ジェプツンタンパホトクト(ボグドゲゲン)九世の最新情報  1999.11.29修正


 初代より第八世まで、外蒙古(現モンゴル国)の宗教界に君臨していたジェプツンタンパ=ホトクト。第九世は、1939年にラサで認定されて以来、モンゴルとは無縁なまま、チベット社会の中でひっそりと暮らしてきました。現在、彼のモンゴル訪問が、ちょっとした波紋を巻き起こしています。
 最近、管理人(手塚)が加盟しているメーリングリスト「しゃがあ(shagaa)」で、ジェプツンタンパ=ホトクトクの最新動向が配信されました。チベット史に関心のある皆さんにも関心のある情報とおもわれますので、投稿者の皆さんのご了解をいただいたうえ、ここに転載いたします。


歴代ジェプツンタンパ=ホトクト
第一世 ロサンテンピーギェンツェン(1635-1723)
第二世 ロサンテンピートゥンメ(1724-1757)
第三世 ロサンイェシェテンピーニマ(1758-1773)
第四世 ロサントゥプテンワンジュクジクメーギャムツォ(1775-1813)
第五世 ロサントゥプテンジクメテンピーギェンツェン(1815-1841)
第六世 ロサントゥプテンチェーキギェンツェン(1843-1849)
第七世 ガワンチェーキワンジュクティンレーギャムツォ(1849-1868)
第八世 ガワンロサンチェーキニマテンジンワンジュク(1869-1924)
第九世 テンジンタルギェー(1932- )
  歴代ジェプツンタンパの名称、在位年には資料により異動がおおい。上記一覧表の出典は松川節氏による。その他の資料による表記はこちら
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1945年にジェプツンタンパ九世に参拝した西川一三氏の記録
 著 者:西川一三
 標 題:秘境西域八年の潜行(中巻)
 叢書名:中公文庫
 出 版:中央公論社1990.12
 ISBN 4-12-201763-7
 1945年にスパイとしてチベット入りする途上、日本の敗戦に遭遇し、以降は一介の巡礼者・商人としてチベット・ネパール・インドを広く旅した西川一三氏の記録。中巻の256−258頁に、ラサのデプン寺において、当時少年だったジェプツンタンパ九世に参拝した際の記事がある。
 ジェプツンタンパ九世がラサ政府により1939年ごろに認定された経緯についても簡単に紹介されている。
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Subject: [shagaa 3626] モンゴル政府と仏教
Date: Fri, 01 Oct 1999 22:36:53 +0900
From: Tanaka Toshihiko
Reply-To: xxxxxx@xx.xxxxxxxxx.xx.xx
To: xxxxxx@xx.xxxxxxxxx.xx.xx
References: 1


 Kotoです。
 1か月ほど前のネタなので新鮮ではないですが、ずっと気になっていたのでメールしました。
過去、モンゴル政府がスターリンの粛正時代に仏教(宗教)を迫害していたのは知っていますが、モンゴル政府と仏教界の確執はまだ続いている(続いていた)ものなのでしょうか?
 入国許可となっていますが、この時代になっても政府が拒否していた理由って何なのでしょうか?
 現代のモンゴルにおいて、仏教を拒否する理由は無いように思うのですが...
 中国への配慮??だとしたらかなり失望です。

田中寿彦 <<Tanaka Toshihiko == Kotosan ==>>
E-mail : xxxxxxx@xxx.xxxxx.xx.xx
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09/05 19:00 共: 75年ぶり入国認める モンゴルが仏教指導者に

