ー 教会だより編集部 ー
![]() − 教会だより編集部から − <教会インフォメーション>
●当教会では…・2016年09月23日 布教70年記念祭を執行しました。 ![]() また土佐高岡教会では、この日に合わせて秋季霊祭も仕えさせて頂き、初代教会長の野村トヨ師が高知教会で修行中に亡くなられた、高知教会の二代教会長である道願政治郎師のお嬢様で三女である、道願美祢子様が野村トヨ師の布教出発に際し連れて御用してくれとのご遺言にて、土佐高岡教会の御霊神様と奉られ今年で70年を共に迎え、また土佐高岡教会の二代教会長である野村頴璋師が亡くなられて5年を迎え、秋季霊祭に併せて2柱の式年祭も執り行わせて頂きました。 当日は天候も心配されましたが晴れて、高知教会、高知上町教会、須崎教会、山田教会の教会長先生方の参列を賜り、新宿教会の参拝、他に若松教会、夜須町教会、豊永教会、窪川教会のお祈り添えを賜り、また心有る信奉者等の御参拝の中で思いもかけぬおかげを蒙り、祭主は土佐高岡教会長にて1時間30分程の祭典、祭典後には高知教会長の道願正美親先生を講師に「霊神と七十年」との講題でご講話を賜り、土佐高岡教会長の挨拶、直会など万事のおかげを蒙らせて頂きました。 ・2012年06月17日 マスコット犬クッキー号とのお別れ。 ![]() ずっと病気や怪我などもなく元気だったのですが、亡くなるひと月程前から体が弱り始め、動くこともできぬようになり、教会家族の世話を受けながらも水しか口にできぬようになり、16日の晩に最後の水を口にして、17日の明け方までの間に亡くなりました。 教会家族を始め、参拝される信奉者の方にも可愛がってもらっていたのでありますが、命あるものはいつか別れが来るものであります。 私も教会で御用させて頂いているものでありますから、心ばかりの葬儀を家族と共にさせて頂き、翌18日に火葬、そして8月6日に五十日祭、合祀祭、翌7日に教会奥城に埋骨させて頂き、神様に御霊の助かりと立ち行きを祈らせて頂いたことでありました。 弱って動くことが出来ずも最後まで番犬として、声なき声をあげて人が来れば知らせてくれたりとしていたので、亡くなってからも守ってくれているような気がしております。 ・2011年04月05日 二代土佐高岡教会長の御帰幽。 ![]() 金光教教師として47年、うち二代教会長として36年の長きにわたりおかげを蒙られました。 終祭、告別式、旬日祭、五十日祭、合祀祭、納骨、墓前祭、百日祭と土佐高岡教会にて仕えさせて頂きました。 これからも御霊の助かり立ち行きを祈らせて頂くと共に、御霊神様として今も共にお働き下されることと存じます。 ・2009年01月14日 土佐高岡教会長の代替わりが行われました。 ![]() そして2009年(立教150年)1月14日付で教主金光様より御任命を賜り、私(編集長)が教会長に就任させて頂きました。 まだまだ若輩でありますので、お引き立て頂きますようお願い申し上げます。 ☆教会行事、その他、詳しくは教会情報にて。 ※お近くの方はどなたでも御参拝下さい。 ![]() ★編集長の挨拶
日々、自分だけでなく家族の皆が健康であり、そこにつながる人達も元気でなければ、本当の助かりにはならぬものでありますね。
命がある、元気に過ごす、そのためには仕事が順調であったり、人間関係がよくなければ、心配も多くなり心が病んでしまうこともあるものです。 心を元気にさせるには、問題を解決する必要があるのですが、すぐに良くなるものなど無いものです。 一進一退の中で辛抱を続けなければならないことが多いのが実際のところだと思います。 ただどういう中にあっても、一歩を踏み出し続ける努力がなければ問題が解決することはないのです。 それでも無理して大きな一歩を踏み出そうとすると、続けていくことは出来ません。 日々の基本をまず「生き方」を大事にしてみることも小さな努力なのです。 「笑う門には福来たる」ではないですが、陰気な顔をしているところには人も近づいてきません。 笑顔になる稽古、次には黙っている人には近寄り難いものです。 そのためには、話をしていくわけですが、まずは挨拶が基本であります。 その挨拶をするとなると、中途半端な時間や、皆が働いている時間などになると忙しさに声もかけにくいものです。 一番声をかけやすい挨拶をしやすいのは、やっぱり朝ですね。 人も心が穏やかになりやすいのかも知れません。 知らない人同士でも、朝に挨拶をしていくと、最初は無視されることもありますが、続けていけば挨拶を交わしてくれるようになります。 それは家族であっても同じではないでしょうか、会話が少なくなった人は、挨拶が出来ていますか? 無視されても挨拶が返ってこなくても、挨拶はまず自分から発するものと思っていれば楽です。 