チベット地理用語


チベット民族の居住地域  1999.07.14修正
チベットの地図  チベットの実質的な建国は、七世紀前半、ソンツェンガンポ王の時代です。中国からは吐蕃とよばれたこの王朝の二世紀あまりにわたる統治を経て、チベット高原の住民たちは一つの国民としての一体感を持つようになりました。
 現在、チベット人の居住地域 (左図参照) はインド、ネパール、ブータン、中国などの諸国にまたがり、なかでも中国の統治下にある部分が面積も人口も最大です。
 このコーナーでは、チベット人自身によるチベットの国土の区分について紹介してゆきます。

用語解説
「ウィ(dbus)」
中央チベット東部、チベット第一の都市ラサを中心とする一帯。
「ツァン(gtsang)」
中央チベット西部、チベット第二の都市シガツェ、第三の都市ギャンツェなどを中心とする一帯。
「アムド(a mdo)」
チベット東北部。青海省全域、甘粛省西南部(甘南州)、四川省西北部(阿ba州)など
「カム(khams)」
チベット東南部。四川省西部(甘孜州)、西蔵東部、雲南省西北部(迪慶州)など。
「ポェ(bod)」
チベットを意味する最も一般的な自称。ただし地理的概念としては、カムやアムドなどの地方からみたウィ・ツァン地方を指す場合がある。
「チベット三州(bod chol kha gsum)」
仏法のウィツァン州(dbus gtsang chos kyi chol kha)、馬のドメー州(mdo smad rta'i chol kha)、人のドトェ州(mdo stod mi'i chol kha)の三州
西蔵の中心部にあたる地域がウィツァン州、青海省東北部と甘粛省西南部にあたる地域がドメー州、四川省西部、雲南省西北部、西蔵の東部がドトェ州。
「ポェと大ポェ(bod dang bod chen po)」
「ポェ(bod=チベット)」はウィツァン州、「大ポェ(bod chen po=大チベット)」はウィツァンを除くドメー、ドトェの二州に該当。
「チベット十三万戸(bod khri skor bcu gsum)」
ウィ・ツァン地方に対する総称の一種。13-14世紀にかけて、モンゴル帝国が中央チベットの各地に万戸長を任命・配置したことに由来する名称。『ガシ一族の伝記』には、ツァン地方の六つの万戸として南北ラトェ(la stod lho, la sotd byang)、ガリ(mnga' ris)、チュミク(chu mig)、シャン(shangs)、シャル(zhal lu)など、ウィ地方の六つの万戸としてギャマ(rgya ma)、ディクン('bri khung)、ツェルパ(tshal pa)、バクモドゥ(phag (mo) gru)、ヤブサン(gya' bzang)の五カ所とラ(lha),チャ(bya),ドゥク('brug)の三地方を一括した一万戸、ツァンとウィの中間にあるヤンドゥク(yar 'brog )万戸が挙げられている。
「ドカム六高地(mdo khams sgang drug)」
アムド・カム地方の別称。「大チベット」に相当。「四川六高地(チュシ=ガンドゥクchu bzhi sgang drug)」も同じ。
「ガリ三域(mnga' ris skor gsum)」
ガリ地方の総称。インドのラダック・ザンスカール地方から中国西蔵の阿里地区にまたがる地域。
「ウィツァン四翼(dbus gtsang ru bzhi)」
ラサを中心とするウィ地方、シガツェを中心とするツァン地方を一括した地域の別所。

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