共同通信ニュース速報

 【香港5日共同】五日付の香港英字紙、サウスチャイナ・モーニング・ポストによると、旧共産政権下で弾圧されたモンゴル仏教の最高指導者で、長年入国が認められなかったチベット人のボグド・ゲゲン九世(67)が七月、ウランバートル入りした。
 九世は、子供時代にチベットのラサの寺院で修行を開始。その後、ネパール経由でインドに移り、チベット亡命政府の下にとどまっていた。一九二四年の八世の死後、モンゴル共産政権が転生者を認定しなかったため、チベット仏教の指導者ダライ・ラマ側が九世と認定。九一年にその存在を発表していた。
 同紙によると、九世は中国の江沢民国家主席のモンゴル訪問直前の七月、観光査証でウランバートル入り。入国後はモンゴル仏教の総本山、ガンダン寺で宗教儀式を執り行い、信者が詰め掛けている。
 入国許可はモンゴル政府が態度を軟化させた結果とみられるが、同紙は、独立運動がくすぶる内モンゴル自治区にも影響力を及ぼしかねない九世の入国に、中国が神経をとがらせる可能性もあると指摘している。
[1999-09-05-19:00]


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Subject: [shagaa 3631] RE: [shagaa 3626] モンゴル政府と仏教
Date: Sun, 3 Oct 1999 12:35:27 +0900
From: "MITSUYA Midori"
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 みつやでございます。
 ボグド「9世」のモンゴル訪問に関してです。

 過去、モンゴル政府がスターリンの粛正時代に仏教(宗教)を迫害していたのは知っていますが、モンゴル政府と仏教界の確執はまだ続いている(続いていた)ものなのでしょうか?
 入国許可となっていますが、この時代になっても政府が拒否していた理由って何なのでしょうか?現代のモンゴルにおいて、仏教を拒否する理由は無いように思うのですが...
 中国への配慮??だとしたらかなり失望です。
 モンゴルの宗教(仏教)の問題は、それが人々の生活に密接に関係しているだけに、かなり微妙な問題ですよね。文化的影響力と政教分離や法治主義といった政治原則との兼ね合いをどうするか、モンゴル当局も頭が痛いのではないでしょうか。

 今回の「ボグド9世」のモンゴル訪問に関連して、モンゴル国当局の関係者であるR.ボルド氏(国民安全評議会書記長)のインタビュー記事が9月17日付けの「ウドゥリーン・ソニン」紙に掲載されています。それを見ると、入国拒否(延期指示)の理由は、一言で言えば「うさんくさいから」ということのようです。
 以下、ボルド氏の説明をもとに当局の言い分をまとめてみます(「モンゴル史」の邦訳〔恒文社、1988年刊〕の本文と訳註も参考にしました)。
 制限君主でもあった第8世ジェプツンダムバ・ホトクト(ボグド・ゲゲーン)が1924年に亡くなると、第3回国家大会議で、従来からの伝承を根拠に、転生は8代で終わり、9代目の転生はないということを確認しました。しかし、その後、聖職者たちの間から頻繁に「第9世の転生者が発見された」という噂が流れるようになりました。
 実際、モンゴル国内のある子どもを「転生者」として申請(この言葉が適切かどうかわかりませんが)し、認定の書面に当時のダライラマ13世の印璽があるようです(文書はしかるべきところに保管されているそうです)。しかし結局そういった動きの首謀者は逮捕され、当時9世ボグドとされた人物は、1945年徴兵され、のち病気のため退役、1948年に死亡しているそうです。
 今回モンゴルにやってきた「9世」はインド在住のチベット人で、ダライラマ14世によって1991年に(9月14日付同紙掲載の「9世」本人のインタビューによれば1992年に)「認定」された人物です。ということは、13世と14世のダライラマによって認定された「9世」となる人物が、モンゴルとチベットに、ある時期には同時に存在していたことになってしまいます。
 90年代に入ってモンゴル国では宗教の自由が法律で保障されるようにました。一方、仏教会内部では、活仏の転生をどうあつかうかといった内規がはっきり定められていません(ボルド氏のコメントによる)。したがって、法的には1人の外国人であるこの人物を正式な「モンゴルの宗教指導者」とする根拠がまだまだ疑わしいということで、当局は入国を延期するよう指示していました。
 モンゴル当局の「手違い」もあって、いったん入国した「9世」に対しては、私的訪問ということでビザの発行をうけた人物である以上、当局も強制退去という手段をとらずにいましたが、しばらく滞在ののち、「宗教指導者」の地位についたという情報がとびだし、さらにはビザの期限が過ぎても出国しないということで、問題になっているようです。 なお、ダライラマの亡命政府は、モンゴル側からの問い合わせに対し「「9世」のモンゴル入国に関しては一切関知していない」「モンゴル政府の判断を尊重する」と回答しているそうです。
 モンゴルの仏教事情に詳しい方がいらっしゃいましたら、補足や訂正をおねがいします。

