日々の記録

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本(ミステリー中心)の感想とライブ(ジャズ&ロック)の感想,熱帯魚の飼育記録なども兼ねてます。ミステリーの場合にはネタばれもあるので,ご注意下さい。(スタイルシート可の設定のもとでは,ネタばれ部分の文字は見えないようになっています。マウスで選択し反転させると読めます。)

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2007年2月

はてなと並行でやりだしてから,日記を書くのが面倒くさくなった。まとめて半月分とか。もう覚えてないって...

2月10日(土)

なるほど,そうだったのか。 →Exiteニュース:携帯電話、「使い切ってから充電」は本当? 機種にもよるが「おやすみ前に電源を切っておいて充電すると、その分だけ充電がもちます」だそうだ。どうも充電したまますっかり忘れていたのが悪かったらしい。

花田清輝のエッセイ集『日本のルネサンス人』をこのところ少しずつ再読していたのだが,今日読了。やっぱり面白いよな。ちょっと(どころではないか)古いけど,歴史ネタを使って現代に問いかけをしているため,今でも通用するのでは。話の展開(もちろんエッセイにもストーリー展開はあるのだ)の仕方が,独特で面白い。何となく,良質なブログ記事(例えば「分裂……」とか)を読んでいるような,そんな感じ。

2月9日(金)

さて,14日の配布資料をそろそろ作らないと。

2月8日(木)

職場の移転に向けての設計図作成(まずは部屋割り)が着々と進む。どうも一部屋もらえるっぽい(もちろん人が増えたら別だけど,今の人数のままだったら)。

2月7日(水)

このところ「生む機械」発言が話題になっていますね。生物学・生態学を学んできた人間からすると特に違和感はないんだけど(自分自身を含めて人間を科学的に客観的に眺めれば,まあそういうことにはなるでしょう)。ただ政治家としては脇が甘い発言だなとは思う。まあ,“そうなっている”というのと“それが望ましい”ということは違うんだということでOK?

2月6日(火)

午後は巡視。後少しのご奉仕。ローテーションみたいのがほぼできつつあるのは,僕の成果でもあるのだ。いちいち説明するのが面倒だったけど,頑張った甲斐あり。

夕方より久しぶりに本郷に。新しい体制になったけど,役割分担とかは変わらないのかな?

2月5日(月)

今年度,事業のためにもらったお金で買った備品(パソコン関係など,周辺機器も)をリストアップ。昨年度はこんな面倒なのはなかったのにな。どうも新○域になってから,いろいと手続きが煩雑になって大変。そのうち運用?でやりやすくなるといいのだけど。

2月4日(日)

今日注目のニュース。 日本魚類学会では、「メクラ、オシ、バカ、テナシ、アシナシ、セムシ、イザリ、セッパリ、ミツクチ」の9つの差別的語を含む魚類の標準和名について議論を重ねてきました。その結果、1綱2目・亜目5科・亜科11属32種を含む51タクサ(分類単位)の標準和名を改名すべきであるとの結論に達しました。
日本魚類学会 差別的語を含む標準和名の改名とお願い

以前からそういう聞いていたけど,とうとうか。しかし「バカ」がダメだとなると他にもいろいろ対象になるのが出てきそうな気も。ちょっと面白かったのはミツクチゲンゲ→ウサゲンゲ。「ウサギ」じゃなくて「ウサ」ですか。ウサちゃんね。

はやみねかおる亡霊は夜歩く』を読了。−−亜衣・真衣・美衣が通う虹北学園には、4つの伝説がある――「時計塔の鐘が鳴ると、人が死ぬ。」「夕暮れどきの大イチョウは人を喰う。」「校庭の魔法円に人がふる。「幽霊坂に霧がかかると、亡霊がよみがえる。」そしてある日、こわれているはずの時計塔の鐘が鳴りひびき、『亡霊(ゴースト)』事件のはじまりを告げた……。−− 名探偵夢水清志郎事件ノートの第2作ですね。今度は物理トリック!? ちょっと通好みだよな。。このシリーズって,児童向けにしてはけっこう本格的なんですよね。僕の小さい頃って,この手のいかにも本格みたいなのがなかったからな...。日常の謎系に近いのはありましたけど,マニア好みのって領域まで到らなかったかと。

