試 乗 記 録 (特別編) 21世紀「大乗り鉄ツアー」
取材期間 2000年12月31日()〜2001年1月4日(木)

Pege 8 3日目(その2)


← 前ページへ戻る

 

小雪舞い散る下北を後にする下北交通キハ85形

小雪舞い散る下北を後にする 下北交通キハ85形

 

 ここ下北駅からまずは、下北交通で唯一、駅員配置がある中間駅の田名部まで乗車する事にした。 下北交通

のキハ85形は、外観こそ派手な塗装をしているが、内部はかなり昔のままの状態で嬉しかった。 そんなキハ85

形が大きなエンジンの唸りを残して、下北駅を発って行った。 最初の駅である海老川に停車したあとは、田名部

に到着する。 田名部駅では、勿論入場券を購入した。 その後、下北交通の田名部バスターミナルを見た後、次

の列車まで時間が有るので、線路端を歩いて下北に戻った。 しかし天候が悪化し始め、折角見えていた釜臥山

が、とうとう雲に隠れてしまった。

 

旅程表 (1月3日)

泊 〜 徒歩 〜 青森駅 (白鳥などの写真撮影) → 「東北本線普通」 → 野辺地駅 (野辺地駅にて撮影)

→ 「大湊線普通」 → 下北駅 → 「下北交通線」 → 田名部駅 〜 徒歩沿線観察実施 下北駅

→ レンタカーを借りて沿線撮影及び、大間崎までのドライブ → 下北駅 (レンタカー返却)

→ 「下北交通線」 → 大畑駅 → 「下北交通線」 → 下北駅 (下北交通乗車を楽しむ)

→ 「快速しもきた」 → 野辺地駅 → 「はくつる82号」(車中泊)→ 上野駅

 

 さて下北駅に戻ったが、撮影のついでに本州最北端の大間崎までドライブする事にしたので、早速駅近くのレンタ

カー屋で車を借りた。 この車で、下北〜田名部の間の2ヶ所程で、撮影を済ませると、一路車を大畑駅の方に向

けていた・・・。 この大畑駅は本州最北の駅であり、駅前にもそれを示す記念碑が建っていた。

 

 早速大畑駅内に入ってみるが、予想以上に鉄道ファンの数が多くビックリした。 ここで駅に停車中のキハ85形

を撮ってから、駅前のスーパーで食料調達をした。 さあ、午後の運転までまだ時間がある。 私はここから、大間

崎までドライブしてみる事にした。

 

田名部〜海老川間を行くキハ85形 本州最北端の駅 下北交通大畑駅  (左) 田名部〜海老川間
     を行くキハ85形


 (右) 本州最北端の駅
     下北交通 大畑駅

 

 大間崎までの道は、途中雪が凍結している区間もあったものの、比較的快適に進む事が出来た。 途中、時折

晴れ間が見えたり、かと思うと突然吹雪いてきたりと、非常に変化が激しい天候だった。 さて45分程のドライブ

で、大間崎にやっと着いた。 大間崎ではセルフタイマーを使って記念写真を撮ったりした。 なお北海道の渡島半

島もここからは良く見えていた。

 

 大間崎には、少し先に弁天島と言われる島があって、ここに灯台がある。 なお、観光案内図の説明によると、津

軽海峡には、ブラキストン線といわれる生物の生息分布の境界線があり、北海道と本州では全く生物の分布が違

うとの事である。 これは津軽海峡の潮の流れが速く、動物が容易に海を越える事が出来ない為であるそうだ。

また、大間崎の先にある弁天島は、北海道でしか見られない植物と、本州の植物が共存している珍しい場所であ

ると説明してあった。 ここから北海道は直ぐ近くと言った感じだが、見るからに厳しい津軽海峡が、生体における

重要な境目である事を実感せざるを得なかった。

 

大間崎から見た弁天島 漁港の様子(大間港)  (左) 大間崎から見た弁天島
     遠くに渡島半島が見える


 (右) 漁港の様子(大間)
     正月だけに、休漁の様だ

 

 さて大間崎の次は、大間港に行ってみた。 ここでまず漁港に寄ってみたが、さすがに正月三賀日とあってか休

漁のようで、人影が見えず漁船も多くが係留されたままになっていた。 続いて行ったのが、函館へのフェリーが発

着するフェリー埠頭である。 フェリー埠頭には東日本フェリーのばあゆ号が係留されていた。 もう車両の積み込

みが始まる所なので、間もなく出航となるのであろうか? ここでは数枚写真を撮って、また車を大畑に向けて飛ば

した・・・。

 