三矢 緑 MITSUYA Midori
xxxxxxxx@xxxxx.xx.xx

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Subject: [shagaa 3634] Re: RE: モンゴル政府と仏教
Date: Sun, 03 Oct 1999 21:45:51 +0900
From: Tanaka Toshihiko
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To: xxxxxx@xx.xxxxxxxxx.xx.xx
References: 1


みつやさん、はじめまして。
Kotoです。
詳しいご説明ありがとうございます。

 モンゴルの宗教(仏教)の問題は、それが人々の生活に密接に関係しているだけに、かなり微妙な問題ですよね。文化的影響力と政教分離や法治主義といった政治原則との兼ね合いをどうするか、モンゴル当局も頭が痛いのではないでしょうか。
 キリスト教など、他の宗教と同等に扱えばいいのではないでしょうか?
国教にするでもなく、排除するでもなく。
 現代モンゴル人は、特にウランバートルではそれ程仏教の信者が多いとは思いません。昔ほどの強大な勢力にはならないように思います。
 精神の根底に仏教的慈悲を見ることはありますが。
 以下、ボルド氏の説明をもとに当局の言い分をまとめてみます(「モンゴル史」の邦訳〔恒文社、1988年刊〕の本文と訳註も参考にしました)。
 制限君主でもあった第8世ジェプツンダムバ・ホトクト(ボグド・ゲゲーン)が1924年に亡くなると、第3回国家大会議で、従来からの伝承を根拠に、転生は8代で終わり、9代目の転生はないということを確認しました。
 そもそも、チベット仏教の観点から、「転生が終わる」ということはあるのでしょうか?敢えて転生の終焉を宣言する(される)というのは、それにまつわる「事件」でも起きたのでしょうか?
 いずれにせよ、国家が「転生が終わった」と宣言するのはおかしいんじゃないかと思います。「転生のような非科学的なものは存在しない」というのならそれは説明つくと思いますけどね。
しかし、その後、聖職者たちの間から頻繁に「第9世の転生者が発見された」という噂が流れるようになりました。実際、モンゴル国内のある子どもを「転生者」として申請(この言葉が適切かどうかわかりませんが)し、認定の書面に当時のダライラマ13世の印璽があるようです(文書はしかるべきところに保管されているそうです)。しかし結局そういった動きの首謀者は逮捕され、当時9世ボグドとされた人物は、1945年徴兵され、のち病気のため退役、1948年に死亡しているそうです。
 今回モンゴルにやってきた「9世」はインド在住のチベット人で、ダライラマ14世によって1991年に(9月14日付同紙掲載の「9世」本人のインタビューによれば1992年に)「認定」された人物です。ということは、13世と14世のダライラマによって認定された「9世」となる人物が、モンゴルとチベットに、ある時期には同時に存在していたことになってしまいます。
 このあたりが、「うさんくさい」わけですね?
 どちらかというと、「キナ臭い」という感じがします。
 90年代に入ってモンゴル国では宗教の自由が法律で保障されるようにました。一 方、仏教会内部では、活仏の転生をどうあつかうかといった内規がはっきり定められていません(ボルド氏のコメントによる)。したがって、法的には1人の外国人であるこの人物を正式な「モンゴルの宗教指導者」とする根拠がまだまだ疑わしいということで、当局は入国を延期するよう指示していました。
 モンゴル当局の「手違い」もあって、いったん入国した「9世」に対しては、私的訪問ということでビザの発行をうけた人物である以上、当局も強制退去という手段をとらずにいましたが、しばらく滞在ののち、「宗教指導者」の地位についたという情報がとびだし、さらにはビザの期限が過ぎても出国しないということで、問題になっているようです。
 ということは、「転生者」に対する迫害というわけではなく、ボグド9世個人に関する問題なのですね。
 なお、ダライラマの亡命政府は、モンゴル側からの問い合わせに対し「「9世」のモンゴル入国に関しては一切関知していない」「モンゴル政府の判断を尊重する」と回答しているそうです。
 ううん、そうでしょうね...
 それ以上のことは言えないでしょう...
 モンゴルの仏教事情に詳しい方がいらっしゃいましたら、補足や訂正をおねがいします。
 よろしくお願いします。

