日 本 野 鯉 紀 行 3 

 『 茨 戸 川 ( 北 海 道 ) 』       

 豊平川河口で流木の集中攻撃を受け、やむなく退散の憂き目を余儀無くされて、又々はたと困り果てた。

 とにかく初めての見知らぬ大地で、予定外の出来事である。しかも、ベ−スキャンプ迄設営しての撤収である。中々、さっと良い代案が浮かんで来ない。

 しばらくは、ゴ−ゴ−と流れ下る石狩川の濁流を、ぼんやりと眺めていたが、とりあえず北海道の地図を拡げて、周辺の地形を検討することにした。

 まず、石狩川本流はしばらく無理だろう。となると、支流か湖沼ということになる。そういえば、ここへくる途中に残跡沼が二つほどあったのを思い出して、地図を見る。

 すると、朝に様子を見た、石狩河口橋の上流に通じる、運河と繋がっている残跡沼が目に就いた。茨戸川という名前が付いていて、かなり規模の大きい場所である。

 上流は、札幌方面から3本ほど川が流れ込んでいて、下流は、運河で石狩川に通じている。運河への取り付き付近なら、水の動きも良く、新鮮なエサも多く、魚影も濃いだろうと思い、もう一度、石狩川の堤防を下ることにした。

 石狩川から茨戸川へは、運河沿いに小さい堤防が付けられており、その下が道路になっていて、堤防の上は、何とか車が停められるほどの広さとなっていた。30m程の幅の運河に沿って、2km程昇って行くと、急に開けた水面が現れた。対岸まで300mはあるだろう。両岸ともアシや柳に覆われた、自然のままの古川である。所々、アシの間に切れ目ができて、釣人の入った跡がある。丁度、運河の取り付きの所にも10m程の切れ目があって、絶好に思われた。良く見ると、その両脇にも釣人が入っていて、仕掛けを頻繁に投げ込んでいる。何を釣っているのか様子を見に行くと、両方共カレイ釣りだという。運河を伝って石狩川からカレイが入って来るとの事で、どうも北海道のこの辺りの釣人は、カレイ釣りばかりのようで、中々鯉の情報が手に入らない。

 そこで、釣れなくて元々というつもりで、底を探ることにした。リ−ル竿の先にオモリを付けて、沖へ投げ込み、その着底時間や水底を引きずった感触で、水底の状態の見当を付ける方法である。すると、運河の中と合流点は、岸から15〜20m較いは1m程の浅場で、その先がかけ上がりとなり、沖は3〜4mの澪筋となっている。運河からは石狩川の濁り水が逆流して流れ込み、いかにも面白そうなポイントである。

 「ヨシ、今回はここで竿を出そう。テントを張るスペ−スは無いが、竿は車の目の前だから不便は無い。」

 そう決めると、沖のかけ上がり付近を狙って、食わせの干イモとコマセを付けて投げ込んだ。何時の間にか、陽差しは少し西に傾きかけている。

 「やれやれ、これで何とか、今日は落ち着けそうだ。幾ら流木が凄いといっても、ここ迄は追って来まい。」

 やっと一息入れて、冷たいジュ−スを飲みながら、ふと竿先を眺めると、何やら既に小さく揺れている。良く見ると、どの竿も皆、ブルブルと小刻みに揺れており、時折、穂先がチョンチョンとおじぎをする。その中の一番激しく揺れている竿を上げると、20cm程のウグイが付いていた。又もや、ここでもウグイである。どうも、この付近は、ウグイとカレイのポイントなのか。                           

 30分程して、小刻みなアタリが静かになった所で、仕掛けを上げて見ると、どの竿もエサが無い。代わりの干イモを付けて、同じ所に投げ込むと、又々すぐに穂先がブルブルブルブル…。

 結局、30分もしない内に、あのエサ持ちの良い筈の干イモが、皆きれいに無くなってしまう。この繰り返しが暗くなるまで続き、夕食を取った後、遂にあきらめて寝むことにした。とにかく、昨夜は僅かしか睡眠が取れず、しかも、朝の暗い内から走り回っていたから、疲れと両方で、早く横になりたかったのである。

