1000円なら、「実はそんなに高くない」という見方をする人もいると思う。むしろ、あまり売れていない楽曲でも、「自分はこの楽曲は すばらしい」と思えるようなCDを持っていれば、その人にとっては、それは誇りだと思うし、この場合は、かえって「世間に知られていない名曲」として、付加価値がつくケース さえあるかもしれない。その意味で、CD1枚の値段は、その人、個人個人によって違って当然だろう。
 となれば、演歌業界は、CD売り上げに頼らずに盛り上げて行く、という方向性があってもいいのではないか?とも思う。むしろ、この業界は、キャンペーンなどによる 「ファンと歌手との距離の近さ」を売り物にしてきた。それは、本来この業界の誇りであったはずである。そのためにも、「CD売り上げが楽曲の評価をほとんど決定してしまう」 という現状を改善していくこと(マスコミの責任も重大)、それは、先にも述べたように、演歌業界の地位の向上への道になるはずである。

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15. 南の島の歌姫に学ぶ

 2002年ブレークした歌手の一人に、元(はじめ)ちとせさんがあげられる。ここでは、元さんのことに関しては詳しくは述べないが、奄美出身で、曲のジャンルとしては、 J−POP系として売り出されてきた。そして、この時期、いや、その時期よりもずっと前から、地道に、また長期にわたってある曲をヒットさせてきた女性歌手がいる。彼女の名前 は、夏川りみさんで、「涙そうそう」がロングヒットになっているのだ。で、夏川さんは石垣島出身ということもあり、元さんと同じ南の島の出身のため、一部スポーツ誌等のマス コミでは、「第二の元ちとせさん」的な報道をしているケースもあった。私に言わせれば、それこそ大きな間違いと言わざるを得ない。夏川さんの場合、数年前から「涙そうそう」 を売り出してきたし、NHK歌謡コンサートでも、何度も夏川さんの姿を見ることをできた。それを、今になって「ブレーク」というのは失礼では?という気がしてならない。それも これも、「演歌」というジャンル、業界が、歌手の売り出しにマイナー、あるいは、マイナスのイメージを与えている、と言わざるを得ない現実の悲しさ、というところなのだろうか? すなわち、芸能関係のマスコミが「業界全体」を見ていない、そして、「演歌」をあからさまに敬遠しているからこそ、このような矛盾が出てくる(例えば、去年の紅白出場者予想 でも、マスコミの表では、島津亜矢さんの名前が出てきたところは少なかった)のであろう。  今回の夏川さんの例でも、売り出しの方法が「演歌的手法」(NHK歌謡コンサートの出演も含む)であった点は、夏川さんの売り出しには(スピードという点だけを見ると) マイナスに働いた可能性も考えられる。その分、ロングヒットにつながった、という見方もできそうだが。確かに、演歌的な売り出しの方法は、近年の「サイクルの速さ」を考える と、時代に似合わないという考えも一理あると思うが、逆に、演歌的な手法は、売り出しの時に、ファンとの距離が近いので、長期に渡ってのヒットの可能性が大きく、また、 固定ファンをつかめる可能性も高いのだ。最近のマスコミや、芸能関係者は、演歌的手法のメリットをあまり知らないのではないだろうか。

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16. 2002年紅白演歌歌手「デストラ」に強く反発する編

