日 本 野 鯉 紀 行 1 2 

< 釣 れ な く も 釣 れ な く も 出 来 る 野 鯉 釣 り > 

 秋田県の野鯉ポイントでは、八郎潟が最も有名であるが、実は他にも大鯉の釣れるポイントが幾つかある。

 八郎潟に別れを告げたあと、特に当てのある旅ではないので、途中適当な所があればと見て回る事にした。

 八郎潟から海岸沿いに南下すると、最初に出会うのが雄物川である。その源を秋田県、山形県、宮城県の境より発し、秋田市の南で日本海に注ぐ流程100kmを超える大河である。その流れは山間を大きく蛇行しながら進み、その度に巨大な淵を形成して、その深淵は大鯉の絶好の棲家となっている。水色は青く、巨大な岩盤との対比は一服の水墨画を見るようなすがすがしさを覚える。

 私は、半日を掛けてかなり上流部迄上ったが、残念ながら車を寄せて竿を出せる場所を見付ける事が出来なかった。

 そこで仕方無く、次の場所を求めて南下すると、本荘市で海に注ぐ子吉川に出会った。子吉川は、湯沢付近を源とする流程50km程の中規模の河川で、本荘市の辺りでは川幅100m程の広さとなっている。市街地のすぐ北に架かっている由利橋の上流に、河川敷に入る降り口があり、その前に釣人が数人竿を並べていた。様子を聞くと、どうやら鯉狙いのようで、電気ウキを使って夜釣りの用意をしている者もいた。

 この日は、既に夕暮れも迫り、これ以上の探索は諦めて、ここに今宵の宿を取る事にする。先釣者の下流100m程のテトラの前に竿を並べると、水深は沖合15m程の所で約3m。流れはゆったりとして、いかにも大鯉の居りそうな感じの場所である。

 この川については、以前、秋田の進藤氏のクラブの機関誌に、大鯉のポイントとして紹介されていたのを覚えている。アタリがあれば、平均75cmの大鯉が上がり、90cmオ−バ−も何本も出ていたように記憶している。

 しかし、私の竿は何事もなく平和な朝を向かえ、私は次のポイントを探索する活力を得て、子吉川をあとにした。

 子吉川より更に50km程南下すると、酒田市で日本海に注ぐ最上川に出会う。最上川は山形県を斜めに縦断し、全長150km以上を誇る日本有数の大河である。ここも、下流部中心に半日掛けて見て回ったが、残念ながら条件を満たすポイントを見付け出す事はできなかった。

 さて、此処まで来ると、次は新潟迄一気に走ることにした。美しい日本海を右手に見ながら、国道7号線から345号線を海岸沿いに南下すると、村上市を流れる三面川を越えた所で、急に景観が一変した。それまでの山と海とが造り出す独特の織り模様から、一気に開けた砂浜となったのである。越後平野の始まりであった。

 越後平野は、日本一の長流信濃川と阿賀野川が造りあげた広大な沖積平野で、一帯は無数の中小河川が網目のように繋がり、所々には潟と呼ばれる非常に浅い沼も多く点在している。

 私が初めに辿り着いた阿賀野川は、福島と栃木の県境に源を発し、200km近い曲折を経て新潟市の東で日本海に注ぐ大河で、過去には鉱毒により死の川とされた不幸な歴史を持つ。

 川幅は河口付近で1kmを超え、信濃川の倍もある広さである。とりあえず下流部一帯を見て回ると、各所に沈床や乱杭が見られ、ゆったりとした流れの淵が延々と続いている。 ただ、どういうわけか乱杭の先端にロ−プの張ってある所が多く、竿を出せない所が多いのである。河岸に繋いである舟を眺めると、船側に鮭漁の許可番号が記されている。おそらく、釣人による鮭の密漁を防ぐために、漁師がロ−プを張ったのだろう。そうこうする内に、日も暮れかかり、雨がポツポツと落ちてきた。

 折角、良さそうなポイントが多く見られたものの、竿を出せる所が少なく、今宵はJR白新線上流右岸にある排水機吐き出しで竿を出す事にした。この排水機は福島潟から流れている新井郷川の分流に架かる機場で、その前は大きなワンドとなり、その出口には沈床が沖へ突き出している。ワンドの中は約水深2m、沈床の沖は4mとなり、その間がかけ上がりとなっている。かけ上がりの前後を狙って仕掛けを投げ込み、アタリを待つ事にする。日が暮れると、沖を何やら点滅する信号のような物が流れていく。良く見ると、対岸近くを同じ様に漁船が下っている。どうやら鮭漁の流し網のようである。それは、朝まで何回も周辺を行ったり来たりしていたが、私は何時の間にか深い眠りに落ち、結局穂先は朝まで微動だにしなかったのである。

 夜が明けると、釣り人が二人遣ってきて、ヘラ鮒釣りを始めた。野鯉の生息状況を尋ねると、この辺りにもかなり棲息しているようだが、専門に狙う者はいないようだ。

 ただ、鮭漁の始まる秋は、鯉も怖じけて難しそうである。そこで、今度は信濃川を探る事にする。阿賀野川と信濃川は、新潟市を挟んで10km程しか離れていない。途中、新潟市の南では、川幅50m程の小阿賀野川が蛇行して両者を結んでいる。その堤防を川伝いに信濃川へ向かい、信濃川を溯って行くと、台風の影響がまだ残っているのか、増水してかなり流れが速い。くねくねと右へ左へと蛇行を繰り返す度に、絶好のポイントが見えてくるが、何処も流れが速い。ようやく、竿を出せるポイントに辿り着いたのは、20km程溯った加茂川の合流点であった。このポイントは、信濃川が三条市の上流で二股に分かれ大きくS字型に蛇行した次のカ−ブである。加茂川は、合流点で50mも無い、小さな浅い川で、本流の増水の為か殆ど流れは見られなかった。河岸に降り立つと、水面に何やら波紋が広がった。暫く見ていると、あちらこちらでしきりに魚の波紋が輪を描く。小魚のモジリもあるが、多くは中型魚のモジリである。果たして正体は野鯉か、はたまた鮭か、それとも…?

