日 本 野 鯉 紀 行 6  < 八 郎 潟 >                     

 台風と競争するように青森港に降り立った私は、日没の近づいた雨の国道を、一路、次の目的地である十三湖へと車を走らせた。

 十三湖は、津軽半島の日本海側に位置する周囲20km程の汽水湖で、青森からは約45kmと近いため、何とか明るいうちに到着する事ができた。

 まず、湖南の岩木川の吐き出し付近からポイントを見て回ると、何処も非常に浅く、この雨の夕暮れというのに、湖の中にはポツポツと黒い人影が見えた。初めは何をしているのか良く判らなかったが、岸辺の立札を見てようやく理解した。

 それにはこう書いてあった。『許可なく湖のシジミを取ることを禁じる』

こちらがじっと湖の方を見ていると、向こうも驚いたように作業を中止してこちらの様子を見ている。どう見ても、水深は腰較いしかなく、人が立ち込んでいてはとても釣りどころでは無い。仕方無くこのポイントを諦め、明るい間、周囲の湖岸を見て回ったが、何処も同じで良い所がなく日が暮れた。

 雨は本降りとなり、竿を出すポイントも見つからず途方に暮れて、夕食をとりながらあてどもなく地図を眺めても、出るのはただの溜息ばかり。

 結局、十三湖をあきらめて、予定より早いが、秋田の八郎潟へ向かうことにした。

十三湖より八郎潟迄は、国道339号線を使って五所川原を抜け弘前へ出る。そこから7号線をずんずんと南下すると、自然に八郎潟の横に辿り着く。約180kmの道程である。

 十三湖で3時間程の仮眠を取った後、雨の夜道をひた走り、夜明け前に八郎潟の北端に到着した。

 八郎潟は、日本海に突き出た男鹿半島の付け根に位置する、周囲60km程の浅い汽水湖で、長年の干拓により、現在は、周囲に残された承水路と南部の調整池がその姿を残している。

 近年、超大型野鯉の宝庫として、全国に知られるようになり、訪れる釣人も多い。特に、ここ数年のメ−タ−ラッシュは物凄く、27kg、25kgといった化け物のような大鯉が毎年釣り上げられている。

 地元の八郎潟町主宰の全国大会で、日本一の大鯉釣場と誇示しても、その実績を見れば自然と納得させられる。

 私も、昨年行われた第1回大会に始めて参加したが、検量所に続々と持ち込まれる大鯉の数には、正に息を飲まれる程であった。

 白々と夜が明け始めた頃には雨も上がり、東部承水路北端に流れ込む鵜川の吐き出しに降り立つと、遂に憧れの八郎潟に再度来たのだという思いが、喜びとなって胸の奥から沸き上がってきた。

 あの大鯉達は今年も健在だろうか。陽気でタフで暖かい、秋田の釣り仲間は、今も元気に酒を酌み交しているのだろうか。昨秋、湖畔にテントを張って釣りをした時、夜通し続く大鯉のハネに、うるさくて眠れなかった事が、昨日のように思い出される。

 八郎潟でも昨夜はかなりの雨が降ったようで、承水路の水は茶色く濁り、鵜川からは大量のゴミや流木が沖目掛けて流れていく。この辺りはかなり浅いようで、所々、底につかえた流木が水面に無残な姿を見せている。

 とりあえず、ポイントを見て回ることにして、ビデオカメラを片手に1km刻みに車を停めて、東部承水路の左岸を下って行った。

 東部承水路は、八郎潟の東に残された水路で、川幅約500m、長さ約20kmの広大な水路で、南部の調整池とはそのまま繋がっている為、両方の水域を合わせると八郎潟全体の9割以上を占める。その為、近年の大鯉ラッシュの内、超大型は殆どここで記録されている。只、両岸共護岸され、直線的で、浅くて平坦な所が多いため、ポイントの掴み所が無く、川の流れ込みや水門付近にポイントは多い。

 さて、中程にある新生大橋を過ぎた辺りより、釣人の姿が見えるようになり、その下流の中州のある付近からは、びっしりと釣り竿の列で埋まっていた。

 その中に見覚えのある釣人がいたので声を掛けると、秋田巨鯉釣り研究会の副会長の秋山氏であった。1年振りの再会に挨拶を交わし、様子を尋ねると、今日は秋田野鯉釣りクラブ主宰のオ−プン大会であるとの返事が返って来た。この大会は数ある八郎潟の鯉釣り大会の中でも最も古く、今年で既に10回目を数える。その為、台風直後とあっても、釣人の多いわけである。

 そこで、大会の審査会場を教えてもらい挨拶に赴くと、受付のテントの中に、なつかしい顔が幾つか眠たそうな顔をして並んでいた。秋田野鯉釣りクラブの面々とは、10年程前の利根川釣行で、2回程一緒になって、大変お世話になった覚えがある。それ以来、私の鯉患いが、不治の病になり、今に続いている。

 暫く旧交を暖めあった後、様子を尋ねると、昨夜はやはりひどい嵐であったようで、いつもの宴会も、ビ−ル片手に残りの片手でテントの支柱を押さえてする有様で、とても釣りどころでは無かった様子。この調子では、どの程度釣果があるか心配だと目が曇る。

