試 乗 記 録 (特別編) 21世紀「大乗り鉄ツアー」
取材期間 2000年12月31日(日)〜2001年1月4日(木)
Pege 5 2日目(その3)
特急「白鳥」のヘッドマーク (新潟駅) |
新潟出発は16:29分(定刻)だが、少々折り返し時間を短縮して遅れを取り戻したものの、まだまだ遅延気味で
の出発となった。 ここ新潟からは前述の様に、編成の向きが変わり青森に向うのだが、同時に列車番号も新潟ま
での5001Mから、プラス10の5011M(大阪行は5012M→5002M)へと変わっている。 これは、新潟での折
返し運転の際に、新潟〜沼垂(信)の間(信越本線と白新線が分岐する地点)を2度走る為である。 この場合同じ
番号のままでは、JR東日本の輸送システムが対応できない為であり、同システム稼動時より、列車番号を変更す
る措置がとられている。 なお同様の処置は、宮内〜長岡間を重複走行する急行「能登」にも見られる。
(611M→601M、602M→612M)
さて新潟では、車掌および車販員も交代しているが、車掌が青森運輸区の所属で終点青森までの乗務となる。
また車販員が、車内販売の終了する秋田まで乗務となる。 そんな新潟駅を出るとすぐ車内放送が始まり、終着青
森までの停車駅と到着時刻の案内が行われた。 しかし長時間の白鳥乗車においては、まだまだ半分が終了した
のみで、これからも旅が長いという事を、いや応にも実感させるものであった。 そんな放送が終わる頃には、もう
既に白新線の東新潟付近を通過していた。
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(左) 新潟駅出発直前 の「白鳥」 (右) 定刻より少々遅れて 新潟出発 早速車内放送が始まった |
ところで白新線は、名が示すように越後線の白山と新発田を結ぶ路線として計画された路線である。 ただ実際
には信越本線・越後線により、沼垂〜白山間が開業していたため、沼垂(現在は信号所化)〜新発田間の路線と
なっている。 日本海縦貫線を走る列車は通常、新津から直接羽越本線に入る事が多いが、一部列車は一旦新
潟に入った後に、白新線経由で北に向う運転形態をしている。 その為白新線は、日本海縦貫線の一部として重
要な機能を果たしている。 なお運行当初の「白鳥」は、対北海道輸送に重点が注がれていた為、新津から直接羽
越本線に入る運転形態であったが、後に新潟周りに変更されて今に至っている。
余談だが羽越本線経由の時は、白鳥の飛来で有名な瓢湖の最寄駅である水原を通過していた。 文献によって
は、この「瓢湖の白鳥」が愛称の由来と、紹介している事もある様だが、実際は青森県内のディーゼル準急の愛称
を「召し上げ」たのが正しい様である。 まあ沿線には数多くの白鳥飛来地があるので、ご当地の最優等列車の愛
称として、結果的に最適だったとも言える。
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白鳥の車内(1) (左) 電話室の案内板 (右) 冷水器 |
さて、新潟出発時点ではまだうす明るかった空も、白新線を進むにつれて段々と暮れ始め、新発田に着いた頃に
は、もう暗闇が辺りを支配していた。 この新発田からいよいよ、暗闇に包まれた羽越本線を北上する事となる。
新発田を出た白鳥は、新潟県北の中条・坂町と停車し、村上に17:20分過ぎに到着した。 因みに新潟から乗車
した乗客の約半数が、この村上までで下車してしまい、また車内が寂しくなってしまった。
ところで昨年12月に、この先の村上〜間島間の下り線で、架線柱が高潮に流されるという災害が発生した為、乗
車時点では山側の上り線を利用して単線運行となっていた。 よってこの村上では、対向列車行き違いの時間調
整の為、少々停車する事になった。 なお最終的に5分程待ったため、約10分遅れで村上を発車する事となった。
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白鳥の車内(2) (左) 普通車車内 (右) グリーン車車内 |
