日 本 野 鯉 紀 行 7  − 八 郎 潟 2 − 

 八郎潟2日目の朝は、前日の台風が嘘のように、静かに迎えた。昨夜は竿を出したものの、夜行の疲れが一気に噴き出し、私は泥のように眠ったままであった。

 目が覚めると、外は抜けるような青空が広がり、太陽は夏の力を取り戻していた。連休2日目とあって、釣人はまだ数多く見られたが、大会が初日だけで終わったこともあってか、昨日に比べるとかなり寂しく感じられた。

 昼食兼用の遅い朝食を取った後、このポイントを諦めて、次のポイントを探すことにした。僅か1晩だけの間であったが、いまいち、ピンと来るものがこのポイントに感じられなかったのである。

 大潟大橋を渡り、東部承水路が調整池に注ぐ辺りまで来ると、その手前で合流している馬場目川が目に就いた。

 この合流点付近は、2年前の秋に、113cmで27kgもある化け物のような大鯉が釣れて以来、メーターオ−バ−が続々と上がり、1日として釣竿の空くことのない有名ポイントである。

 ポイントには、やはり、釣人がいたので様子を見に行くと、丁度道具をしまっているところであった。釣果を尋ねると、さっぱり駄目だと言う。最近は、殆ど釣れていないようで、地元八郎潟鯉友会会長の伊藤氏が、昨日迄4日4晩竿を出して、ピクリともしなかったと言う。かなり場荒れが進んでいるようである。しかし、日本1の大鯉の上がったポイントで、竿を出してみるのも話の種位にはなるだろうと思い、そこで竿を出すことにする。

 いつものように水底を探ると、八郎潟にしては珍しく、足下から水深が4mもある。20m程沖からは急激に浅くなり、川の中央より向こうは1mも無い深さである。所々に柳も生えていて陰を作り、さすがに日本1の大鯉の釣れたポイントだと納得するだけの地形を備えている。

 さて、このポイントのすぐ上流に、鮒釣りをしている釣人がいたので挨拶に行くと、小鮒が入れ食いで釣れ、2時間で50匹程釣れたといってフラシを見せてくれた。私が岐阜から来たのだと知ると、大いに感心して、気さくに色々と教えてくれる。その内、暫く姿が見えなくなったと思ったら、ビ−ルにおつまみ、それに手製のおにぎりと八郎潟のシジミ汁迄用意して、戻ってきた。

 昨年の釣行で、秋田の人の親切さと面倒見の良さは充分に知っていたつもりであったが、まさか、二言三言、言葉を交わしただけで、見知らぬ他人にここまでするとは、まさに、人を疑うことを知らぬ底抜けの暖かさである。そして、この暖かさこそが、現代人の失った最も貴重な心であろう。昔から、人が旅に憧れるのは、この暖かい人の触れ合いを、いつも心の何処かで求めているからでは無いだろうか。袖擦りあうも、多少の縁。旅は道連れ、世は情け。旅は、これがあるから止められない。川岸は、いつのまにか釣り場から宴会場へと換わっていた。

 さて、アタリの方は、残念ながらこの夜も、さっぱり出ないままに朝を迎えた。と言うより、無理やり叩き起こされたと言うべきか。まだ、夜も明けやらぬ真っ暗な内から、ドッドッドッという地響きのような凄い轟音が、川上から迫ってきた。テントの中で気持ち良く貧っていた大物の夢を叩き壊されたのである。それは恐ろしい怪物の唸り声のように思えたが、良く耳をすませると、多数の船団のエンジン音であった。慌てて飛び起きると、全ての仕掛けを巻き上げて、暗やみの中、次から次へと通り抜ける漁船の群れを、茫然とみつめるばかりであった。

 それにしても、危ないところであった。船団の通る航路を見ていると、殆どこちら岸主体に通り抜け、中には竿先すれすれの所を追い越していく奴もいる。もし、あの儘、仕掛けを出しっ放しにしていたら、全滅である。船団が通り抜けたあとも、しばらくは様子を見ていたが、このままではとても危なくて、釣りにならない。出ていった船は、必ず帰りがある。それにおそらく、毎日の行事に違いない。

 そこで、琵琶湖でボ−ト対策として良く使用した方法を採ることにした。それは、仕掛けを投げ込んだあと、スナップでオモリを道糸に取り付けて、道糸を足下から沈めておく方法である。さいわい、このポイントは足下から充分に水深があるから、これでまず大丈夫である。しかし、一番期待の持てる時間に、あれだけ強烈にやられると、しばらくはアタリも出ないだろうと、ガックリくる。

 ところが、それに追い撃ちを掛けるように、船団は以外と早く帰って来た。朝の7時を過ぎた頃より続々と戻ってくると、1時間もしないうちに、又、出て行ったのである。

 これでは、とても釣りにならない。他の釣人は、今まで一体どうして釣っていたのだろう。

 暫くして、八郎潟鯉友会の浅野氏が差し入れを持って訪ねて来た。昨年、釣行のおり、秋田の進藤氏の案内で氏宅を訪れ、20kgオ−バ−の大鯉の写真等を見せて戴いて以来、旧知の間柄であるが、それにしても秋田の人の親切は身にしみる。

 『高橋さん、調子は如何ですか。今朝は、漁船に起こされませんでしたか。』

浅野氏は、良く日焼けした顔に、人なつっこい笑顔をたたえて尋ねてきた。

 『いやあ、アタリはサッパリ無かったのですが、今朝は凄かったですねえ。まだ、真っ暗な内から凄い音で起こされましてね。おまけに2回も出入りしましてねえ。とてもこれでは、釣りになりません。』