田中寿彦 <<Tanaka Toshihiko == Kotosan ==>>
E-mail : xxxxxxx@xxx.xxxxx.xx.xx
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Subject: [shagaa 3636]ジェプツンタンパ九世について(Re.3626,3631)
Date: Mon, 04 Oct 1999 02:25:36 +0900
From: amba_omo amba_omo@mbox.kyoto-inet.or.jp
To: xxxxxx@xx.xxxxxxxxx.xx.xx
References: 1


みなさんこんぱんわ
三矢さん、Kotoさんこんばんわ
滋賀の手塚です

 すでに一昨年に一度流したことのある情報なんですが、関連情報をひとつ。
 しかし、その後、聖職者たちの間から頻繁に「第9世の転生者が発見された」という噂が流れるようになりました。実際、モンゴル国内のある子どもを「転生者」として申請(この言葉が適切かどうかわかりませんが)し、認定の書面に当時のダライラマ13世の印璽があるようです(文書はしかるべきところに保管されているそうです)。
……(中略)……
 今回モンゴルにやってきた「9世」はインド在住のチベット人で、ダライラマ14世によって1991年に(9月14日付同紙掲載の「9世」本人のインタビューによれば1992年に)「認定」された人物です。ということは、13世と14世のダライラマによって認定された「9世」となる人物が、モンゴルとチベットに、ある時期には同時に存在していたことになってしまいます。
 現在のジェプツンタンパ九世は、すでに1939年ごろに、当時摂政が仕切っていたラサ政府によって認定された人物です(ちょうど同じ時期に、1933年に没したダライラマ13世の生まれ変わりとして14世を認定し、ラサにて即位式を行ったのと軌を一にした措置でしょうね)。ですからダライラマ14世による1991年の認定は、実際には「再確認」です。1989年に死去したバンチェンラマを念頭においた、高位の活仏の「認定権」を巡るダライラマと中国政府の綱引きの一環という面があろうかと思われます。

 チベット側が一旦ある活仏の転生者に誰かを認定しておきながら、取り消しもせずに別の人を別途その活仏の転生者に認定するのはありがちなことで、たとえばパンチェンラマの場合、有名な2人の十一世の他に、十世がもう1人います。1989年に亡くなったパンチェンラマ十世は、もともと、ラサ政府が用意した候補者を交えた認定試験を経ずに国民政府が勝手に認定・即位させ(1949)、人民政府が武力を背景としてチベットに押しつけ(1950)た人物です。彼は1959年以後の奮闘により、チベット本土ではもちろん、亡命社会でもパンチェンラマに相応しい人物とみなされるようになり、その没後には中国政府とダライラマがそれぞれ彼の転生者を認定するまでに至りますが、彼の対抗馬としてラサ政府がたてた人物も、いまでも「ぺンジェン・オートゥル(パンチェンラマとして相応しい化身)」として亡命社会に暮らしています。

 モンゴル出身の候補者が、ダライラマ13世によって一旦認定されていたというのは初めて聞きました。もう少し詳しいことをご存じの方がありましたら、よろしくお願い申し上げます。

