試 乗 記 録 (特別編) 21世紀「大乗り鉄ツアー」
取材期間 2000年12月31日(日)〜2001年1月4日(木)
Pege 6 2日目(その4)
酒田には定刻18:48分の到着であるが、手元の時計で19時過ぎを指していたので、まだ15分程の遅れを持っ
たままの運行になっている様である。 この酒田でも多くの乗客が下車してしまい、車内は閑古鳥が鳴く状態になっ
てしまった。 因みに私が乗車した6号車は、とうとう乗客数10人を割ってしまい、非常に寂しい車内となった。
特にこの6号車が乗客数が少ないという訳ではなく、他の号車でも多くて20人程しか乗っておらず、編成全体で2
〜3両分位の乗客数しかなかった。
さてここまでは、直江津から新潟支社管轄のエリアであったが、いよいよ秋田支社の管轄エリアに入る事になる。
その為か構内には、ローカル運転用の701系電車が停車していた。 ここでやっと、北陸から東北に入った事を、
実感出来る様になった。 酒田からは鳥海山の山ろくを背に、秋田県境を目指す事になる。 この辺では風雪が強
く、そんな中を485系電車は突き進んでいた。 ただ静かな車内には、北陸本線内でモーター音を唸らせ走ってい
た時と、全く違う穏やかなモーター音が響いていた。 ある意味、夜行列車的な雰囲気が漂ってきた様でもある。
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さて、気が付くと列車は秋田県内に入り、最初の停車駅の象潟(きさかた)に到着していた。 この辺は再度、海
沿いの区間を走っている筈であるが、全くもって分からない状態であった。 さてこの後は、比較的短い間隔で仁賀
保に停車し、次は矢島へ向う由利高原鉄道が分岐する、羽後本荘である。 羽後本荘でも、表立って乗客の変動
が見られないまま、発車する事になった。 羽後本荘の次は、いよいよ秋田である。
秋田に向う車窓も、淡雪の中の旅路となった。 とにかく静まり返った車内が、なんとも居たたまれない雰囲気に
させる様で、北に向う列車である事を、いや応無しにも意識させる瞬間である。 そんな哀愁を感じさせる車内で過
ごしている内に、やがて列車は秋田の市街地に近づいていた・・・。
秋田は20:25分が定時発車時刻であるが、この時点で約10分ほどの遅れを持っていた。 ここまでの走りで少
しは回復出来た様である。 秋田では慌しく車販のワゴンが降ろされ、替わりに若干の乗客の乗車があり、少しは
車内が明るくなった様な気がした。 といっても通常、3〜5両編成で足りるローカル特急区間である事は事実で、
この区間では9両編成の「白鳥」は、とてつもなく長い列車に感じられる。 ここ秋田からは「いなほ」ですら、1日1
往復しか走らない区間で、あとは新幹線接続特急である「かもしか」が走る路線である。 新潟でもそうであったが、
秋田からはもう一度新幹線接続特急に変身する訳である。 さて、すっかりローカル特急全として来た「白鳥」であ
るが、もう秋田を過ぎればもう旅も終盤である。 快調に、雪の秋田平野を飛ばして行くのである・・・。
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(左) 夜汽車的な雰囲気で 羽越本線を北上する (右) 乗客も殆どおらず、 非常に閑散とした車内 |
秋田の次は東能代である。 追分では、青森発上野行きの寝台特急「あけぼの」と離合した。 停車中の「白鳥」
の横を、高速で赤い機関車とブルーの客車が通り過ぎていた。 持参した白鳥運転時刻表をみて見ると、通常では
一つ先の大清水(信)で離合する筈である。 ただ「あけぼの」は通過時刻から考えると、どうやら定時運行されてい
る様であった。 逆に言うと青森付近は、ほぼ定刻どおりに運転されているという事が、推測できる訳である。 これ
で少し安心したのは事実である。
さて、八郎潟沿岸の平野地帯を走りぬける事しばし、列車は間もなく東能代に到着である。 東能代到着はなん
と、定刻通りの到着であった。 本当にこれにはビックリといった所である。 若干ダイヤに余裕があったのと、秋田
から平坦地を走っていた為、回復できたのだろうか? しかし喜んだのも束の間、接続する五能線が強風の為、
遅れているとの事で、ここで接続待ちとなってしまった。 因みにこの先は、もう既に最終の普通列車が終了してお
り、文字通りの「最終列車」となっている訳で、接続待ちは仕方が無い所であろう・・・。
東能代ではこう言った事があってか、自由席車に少々の乗車があった様である。 結果的にこの抑止時間を利
