試 乗 記 録 (特別編) 21世紀「大乗り鉄ツアー」
取材期間 2000年12月31日()〜2001年1月4日(木)

Pege 4 2日目(その2)


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 さて金沢平野を突っ切って走った白鳥は、12:57分金沢に到着した。 ここまでの区間が、3月改正による「白

鳥」系統分離以後、大阪〜金沢間の特急「雷鳥」として走る区間である。 確かに、乗客の半数以上が一気に入れ

替わり、急に車内の雰囲気が変わってしまった。 やはり「系統分離がなされる駅であるな?」と、思わずにいられ

ない変化であった。 私の隣りの席に座っていた乗客もここで下車し、変わって新しい乗客が乗車してきた。 乗客

は小学生位の男の子だった。 やはり少し離れた席に、母親と他の兄弟が座っていた。 また車内販売の担当も

入れ替わっていた。

 

特急「白鳥」編成図

 

 さてこの先は3月以後、金沢〜新潟間の特急「北越」として走る区間である。 今度は上越新幹線接続客を乗せ、

北陸新幹線対応の立派な高架駅の金沢を、北に向かい走り出していた。 余談だが、現状2往復の特急「北越」だ

が、3月改正以後は「白鳥」1往復および、新潟行「雷鳥」の系統分離による2往復を合せて、一気に5往復体制と

なる。 また「白鳥」及び、新潟「雷鳥」の系統分離により、大阪〜新潟間の直通昼行列車は全廃される事となる。

 

 今度は、能登半島の付け根にあたる倶利伽羅峠(くりからとうげ)にさしかかった。 この倶利伽羅峠を越えると、

富山県内に足を進める事になる。 さてこの辺で、車内に余裕が出てきたので、車内を一巡してみる事にする。 

今日の「白鳥」に使われている編成は、JR西日本京都総合車両所(京キト)所属の485系電車で、両端にボンネッ

ト先頭車を配したA04編成である。 編成は全区間9両編成で、途中4号車がグリーン車である。 車内はあちこち

手直しが入っているものの、伝統的な「国鉄特急電車」の風格を、今でも垣間見る事が出来る。 なお私は、6号車

になるモハ485−80に乗車しているが、キノコ型クーラーを装備した初期量産車の為、天井を見上げると特徴的

な冷風噴出し口が目に入ってくる。

 

 一方乗車率は、金沢以南に比べ幾分減ったものの、まだまだ80〜90%程の乗車率の様である。 客層はやは

り正月三賀日でも、民族大移動の時期に差し掛かっている為、帰省・行楽客と思われる乗客が多くを占め、ビジネ

ス利用の乗客は殆ど居なかった様である。 また、乗車を楽しむ鉄道ファンも少数であるが見受けられた。 また、

この時点でもグリーン車は満席で、比較的長距離利用者が利用されている様であった。

 

 県境の倶利伽羅峠を越えると、富山県内最初の停車駅である高岡に到着した。 余談だがこの高岡駅前から

は、現在第三セクター化の話も出ている、加越能鉄道の路面電車が出ている。 さて高岡の次は、富山県の県庁

所在地の富山である。 富山県内は、福井・石川県内通過時に降っていた冬の雨が止み、どんよりとした厚い雲に

覆われていた。 そんな富山平野を進む事しばし、やがて神通川を渡ると富山駅に到着した。 時刻は13:35分で

ある。 ここ富山では、富山名物の「ますの寿し」が搭載されたが、途中駅で降ろす在庫なのか「ますの寿し」と書か

れた団ボール箱も、一緒に搭載されていた。 よく見ると「糸魚川止め」とマジックで書かれていた。

 

富山駅に到着 曇り空の富山平野  (左) 富山駅に到着




 (右) 曇り空の富山平野

 

 この「ますの寿し」は富山駅の駅弁であるが、北陸地区の多くの駅や列車車内、挙句の果てには大糸線沿線(長

野県内)でも販売されている結構メジャーな駅弁である。 去年2月、最後の165系による運転となった急行「ちく

ま」に乗車した際も、松本から併結運転となる急行「くろよん」側の編成では、この弁当が沢山食されていた事を、

ふと思い出した。 さて今回は「ますの寿し」を、「白鳥」車内で食べてみる事にしよう。 丁度富山を発車した頃に、

車販のワゴンがやってきたので、早速注文してみた。 疾走する北陸特急の車中で、この弁当を食すのが一つの

憧れだったので、やはり充実感があった。 さて「ますの寿し」が空になる頃には、次の停車駅の魚津に到着してい

た。 魚津でも短区間利用者が若干降りていった。

 

