日 本 野 鯉 紀 行 1 0 

 < 八 郎 潟 の 草 魚 > 

 大会が終わると、あれ程賑やかだった湖畔が、一気に静かになった。祭りのあとの寂しさと言う奴である。

 あとに残ったのは、私と関東の数人だけである。淡水大魚研究会の黒川氏は、豊川河口でもう一晩竿を出して、翌朝帰ると言う。大物マスタ−ズの平井氏は、中央幹線排水路で草魚を探る、と言って姿を消した。

 私も、中央幹線排水路の草魚が昨年の釣行からずっと気になっていたが、とりあえず、黒川氏の元を訪れて旧交を温めあう事にした。黒川氏は、同じ淡水大魚研究会の大先輩であり、以前から親しくして戴いたが、不思議と一緒に竿を出す事が少なく、春の霞ケ浦大会で御一緒して以来である。

 2年程前の夏には、同氏より誘いを受けて、霞ケ浦へ出かけようとした事があったが、途中で車が故障して断念している。

 黒川氏を訪ねると、大変喜んで車の中に招き入れられた。既にいつもの如く、日本酒の大瓶が口を開けられている。

 『いやあ、やっぱり秋田の酒は美味いよねえ。高橋さんも一杯いかがですか。』

何種類かのつまみと一緒にコップが差し出された。黒川氏の酒豪振りはつとに有名であるが、私はからっきしの下戸である。何せ、濃尾野鯉会結成の年の最初の忘年会を、アルコ−ル無しで行なった事は、今でも会員の間の語り草になっている。

 『そうか、高橋さんは酒はダメだったんだねえ。じゃあ、こちらの方がいいか。』

気を利かして、黒川氏は脇から缶コ−ヒ−を差し出した。ただ私も最近は、釣行会の度に仲間達の厚い協力で、小型の缶ビ−ル1本迄なら何とかこなせるようになって来た。しかし、日本酒は空っきしダメである。盃3杯で、もう真っ赤。たった四杯で夜も寝られず、と言う奴である。

 そこで、缶コ−ヒ−の方を戴きながら、四方山話に釣り談義。気が付くと、何時の間にか夜が更けている。明日は、700kmもの道程を走らねばならない黒川氏である。無事を祈ってあとにした。

 黒川氏と別れると、やはり草魚の事が、大いに気に掛かる。あの食み址のヌシの正体を知りたくなる。一体、どれ位の大物がいるのだろうか。どのくらいの数が生息しているのだろうか。考えるだけで、血が騒ぐ。

 草魚の生息している中央幹線排水路は、周囲をアシと防風林に覆われ、鬱蒼とした茂みの中にひっそりと佇んでいた。所々に、釣り人の入った址が、草の上に残されているが、昼なお暗きという所が多い。そこで最初は、車の良く通るみゆき橋のすぐ下流で竿を出す事にした。橋の上下には、左右から用水が流れ込み、その吐き出しが釣場になっている。 水色を見ると、どんよりと茶色く濁り、ゆっくりと下流に流れている。やはり、草魚の放流に依って藻が無くなり、水の浄化作用が小さくなった影響が現れている。これは、草魚の繁殖している利根川の水質を見れば判るが、私のホ−ムグラウンドとしている名古屋近郊の内川一帯は、特にそれが著しい。藻が繁茂するのは、エサとなる有機物を多く流す為で、それを放置して藻だけを取り除いても、水質が悪くなるばかりである。中には、この水質悪化の原因を草魚に被せて、草魚を目の敵にしている所もある。人間が汚水を垂れ流す事により、藻が異状繁殖して色々な弊害が出る。それを取り除く為に草魚を放流するのは良いが、藻が無くなれば、却って水質が悪くなるのは目に見えている。それを草魚に原因を求めるのは、筋違いというものであろう。

 ただ、自然界には、長年に亘って培われてきたバランスが備わっている。草魚の繁殖している中国には、プランクトンを食性とするレンギョがいる。食水魚の異名を持つ、このレンギョは、その巨大な口で水を吸い込み、海綿状になった微細なサイハで、プランクトンを濾過して食べる。

 日本でも、利根川にはレンギョが繁殖して、草魚の10倍の生息数があると言われている。もし、レンギョがいなかったら、利根川の水質は現状程度では収まらなかったものと思われる。実際、過去に霞ケ浦で大漁にアオコが発生した時、その対策としてレンギョを大漁に放流して効果を上げたと聞いている。

 この自然のバランスを無視して、草魚だけを放流しても、却って矛盾が増すばかりであろう。

 さて、草魚狙いの仕掛けとしては、アシの葉などを束ねた草針仕掛けが最も万能的であるが、名古屋近郊の内川では、パンをエサにする釣法も効果を上げている。

 そこで、数本の竿を使用して、パンと草針の2本立てで狙う事にした。アタリの前触れが判るよう竿先に鈴を付け、吐き出しの草の垂れている際に、草針仕掛けを沈め、対岸のアシ際を、パンで遠投する。

 普通、草魚は静かになる夜陰に乗じて、岸際に忍び寄り、そっと草を咥え込む。そこで釣人は、魚に警戒心を与えないように、できるだけ静かにしてアタリを待つ。

 数時間おきに仕掛けの点検をすると、草針だけでなくパンの仕掛けにも、何の変化も見られない。ソイ針22号の大針に3cm角に切って付けたパンが、そっくりその侭の状態で残っている。