 ついに、2002年の「紅白歌合戦」のメンバーが発表されたが、演歌枠の大幅削減が今回の「最大の目玉」になる、という結果になり、非常に残念であると同時に、寂しさで いっぱいである。確かに、価値観の変化、という時代の流れを無視するわけにはいかないし、その流れでいけば、演歌全体の枠が削減されるのも当然、という音楽ファンの意見は もっともだと思うし、今回の「演歌枠削減」には寂しさを感じながらも、「やむをえない」という向きで冷静に受け止めるしかないとは思っているが。
 ただ、今回の「削減」のやり方には、私として、納得できない点がある。それは、やり方があまりにも露骨であること、それが、また、「リストラ」というより、業界破壊 (デストラ=デストラクション、破壊、絶滅)につながりかねないやり方だった、という点で、すなわち、「リストラ=業界の再構築」ならば、演歌全体の枠を削減しながらも、 その中で新人枠のような形で、初出場歌手を出す、というやり方ならまだしも、今回は、NHKとして、「演歌をつぶす」のが今回の紅白での最大の目玉、宣伝だった、という のが明らかだったところに強い反発を覚えているのである。今回、初出場が14組も出たのに、演歌界からは初出場ゼロ、ただ一つ、田川寿美さんの復帰だけが唯一、わずかな救い という惨状である。
 そこで、今回、唯一明るい話題になった、田川寿美さんの復帰のケースを考えると、田川さんの初出場は、NHK新人歌謡コンテストによる特別枠による出場だった。その後、 一時のブランクを経て今回の復帰に至ったのだが、今回復帰できたのも、新人当時の特別枠出場あってのことで、それによって視聴者の評価を得る「土台」ができたことが非常に 大きいのである。特に、演歌歌手の場合は、この「土台」の持つ重要性は、普段テレビなどへの露出の少ない演歌業界だからこそ大きいのだ。ところが、今年は「削減」するだけ で、今年は、その「土台」さえもNHKは用意してくれなかった、というのがあまりにもつらい。新しい「風」を吹き込まなければ、業界全体の死滅(デストラ)につながる わけで、全体を「削減」しても、その縮小均衡の中でも、「新風」を吹き込めば、それが、業界を新たに「活性化」させるきっかけにもつながるはずだ。14組も初出場があれば、 その中で1つくらいは演歌から選ぶ必要があると思うのだ(その候補として私が挙げていたのが、小金沢昇司さんであり、林あさ美さんであった)。また、今年、島津亜矢さんが落選 したのは非常に残念だが、島津さんに関しては、NHKとしては、田川さんのように、「前年の土台」をステップに、さらにスケールアップして復帰してくるのを期待している、 というのなら、私としては「ある程度」は納得はできるのだが。
 今回のメンバーに関していえば、演歌枠削減以外にも大いに問題がある思っている。それは、(多くは演歌歌手ですが、演歌以外のベテラン歌謡曲歌手も一部該当)「常連」と いえる歌手を「一気に」多く切った点である。というのは、「紅白歌合戦」がなぜ視聴者の支持を、長期間に渡って集めて来られたか?ということに関連する。紅白歌合戦を見る視聴者 の立場からは、「当年、曲が売れた歌手」に関しては、「その歌手目当て」で見る、という方も多いと思う。今年の場合、出場者の中では、中島みゆきさんが「最大の目玉」と言われ ているが、紅白では中島みゆきさん「だけ」を見ればいい、という方も多いと思う。すなわち、視聴率的には、中島みゆきさんの周辺だけ「上がる」というわけだ。が、その一方で、 紅白歌合戦を「紅白歌合戦としてのイベント」として見る=通しですべて見る、というファンにとっては、常連として出場する歌手は、欠かせない存在と思えるからで、言い換えれ ば、固定のファン客層にとっては、「今年も常連の歌手が出場している」ということで、「今年も安心して見られる」ということにつながっていくわけで、それが「紅白歌合戦」の イベントが長期にわたって人気を維持してきた、ということなのだ。それが、今年のように、大幅にメンバーを入れ替えて、しかも、常連組を「一気に」多く切った今年の場合は、 常連客は安心して見られないのではないだろうか?(かくいう私も、今年のメンバーを見て、紅白を見る気が薄れてきました・・・そんな考えに同調する方々が多いと、今年の紅白 は支持者が激減しそうで、紅白離れを一層加速させてしまわないか、心配です)
 もちろん、「常連」といえる歌手も、いつかは衰えるもので、現在の演歌の「大御所」と呼ばれる方々は年齢も高齢化しており、あと5年が限度かな?という状況になっている。 この件に関しては、もちろん、演歌業界側の責任も大きいと思う。「常連」だけに頼りすぎて、若手を育ててこなかった「ツケ」が、このような極端な形で現れてしまった、という ことになるのだろう。だが、今年の紅白のメンバーを見て、来年残っている歌手が何人いるか?という問題がある。さらに10年後を考えると・・・1組か2組か?というところ だろうか?最近の業界の移り変わりが激しいのは認めるとして、2〜3年でコロコロメンバーが入れ替わる紅白、というのを考えると、人気番組として、次世代につなげていけるの か?というのを危惧しているのだ。そのことを考えると、ある程度は「固定」できるような人材を育てていくべきなのでは?と思う次第なのだ(もちろん、そのジャンルは演歌には 限らないのだが、「演歌的」な売り方で、ファン層の思い入れの深い歌手のほうが生き残る率は高いと思うからだ)。
 あと、今回気になったのは、以前、私も関連の記事で「白組30代の層の薄さ」を指摘したのだが、今回「デストラ」の対象となったのが、「演歌大御所」や、「大人のポップス 歌手」の中でも、「大御所中の大御所」ではなく、どちらかといえば、「第二グループ」に属するメンバーだった点だ。その結果、特に、白組のメンバーの若返りが大きな話題に なったが、皮肉にも「メンバーの年齢格差」は拡がる結果になった。それだけ、「30〜40代の白組の層の薄さ」を際立たせることになったのだ。私の指摘している「紅白危機」 は、さらに進行している、といえるのではないだろうか?