自分の心を元気にするために笑顔で挨拶をしているのですから、黙っていてはもったいないですよ。 朝から笑顔で挨拶を交わしていく、愚痴や不足も怒りながら言っていると人に敬遠されますが、「痛い痒いも生きている証拠」「生きるのが大変なのは口に出して言わんだけで皆同じ事よ」「生きており人生を諦めなんだら道は開ける」「生きているのは何か知らんけどこの世にまだ役割があるから、神様や親先祖が生きてくれって頼んでるのかも知れん」「生きてりゃまた良いこともあるろう」と笑い飛ばすかのように話をしていると、案外、話の輪に加わろうと人も近づいてくるようです。 まあちょっと前向きに心を変えて人に話すだけでも気持ちが楽になったり元気になれたりするもんです。 自分の気持ちを騙してるだけやと思うかも知れんけど、本当の気持ちって何やろう。 自分を騙し、周りを騙してても、いつの間にかそれが身についた時には、嘘から出た実(まこと)やないけど、それが真実に本当の気持ちになることもある。 本当に痛い苦しい時には泣いてもいいし、信頼できる人を頼ってもいいと思う、教会はそのためにあると思ってもらってもいい。 けど少し我慢できる時なら、おかげさまで痛うないよ大丈夫と言って周りを安心させるのが、愛情であったり優しさなんと違うやろうか。 それでも見てくれている人は自分が知らんだけで、けっこう居てくれて助かりを祈ってくれてる人もいるんですよ。 それに信心させてもらってる者からすれば、神様や親先祖だけは何があっても見てくれていると思えるのが有難い。 それだけでも、ちょっと頑張って、この世を生きられるものです。 また少しでも良いことがあれば、素直に喜んで感謝を言ってみる。 喜びを出し惜しみして良いことなど何もありません。 人に物をもらった時でも、喜んでくれる人には、また次に良いものがあれば、お裾分けでもと思いますが、喜んでもくれない人には、もう何もやりたくないと感じるようなものです。 感謝もその時に口に出して言えば、他に何も準備してなくていいのです。 笑顔が笑顔を呼ぶ、喜びが喜びを生む、感謝は相手の心に喜びを与えていくことです。 信心は親に孝行するも同じ事、親孝行は親に喜んでもらうこと、信心は神様やご先祖様に喜んでもらうことなのだと分かってくれば、難しいことではありません。 朝目が覚めたら神様に「おはようございます。今日も命を頂き有り難うございます。」と挨拶と感謝を言ってみる。 仕事に行くのでも「行ってきます。働ける仕事を頂き有り難うございます。」と仕事のあることを感謝してみる。 仕事がなければ「どうぞ私を人のお役に立つ仕事にお使い下さい。」と言ってみる。 黙ってる人に仕事は近づいてきません。 周りの人にでも声に出して伝える中に、あの人に仕事をお頼みしようかという人も現われるかも知れません。 選り好みをしても仕事はなく、まずは体を動かし働く中で、仕事のあることの有り難みを実感することです。 家に帰ってきたら「ただいま帰りました。事故怪我なく無事に帰りつき有り難うございました。」と帰ってきた挨拶と無事の感謝を言ってみる。 食事を頂くのでも「いただきます。」「ごちそうさま。」は、作ってくれた人と食材などの命に対する礼儀でもあります。 夜寝る時には「お休みなさい。今日も一日有り難うございました。明日も元気に命を頂き起きさせて下さい。」と挨拶と感謝とお願いをしてみる。 それだけでも信心になるのです。 挨拶する相手、感謝をする相手があったほうがいい人は、教会に参れば、神様や御霊様、取次の人も待っているのです。 教会に毎日朝参りする、朝の御祈念は定時ですから、一日の始まりを迎える、一歩を踏み出す体のリズムにもなるのかもしれません。 そんな信心をしてみませんか、教会でお待ちしております。 さて最近はメールも少なく寂しい限りですが、よろしかったら応援や感想メールも送って頂けると幸いであります。 また季節を感じさせて頂ける写真がありましたら、縮小してメール添付で送ってもらいたいものです。 その時にでも、あいさつ文も一緒に投稿を頂けたら幸いです。 それと、最近は投稿もあまりありませんが、匿名投稿はもちろんOK!ですよ。 「恥ずかしいから」とか「どう思われるか心配だ」という声も聞こえたりしてきますが、掲示板や投稿の雑記帳で送られても、実名を書かれない限り、または私に会ったときに「こんな書き込みをして」とか話されない限り、アナタが誰かは私には絶対にわかりません。 せいぜい私にわかるのは、あなたの使われているプロバイダーまでですので心配はいりません。 ワンクリック詐欺での対処が完全無視といわれるのも、業者であっても再度の連絡がない限り個人を特定することが困難であるためです。 特に最近は個人情報の保護を目的とした法律も出来ているために、プロバイダーもまず個人が問い合わせた程度ではアナタの情報を絶対に他人には教えたりいたしません。 