日 本 野 鯉 紀 行 1 3 

< 北陸 >  

 『高橋さん…高橋さん…』

遠い霞の彼方から、誰かが私を呼ぶ声がする。全然覚えの無い声である。

 釣りに来ているはずなのに、誰が私を呼ぶのだろう。

 『高橋さん…、起きている?』

その瞬間、私は昨夜、小野塚氏宅に宿泊したのを思い出し、布団をはねのけた。この3週間というもの、寝袋を使った野宿の生活を繰り返していた為に、畳の上で寝ていたのを忘れていたのである。それにしても、布団の寝心地がこんなにも気持ち良いものだとは、思わなかった。普通ならなんでも無い当たり前の事が、普通でない時に初めてその素晴らしさに気付くのである。

 『あっ、今、起きます。』

 『そう、じゃあ顔を洗ったら下へ降りて来なさいよ。皆と一緒に朝食を食べなさいよ。

 私が顔を洗って、玄関横の居間に降りて行くと、既に私と小野塚氏の分を残してテ−ブルは片付いていた。既に、奥さんや仲居さん達は見送りや後片付けに追われ、忙しく立ち動いている。奥さんに良く似た優しい顔をしたおばあちゃんが、満面に笑顔をたたえて食事を勧めてくれた。

 『昨夜は、遅く迄倅の相手をして、お疲れだったでしょう。今朝は、充分お休みを取れましたか?』

 『いやあ、そんな事は無いですよ。それより、布団で寝るのは久しぶりだったために、つい寝過ごしてしまいました。』 『高橋さん、食事が済んでひと休みしたら、昨日釣れた柿崎川へ行ってみるかい。ここから1時間程と割と近く、私も夕方迄なら時間が取れるから、一緒に行って案内するから…』小野塚氏は、箸を手に採ると、続けて言った。

 『高橋さんの好きなだけ、ここに逗留して貰っていいんだから…。』

何とも暖かく、有り難い言葉である。しかし、その言葉にあまり甘える訳にはいかない。私の悪い癖で、勧められるとついいつまでもそこに居着いてしまう可能性がある。

私は、沢庵を慌てて飲み込むと

『あっどうも有り難うございます。私も山々そうしたいのですが、かなり長い間家を留守にしていますし、釣場に入れば夜釣りをしないと納まらない質ですから、一緒に案内して戴くだけでもう充分ですから…。』

 『ここが、昨日鯉が釣れたポイントです。ここからはもう、海迄2kmも無い位の近さですよ。』

 小野塚氏の先導で山道を1時間余り下り、少し開けた所で又狭い農道に入り到着した所は、北陸自動車道と国道8号線との間のブッシュの茂みの中であった。

 柿崎川は、柏崎と上越との丁度中間を流れる、全長10kmにも満たない小さな川である。川幅も20m程で、両岸を柳やブッシュに覆われた静かな川であった。水色は少し濁り、まるで故郷の水門川を思わせる川である。少し違うのは、水門川が大川に繋がる支流であるのに対し、柿崎川は独立した川である事だ。

 『この辺りの川では釣人は殆ど居なくてねえ。居ても近くのお年寄りが暇潰しに来る位で草なんか伸び放題ですよ。だから、この間から川岸迄の道を造ったり、草を刈ったりした苦労が何とか報われましたよ。高橋さんは、柳の下流の刈り込んだ場所で竿を出して下さい。私は上流で出しますから。』

 確かに、周り一帯を見渡しても、釣人の姿はおろか釣人の入った形跡も無い。海に近いこの辺りでは、釣りと言えば海へ行くのだろう。たった一人でポイントを開拓し、エサから仕掛け迄独力で工夫を続けてきた、小野塚氏の努力が偲ばれる。