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17. 2002年紅白演歌「デストラ」(曲目・曲順)編

 2002年も残すところが少なくなった。で、今年の紅白は「演歌”デストラ”」が最大の話題になる、という寂しいものになったが、決定した曲目や、曲順にもNHKの意向=演歌 軽視の姿勢がモロに反映される結果となった。J−POP系歌手の場合は、「新曲」の売れ行き「だけ」が紅白出場を決定する「主要因」になるので、ほとんどの歌手が今年の新曲 を歌うことになるが、演歌系歌手で、今年の新曲を歌うのは半分強くらいだろうか?(ベテランPOP系歌手も含めると)。というのは、ベテラン系歌手の場合、歌そのものの魅力 や、歌手の「名前」や、「人柄」としてのブランドなどが「出場」を決定するケースがあり、今年の「代表曲」といえる曲がない、という理由があると思われるからだ。  それにしても、個人的には、NHKの選曲に関しては、特に演歌系歌手に関しては、大いに疑問を持っている。紅白の曲目に関しては、NHKの意向が大いに反映されるからとは いえ、特に、演歌系歌手本人や、大御所と言われる、作詩・作曲家の意向はほとんど無視されたような曲目になっている。例えば、氷川きよしさんの場合、今年の新曲の中では、 「星空の秋子」は芸術系作品、「きよしのズンドコ節」は大衆向け作品、と分類できそうだが、今年の選曲は「きよしのズンドコ節」となった点がある。また、香西かおりさんの 場合も、今年の場合、「氷雪の海」「あなたへ」ともに専門家筋からは、非常に高い評価を受けた曲であったが、今年の選曲は、民謡の「津軽じょんから節」だった(この曲に関し ては、曲順としても、対抗の歌手が細川たかしさんである、というのも大いに問題があると思う。「望郷じょんから」のイメージが強い細川さんに、なぜ、ぶつけなければならない のだろうか?)。曲順に関しても、演歌系に関しては、(後半トップの氷川さんを除いて)目立ちにくいところに、まとめて置かれた、という印象を強く持たざるを得ない。  「紅白の視聴率」というのが毎年取りざたされてはいるのだが、前回も書いたように、中島みゆきさん「だけ」を見る、というタイプの視聴者が多いと、視聴率的には、その部分 だけが上がるが、全体としては低いものになってしまう、という傾向が出るだろう。で、今年の曲順を考えると、J−POP、演歌系、ともに集中させて配置された傾向がある。 従って、あるジャンルに興味がまったくない、という視聴者は、「興味のないジャンルの曲」の時間は、チャンネルを変えたり、または後片付けをしたりなどで、視聴率が下がる ケースが考えられる。その意味で、今年、「演歌」を徹底的に削る(曲数の範疇のみならず)「荒療治」をした、という「結果」がどうでるかは、来年以降の「紅白」にも大いに 影響を与えそうなので、注目するところである。