2月3日(土)

せっかく三重県に来たのだからと,旧伊勢街道を少し歩く(詳しくはこちら)。基本的には国道23号沿いではあるのだが,少し離れた旧道を進む部分がけっこう多い。まずは江戸橋をスタートして北に進む。すぐに三重大学正門の入口の所から細い旧道に。巡礼道との追分けにある常夜灯を眺める。この辺りは古めの由緒ありげな家が多い。近くには地ビール(Ise Port Beer)の醸造元もあるらしい。

国道を渡ると分部光嘉が中山城を築いた所。見た感じではよくわからない。その先には逆川神社。名前の由来とかちょっと気になるが,あんまり時間もないので眺めるだけ。先日はこの手前まで来てUターンしたのだが,今回はこの先何駅ぶんか歩くことに。この辺りからだんだんと田園風景っぽくなってくる。暖かいのでジャケットがちょっと邪魔になる。何となく眠い。

しばらく行くと旧河芸町。最近津市に編入された地域らしいが,自転車があれば通える範囲か。どちらというと“のどか”といったイメージ。何度か国道と旧道を行ったり来たり。河芸町役場跡からまた旧道に入ってすぐに光勝寺(臨済宗)。ちょっと立ち寄ってみる。分部光嘉の早世した長男のために建てられた寺とのこと。

さらに1kmほど先に小高い丘みたいなのがあって,何かと思えば,「上野城跡→」の小さな看板が。登り口は細くて目立たず,気がつかずに素通りしそうな感じ。三重県で上野城といえば伊賀上野城が有名だが,こちらは伊勢上野城。江戸時代初期には上野藩(分部氏,1619年に近江に移転のため廃藩)が置かれた。しばらく山道を登り急に開けた所が上野城跡。ちょっとした公園になっていて,運動場らしき物もあり,展望台まである。って,下の入口から見たらこんなになっているとは思わないよ。展望台に登り携帯で写真を撮っていて急に,高所恐怖症ぎみだったことを思い出す。思わず携帯を取り落としそうになる。何を今さらという気もするが。

ちょっと疲れてきたので,今回の探索も終了。近鉄千里駅に向かう。ローカルな雰囲気の駅で20分ほど待って各駅で名古屋へ。けっきょく江戸橋→高田本山→白塚→豊津上野→千里と,近鉄の駅にして4駅分(8〜9kmほど)を約3時間で歩いてみたわけだけど,探索コースとしてはまずまず手頃で,なかなかの満足度。

名古屋駅で金しゃちビール(赤味噌ラガーと青ラベル)を買って帰る。

電車で読む用に,はやみねかおる『亡霊は夜歩く』を購入。

2月2日(金)

本来ならば今日は船に乗れる予定だったのだが,天候悪化のため中止。まあ,それならそれですることはあるから。というわけで,具体的な計算を始める。

振興センターの人からヨシノボリについて質問を受ける。分類というか,現場での同定について。と言われても,僕も自分で見た川のやつしかわからないからな。それ以外は素人に毛の生えたようなもの。特にトウヨシノボリって難物ですよね。

とりあえず今後やることの方向性も決まり,今回の目的はほぼ達成。お疲れ様でした。

2月1日(木)

午前中はちょっとした仕事あり。昼前に東京を出て,2時過ぎに津に到着。またやってきました。さっそく打ち合わせ。14日の報告会に向けて,何をどうとりまとめるか。基本的にはH先生の提示したモデルにしたがうのだけど,それだけだと役割分担の面でちょっと今一つ。おおむね合意形成もできたのでお開きに。


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