ここ村上は直流電化区間の北限でもあり、この先は再度交流電化区間へと足を進める事となる。 なお、この先
の区間は北陸本線とは違い、東日本の交流電源周波数である60Hzで電化されている。 この周波数の違いは、
前述のとおり一般家庭用電源における西日本と東日本との違い(西=50Hz・東=60Hz)と同様である。 なお「白
鳥」に使用されている485系電車は、直流区間を始め東西の交流電化区間を直通して走行できる3電源方式車で
ある。 残念ながらこの「白鳥」の廃止によって、その特徴を生かす定期列車(EF81牽引の寝台・貨物列車は除く)
が消滅してしまう事になる。 この事は485系電車において、一つの大きな転機になる事は揺らぎのない事実であ
ろう。
さて列車は村上駅を出たのだが、まだ市街地を抜けきらない辺りに、交直流切替のデットセクションが存在する。
因みにこの区間を走る普通列車は、新潟地区に普通列車用の交直流車両が配置されていない事もあって、EF81
牽引の客車列車亡き後は、全てディーゼルカーによる運転となっている。(これは通称「架線下DC」と呼ばれる。)
その為、特急電車に乗車しない限り、村上〜間島間のデットセクション通過を体験できない訳である。 なおもう日
が暮れているので、セクション通過時は本当に非常灯を残して、車内全域が停電し、車内には暫し暗闇が訪れた。
しかし、乗り慣れた乗客が多いのか、全くもって驚いた乗客はいなかった。 このセクションを通過すると間もなく、
鮭の遡上で有名な三面川(みおもてがわ)を渡り、いよいよ笹川流れへと入っていく事となる。 なお現在、間島まで
はトンネル主体の上り線を単線使用しているので、全く海沿いを走っている感じがしない。
やがて間島に到着したのだが、本来ここでない筈の列車交換のため、暫く停車する旨、車内放送があった。 数
分待つと秋田方から485系「いなほ」が入線してきた。 ホームを挟んで暫し停車した後、まず新潟行「いなほ」が
発車し、それからこちらの「白鳥」が発車となった。 ところでこの時点で、概算で定刻より約20〜25分の遅れとな
っていた。 この先は風光明媚な区間を行くのだが、当たり前の様に周囲が暗いので、何も見る事が出来ない。
そんな車窓を眺めていると、寂しい気持ちにもなる様であった。
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(左) 間島駅で「いなほ」 と並んだ (右) 「秋田まるごと弁当」 |
次の停車駅は、山形県内最初の停車駅である、あつみ温泉である。 ここでも若干の下車があった。 あつみ温
泉の次は鶴岡であるが、この辺から海岸線に別れを告げ、庄内平野の真っ只中へと向う事になる。 ところでこの
辺で、村上付近で回ってきた車内販売で購入した弁当を広げてみる。 実はこの弁当、今日の車内販売分の最後
の弁当であった。 もしこれすら無かったら、危うく食事も出来ずに終点までとなる所であった。 思えば新潟到着
前、「新潟より先は弁当の数がありませんので、早めに購入してください。」 と新潟の車販員から案内されていた
のだが、今やっとその意味が分かった。
とりあえず何とか確保した弁当は、「秋田まるごと弁当」と言う、三角型の容器に入った弁当であった。 確かにタ
イトル通り、秋田の海の幸・山の幸のおかずが楽しめる弁当であった。 ただ、お腹が一杯になったのはいいが、こ
の弁当だけで青森まで乗り通すのは、チョット辛いと言った感じであった。 なおこの辺から先は、とうとう車販員が
車内を売り歩く事も無くなった。 一応秋田までの営業の筈だが、もう既に売るものがなくなったのか、車販準備室
で待機と言う状態となっている様だった。
さて列車は、夜の庄内平野を走り抜け鶴岡に到着した。 鶴岡ではかなり乗客が降りた様で、また一段と車内が
寂しくなった。 なお、鶴岡駅のホームは降り出した雪で、少し白くなりだしていた。 鶴岡の次は酒田であるが、酒
田に向う前に庄内平野を流れる最上川を渡っている。