頭を掻きながら苦笑して答えると、

 『実は、今月の15日から白魚漁が解禁になりまして、それが夜明けから朝の8時迄なのです。その後は、シジミ漁に変わるのです。だから、舟の出入りする朝の間はあまり良くありません。しかし、竿は大丈夫でしたか。』

と、心配そうに尋ねてくる。

 『ええ、あまりにも凄い音なので、船団がくる前に、全部仕掛けを引き上げまして、何とか間に合いました。それにしても、びっくりする程近くを通るのですね。』

と、その時の様子を説明する。

 『それで、地元の釣人の竿が引っ掛けられて、いつも問題になっているのです。その為、双方がけんか腰になり、漁船は竿を引っ掛けてもその儘行ってしまいます。それどころか、竿が並んでいると、わざと近くを通り、いくら文句を言っても素知らぬ顔ですよ。』浅野氏は、日焼けした顔を更に赤くして、悔しがる。

 やはり、何処でも釣人と漁師の間は、あまり仲が良く無いようである。特に、漁師の方には生活がかかっているという大義名分があり、釣りは遊びだとして軽視するきらいがある。釣人もそこの所は分かっているから、普通は遠慮して竿を出す。だから、一般には、表立って双方がけんか腰になる事は少ない。大体、けんかになっても、行政は漁業権は認めても釣人の権利など認めていないから、釣人は規制されるだけだろう。

 今まで、多くの開発や巨大プロジェクトの対象になった海や川や湖で、漁業補償は行われても、釣人への補償が行われたなどという話は聞いた事が無い。釣人は規制の対象としてしか扱われていないのである。

 日本の伝統的思考は『働かざる者、食うべからず。』的な考え方が主流を占め、遊びを一段低いものとして軽視してきた。その結果、日本は世界に冠たる経済成長を為し遂げ、使い捨て文化に象徴されるほど豊かになった。しかし、本当に心から豊かになったと言えるだろうか。金儲けの仕事が、金儲けで無い遊びより、本当に尊いのだろうか。

 日本が、世界が、人類が、今直面している幾つかの問題、多くのジレンマには、こうした考え方が大きく影響してきたように思えてならない。

 『ところで浅野さん、最近、この馬場目川の調子は如何ですか。今年も大型は上がったのですか。』

浅野氏の怒り声に、こちらもカッとしそうになるのを押さえて、話題を変える。

 『最近は、8月の末にメーター級が荒食いしまして、その中には、兄弟でそれぞれメーターオ−バ−を釣り上げた者もいるくらいてす。ただ、以前よりポイントが換わりまして、上流の方が良く上がっているようです。2km程上の国道の上流でも1m5cmが釣れて、その場で料理したと聞いています。』

と、凄いことを簡単に口にする。

 『でも、今月に入ってからは、大きいのが釣れたという話は全然聞いていません。』

 『そうですか。そりゃあ、凄いですねえ。さすがに八郎潟の1級ポイントですね。』

私は感心して、相槌を打ちながら続けた。

 『そうすると、大型の荒食いから半月程過ぎたわけですから、そろそろ又、大型が釣れても良い頃ですね。確か2、3年前に、2年連続して1m10cmオ−バ−が、今頃釣れたのでは無いですか。』

と、虫のいい解釈をして、同意を求めた。

 『そうですね、そう言えば、仲間の北島さんが、あなたの出しているポイントで超大型を釣り上げたのは、丁度2年前の今日ですよ。このポイントは、出ればデカイですから、頑張って釣ってください』

 嬉しい答えを残して、浅野氏が帰ったあと、仕掛けを上げるとエサが無い。先程、打ち返してまだ2時間程しかたっていない。

 そこで、ネリエサと干イモを交互に付けて様子を見ると、両方とも1時間もたたないうちに、奇麗に無い。どうやら、かなりジャミが多く集まっているようだ。昨日、隣で鮒釣りをしていた小河氏が、小鮒を大量に釣り上げていたのを思い出す。やはり、名にし負う有名ポイントである。連日、絶える事の無い釣人の蒔くエサによって、ジャミの巣になっているようである。対策は幾つかあろうが、とりあえず、ジャミの攻勢に負ける事なく、大鯉のアタリが出るまで、根気良くエサを打ち返して粘る事にした。

 夕方、昨日御馳走になった小河氏がやって来て、隣で鮒の竿を出す。今日は半夜釣りとの事で、昨日のお返しにこちらのテントに誘って、酒を酌み交す。この時のために、昼から買い出しに行き、ビ−ルに肉やら野菜やら、寄せ鍋の材料になりそうな物を適当に見繕っておいたのである。秋田には、キリタンポという独特の寄せ鍋がある。御飯をチクワ状にして焼いた物をタンポと呼び、それと鶏肉に野菜やきのこを、だし汁の中に入れて煮込んだ物だが、寒いときにこれを食べると抜群に美味い。しかし、今回は地元の釣人が相手であるから、別の趣向とした。キャンプも1週間2週間と長くなると、料理も上手くなる。簡単にできて、栄養があり、尚かつ上手い料理。それが寄せ鍋である。肉やら貝やら野菜やらありとあらゆる物を適当に刻んで、鍋のなかに放り込んだら、あとはグラグラ煮立てるだけである。それを、ポンズの皿に付けて、好きなだけ食べるだけである。そして、これを気の合った仲間と囲みながら、1杯飲む。秋の夜長に、これが又最高に合う。いつしか二人は釣りを忘れて、秋の夜は更けていった。