 北海道の夜は涼しかった。先日の琵琶湖とは段違いである。とにかく、サラッとしている。あまり寝付きの良い方でない私だが、横になるが早いか意識が無くなった。

 ところがところが、心地好い眠りに陥ちたと思ったら、何やら奈落の底から奇妙な音が聞こえてきた。

暗やみの中で、

 「ここは、一体どこだ?もう、仕事にいく時間か?いや、違う。これはアタリの音だ!北海道だ!」

と気が付いて、明かりを点けるとまだ夜の8時30分。エサを打って、まだ1時間しか経ていない。半信半疑で窓を開けると、ギィギィギィと、激しいリ−ルの悲鳴が飛び込んできた。

 「これは、本物だぞ!」

あわててヘッドランプをセットすると、車内から飛び出した。まだ勢いよく悲鳴を上げ続けている右端の竿に飛び付いて、思いっきりアワセをくれると、ガシッという重い手応えが響いたと同時に、竿を引ったくられそうになる。

 「これは、いい引きだ!70cmはあるぞ!オットット、慎重に、慎重に。」

そう、心に言い聞かせながら、北の大地の初物の、強烈な手応えに、心が昂ぶる。

 とにかく、30時間も船に乗り、1日走り回ったあげく、あきらめた所でのアタリである。こいつをバラしたら、泣くに泣けない。

 それにしても、良く走る。どっしりとした超大物の手応えでは無いが、右へ左へ、隣の糸を引き連れて、グイグイ、グイグイ、暴れ回る。未だ、針の恐れを知らぬ、野性の儘の引きである。

 何回ものやり取りの末、慎重にタモで掬って、草の上に横たえると、紛れもない奇麗な野鯉である。丸太のような体型に、鮮やかな黄金色。スケ−ルを当てると、68cmと手応えの割に小さかったが、それも未開の大地の野性の証明だ、と大いに満足して納得。

 こうなると、現金なもので、それまでの疲れも忘れて、他の竿も全て新しいエサに交換して、車に戻る。

 横になっても、しばらくは初物の余韻で眠れず、ようやく眠りに陥ちたと思ったら、また、ブザ−の音。あれからまだ、1時間も立っていない。窓を開けると、やはり勢い良くリ−ルが悲鳴を上げている。

 今度はサッと飛び起きて、脱兎の如く暗やみ突いて一直線。沖に向かって曲がった竿を、グッと胸に引き付けると、先程以上の強い手応えが反って来た。どっしりとした重みと、グイグイとくる引きの強さが合わさって、思わず竿をのされそうになる。ドラッグを弛め、スプ−ルを親指で押さえながら、暫く様子を見ていると、右手の沖で大きな波紋が広がった。80cm較いあるだろうか。かなりの勢いで走ったようだ。

 こうなればとにかく、焦りは禁物だ。沖でゆっくり弱らせて、おとなしくさせてから寄せないと、先程みたいに隣の糸に絡まれると厄介だ。10分か15分か、どの較い糸を巻いたり出したりしたのだろう。ようやく、足下に横たわった獲物を、タモで掬い上げるとズッシリとした重みが伝わってきた。スケ−ルを当てると、やはり80cmの大型である。これも天然型の野鯉で、いかにも暴れん坊といった面構えと、少し赤みを帯びた冴えた黄金色は、まさしく淡水の王者の風格を備えていた。

 「しかし、こんなに簡単に釣れて良いのだろうか。あれ程邪魔をした、ウグイはどうしたのだろうか。」

 車の中で横になりながら、薄れゆく意識の中で、そんな思いを反芻していると、又々ブザ−の音。

 「一体、どうなっているの?」

残念ながら、これは掛かりが浅かったのか、竿を手にしたときは手応え無し。ところが、その竿の仕掛けを交換しようとしていると、もう隣の竿がおじぎをしているではないか。これも又、激しくリ−ルに悲鳴を上げさせて突っ走る。

 結局、朝まで殆ど眠れない程、猛烈なアタリのラッシュ。80cmの大鯉を筆頭に、50cm以上の野鯉10尾の大釣果。

 夜が明けると、昨夜の奮戦が嘘のような、快晴無風の上天気。ドアを開け放すと、初秋の陽差しが真夏のなごりを残して、身体中に降り注ぐ。

 折しも日曜日とあって、朝からモ−タ−ボ−トやジェットスキ−の往来が激しく、竿先を揺らすのはウグイのみ。これ以上のアタリはもう御免。贅沢な注文を胸に抱いて、心地好い満足感に浸りながら、もう一度、暫しの寝らぎに陥ちるのであった。