東日本フェリーばあゆ号 国鉄大間線の遺構  (左) 東日本フェリーばあゆ号
     津軽海峡を渡り函館へ
     向かう・・・

 (右) 風間浦村内には、大間線
     の建設途上の遺構が
     随所に点在する・・・

 

 今度は大畑に戻るついでに、戦前に着工されたものの、戦争激化により工事が中断されたままになっている、旧

国鉄大畑線延伸工事跡を見学する事にした。 もともと大畑線は、大間を目指した大間線の一部として着工してお

り、大畑から先も風間浦村桑畑まで、路盤工事が完了していたそうである。 その延伸線の工事跡地があちこちで

今でも現存している。 なお多くの場所で、海沿いに走る国道と併走しているので、比較的簡単に跡地を見つけるこ

とが出来た。 しかし、かなり海沿いの景色が良い所を走っているので 「もし完成していれば・・・。」 という思いが

強くなった。 確かに大間まで完成していたら、この大畑線の運命も変わっていたかも知れない・・・。 そんな事をふ

と考えながら、車を大畑へと走らせた。

 

正津川を渡るキハ85形 大畑駅を発つキハ85形  (左) 正津川を渡るキハ85形



 (右) 大畑駅を発つキハ85形

 

 大畑へ戻ると、再度下北交通の撮影に復帰である。 まず正津川駅前の鉄橋と、大畑駅を出た所の踏み切りで

撮影をした後、今度は下北に向って車を走らせる。 そして沿線唯一の景勝地とも言える、早掛沼のほとりのポイ

ントで、今日最後の撮影を行った。 早掛沼は凍てついており、冬の厳しい下北の気候が表現出来たと思う・・・。 

 

 さて、辺りは段々と日が落ちて来た・・・。 何とか下北交通の撮影を終え、レンタカーを返却したあとは、下北交

通大畑線全線の乗車のみを残すだけとなった。 無事安全運転(?)でレンタカーを返したら、私は下北駅へと急い

だ・・・。

 

下北駅で折り返しまでの時間を過ごすキハ85形
下北駅で、折り返しまでの時間を過ごすキハ85形

 

 下北駅には、もう既にキハ85形が入線していた。 とりあえず「みらい海峡ライン」の看板と、まだ青さが残る日没

後の空を入れて、写真を撮影した。 その後キハ85形のドアを開け、車中の人となる・・・。 車内はほんのりと明る

く、それ程手が加えられていないボックスシートに座ると、急に旅情が沸いてくる。 暫くそんな車内で待っていると、

発車の時間となった。 キハ85形はゆっくりと下北駅のホームを離れていった・・・。

 

 途中の田名部までは結構な乗車がある上に、市街地に近いところを走るので、もう数ヶ月で廃止になる路線とは

思えない様であった。 しかし田名部で下車客が出ると、いきなりローカルなイメージに急変した。 田名部から陸

奥関根までは、山越えの区間であるので、床下のDMH17エンジンが威勢良く唸りを上げていた・・・。

 

 実のところ2基エンジンを搭載した、キハ52・58等に比べると迫力はイマイチだが、それでも十分にエンジンの

音が響いてくる・・・。 (まあ、一般の方にとっては、ウルサイだけでしょうか?) さて私は、そんなエンジン音に耳

を傾けているうちに、暫く眠ってしまった様で、気が付いたら陸奥関根の駅に着いていた。 ここからは海沿いに大

畑まで向うのだが、もう辺りは暗くなっており、車窓を楽しむ術は無かった。 その分、車内の雰囲気やエンジンの

音を、ゆっくりと満喫できた様である。 やがて列車は大畑駅に到着した。

 

早掛沼湖畔を行くキハ85形 イカッパー号  (左) 早掛沼湖畔を行く
     キハ85形


 (右) 大畑駅にはこんな
     ひょうきんな看板も

 

 とりあえず、今度は直ぐに折り返して下北に戻るのだが、暫く時間が有ったので、ここでも撮影をしたり硬券入場

券を購入したりして時間をつぶした。 さて、発車の時間が迫ってきたので、急いで私は車中の人となった。 地元

の方と思われる乗客も多いが、私の様に撮影・乗車に来たと思われる乗客も、多数いた様である。

さて発車である・・・。

 