 正体を確かめるべく、早速竿を出して確かめる事とした。水深を測ると、本流は合流点で4mと深く、加茂川は2mも無い。そこで、合流点のかけ上がりから加茂川にかけて竿を並べ、アタリを待つ。仕掛けは、干イモを付けたぶっ込み式である。今回の釣行では、ネリエの吸い込み式と干イモの食わせ式の2通り用意したが、流れのある川では干イモがエサ持ちが良く便利である。一応、北海道でも通用したから、新潟でも何とかなるだろうという安易な考えであった。

 アタリを待つ間も、目の前の水面では休む事なく波紋が輪を描いている。その内、幾つも浮上して、尖った背ヒレの先端が姿を現した。三角のヒレの形からして、鯉では無いようだ。やはり鮭か、それとも…。

 結局、この日は正体を確かめる事無く日が暮れた。翌朝、対岸に老人が竿を持って現れ、程無くして私の上流にも釣人が入った。さっぱり魚に嫌われた私は、自らの力では正体を明らかにする事が出来ず、やむなくその釣人に聞く事にした。どうやら、この釣人も野鯉を狙っているようで、先日も60cm程の型が釣れたと教えてくれた。波紋の正体を尋ねると、ボラだろうとあっさり言う。

 なんだ、そうか、ボラなのか。そう言われると、大きさも辻褄が合う。群れを為し水面近くで浮上して、しきりにモジリを見せるのも合点がいく。

 しかし、それを聞いてからは、急に力が抜けてしまった。そこで、このポイントも早々に仕掛けを終い、新潟在住の淡水大魚研究会の先輩である小野塚氏を尋ねる事にした。

 小野塚氏は、長野県境に近い松之山温泉で白川屋と言う温泉旅館を経営していて、野鯉釣りの研究では並々ならぬものがあり、以前より度々電話にて御指導を戴いている間柄で、今回の釣行の途中には必ず立ち寄るように連絡を戴いていたのである。

 以前に、新潟の湖で4mもの大鯉が目撃されたと話題になった時にも、資料を送って戴いた事もある。しかし、何よりも同氏が詠んだ『釣れなくも 釣れなくも出来る 野鯉釣り』と言う句に、野鯉釣りの真髄を教えられたのである。

 三条市から北陸自動車道に乗り、長岡ジャンクションを経て関越自動車道で越後川口迄行き、そこから国道117号線を南下し、津南町という所から九十九折の峠越えをすると、ようやくそこが松之山温泉であった。

 松之山温泉は、思っていたより大きな温泉街であった。新潟と長野の奥深い県境に位置する為、ひっそりとしたひなびた温泉かと思っていたのだが、どうしてどうしてズラ−と旅館が軒を連ねる立派な温泉街であったのである。

 私が到着した時は、生憎小野塚氏はまだ野鯉釣りに出かけた儘、不在であった。愛想の良い奥さんが迎えに出て、空いている部屋に案内され、浴衣と丹前を渡され入浴を勧められた。久しぶりの温泉にすっかりくつろいで部屋に戻ると、間も無く小野塚氏の帰宅を知らせる声が聞こえた。何やら大物を持っての御帰還である。玄関に出向くと、見事な天然型の大鯉がタライにとぐろを巻いている。

 『やあ、どうも、高橋さん、御待たせしました。丁度、竿を終い掛けた時に、この鯉さんが掛かりましてね。連絡を受けて、直ぐ帰ろうと思ったのが遅れてしまいました。でも、高橋さんは福の神ですね。こんな大鯉は今まで初めてですよ。』

 『いやあ、凄いですねえ。まさか、いきなりこんな大鯉を見せられるとは…。』

私は挨拶も忘れて、大鯉を良く見ようと外に出ると、

 『そうだ、写真を撮ろう。高橋さんと一緒に、鯉を抱いて記念写真を撮ろう。』

小野塚氏はカメラを奥さんに渡すと、タライから大鯉を抱き上げ、胸の前に差し出した。私は横に並ぶと、背ヒレを抓んでピンと立てる。小野塚氏の丸顔が笑みで更に丸くなった。撮影が済むと、小野塚氏は大鯉を抱えて、私を裏へ招いた。

 『高橋さん、ここに今まで釣れた鯉を飼っているのですよ。ほら、どうです。今日の鯉が一番大きいでしょう。やっぱり、大物は風格が違いますねえ。おや、もう他の鯉達が後ろに付いていますよ。』

 小野塚氏は上機嫌である。私たちは、ひとしきり、悠々と泳ぐ大鯉に見取れていた。  『ところで、この大鯉はどこで釣れたのですか。』

暫くして私が尋ねると、小野塚氏は満面に笑みを浮かべて答えた。

 『これは、最近見付けた柿崎川という所で釣れたのですが、詳しくは部屋へ行ってから話しましょう。明日、御案内しますよ。良ければ、2〜3日ゆっくりしていって下さい。色々積もる話も聞きたいし…。』

 その夜は、お互いに電話でしか知らなかった所の裏返しで、堰が切れたように次から次へと釣り談義から四方山話へと、夜が更けるのも知らずに続いたのは言うまでもない。