さらに私に個人を特定する技量もありませんし、このホームページも教会のサーバとかでもありませんので、アクセス状況も詳しいことはわからないのが実情ですので、いらぬ詮索抜きで匿名ででも、どんどんと書き込んでもらいたいものです。 普段何気に思っている疑問でも、問いかけていただけると、私の知るところでの感じたことの返答はホームページ上にて掲載させていただきます。 投稿の雑記帳にて編集部からの連絡不要の場合はメールアドレスも必要ありません。 本文のみ書いていただき送信でOKです。 教会名のホームページではありますが、当教会に関係あるなし関わらず書き込みOK!です。 宗教だからといって信心の話にされなくても世間話や、うわさ話だけでもOK!です。 感想などでもお聞かせいただけると今後の励みにもなります。 どうぞよろしくお願いします。(編集長) ![]() ー お知らせ ー
○ご意見、ご感想、又は、お気づきになられた事、励ましなど、お気軽にお返事を送って下さい。 ![]() 現在募集中!! 「あなたの生き甲斐なんですか?」生きる力の源になっているもの教えて下さい。 「みんなも思ってるかも知れない悩み相談」 こんなこと今更人に聞けないんだけれども、ちょっと気になって仕方ないこと教えて下さい。 その他、こんな事を企画してはどうかなども受け付けます。 (ご希望に添えるかどうかは判りませんが・・・ご了承下さい。) ![]() ー 教会だより略歴 ー
金光教土佐高岡教会 教会だより(本誌教会だより)
1994年01月01日 初発行 元々は布教50年祭を迎えるに当たって、教会教師の信心を見つめ直しと、信奉者に金光教の信心を分かってもらい助かってもらいたいとの願いで取り組ませて頂いたものであります。 当初は、教会自体に布教する意欲が全体的に下がってきていたため、このまま布教50年祭を迎えることは相済まないことであるとの思いから、教外に向かって何か布教をさせて頂こうと「今日の御教え」日めくりを作り、まず教会があることを知って頂き、どのようなことを教えているのか、どんな行事があるのかなどを分かって頂くことから取り組み始めました。 ですが教会に参ってきている人の中にも、信奉者の代替わりが多く教徒であるから参拝しているというだけになり、ただの御利益信心のように話も聞かず「お願いしますよ」と他力本願になっている人が多いことに気づき、まず教会の中にいる人に金光教の御教えやお話を伝えていかねばと思わされたのであります。 教会だよりを送らせて頂いても、最初は「見たくない」「読まないから」「話を聞かなおかげくれんようなら止める」と信奉者であっても拒絶されることもあったのですが、継続させて頂く中に読んでも頂けるようにもなり、教会だよりが皆に認められるようになってきました。 すぐに人の信心が変わることはありませんが「良いことを書いて下さる」と喜んで下さる人も中にはいて下さったり、毎朝させて頂く御祈念にも参拝して下さる方も増えてこられ「後のお話を聞くのが有り難くなった」と言って頂けるようにもなりました。 けれども、一番おかげを頂いたのは、編集させて頂く私でありました。自己の信心を見つめ直すきっかけにもなり、また教会の歴史や、行事の取り組み方など勉強させて頂くことも多くあったのです。 ホームページにさせて頂こうと思ったのも、人と人とのつながりから学ばせて頂きたいと思ったからであります。 今後もどこまで続けられるかは、定かではありませんが出来る限り続けさせて頂こうと思っております。 よろしくお願い致します。
金光教土佐高岡教会 教会だよりホームページ
2001年09月20日 無料プロバイダーにて初発行 2002年01月01日 現在のプロバイダーへ移行 延べカウントは月平均100ぐらい、読んでくれているのは10人いるかな?もっといるとうれしいのですが、一番カウントを延ばしているはたぶん更新確認している編集長です(T_T) ![]()
編集長プロフィール
![]() ![]() このホームページは、金光教土佐高岡教会の教会長で編集長のキヨハルが作成させて頂いております。 ※私の中の信心とは※戻りはトップページです。 新たに撮影し直しました(^_^) (だんだんフレームに収まらなくなってる・・・ダイエットせなアカンかな・・・) 趣味は釣りやパソコン関係、最近はもっぱらデジカメ撮影です。 釣りは川も海も近く子供の頃から良く通ってました。 川ならフナ、コイ、イダ(ウグイ)、ハヤ(オイカワ)、ナマズにウナギ、モツゴに色々釣りました。子供の頃なら、エサも現地調達して、学校から帰ると夕方まで川にいたことも良い想い出です。 最近、大人になってからは入漁料なんかも気になって(子供の頃・・知らなかったんです。)行かなくなりました。