 またもやキハ85形は、エンジンの唸りを上げながら大畑の駅を出て行く・・・。 車内では地元訛りでしゃべるおば

さんが乗車しており、下北の地にいる事を実感させた。 さて、そんな車内で過している内に、列車は田名部に着い

ていた。 やはりここで、かなりの乗車があったので、車内は騒がしくなった様である。 さて、次の停車駅の海老川

を出ると、まもなく下北へ到着する。 下北到着の放送は、突然自動放送から肉声に変わった。 一応、乗換え案

内を行っているのだが、接続の大湊線に遅延が出ているのか、「駅係員に問い合わせてください」 との事だった。

その時私は、何か嫌な予感を感じたが、まさかそれが現実の物になるとは予想も出来なかった。 やがて列車は

下北駅近くのカーブを通過しており、もう下北駅のホームは間近であった。

 

 下北駅は「ボタ雪」が降り続けていた。下北駅からは予定通り快速「しもきた」で、青森まで戻る事にした。 ところ

で下北駅のホームは、先程から降り出した雪で一気に白くなっていた。 またホームで待つ乗客は口数も少なく、冬

の厳しさを無言で語っていた様にも思えた・・・。 やがて大湊方面から、キハ110系2両編成の快速「しもきた」が

入線してきた。 乗客がそそくさと乗り込むと、青森に向けて走り出した・・・。 とりあえず下北の時点では「定時」運

行の様であったが、やがてかなり速度を落として走っている事に気が付いた。 どうやら大吹雪の中に突入したの

か、全く外の様子も見えなくなった。 そして、大湊線唯一の交換設備がある陸奥横浜に到着した。

 

 ここで車掌が車内にいる乗客に対し、説明を始めた。 内容は 「この先の区間で強風のため、徐行運転を行っ

ています。よって、対向列車に30分以上の遅れが出ています。」 との事であった。 更に続けて 「その為、この列

車も大幅な遅れが出る予定で、盛岡方面への特急列車接続が出来ません。」 と説明があった。車内では10人位

は、「はつかり」を利用する乗客がいた様であるが、暫く騒然としていた。 何とか寝台列車には間に合うとの事であ

ったが、その列車は全て売り切れとの事であった。 結果的に数人の乗客が、野辺地まで行き宿を取る事にした以

外は旅行中止し、対向列車で戻る事となった。 やがて、30分程経過した頃に、対向列車のキハ110系がやっと

陸奥横浜に到着した。 さて、いよいよこちらが発車する番である。

 

 しかし発車したものの、かなりユックリとした速度で、また吹雪の中を走る事となった。 地元の方の話によるとこ

の辺りの強風は酷く、徐行運転は「日常茶飯事」だと言う。 確かに、海沿いの防風林もない所を、延々と行く訳な

ので、「日常茶飯事」と言われても仕方がない。 さて、こんな吹雪を受けたキハ110系は横揺れが酷く、更に風上

側の窓が着雪で白くなり、もう辺りが見えなくなっていた。

 

 そんな中を走り抜ける事しばし、やがて先程までの吹雪が晴れてくると、野辺地駅に到着となった。 本当なら

ば、この快速「しもきた」を青森まで乗って、始発駅の青森から「はくつる82号」に乗る予定であったが、この時点で

「しもきた」が青森に到着する前に、「はくつる81号」が出てしまう事が判明していたので、ここで「はくつる」を待つ

事にした。

 

「はくつる82号」編成図

 

 野辺地では結構時間があったので、「駅弁の販売でもあるかなぁ?」 と駅舎に行ってみたが、もう既に販売が終

了していた。 仕方が無いので駅前の商店に行き、明日の朝飯までの食料を調達してきた。

 

 「はくつる81号」の野辺地到着は21:29分である。 雪によって遅れが出ているのでは? と思ったものの、定

時に入線するとの案内があったので、雪の積ったホームに出てみた。 やがて青森方から3つのライトを輝かせ

て、「はくつる81号」が入線して来た。 もちろん使用車両は、青森運転所の583系寝台電車である。 やがてホー

ムにクリームと青色の巨体が停車した。 私を含めた乗客たちは、乗車口に駆け寄り乗車を始めた。 21:30分。

「はくつる81号」は、野辺地駅をゆっくりと離れた・・・。

 

「はくつる82号」路線図 
583系寝台特急
「はくつる82号」
 (8002M) 停車駅時刻表
 
(12年度冬臨運転時)