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1999.10.04
手塚利彰 TEZUKA Tosiaki
チベット史学情報室「テングリノール」
 amba_omo@mbox.kyoto-inet.or.jp
 http://www.interq.or.jp/neptune/amba-omo/
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テンヤンさんのコメント
Subject: [Linka(616)] 私的見解
Date: Sun, 10 Oct 1999 13:54:01 +0900
From:xxxxxxxx@xxxx.xxxxx-xxxx.xx.xx
Reply-To:xxxxx@xxx.xxxxxx.xx.xx
To:

こんにちは。テンヤンです。
(三矢さん)
制限君主でもあった第8世ジェプツンダムバ・ホトクト(ボグド・ゲゲーン)が1924年に亡くなると、第3回国家大会議で、従来からの伝承を根拠に、転生は8代で終わり、9代目の転生はないということを確認しました。

(田中さん)
 そもそも、チベット仏教の観点から、「転生が終わる」ということはあるのでしょうか? 敢えて転生の終焉を宣言する(される)というのは、それにまつわる「事件」でも起きたのでしょうか?
 いずれにせよ、国家が「転生が終わった」と宣言するのはおかしいんじゃないかと思います。「転生のような非科学的なものは存在しない」というのならそれは説明つくと思いますけどね。
高僧の場合、「転生が終わる」というのは、もう生まれ変わることはなく、シャンバラに行くと言うことらしいです。その場合、なんらかの輪廻から離れる印を亡くなる際、残しておくこともあるそうです。
(三矢さん)
今回モンゴルにやってきた「9世」はインド在住のチベット人で、ダライラマ14世によって1991年に(9月14日付同紙掲載の「9世」本人のインタビューによれば1992年に)「認定」された人物です。ということは、13世と14世のダライラマによって認定された「9世」となる人物が、モンゴルとチベットに、ある時期には同時に存在していたことになってしまいます。
一人のリンポチェが亡くなって、二人に生まれ変わることも稀にある、と聞きます。別に双子というわけではなく、また同時刻に生まれたとは限らないようです。一人は僧になり、一人は普通の生活をしている、という例もあるみたいですが、二人とも僧になることもあるのかは知りません。

チベット側が一旦ある活仏の転生者に誰かを認定しておきながら、取り消しもせずに別の人を別途その活仏の転生者に認定するのはありがちなことで、たとえばパンチェンラマの場合、有名な2人の十一世の他に、十世がもう1人います。1989年に亡くなったパンチェンラマ十世は、もともと、ラサ政府が用意した候補者を交えた認定試験を経ずに国民政府が勝手に認定・即位させ(1949)、人民政府が武力を背景としてチベットに押しつけ(1950)た人物です。彼は1959年以後の奮闘により、チベット本土ではもちろん、亡命社会でもパンチェンラマに相応しい人物とみなされるようになり、その没後には中国政府とダライラマがそれぞれ彼の転生者を認定するまでに至りますが、彼の対抗馬としてラサ政府がたてた人物も、いまでも「ぺンジェン・オートゥル(パンチェンラマとして相応しい化身)」として亡命社会に暮らしています。

この話を、インドで10年近く暮らしていたチベット人に聞いたところ、全く聞いたことがない、とのことですが、本当でしょうか?詳しく教えて下さい。

以上、拙いですけど私の知っていることを書いてみました。

テンヤン(xxxxxxxx@xxxx.xxxxx-xxxx.xx.xx)

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Subject: [Linka(619)] 9世ジェブツンダンパ・フトクト(文字化け修正)
Date: Mon, 11 Oct 1999 03:38:06 +0900
From: "Tomoya YUKI" xxxxx@xx.xxxxxx.xx.xx
Reply-To: xxxxx@xxx.xxxxxx.xx.xx
To: xxxxx@xxx.xxxxxx.xx.xx

