日 本 野 鯉 紀 行 1 6 

− 長 良 川 − 

 濃尾地方の野鯉釣場で、意外に知られていないのが本流の釣場である。木曽三川と呼ばれる木曽、長良、揖斐の各本流には、地元では昔から永々と引き継がれてきたポイントが各所にあるが、全国的には殆ど知られていない。

 中でも、中央を流れる長良川は、アユやアマゴ、そして長良マスと呼ばれるサツキマスの生息する清流としては全国的に有名であるが、そこに野鯉の好ポイントが点在している事は余り知られていない。

 長良川は、大日岳に源を発し伊勢湾に注ぐ全長165kmの一級河川で、本州では本流にダムが一つも無い唯一の大河としてつとに有名である。そこに生息する魚種は62種を数へ、日本の川の中ではベスト3に入る自然の豊かな川であった(…であったと過去形で述べるのは、実は現在の長良川は河口堰建設に伴う付帯工事による埋立てや浚泄及び護岸工事によって、以前の自然な姿が殆ど失われてしまったからである。)

 すなわち、高度経済成長期に計画された河口堰建設工事が20年余を経て着工されるに至って、その姿が激変してしまったのである。

 河口堰建設は、水資源開発公団の計画による臨海工業地帯への水需要予測が、高度経済成長期の終焉と共に大きく破綻したにも拘らず、昭和51年に安八町で長良川が決壊するや否や、治水に名を借りて復活したのである。そして、治水というお題目は、いかんなくその効果を発揮した。

 それまで強固に反対を唱えていた漁業組合は、治水の名のもとにあえなくその矛先を折られ、補償交渉に応じる事となる。あとは、長良川に関係する自治体の許可が下りれば着工である。水資源を供給する長良川上流の岐阜県には、建設省OBが知事となりパイプは通じている。 ところが、当初、水需要を予定していた三重県の臨海工業地帯が経済成長の鈍化と共に水を必要としなくなってしまった。これは結局、大都市名古屋と中部新国際空港建設を抱える愛知県が肩代りする事で納まり、いよいよ河口堰建設工事が昭和63年に開始されたのである。

 現在、建設は9割方進み、平成7年には予定通り完成となる。その間に、利害に全く無関係な長良川を愛する釣人や市民から反対の声が挙がり、その声は自然を愛する国民の世論となって、今や自然保護のシンボル的存在となっている。

 自然保護の世論に対して、建設省は、河口堰は治水に役立つと力説し、魚と人命や財産のどちらが大切であるかとまである自治体の長に言わしめている程であるが、自然に流れている川の最下流部をせき止め、流れを疎外して治水に役立つなど、今まで聞いた事が無い。

 却って、流れが緩くなる事により、川底に砂泥が堆積し、常に浚泄を繰り返していないと洪水を引き起こす元となる。 さて、長良川は、岐阜市を境にしてその様相が変化している。それより上流は清流の名に堪え得るだけの水色と岩や石に囲まれた景観を保ってきたのが、岐阜市より下流では、川底は砂泥に換わり、流れも緩く下流域の様相となっている。 したがって、野鯉のポイントも当然岐阜市より下流付近から多くなり、下流に行くに従い大鯉も増えてくる。

 地元で特に人気の高いポイントが、羽島市西部の新幹線下である。この上流には岐阜市の生活排水を集めた境川と羽島市の生活排水を集めた逆川が流れ込み、私が子共の時には既に本郷の乱杭場として有名な野鯉釣場であった。

 特に、晩秋から初夏に掛けての低水温時に野鯉の群れが多く集まり、平日でも釣人の絶える事の無いポイントである。新幹線と平行して架かっている長良川橋の上から川を眺めると、この生活排水が本流と交わらず、東岸を黒く染めて流れ下っているのが一目瞭然である。この水質は10km程下流の南濃大橋付近まで影響を残し、寒鯉の季節ともなれば東岸にポイントが集中する。