(;^_^A アセアセ… 最近はもっぱら海専門です。船酔いするので、陸からの投げ釣りですが。堤防や砂浜から小物狙って遊んでる程度です。夏場はキスゴ(キス)なんか狙って遊んでます。 ここだけの話し、以前は花など興味なく当初の教会ホームページでは背景には魚(鯛)のウロコを使って画像を制作させて頂きました。(教会とは特に関係ないのですが・・・) パソコン関係は中学生の頃からポケットコンピュータやPC8001mk2やMSXでBASICを勉強してプログラムをしては遊んでいました。高校の時はパソコン同好会に入りFM11でワープロしか打たせてもらえず、金光教の教師にならせて頂いてからは個人的に使っていたのはMSXturboRでまず「本誌教会だより」を作成し始めました。 その後、教会だよりで写真を取り込んで使いたいとか、記念誌の発行などをさせて頂くためにデスクトップのFMタウンズFreshGTを買わせて頂き、そのことがきっかけでWINDOWS95を勉強し、教会だよりの作成にも限界を感じていたのと「教会だよりホームページ」を始めたいとの願いから、次にTornado8128ノートパソコンでWindowsMeを使って勉強させて頂き、デジカメでの写真取り込みと幅を広げて頂いていましたが電源の焼き切れにより使用不要になりました。 しかしここで問題が、私のパソコン購入資金(結婚しないだろうと使い込んだ結婚資金)が底を突いたのです。 さてどうするか悩みましたが、そろそろと死んだ時のための死亡保険などかけていましたが、緊急的に解約し何とか中古でダイナブックP5/522に買い換えることが出来ました。 それで最近はWindowsXPを使い、sp1、sp2、sp3と順調にバージョンアップしています。 数年後、持ち運ぶにはやっぱりモバイル機が欲しいと、中古の日立のFLORA220FXnp2を購入、バッテリーをリフレッシュして、ドライブをDVDマルチに変更、ただCPUはインテルペンティアムVという骨董品ですので、作業は遅かったのですが、使いすぎたのか、ついに沈黙の文鎮となりました。 そして中古のダイナブックは9年で亡くなり、新たに中古のNECのVersaPro「VY21A/W−4」を購入、とりあえず、これまでのパソコンの2倍以上の性能を発揮してくれ、作業的には色々と早くなりました。 その後、OSはWindowsXPから8へ、さらに8.1に変更で現在に至ります。 一眼デジカメは諦め、コンデジで撮影は楽しんでいます。 子供の頃からの小遣いや結婚資金の貯金、死亡保険にまで手を出してパソコン買ったもので今はその日暮らしのパソコンバカの考えなし男です。 個人の給与も生活ギリギリになったので、買い物も出来なくなり、日々が生活の修行です。 当然というか現在40歳半ばで独身爆走中です。(彼女いない歴も当然長いのです。彼女はいないけど経験はあったり・・・。) 仲が良くなって「家に来る?」となって教会の門まで来ると帰られること度々・・・。 「別に勧誘しているわけでもないんだがなあ」と私が思っていても相手には伝わらなかったようで残念! 一般の方には宗教、まして教会と言うだけで敬遠されてしまいます…悲しいことです。 上記のように金無し、下記のように免許なし、おまけに性格も難ありですから魅力はゼロに等しいです。(T_T) 性格としては良く(?)言えば照れ屋で引っ込み思案。一人で色々考えてるのが何か好きです。悪く言うと何考えてるか分からなくて人好き合いが下手で出無精でしょうか。(;^_^A それでいて変な所にこだわったり、頑固だったりして、ついでに偏屈だったりします。 金光教教師の免状以外は運転免許も一切持っておりません。 資格と言えば、以前は簿記三級までは持っていたりしましたが、すっかり忘れて意味なしです。 主な乗り物は自転車のみです。晴れた日のサイクリングは好きです。 デジカメを買ってから、花の撮影に夢中になり、その中で自然の姿に目を向けられるようにもなってきました。 季節を感じ短歌を作ってみたり…って年寄りになってきたのかも知れませんが…。 それなりに苦労や難儀も体験し、どん底から人の姿、心の奥も少しは感じ取れるようになってきたかも知れません。 他に一切つぶしの効かないような私ではありますが、おかげは受けております。 また私には財はありませんが祈りはあります。 それはひとえに素直に話を聞いて自らを改める。それに尽きると思います。 願いであってまだまだ稽古の最中でありますが・・・。 何にせよ現在は教会長として御用させて頂きながら、祈りを持って模索を続ける今日この頃です。 共におかげを蒙って下さい。 Copyright(C)2001-2023 Konkokyo Church of TosaTakaoka. All rights reserved. |