 この魚津を出ると次は、新潟県下の糸魚川である。 この糸魚川までの間には、親不知という北陸路の難所が控

えている。 ここは丁度、飛騨山地が直接海に沈んでいる場所であり、敦賀〜今庄間の木の芽峠や、津幡〜高岡

間の親不知などと並ぶ、北陸本線の難所である。 鉄道開通以前のいにしえの時代には、余りの道の険しさに、

「親は子を忘れ、子は親を忘れる」という言い伝えがあり、それが現在の「親不知」の地名につながっていると言う。

鉄道や国道が通じた現在も、険しい道には変わりなく、国道8号線沿線は今でも落石防止の洞門が延々と続いて

いる。

 

魚津駅の駅名板 狭い海岸沿い  (左) 魚津駅の駅名板



 (右) 狭い海岸沿いに
     鉄道・国道・高速道路
     がひしめき合う

 

 現在でこそ長大トンネルを介して、あっと言う間に過ぎる親不知も、複線電化以前は海岸沿いの急斜面に沿った

旧線を通っていた。 現在に比べ海岸に近いところを走っていたので、車窓は楽しかったであろうが、危険な「地す

べり地帯」を走るなど、輸送力の確保には大きな問題があった様である。 なお、旧線の一部は現在でも自転車道

として利用されており、往時の面影を垣間見る事が出来る。

 

 入善あたりまでは、比較的平坦地を走っていた北陸本線も、新潟県との県境が近づくにつれ、山と海の間隔が段

々狭くなり、やがてトンネル主体の新線区間に入っていた。 長大トンネルの暗闇は長く、床下のMT54モーターの

唸りも、非常に悲壮感が漂うものであった。 さて、このトンネル区間で新潟県内に突入した「白鳥」は、新潟県内最

初の停車駅である糸魚川に近づいてきた。 静岡〜糸魚川構造線が生み出した谷間を流れる姫川を渡ると、いよ

いよ糸魚川に到着である。

 

 さて、この糸魚川と1つ先の梶屋敷駅の間に、「白鳥」の旅で2つ目のデットセクションが存在する。 これは日本

海縦貫線沿線で唯一、新潟県内が一足先に直流方式で電化されている為であり、複雑な過程を経て電化・近代化

されてきた日本海縦貫線の歴史を、垣間見る部分でもある。 なお、関東・関西の直流電化区間に挟まれた北陸

地区を直流方式に変更し、車両・運用上の効率を上げようという話も時折出るが、北陸新幹線延伸が具体化した

現状では、到底実現しそうのない話の様だ。 その2つ目のデットセクションを通過すると、次の停車駅である直江

津まで、またまたトンネル区間を走る事となる。

 

 ダイヤ上は、この先の能生〜名立間にある頸城トンネル内の筒石駅付近で、上下の「白鳥」がすれ違う事となる

のだが、今日は上下列車ともほぼ定時での運行の様で、例外もなくトンネルの中で上下の「白鳥」が離合した。

逆に言うと、どちらかの列車のダイヤが乱れない限り、日の当たる場所での上下「白鳥」の離合は見れないという

事にもなる。 確かに上下「白鳥」がすれ違う写真は、あまり見た事がない。

 

 そんな離合劇の後も列車は進み、やがて直江津に列車は到着していた。 構内には新潟色・長野色の115系電

車の姿があり、ここで初めて直流電化区間に入った事を実感する訳である。 この直江津からは、JR東日本エリア

になる為、運転士の交替があった他、車内販売員の交替もあった。

 

「ますの寿し」 デットセクションを通過!  (左) 車内で買った
     「ますの寿し」


 (右) 糸魚川〜梶屋敷間
     のデットセクションを
     通過!

