日 本 野 鯉 紀 行 8  − 八 郎 潟 3 − 

 八郎潟へ来て、もう既に3日が過ぎた。それなのに、野鯉はアタリ一つさえ、送ってこない。昨年とは、雲泥の差である。昨年の、夜も眠らせないほど激しい音を夜通し立てていた、あのハネ音のヌシは、この馬場目川にはいないのか。あの船団の影響が大きいのであろうか。それとも、連日の釣人による場荒れのせいなのか。

 とにかく、今言えることは、アタリは無いのにエサ持ちが非常に悪いと言うことである。ジヤミに負けないように、根気良くエサを打ち続けたために、反ってエサ持ち時間が短くなってしまった。干イモも吸い込み仕掛けも、1時間どころか30分が危ない位である。 そこで、ジャミ対策として、別の方法を採る事にした。今回、持って来たエサの中に、殻付きの大麦を圧ぺんした物がある事を思い出し、それを炊くことにしたのである。麦は大鯉の好むエサとして良く知られ、コマセやネリエサの材料の一部として多く使われているが、琵琶湖では昔から、これを炊いて吸い込み仕掛けにしていたのを思い出したのである。キャンプ用の鍋の中から、一番大きい奴を取り出し、米を炊くように火にかけると、15分程でもう煮えた。それを冷めないうちにバケツに移すと、転がっている流木をキネ替わりにして、突き潰す。5分程突くと、凄い粘りである。あまり突きすぎて、餅のようになりすぎても駄目なので、何とか粒が残っている状態で冷ますと、針に付けた。いわゆる麦団子という奴である。

 3時間程たってから、そっと仕掛けを上げると、思わく通り何とか麦団子は形を残していて、そっと胸を撫で下ろす。さすがのジャミも、この麦の粘りにはてこずっているようで、これで何とか行けそうな気がしてきた。

 17日昼過ぎに、埼玉の武石氏が、上流で竿を出すと言って、様子を覗きにきた。ジャミがひどくて、エサ持ちが非常に悪い事を話すと、何か対策を胸に秘めて戻っていった。百戦練磨の武石氏の事であるから、何か私とは違った良い方法があるのだろう。

 翌日午後、買い出しの帰りに、武石氏の様子を覗きに行くと、80cmを頭に既に2尾上がったと言う。暫く歓談していると、丁度1本の竿が締め込まれた。鮮やかな竿捌きを見せて、武石氏が取り込んだのは60cmを少し超えるサイズの野鯉であった。武石氏の仕掛けは、吸い込みと角イモのダブル仕掛けであるが、針を見ると吸い込み仕掛けに来ていると言う。朝の9時に打ち込んだ仕掛けで4時間後のアタリという事になるが、ジャミの多い馬場目川に於いて、武石氏の対策はトウモロコシの粒を混ぜるという事であったのである。私も、北海道ではこれを針に刺してジャミ対策としたが、武石氏は吸い込みのエサに混ぜる方法を採ったのである。そして又、吸い込みのエサ使いに独特の方法を採っていた。 それに気付いたのは、武石氏が上げた竿にエサを付けて、投げ込もうとした時であった。岸から20mも無い近場に投げ込もうとしたエサがバラケて飛んだのである。粘りのあるエサなら、武石氏程のベテランが投げ損なう筈が無い。すなわち、非常にバラケ易いエサを使って、ジャミ対策としていたのである。水底に着いた仕掛けは、急速にバラケ、こんもりと堆積したエサの中に針が入っている。その中にジャミに強い大粒のエサであるトウモロコシを混ぜる事によって、更に長時間の待ち時間を稼ぐという方法である。

 これに似たエサ使いは、私もコマセに利用しているが、吸い込み式では随分前に雑誌の記事で見て以来であった。

 普通の吸い込み式の場合は、エサ団子の中に針を埋め込み、魚が団子状のエサを吸っている内に針を吸い込むという方式であるが、武石氏の場合は、団子状からエサを早くバラケさせ、水底に堆積したエサの中に針が埋まっているという状態で魚に針を吸い込ませるという方式なのである。この方式は、流れの強い場所や遠投を必要とする所では使いずらいが、そうでない所では理想的な状態を造り出す事ができる。

 私のジャミ対策が粘りを出す方法を採ったのに対し、全く逆の方法で対処してなおかつ数倍もの効果を挙げていたのだ。

 18日の夜半から又、台風の影響で天気が荒れ模様となり始めた。時折、雨が強くテントを叩き、薄いナイロンの生地は強風におののいて、私の眠りを妨げようとする。

 そのせいか、この朝出航した船団の数は、いつもの3分の1も無い程少なく、あの恐ろしい迄の轟音も、今朝は寂しく思えた。

 待望のアタリが出たのは、船団が通り過ぎてから1時間も立っていたであろうか、まだテントの中で夢の続きを貧っていた時であった。『ピッピッピッ』と、お馴染の電子音が久しぶりに鳴り響いた。

 『アタリだ!まさか?風か?それともボ−トか?』

相反する思いを抱きながら、テントを飛び出し辺りを見回すと、柳の陰に打ち込んである竿が大きくお辞儀を繰り返している。濡れて滑る石に足を取られながらも、全速力で駆け寄ると、いつものように大きくアワセ、竿を胸に引き付けた。

 『ガシッ』

確かな重い手応えが、腕に心地好い感触となって響いてくる。続いて、大物特有の底を這うような鈍い重みが、間断なく襲ってきた。

 『来た!これは良い型だぞ!』

北海道の野鯉達と違って、この獲物はあまり走らず、水底にへばり付いて動かない。10号のラインが、高い唸り声を挙げて水中に突き刺さり、期待で、心臓が早鐘のように鼓動を打ち出した。