 一通り竿を出し、仕掛けをセットし終えたところで、小野塚氏が包みを下げて遣ってきた。

 『高橋さん、そろそろ昼御飯にしましょうや。女房に適当に作らせた弁当だから、お口に合うかどうか判りませんが…。』

 『いやあ、とんでもない。釣り場へ来て、手作りのお弁当を戴けるなんて、文句を行ったらバチが当たりますよ。』

 『いいなあ。俺は高橋さんが羨ましいよ。高橋さんは、いつもこうして仲間達と一緒に鯉釣りをしながら、飲んだり食ったり喋ったりしているんだろ。俺なんか、周りを見ても鯉釣りをする者なんか誰もいないんだもの…。』

 小野塚氏は少し寂しそうに笑った。

『贅沢を言ってはいけませんよ。こんなおいしい弁当を作って戴いて、平日の昼間から鯉釣りができるなんて滅多に無い身分なんですから。それに、見渡すかぎり貸切りのポイントなんて、最高じゃありませんか。』

 私は弁当の包みを開くと、卵焼きを口に放り込んだ。

そうは言ったが、私にも小野塚氏の気持ちは良く判る。今でこそ、多くの気の合う仲間ができてワイワイ楽しくやっているが、鯉釣りを始めた頃はずっと一人であった。ポイントを探すのも、タックルや仕掛けを揃えるのも手探りの状態であった。特に、スランプにおちた時などは最低である。全てが後手に回り、方向を見失い、しばらく鯉釣りを諦めた時もある。今振り返ると、当時の10年は今の1年にも満たないのでは…、と思われる。

 『ところで、高橋さん、この柿崎川には草魚もいるようなんですよ。以前に、網に入ったのが新聞に出てましてね。岸辺の草を良く見ると、はみ跡らしきものもちらほらあるんですよ。』

 小野塚氏の言葉に、水辺を見ると、確かに水面に垂れたマコモやアシの葉先が鎌で刈り取られた様に無くなっているものがある。小野塚氏によれば、この越後地方の川にはかなり多くの川に草魚が生息している模様で、小野塚氏も以前に2尾釣り上げている。

 『これは、草針で狙うと面白そうですね。今夜試して見ますか。』

私は川岸に生えているアシを長いまま摘み取ると、1m程の草針仕掛けを作って見せた。 小野塚氏は珍しそうに眺めていたが、やがて感心したように言った。

『草針というのはそんなに大きいとは思わなかったよ。それなら、草魚にも良く目立つだろうなあ。』

 実は、草針仕掛けにも色々な大きさや作り方があり、これでなくてはいけないという決まった物がある訳では無い。ただ、大型仕掛けの方が早くアタリが出易いとは言える。

 さて、時間のたつのは早いもので、何のアタリも無いうちに夕暮れが近づいていた。小野塚氏は差し入れと未練を残して、帰宅した。私もお世話になった皆さんにお礼の言葉を託すと、あとは車内でアタリを待つのみとなった。

 しかし、一向にアタリの気配の無いまま、夜半には雨となり、翌朝は本降りとなった。折角作った大型の草針仕掛けもその姿に変化は見られなかった。

 柿埼川は、昨日のゆっくりとした流れから、矢の様に速度を上げていた。水の濁りは増し、時折塊になったゴミが渦を巻いて下っていく。竿先はいずれも大きく弧を描き、ゴミの重みに喘いでいる。

 私は、おもむろに仕掛けを巻き上げると、力無く車に引き揚げた。

柿埼から岐阜迄は、まだ450km程の距離である。一息に車を走らせるには少し遠すぎるそこで、石川に幾つかある汽水湖に立ち寄る事にした。中でも、金沢の北に位置する河北潟は、周囲約30kmの北陸最大の汽水湖で、丁度秋田の八郎潟を半分に縮めたような大きさである。その内北半分を干拓され、両側に東部承水路・西部承水路と呼ばれる水路と本湖が残っている。水路と湖の周囲には堤防が築かれ、コンクリ−トなどで護岸が施されているが、水辺にはガマやアシが生い茂り、沖合遠くまで繁茂している所も少なくない。その為、竿を出し易い所が少なく、私も湖を1周半してようやく東部承水路の右岸にポイントを見付ける事ができた。