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18. 2002年紅白演歌「デストラ」他失敗編

 年が明けて2003年となり、このほど、2002年「紅白歌合戦」の視聴率が発表された。私の予想通り、「演歌デストラ」が完全に失敗に終わったことを裏付ける結果となった (2001年、2002年12月31日の関東地区歌番組視聴率の比較をすると、NHK「紅白歌合戦第一部」=2001年38.1%→2002年37.1%、TBS 「日本レコード大賞」=2001年14.0%→2002年13.3%、テレビ東京「年忘れにっぽんの歌」=2001年10.6%→2002年12.0%)。比較した数字として は、意外に小さかったか?という印象もあった(私的には、「紅白」はもっと視聴率が落ちると思っていたので)し、このデータには(微々たるものかもしれないが)デジタルハイ ビジョン、NHKBSの視聴率は含まれていないので、単純な比較は難しいし、NHKとしては「価値観の多様化の中では健闘した」とのコメントももっともかもしれないが、今回 の数字の変化は、その内容を見れば、やはり、国民にとっての「演歌の潜在需要」を完全に読み違えた、との印象を持たざるを得ない。
 そして、今回、さらに問題だったのは、紅白の前段階で指摘した「演歌・J−POPの完全分離」が、実際には想像以上に極端に行われた、という点もある。演歌・ポップ両ジャンル のグループの交代の間には、中間審査やアトラクションが「これでもか」とも思えるほど入れられた、という思いを強く持った次第である。その結果、「演歌ファンであるが、最新曲 はあまり知らない」というオールド系のファンの場合、「紅白歌合戦」の最初の部分は見ずに、「年忘れにっぽんの歌」を全編最後まで見てから「紅白歌合戦」の残りの部分を見たと しても、演歌で見逃す結果となるのは、前半部分で出演する4名だけ(この4名は今年の新曲を歌った)である。しかも、演歌ファンの中で、「2002年は紅白を見たが」、「見た 結果、わずかな演歌歌手の中で、前半部分は知らない曲ばかりだった」との感想を持ったファンがいたとすれば、そのファンは、2003年からは、「年忘れにっぽんの歌」に回る 可能性さえ考えられるのだ。すると、2003年の「紅白視聴率」は(演歌歌手が2002年と同じくらいの割合なら)さらに下落する可能性がある。
 このケースは、「にわか紅白ファン」が一時的に視聴率を下げたのではなく、「固定ファン」が去って視聴率を押し下げることになっている、というのが大いに問題なのだ。「固定 ファン」が去るとブランドが傷つく、というのは食品偽装問題でも明らかになったのだが、それに変わる「新しい固定ファン」が得られるのなら問題はないだろう。しかし、現在は 「価値観多様化の時代」で「音楽業界全体(J−POPを含めて)」がメガヒット不作の時代なのだ(皮肉にも、一部突出していたJ−POPアーティストの地盤低下が、演歌の 相対的な地位を押し上げる結果にもなる傾向が出てきている)。「紅白歌合戦」の裏の番組も、その裏番組のジャンルに興味があれば、視聴者もそちらに流れる時代である。その意味 において、「演歌もJ−POPも分け隔てなく」という特徴を持った「紅白歌合戦」は、音楽ファンにとっても非常に貴重な番組なのだ。家族そろって、多世代がいろいろなジャンル の歌に触れ合ういい機会でもある(実は、1980年代までの民放の歌番組にもそのような傾向はあったが、平成に入ってからは、演歌とPOP系は徐々に区別されるようになって きた)。高齢者もJ−POPを聞き、若者も演歌を聞く、そして、知らなかったジャンルの歌でも、視聴者にとっての「名曲」を探し出す、そんな性格を持った番組なのだ。今回、 演歌とJ−POPを場面で完全分離、しかも、「分離を強調」したのは、「紅白歌合戦」の番組としての特徴を「自ら放棄した」としか考えられないのだ。今回のような番組構成を しては、「新しい固定ファン」を獲得するのは難しいと思うのだ。というのも、「視聴者の興味のあるジャンルだけ”紅白を”見る」という視聴者が増えることが考えられるからだ。 もう一度、紅白歌合戦の編成担当者は、「多世代がいろいろな歌を楽しめる」という番組の特徴・性格を再び見直してほしいものだ。