 『ここは、出ればデカイですよ。』

と言った浅野氏の言葉が、頭にちらつく。

 『こうなればあせらず、とにかく慎重に。』

と自分に言い聞かせ、相手の動きを待つ事にする。5分か10分かそのままの状態で引き合っていたが、ようやく敵も疲れたのか沖へ逃げようと走り始めた。ブレ−キを掛けながら糸を送ると、30m程走った所で水面が大きく割れ、金色の波紋が拡がった。獲物が姿を現したのだ。

 それからは、以外とあっけなかった。獲物の姿を見たせいかも知れない。2回程、岸辺で身をひるがえすと、後はおとなしくタモに納まった。スケ−ルを当てると、80cmと、いつもなら充分なサイズの大鯉である。しかし、最初の手応えと、日本1の出たポイントへの期待感からか、80cmがいつもより小さく見えた。

 昼近く、武石氏が帰宅の挨拶に立ち寄った。昨夜も、今朝までに90cmを頭に5尾の釣果が出たと言う。私が3日3晩苦労してようやく1尾上げた間に、その10倍の釣果を上げていたわけである。

 世の中は、やはり広い。日本の各地をこうして釣り歩くと、今まで知らなかった土地や環境に出会い、そこに住む野鯉や釣人との出会いが生まれる。そうした事の一つ一つが、どれも新鮮で驚かされる事が多い。そして、それこそが旅の醍醐味というものだろう。

 週末に行われる全国大会には、各地から多くの釣人が集結し、また多くの出会いが生まれる事だろう。昨年も、忘れ得ぬ出会いや数々のドラマが生まれた。今年は、どんなシ−ンが見られる事だろうか。

 とりあえず、日本一の大鯉ポイントで何とか型を見た事で、このポイントに充分納得して、大会に向けて次のポイントを探す事にした。週末には濃尾野鯉会の仲間も到着する事だし、淡水大魚研究会の諸氏もやって来る。できれば、数人並んで竿を出せる場所が良い。昨年入った豊川河口は、今年は人気ポイントでとても入れそうにないし、2年続けて同じ所でするのも味気ない。

 そこで、大型の多い東部承水路で、比較的空いている場所を求めて見て行くと、馬場目川より少し北へ上った左岸の排水機場が目に就いた。正面には定置網が沖へ突き出し、その手前にちょっとした桟橋が岸と平行に並んでいる。右側は遠浅のヨシ場が続き、左側は少し行った所でワンド状になって馬場目川の方へと続いている。幸い辺りに釣人の姿はなく、正面の桟橋が少し気になるが、ここなら何人も並んで竿を出せそうだ。

 そこで夕方より、桟橋の左から、30m程沖合の藻の切れ目を狙って竿を出す事にした。しばらくすると、ルア−竿を持った一人の若者が遣って来て、人なつこく話し掛けてきた。ところが、それによると、このポイントでは1週間程前に、大きなタモを持った関東の釣人が、大鯉をたくさん釣り上げていったと言うのである。口ぶりからして、どうやら武石氏のようである。『これはまずいぞ』と思いながらも、もう日暮れは間近。いまさら場所を移動するわけにはいかない。その夜は、案の定アタリは見られず、21日を迎えた。今日は、仲間や釣友がやって来る。他のポイントでは続々と釣人の姿が増え、今からポイントを捜していたのでは間に合わない。日が高くなるにつれそわそわと落ち着かず、竿をそのままにして、仲間を捜しに出かける事にした。昨日迄竿を出していた馬場目川河口迄来ると、対岸に見覚えのある車と数人の人影が見えた。

『坂入さんですかあ、岐阜の高橋です。』と、大声で呼び掛けると、

『はあいぃ、坂入です。』という聞き慣れた声が反って来た。

 そこで、ぐるっと回って対岸へ行くと、坂入氏と同じ栃木県在住の淡水大魚研究会のメンバ−が、仕掛けを用意している最中であった。

『やあ、どうもしばらくです。』

『こちらこそ、どうも。どこで、やっているんです?』

遠く離れた東北の湖で、これまた遠方のなつかしい顔と出会う。これは又、格別の感がある。何の変哲もない当たり前の挨拶に、万感の味がする。

 ひとしきり挨拶を交わした所で、

『実は、対岸で昨日迄3日3晩、竿を出したのですが、僅か1尾釣れただけで、お恥ずかしい限りですよ。』と、内情を打ち明ける。

 すると、

『いやあ、実は私も昨年あそこに入りましてね。ボ−ズを食らったんですよ。そうしたら、対岸の今入っているポイントで小学生がポンポンと良い型を上げましてね。今度来るときは、絶対ここだ、と決めていたのですよ。』と、坂入氏も打ち明ける。

 『なるほど、坂入さんもそうですか。それを聞いて、私も安心しましたよ。ところで、関東からは他に知り合いの方は誰がお見えになるのですか。』

 『え−と、淡水大魚研では黒川さんだろ、それから多摩川81クラブの橋本さん、それに武蔵野巨鯉会の柳沢会長ほか何人かで10人較いは来るんじゃないの。まあ、今夜のレセプションに皆集まるだろうから、その時に全部判ると思うよ。』

 さすがに、八郎潟である。近年の大鯉ラッシュに、距離や時間もものとせず、続々と遠方から参加者が集まってくる。

 そこで、私も今夜レセプションに参加する事から、とりあえず自分のポイントに戻る事にした。それにしても、このポイントでもさっぱりアタリが無い。昨日から何のアタリも無いままに、早くも1日が過ぎようとしていた。エサが悪いのか、仕掛けが悪いのか、それとも……。

 エサを打ち換えようとおもむろに立ち上がると、穂先がゆっくりと締め込まれ、リ−ルが悲鳴をあげ出した。