 雨は既に止み、高校生の練習する手漕ぎボ−トが、沖合を交互に通り過ぎて行く。この辺り一帯も岸から20m程ガマが生い茂っているが、このポイントだけなぜか15m程切れていたのである。対岸には一筋10m程の川が流れ込み、そこにも竿を出せる所があったが既に先客がいた。

 いつものように仕掛けの先に錘を付けて水底を探ると、ガマの立ち込んでいる辺りは意外に深く2mもある。沖合もそれ程深さは変わらず平らな底が続いている。辺りに藻の生えている様子は見られないが、ただ、ガマの間には枯れて沈んだガマの屑が堆積しているようで、折れ曲がって上がってきた。おそらく、草魚も放流されているのだろう。

 とりあえず、このポイントを今宵のネグラと決めると、ガマの切れ目目がけて吸い込み仕掛けを放り込んだ。

 アタリは思ったより早く来た。車の中で夕食を採っていると、セットしたばかりのブザ−が鳴り出した。下流のガマの際の竿だった。竿先がガツガツと締め込まれたかと思うとラインが弛んだ。仕掛けを巻き上げると、さほど抵抗も見せず40cm程の小型の鯉が付いていた。以前に、三方湖で良く釣れた鯉に似た形をしていた。ここもやはり大量に稚魚を放流しているのだろうか。

 結局、朝までに同じ型を3尾追加して、河北潟に別れを告げた。此処までくれば、岐阜は目と鼻の先である。別に慌てて帰る必要は無いが、逆にいつでも来れる距離である。途中にも幾つかの面白いポイントが並んでいるが、又の機会にして帰路に就いた。

 思えば、この1ケ月の釣行は長いようで短い釣行だった。北海道から日本海に沿って北日本を駆け足で廻ってきたが、初めの思惑とは全く違う展開となった。

 北海道では石狩川から山上湖を釣り歩く予定が、台風と禁漁期の為全く違うポイントで竿を出す事となった。

 八郎潟では、一昨年の釣行のように大鯉が次から次へと歓迎してくれる筈であったが、思いも懸けぬ苦戦を強いられる事となった。その後は、何おか言わんやである。しかし、考えてみれば、そこが自然を相手にする遊びの醍醐味と言えるかもしれない。

 今の日本人の生活を見ると、自然と接する機会が驚くほど少なくなっている。コンクリ−トの家に住み、家庭では冷暖房を始めとした電化製品に囲まれ、通勤通学にもエアコンの効いた車や電車に乗り込み、箱から箱への生活が殆どである。この為、我々は自然がどのようなものであるかを忘れ、知らない事が多すぎる。

 昨今、アウトドアライフがブ−ムとなっているが、実態はム−ドを味わう程度のものが殆どで、逆に自然破戒に拍車を掛けている。四輪駆動車で川原や野山を走り回り、草花を踏み潰し、動物の住みかを掻き回す。川原や野原にバ−ベキュ−を持ち込み、辺りにゴミを撒き散らす。これのどこがアウトドアライフであろうか。

 山の頂上迄ハイヒ−ルで立てるように、アスファルトのスカイラインを通し、豊かな森林を切り開いて、芝生を植えゴルフ場にする。

 全てまやかしのアウトドアライフである。自然と接するという事は、もっと謙虚であらねばならない。自然を有りの儘に眺め、有りの儘に捕らえ、有りの儘に感じる事である。そうすれば、自然の優しさ厳しさそして人知を超えた偉大さが、自ずと判ってくる。そして、自然の大きさを感じた時、人と人との温もりがより暖かいものとして感じる事ができるのである。

 自然の中でいつも暮している野鯉に対して、私の思い通りにいかないのは、当然と言えば当然かも知れない。今回の1ケ月に亘る北日本の釣行は、私の心の底にいつのまにか堆積していた驕りとも言うべきヘドロを洗い流す充分なチャンスを与えてくれたとも言える自然の大きさと、人の暖かさを充分に教えてくれた旅であった。