用してホーム上に降りたので、私は車両観察と缶ジュースの確保が出来た。 なお前後の車両では、うっすらと巻
き上げた雪が既に付着し始めていた。 やがて5分程待つと、五能線のキハ40系がホームに入線して来た。
そして、若干の乗換え客が「白鳥」に乗り込んできた。 その乗換えが済むとすぐの発車となったが、この時点で定
刻より8分ほど遅れた、21:29分の発車であった。
東能代からは、今までの日本海沿いのルートから一変して、秋田・青森県境の白神山地の東側を行く、内陸ルー
トに入ってきた。 暗闇で辺りが見えないものの、先程とは全く違った線形が展開している事が、容易に分かる。
また山沿いの区間に入った為か、車窓の積雪も深くなり、走行中に巻き上がる粉雪が車窓に舞っていた。 まさに
「冬の夜汽車」といった感じの雰囲気だ・・・。 やがて、秋田内陸縦貫鉄道の分岐する鷹ノ巣に到着した。 ホーム
には同鉄道の気動車が止まっていた。 鷹ノ巣の次は、花輪線が分岐する大館である。 なお、鷹ノ巣・大館とも若
干乗客の乗降があったものの、殆どが自由席車の利用のためか、この指定席車は殆ど変化が無かった。
さてこの大館を出ると、いよいよ青森県境の矢立峠である。 この矢立峠を越える区間は、非電化時代の難所で
あったが、電化に際して大幅に線形が改善され、今では比較的快適に峠を越えてしまう。 この峠のサミットを貫通
する矢立トンネルを越えると、いよいよ青森県内へと列車は進んできた。 長かった特急「白鳥」の旅も、もう一時間
程を残すのみとなった。
長旅を終え、青森に到着した特急「白鳥」 |
峠のサミットを越えた「白鳥」は、快調に雪の峠道をどんどん下っていき、津軽平野の城下町である弘前に到着し
た。 この弘前を出ると、いよいよ終着駅の青森である。 この先も、雪の津軽平野を粉雪を舞い上がらせ、最後
の力走を485系電車は続けていた。 やがて、少しずつ青森の市街地が近くなり、終点まであと僅かとなった・・・。
まもなく約半日ぶりの「鉄道唱歌」のオルゴールが流れ、最後の車内放送が始まった。 放送では、約8分遅れの
到着となると案内されていた。 いよいよ、丸半日以上を掛けての長い「白鳥」の旅が終わるのだが、ここまで来る
と、意外と早かったような気がして来るのは、何故だろうか? そんな事をぼんやり考えている内に列車の速度が
落ち、青森駅構内が近づいてきた。 私は慌てて身支度をすませデッキに出てみた。
23:07分。 定刻より約8分遅れで、青森駅6番線に「白鳥」が到着した。 隣りのホームには青函連絡船亡き
後、北海道連絡輸送の使命を受け継いでいる急行「はまなす」が、「白鳥」の到着を待っていた。 こちらも接続を
図る為、定刻より10分近く遅れて、札幌に向けて発って行った。 機関車・客車とも「ドラえもん」の装飾がされた派
手な編成であった。
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深夜の青森駅(1) (左) 札幌行 急行「はまなす」 (右) DE10が牽引する 回送列車 |
さて「はまなす」が出て行って、すっかり静まり返った青森駅の外れに、両端ボンネット車の485系がただ佇んで
いた・・・。 車両は走行中に巻き上げた雪が付着し、厳しい長旅の疲れを感じさせている・・・。 やがて出発信号が
青に変わった。 明日の大阪行で直ぐに折り返す「白鳥」は、ゆっくりと青森運転所に引き上げていった。 私はそ
の姿が見えなくなるまで、ホームで見送った・・・。 本当に「お疲れ様」と労いの声を掛けてやりたい心境だった。
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深夜の青森駅(2) (左) 青森に到着した 「北斗星2号」 (右) 深夜の青森駅では 機関車交換が行われ ていた・・・ |
さて、その後「北斗星2号」の到着まで、私は撮影を続けていたが、撮影後は明日も早いので宿へ急ぐ事にした。
宿までは少し歩く訳であるが、ここ青森は市内でも積雪があり、結構宿までの道のりが、遠く感じられた。 さすがに
正月2日なので、新年会と思われる集団が町を行くので、とても深夜とは思えない程、活気がある町であった。
私はもちろんの事ながら、ホテルへチェックインすると、すぐさま眠りについてしまった。
特急「白鳥」の勇姿は、こちらからどうぞ・・・。
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