 結局、アタリの無い儘に夜が明けて、仕掛けの点検をすると、パンの仕掛けはその侭なのに、吐き出しの際に沈めておいた草針仕掛けは、見事に針の手前でアシの葉を食いちぎられている。いつもながら、草針仕掛けに対する草魚の狡猾さには脱帽する。それにしても八郎潟では、パンはジャミも食わないのか。今まで、各地で同じ様にパンを試してきたが、場所によってかなり格差が見られた。大体、自然の野川では殆どアタリが無く、アタリが多く見られたのは、都市近郊の川や湖沼であった。その事から思うと、田んぼ以外周りに何も無い八郎潟を流れる川で、パンに興味を示す魚がいなくても何の不思議も無い。 それにしても、このポイントは、草魚狙いには少し賑やか過ぎた様である。わざわざ車や釣人の多い所で草を食わなくても、草魚には、充分安心して草を食べる事のできる場所が至る所にあるのだ。今迄も、草針仕掛けで何回も草魚を狙ってきたが、同じ所で粘る程アタリが少なくなる事を経験している。

 そこで、もう少し静かな所で狙う事にして、場所を移動する事にした。川添いに1km程上流に昇ると、もう車の通る事は殆ど無く、気持ち悪い程に静かである。それでも所々に釣人の入った跡がある。その中の一つに、アシの繁り具合が丁度良いポイントが見つかった。川岸に沿って50m程、アシが踏み倒され、その先は又、一面にアシの川原となっている。そこで、今度は草針仕掛けだけにして、奥から順に仕掛けを並べた。ここなら草魚も安心してエサを採るだろう。期待に胸を膨らませ、日が暮れるのを待つ事にした。

 しかし、この夜も期待にそぐわず、アタリを知らせるブザ−は音無しの儘だった。夜が明けて、仕掛けを点検すると、又しても針先の手前だけ食い千切られている。それも、一番奥の、アシの薮に近い仕掛けだけである。何処で、こんな知恵を学んだのか。全く以て草針仕掛けに対する草魚の賢さには、ほとほと感心させられる。

 こうなったら、もう後には引けない。このポイントもスッパリ諦めて、全く釣人の入ってない所を捜す事にした。しかし、釣人の入った事の無い場所は、何処も草が鬱蒼と繁り、中々竿を出せそうな所が見当たらない。両岸を、何回行ったり来たりしただろう。ようやく、防風林の中に、草の延びていない場所を見付ける事ができた。川岸には5m程の幅でアシが生い茂り、いかにも草魚の棲み家となりそうな所である。

 とりあえず、竿を立てる場所の分だけ草を刈り、川岸のアシは足で踏み倒し、水辺に垂らして寄せエサの替わりとする。北国とはいえ、やはりまだ9月である。日中に、これだけの仕事をすると、しっかり汗をかく。少し休憩してから、3本分の大型の草針仕掛けを作り、踏み倒したアシの際に浮かべようとすると、いきなり足下から大きな波紋が広がった。草魚である。早くも草魚が、寄せエサ替わりのアシの葉を食べに寄っていたのである。 何という事だ!前の2夜には、いくら深夜迄起きてアタリを待っていても、さっぱり気配も見られなかった草魚が、この日中に、騒がしくアシを踏み倒したすぐ後に寄って来るとは…。いかにも賢く、何と大胆である事か。

 そこで今回は、前2夜とは少し仕掛けのセットを替えてみる事にした。前の方法は、オモリを水底に付け、草針仕掛けを水中に沈めるか、水面に浮かべる方式を採っていたが、これでは針掛かりせず、アシの葉だけを食い逃げされただけであった。今回は、オモリを外し、竿から仕掛けをぶら下げる方式とした。この方式なら、針から竿先迄1直線でアタリが採り易く、しかも、針の付いた葉先の方が水中に沈むから、草魚が掛かり易くなる。 しかし、思った以上に、敵は賢かった。日中のあの騒がしい時に、早くもエサを食べに来ていたのに、日が暮れて静寂に包まれても、中々アタリの気配は見られなかった。竿先に付けた鈴は、深夜迄チリンとも鳴らなかったのである。

 『ピッピッピッ……』

久しぶりのアタリを知らせるブザ−が、車の中に鳴り響いたのは、ぐっすりと眠りに陥ちた深夜もかなり更けてからであった。草魚狙いで、中央幹線排水路へ入って、3夜目の事であった。

 待望のアタリに、勢い良く車から飛び出すと、川岸目掛けて一目散。グングンとおじぎを繰り返している竿を掴むと、いつものように大アワセ。ガツンという心地好い手応えと共に、水面に激しい水しぶきが湧き上がる。続いて、強烈な締め込みが襲ってきた。慌ててドラッグを弛め、竿を立て次の引込みに備えて様子を見ると、15m程走ったところで又、激しい水しぶきが上がる。いまだ針の痛みを知らぬ、野性のままの引きである。草魚特有の激しいファイトを水面に撒き散らしながら、何回やり取りを繰り返しただろう。少し抵抗がおとなしくなってきたなと思った所で、急に抵抗が無くなった。

 『シマッタ!!針が外れたか。』

バラシである。折角、3日3晩の辛抱の末、ようやく針に掛けたのに、針が外れるとは何と運が悪い。軽くなった仕掛けを手に採り、ヘッドライトを当てると、何と針が無い!!移動式2本針の、延びた先端の針が無い。草魚特有の激しい首振りで、ハリスが針のちもとで切れたのである。ケプラ−ト10号の強度にかまけて、同じ仕掛けを3日も使ったのが敗因であった。

 その夜は、結局これが最初で最後のアタリとなり、朝を迎えた。おそらく、このポイントで暫くは、草魚は近寄りもしないだろう。かと言って、もうあれだけのアシを刈り、なぎ倒して、ポイントを作るだけの気力も無い。
 次回のチャンスに運を託し、力無く仕掛けを巻き上げる私であった。