 庄内川の大釣りの後、伊吹下ろしと呼ばれる木枯らしの吹き付けるある日の夕方、枯れたアシを背に、私は名神高速下流の東岸に佇んでいた。ここは、カ−ブの内側に当たる遠浅の砂地の地形で、2〜3年に1回、浚泄船が砂を採る。この時も、その秋に浚泄したばかりで、その跡がワンドを形成し、水深は最深部で4m程あり、手前はゆるく逆流している。 さすがに、この時期となるとめっきり釣人の数も減り、まして木枯らしの吹く日に夜釣りを行おうという酔狂は私較いのもので、辺りには人っ子一人見当たらない。おまけに、このポイントは、木枯らしがまともに正面から吹き付けるふきさらしである。

 水位を見ると満潮に程近く、流心でもゆっくりと逆流している。このポイントは、河口から30km近くも上流だと言うのに、大潮時には80cm程干満の差が出る。アタリは、流れの出る下げ潮に多く冬が深まるほど型も良くなる。

 水温を測ると14度。12月の初めとしては少し高いが、まあこんなものであろう。いつもの仕掛けにコマセと干イモを付け、沖合目掛け力一杯遠投する。

 ブッシュと流れの間の砂地に竿を並べ少し離れた車の中でアタリを待つ。間も無く外は暗やみに覆われ、枯れ草を震わせる木枯らしだけが不気味に辺りを支配する。

 対岸の堤防を走る車のライトが無ければ、とても寂しくて一人で夜釣りなどできそうにも無い。暖房を兼ねてガスランプを灯し夕食を採ると何もする事が無い 何時の間にか横になりウツラウツラしていると、セットしてあるブザ−が鳴り響いた。時計を見ると午後の7時を少し過ぎたばかりである。待望のアタリに、ヘッドランプを首に掛けると、車を飛び出した。50m程離れた竿の近くまで行くと、ゆっくりとしたリ−ルの逆転音が耳に飛び込んできた。

 60m近い遠投なのに、獲物は更にラインを引き出している。例年だとこの付近のポイントでは、野鯉のアタリでも余り走る事は無く、どちらかと言えばラインが弛むような手前に来るようなアタリが多かったのであるが、今回は中々元気がよい。

 竿立てから、竿を引き抜きアワセをくれると、ガツンという重い手応えと同時に前に引き倒されそうになる。慌ててドラグを弛め糸を出し、止まった所で寄せに掛かると、グイグイと重い力で抵抗する。野鯉特有の、けれん味の無い真正直な引きである。どれくらいポンピングを繰り返したろう。数分掛けてようやく岸際迄寄せて来たが、そこからまだ水しぶきを上げて逃れようとする。暗やみに星の飛沫が飛び散った。

 赤子をあやす様に、慎重に用意のタモに取り込んだ獲物は、でっぷりと肥えた雌の野鯉で、80cm近い大型である。長良川独特の厚みのある体型をしており、繋ぐ為のロ−プを取ってくると、砂地に立ち上がっていた。

 野鯉の体型や体色については、その生息する場所によって固有のものができるようで、長良川と琵琶湖では同じ野鯉でもかなり姿が違う。もちろん、長良川でも上流と下流ではかなり変わるし、琵琶湖でも場所によって様々である。一般には、細長い体型のものが野鯉であると言われるが、エサの豊富な所では平均に良く肥えた野鯉が多い。逆に、水温が低くエサの少ない高地のダム湖等では、放流された鯉の筈なのに痩せた細長い体型のものが多い。

 さて、幸先の良いスタ−トに気分を良くして車に戻ると、1時間もたたない内に又ブザ−がアタリを知らせた。今度のは軽い手応えで、50cmも無い小型であった。そして、1時間おいて又アタリ…これも似たような小型。結局、この夜は6回ものアタリが私を襲い、ようやく眠りに落ちたのは明け方近くになってからであった。型はいずれも、最初のものを除いては50cm前後の小型であったが、いよいよ長良川の寒鯉シ−ズンの幕開けとなり、この後翌年の春迄、大鯉が竿を絞り込んだのである。