停 車 駅 着 時 刻 発 時 刻 着 番 線
青  森 21:00 5
野 辺 地 21:29 21:30  
三  沢 21:49 21:49  
八  戸 22:05 22:07  
盛  岡 23:20 23:22 3
宇 都 宮 4:31 4:32 9
大  宮 5:32 5:33  
上  野 5:58 14

 

 走り出してしばらくは、狭い通路に乗客が溢れていたので、中々自分の寝台に行く事が出来なかったが、5分も待

つと、何とか自分の寝台へと移動する事が出来た。 さすがに指定券確保時で 「下段寝台は売り切れ」 という事

だったので、私の寝台は中段寝台となった。 早速、階段を登って中段寝台に入ってみたが、さすがに上下が狭い

という印象は否めなかった。 しかし、進行方向に寝台が向いているので、横になってしまえばA寝台にいるような

錯覚も覚えた。 とりあえずこの列車は青森県内では、三沢・八戸に停車する。 どちらの駅からも、意外と多くの

乗客が乗車してきて、車内はほぼ満員といった状態になった。

 

583系寝台電車の車内 中段寝台の様子  (左) 583系寝台電車
     の車内



 (右) 中段寝台に付いて
     いる小窓と読書灯 

 

 さて八戸を出た時点で、少し車内を観察してみた。 車内はまだ時間が早いのか寝静まらない様子で、狭い寝台

の中で長い夜を過しているようであった。 なお、グリーン車もかなり乗客が多いかと思って行って見たら、なんと女

性客が2名のみの乗車で閑散としていた。 ところで先程の陸奥横浜駅で抑止を食らった際、「寝台列車は全て売

り切れ」という話であったが、何故かここは空席がある訳である。 まさか盛岡から乗車があっても、全て埋まるとは

思えない。 これだったら、野辺地で宿泊する事にした乗客や、旅行中止した方もここに乗る事が出来たのでは?

と言う疑問が湧いてきた・・・。 陸奥横浜では、快速「しもきた」の車掌が携帯電話で、寝台列車の空席を確認して

いたが、多分電話先(野辺地駅か、指令か?)の方が、「はくつる81号」にグリーン座席車がある事を、見落として

いたとしか思えない現象であった。

 

 さて軽く車内観察をしたら、私も寝る事にした。 しかし中々寝付けないまま、盛岡駅に列車が到着していた。 盛

岡は23:22分の発車である。 盛岡を出るとやっと私は寝付いたようで、次に目覚めた時は大宮到着の放送が流

れていた・・・。

 

冷水器 グリーン車の様子 上野駅では急行「能登」と並んだ

(左)今では珍しくなった冷水器  (中)グリーン車の様子  (右)上野駅では急行「能登」と並んだ

 

 大宮到着を知らせる車内放送では、途中雪の影響で、17分ほど遅れているという事を知らせていた。 次の乗り

継ぎがある私にとっては、ちょっと心配になる話であった。 大宮へは、放送時点よりやや早くなった14分遅れで到

着した。 大宮の次は終点上野である。 さてこの時間となると、車内のあちこちが騒がしくなり、トイレ・洗面台の回

りは多くの乗客が溢れていた。 私も身支度を済ませ、上野到着を待つことにした。 定刻の上野到着は5:58分

であるが、大宮から先もかなり飛ばしたのか、約10分遅れまで遅延を回復して、上野駅15番線に到着した。 な

お、通常は14番線入線であるが、遅延が発生した為に着番変更があった様である。

 

 列車が到着すると、私は6時過ぎの上野駅に降り立って見た。 編成のあちこちに相当の着雪が残っており、こ

の列車の行程が相当酷いものであった事を容易に想像できた。 なお13番線には、先に到着した急行「能登」が

停車していたが、こちらは最近「旧白山色」から、国鉄色に塗り替えられた489系が入っていた。 まさか早朝の上

野駅で、国鉄色同士の並びが見られるとは思っていなかった私は、早朝から「得をした」と思った。

 

青森からの長旅を終えた 583系「はくつる82号」

青森からの長旅を終えた 583系「はくつる82号」

 

 さて、今回の旅の最終日である1月4日が明けた。 今日は長野方面へと向う予定なので、新宿に向う事にした。

私は早朝の上野駅構内を歩き、早速緑色の山手線に乗り換えていた・・・。

 


最初から見る   次ページへ進む →   ページの最初に戻る   試乗記録メインへ