 そこで、検量時にもう一度出直すことにして、又、ポイント巡りをする事にした。

さすがに、大潟大橋より南はどこも釣人で一杯で、去年、私が竿を出した豊川河口もびっしりと埋まっていた。それでも一番南の馬踏川河口は何とか空いており、堤防の下に車を停めている釣人に声を掛けると、私の事を知っているという。聞けば、昨年の全国大会で3位に入賞された小深井さんといって、その時運良く7位に入賞した私が遠い岐阜からの参加者という事で、見覚えがあったのである。今日の大会にも参加しているとの事で、釣果を尋ねると、青ゴカイで1尾釣れましたよと言って、水中を指し示す。見ると、水中からロ−プガ1本延びており、それを手繰ると見事な大鯉が姿を表した。サイズを測ると87cm、10kg余りの、八郎潟特有の肥えた雌鯉である。

 他の様子はどうですかと聞かれて、先程の検量所の事を話し、今日の天候では上位入賞は間違い無し。ひょっとすると優勝もあるのではと言うと、大いに喜んで、残りの青ゴカイを私に渡して、そそくさと終い始めた。

 ところが、12時から始まる検量に合わせて会場を尋ねると、ぞくぞくと大鯉が並んでいる。丁度、地元の八郎潟鯉友会の会長である伊藤氏の大鯉が持ち込まれたところで、サイズを聞くと90cmで14kgもあるビッグサイズ。さすがにこのクラスともなると迫力があり、思わず溜息が出る。結局、悪天候にも拘わらず、朝の4時から昼の12時迄の半日で、95cmを頭に4位迄が90cmオ−バ−という大型ラッシュ。10位でも80cmという大鯉揃い。改めて八郎潟のスケ−ルの大きさを感じさせる大会であった。

 さて、この後、会場から近い中央幹線排水路に、草魚の生息状況を調べてまわると、他の承水路や調整池のように水中に藻は見られず、水辺に生い茂ったアシの葉が所々食われた跡が見られた。上流から下流まで全域にわたって見られた所から思うと、かなりの数の草魚が生息しているのは間違い無さそうである。

 中央幹線排水路は、その名の示すとおり、八郎潟の干拓地の中央を斜めに横切るように南北に流れ、北は新生大橋の袂で東部承水路に繋がり、南は調整池に注いでいる。

 しかし、両端共、排水機によってさえぎられ、東部承水路や調整池との魚の往来は無く独立している。両側を防風林に覆われ、全長約18km、川幅約60mとかなりの規模であるが、八郎潟の釣場では小規模の部類になる。ここに草魚が放されたのは何時頃か定かでないが、水路の歴史から見るとそう古いものでは無いように思われる。

 秋田巨鯉釣り研究会会長の進藤氏によれば、とにかく今の所、草魚を専門に狙う釣人はいないという事で、草針仕掛けで狙えば非常におもしろい釣りができそうである。

 とりあえず、草魚の生息を確認した後、今夜のポイントを捜して東部承水路の右岸を辿って行くと、所沢ナンバ−のワゴンが眼に就いた。最近の八郎潟は全国的に知られ、関東方面からの釣人も多くなっているが、それでもやはり相当の好き者でなくては中々来れない。そこで、いつものように様子を尋ねると、何処かで拝見したような顔の釣人である。 『もしかして、武石さんではありませんか?』

と尋ねると、相手もこちらを見て、

 『ひょっとしたら、岐阜の高橋さんですか?』

と、お互いに半信半疑で聞き返す。

 実際にお会いするのは、今日が初めてであるが、荒川の鯉仙人と異名を取り、雑誌等で度々拝見した武石勝雄その人であった。お互いに故郷を遠く離れた東北の湖畔で初の知遇を得るとは、まさしく奇遇と言うべきか。

 『どうも、初めてお目にかかります。岐阜の高橋です。』

 『いえいえ、こちらこそ。埼玉の武石です。』

とお互いに挨拶を交わすと、例によって釣人どうしの情報交換となる。

 『いつ頃から、八郎潟へ来られたのですか。』と私が尋ねると、

 『1週間程前より来まして、東部承水路から西部承水路と竿を出して、ここが3ケ所目です。』と、少し高いが柔らかい声の返事が戻ってきた。

 『それで、成果の方はいかがでしたか。』と、再度尋ねると、

 『20尾較い上がったのですが、あまり大きいのは出なくてねえ。92cmが最高ですよ。』と、軽くおっしゃる。

 『ところで、高橋さんはいつ見えたのですか。』

 『私は、今朝、八郎潟に着きまして。それからぐるっとポイントを見て回り、ここまで来た所です。それにしても、92cmを頭に20尾とは凄いですね。』と答えると

 『いやあ、それより、対岸に群馬から2週間程前より来ている人がいましてね。今朝も96cmの大型が釣れたと言っていましたよ。数はあまり上がっていないようですが、到着した日にいきなり92cmが出たという事で、ずっと同じポイントで粘って見えますよ。同じ関東という事で、お互いの釣果が気になりましてね。折に触れて様子を覗きあうのですよ。』と明るく笑う。

 ひとしきり、釣談義の花が咲いた後、お互いの健闘を約束して、その場を離れた。

結局、この夜は大潟大橋上流から2つ目の水門の横で竿を出すことにし、20m程沖の藻の切れ目ねらって、吸い込み仕掛けを投げ込んだ。

 それにしても、八郎潟は凄い所である。僅かの間に90cmオ−バ−の大鯉の情報がポンポンと飛び交う。私もそんな幸運を期待して、八郎潟に予定より早く立ち寄ったのだが、果たして幸運の女神は微笑んでくれるだろうか。言い知れぬ期待感と不安が複雑に交錯したまま、八郎潟は静かに暮れていった。