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19. そもそも演歌とは

 現在は、全体として「演歌が売れない」時代だと言われている。それでも、一時期と比べると、「最悪期は脱した」ともいわれており、その原因として、若い世代が 音楽CDよりも、携帯電話などに消費が回っていることや、曲の違法コピーによる売り上げの減少といった面があり、その分、演歌のシェアは相対的に上がったため、 とも言われる。
 そもそも、「演歌」とは何か?というジャンル分けの段階から、最近では分かりづらくなっているような感もある。(今回はこの内容には触れないが)「地方での キャンペーン回りなどの方法を取り、地道に売上を伸ばす歌謡曲」というのが「演歌」の位置付け、という考え方もあり、私は以前にもこの分類法には触れたことがある。
 今回は、それ以外にも、「演歌」の位置付けとして、重要な点について触れておきたい。それは、「日本語」の良さを最大限に生かした「詩」に曲をつけた「歌謡曲」 という分類法である。日本語には、「表意文字」としての「漢字」と、「表音文字」としての「ひらがな(カタカナ)」があるが、日本古来の「詩」から、現代の「演歌詩」 に至るまでの「詩」には、この「表意文字=漢字」と「表音文字=かな」の使い分けで、「詩」のイメージがうまく表現されていることが非常に大きい。例えば、「onna」と表音 されるケースを考えても、「女」と表記するか、「おんな」と表記するか、または「をんな」と表記するかで、詩のイメージは大きく変わってくるのである。逆に「女」と 表記しても、「おんな」と表音するか、「ひと」と表音するかでも、これもイメージは大きく変わる。また、有名な森進一さんの「おふくろさん」の場合、「♪おふくろさん、 おふくろさん〜」と歌い出すのだが、これを「♪お母さん、お母さん〜」とか、「♪母親、母親〜」と歌うと、それだけでイメージは大きく変わってしまうのだ。もちろん、 音数とか、字数の問題もあるのだろうが、それ以上に、「詩」としての文字、言語的なイメージの問題が大きいのだ。その意味で、日本語の「演歌」の詩は特別な意味を持って いると言っていいと思うし、逆に、英語など、表音文字だけの言語では、この点は非常に難しい、というところだろう。だから、私は、演歌のCDを購入する際は、「詩」も 付けて買う、という感覚である。
 それでは、一時期、「演歌が非常に売れなくなった」原因を探ると、その「詩」の心、詩の良さを理解できる方が少なくなった、というのも一因だと考えられよう。IT化 などによる急激な国際化、それによる、英語教育重視など、外来語が入りやすくなる「外的環境要因」といった面も一つで、詩の世界でも、意味が「女性」なら、「女」も 「おんな」も「をんな」も同じ、という考え方になった、というところだろう。むしろ、言葉としてわかりやすい表現のほうが好まれるようになった(逆に、演歌詩のような、 言葉の裏に含蓄があるような詩が好まれなくなった)、ということで、J−POPのほうが売れるようになった、というところもあると思われるのだ。
 最近、「日本語を見直す」動きがあり、外来語による安易な表現を控える、という風潮が出てきているのだが、これは、演歌にとっては歓迎すべき流れである。日本語の漢字 や、かなに置き換えることで、その言葉の「真意」を「感覚」として捉えやすくなるからだ。もちろん、この流れが「演歌復権」に直接つながるわけではないのだが、この国 に生まれた以上、「国の言葉」の良さを考えてみる、ということも必要ではないか?と思うのだ。

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20. そもそも演歌とは・2

 さて、演歌について、再び考えてみたいところだが、J−POPと比べると、歌詞に関していえば、「言葉、詩の裏に思想が隠れているケースが多い」という特徴がある、 と いう点を指摘したが、逆に言えば、J−POPの方が「言葉、詩が具体的で、直接にファンに訴え、伝える」という特徴があることもいえよう。この両者の特徴が、時代と ともにどのように変わってきたか、というのも「演歌」の社会的地位を測る上で重要な点だと思う。
 メガヒット全盛時代といわれる1990年代、「演歌」の業界にとっては、衰退の一途をたどることになったのだが、その一因としては、「活字として、全体の詩を”詠んで” 堪能する」という「演歌」の特徴にもあると考えられるのだ。テレビでプロの歌手が歌い、歌詞のテロップが流れる、歌番組のありふれたシーンを眺めてみることを考える と、時間とともに歌詞が出現し、消えていく、という流れにおいては、「全体の詩」が何を意味するのか?というのは伝わりにくい面がある。逆に、音楽、曲のほうは、 耳や 頭に残りやすい面があり、3〜4分の歌ならば、1回聞けば全体の流れ、ムードが大体分かる、という特徴を持っている。そのため、演歌の場合、基本的に地道なキャンペーン で、ファンに歌詞カードを配り、全体の詩を堪能していただいて、という販促活動を行っているのだが、これには時間がかかりすぎるため、「メガヒットプロデューサー」 といわれる製作者たちは、歌詞に関していえば、より分かりやすく具体的な歌詞(=J−POP的思想)を曲に取り入れるのである。さらに、それをテレビの人気番組や、 コマーシャルとのタイアップで、短期間に大量に売り上げる、という手法を取り入れた。すなわち、「テレビ」という「ソフト」を楽曲販売のためにうまく取りこんできた 時代が1990年代であり、演歌はその「時代的背景」に合わず、取り残された、という一面があったのだ。
 その意味においては、その時代、製作者たちが「良き物を後世に残す」という思想よりも、「とにかく売れるものを」という考え方で作品を作る、という流れがあった、 といわざるを得ない面はあったろう。しかし、時は流れ、バブル後遺症の影を深く残す2000年代となり、消費者たちは「必要なもの以外は買わない」という時代になった。 「メガヒット不作」の時代となり、演歌のシェアが相対的に持ち直したのは、時代がもたらした皮肉、というところかもしれない。消費者が「良いものだけを買う」という 思想になると、作品としての完成度が(相対的に高いと思われる)演歌業界は、(一時期ほどではなくとも)強気になれる、という面はあるだろう。  

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