 

 直江津から次の停車駅の柏崎までは、海岸沿いに北上するのだが、途中の米山付近までは線路と海岸の間に

松林が広がる為、中々海が姿を見せない・・・。 いよいよ米山付近からは、冬の日本海を車窓に見ながらの旅とな

る。 なお、冬の時期の青森行き「白鳥」では、この付近と富山県内の魚津〜入善付近しか、日の当たる時間に日

本海を眺める事が出来ない。 夏ならば新潟・山形県境の笹川流れ付近でも、車窓に日本海が広がるのだが、こ

の時期では到底叶わない。

 

 さて今日の日本海はかなり波も高く、冬らしい風景であった。 夏ならば、対岸の佐渡ヶ島に沈む夕日が見える

「福浦八景」と呼ばれるこの辺りも、全く人気のない海をしていた。 また、残り少ない「白鳥」の運転をフィルムに収

める為、鉄道ファンが駆け付けていると思われたが、名所と言われるこの区間でも、その姿も確認できなかった。 

まあ強風吹き荒れる最悪の天候下なので、当然といえば当然であろう。

 

 さて次の柏崎からは打って変わった様に、新潟県第2の都市である長岡に向けて、一路内陸部を走る事になる。

途中に介在する塚山峠に近付くにつれ、車窓は段々雪景色をして来るようになった。 しかし代わりに、風が穏や

かになった様なので、沿線で撮影に興じるファンの姿が多くなった。

 

 ところで長岡に向けて、快調に峠を越えていくと思われた白鳥であるが、急にスローダウンし、やがて停車してし

まった。 車内放送では「踏み切り故障による安全確認の為、一旦停車しています・・・。」 とあった。 この停車は

短時間で、すぐに発車したのだが、それ以後も余りスピードを出さずにゆっくりと塚山峠を越え、長岡へと近付いて

いった。 車内では直江津から交替した新潟の車内販売員が、弁当の販売に明け暮れており、お土産も新潟名産

の笹団子などが、見られる様になっていた。 私はこの区間で、車販を利用しなかったのだが、後々これが元で、

ちょっと「冷や冷や」する事になるとは、考えもしなかった。

 

 

長岡に到着 雪化粧の新潟平野を急ぐ  (左) 長岡に到着
     新幹線乗換客が
     多数下車した



 (右) 雪化粧の新潟平野
     を北へ急ぐ・・・

 

 来迎寺〜前川間に流れる信濃川を渡ると、間もなく上越線の高架(下り線)が近づき、やがて宮内駅を通過して

いた。 さてここまで来ると長岡は目の前である。 なお、距離にするとこの辺で、大阪〜青森間の半分を走破した

事になる。 この長岡では、北陸方面からの新幹線乗り継ぎ客が一気に降り、急に車内が寂しくなってしまった。 

金沢から乗った少年もここから乗換えの様で、母親につられて下車していった。 なおこの先終着青森まで、私の

隣りの座席には、誰一人とて座る者はいなかった・・・。 なお長岡の時点で、定刻15:38分のところ、約4〜5分遅

れの発車となった。

 

 ここからは、夕暮れが迫る越後平野を疾走していく訳である。 越後平野は先日降った雪がまだ残り、すっかり雪

景色であった。 長岡で新幹線乗換え客が降りた為、車内は非常に閑散としており、もう既にローカル特急全として

いた。 長岡〜新潟間の短距離利用客も居るかと思えるが、実際のところ新潟〜長岡間の都市間移動は、新幹線

か高速バスによるのが関の山で、わざわざ在来線特急に乗る人はそんなにいない様である。

 

 夕暮れの越後平野を見ながら東三条・新津と停車していくと、次はいよいよ新潟である。 新津からは意外と住宅

街の多い沿線を走り、やがて上沼垂運輸区の横を過ぎ、白新線・上越新幹線回送線が近づいてくると新潟駅はあ

と一息といったところである。 さてここから青森までは、方向転換して旅を続ける事になるのだが、新潟到着直前

の放送で座席転換の案内が有った為、車内のあちこちで、座席転換が行われていた。 結局新潟には、長岡での

遅れを引きづったまま、定刻より約5分遅れての到着であった。

 

シートの回転風景 新潟到着  (左) 新潟まであと少し・・・
     シートの回転風景

 (右) 新潟到着
     新幹線連絡客が乗車し
     活気が戻る・・・

 

 新潟駅1番線に到着した「白鳥」は、休む暇もなく乗務員の交代・編成のエンド交換が行われていた。 またホー

ムからは新幹線接続客が、大挙して「白鳥」に乗り込んできた。  通常では7分程新潟に停車するのだが、今日は

列車遅れの為、車内販売員の交替・搭載が済むと、全く余韻もないままに新潟駅を後にしていた。

 


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