こんにちは結城です。Linka(618)の文字化けを修正しました。
 9世ジェブツンダンパについては、1994年にダラムサラでウランバートル・ガンダン寺からの留学僧(モンゴル人)から 「9世ジェブツンダンパはダラムサラに存在している」と聴かされて驚いた記憶があります。

今回の問題は複雑なので、9世ジェブツンダンパのアイデンティティを4つに分けて考えると少しはわかりやすい かも知れませんね。

1−「転生活仏」のとしての真贋
2−モンゴル全体の宗教指導者とふさわしいのか?
3−体制は変わったとはいえ、一度公式に廃止を宣言した「元首(1911-24と短期間だが)の転生者」という存在を認めるのか?
4−チベット人ジェブツンダンパをモンゴル社会のエリート(宗教的+潜在的には政治的にも)として迎えることへの反応。

 実際はこれらが渾然一体となった反応だとは思うんですが、少なくともガンダン寺座主活仏としてならば、ガンダン寺自身の 問題で、とやかくいうものではないとは思います。
 ただそれを超えて2〜4ともなると、モンゴル国内にさまざまな意見があるのは仕方がないでしょうねえ。

 モンゴル政府は、1995年にダライ・ラマの入国およびカラチャクラ大灌頂を許可しており、この件で中国政府に過度に気を使っているわけではないんではないでしょうか?

 モンゴル政府が政教分離・民主制という原則ををしっかり保っていくならば政治的な混乱を引き起こすことはないでしょうが、 これに関してチベット亡命コミュニティ(政府であれ宗教組織であれ)がどういう対処をしていくのかについては、非常に興味が あります。亡命チベット人たちが、来るべき「チベット国」の政治体制に対しどういうビジョンを持っているのか?
 またギャルワ・リンポチェの「ダライ・ラマの転生は私で終了したい」という発言などを考えると、チベットを考える上でも無視できない出来事ではありましょう。

 ちょっと気になるのは、この件に関してチベット亡命政府が「一切関知していない」というのはどうなんでしょうか?
 別に陰謀があったというわけではないんですが、ガンダン寺とダラムサラの間で事前に何の話もなかったとはちょっと思えない んですが・・・?それともこれは「宗教者との話はあったかもしれないが、政府としては関知しない」ということなんでしょうか?

 ジェブツンダンパ問題のバックグラウンドに関しては

★松川節(1997):「モンゴル仏教:観世音菩薩と活仏」.
 小長谷有紀・編「暮らしがわかるアジア読本:モンゴル」
 収録.p.217-223.河出書房新社.

というまとまった資料があります。必読です。
それにしても転生者認定では、最近困った話題ばかりですねえ。

余談ですが、内モンゴル第一の活仏チャンキャ・フトクトという名跡は現在どうなっているのでしょうか?
ご存知の方教えてください。
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結城 智也

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Subject: [Linka(742)] ボグドラマ9世
Date: Sun, 31 Oct 1999 21:35:09 -0000
From: "Ishiguro" xxxxxx@xxxxxxxx.xx
Reply-To: linka@xxx.xxxxx.xx.xx
To: "Linka" xxxxxx@xxx.xxxxx.xx.xx
References: 1 , 2


Kotoさんこんにちわ、石黒です。

ウランバートル市内にどでかい大仏を作るそうで、ボグドラマ九世(こちらではこのように表記してます) 関係者からCGによる完成予想図と 模型を見せてもらったことがあります。そばにいた友人は「いらねえよ、こんなもん」と罰当たりなことをつぶやいていましたが。

ただ、オーバーステイが明らかになった時点でニュースになったくらいでその後はメディアも沈黙を守っているので今現在の動向は私にも分かりません。最後に見かけたのが英字紙の「Mongol Messenger」10月20日付けに出ていた記事。以下その骨子です。

10月9日に行われたモンゴルの駐インド大使との会談でダライラマはボグドラマ9世を呼び戻したことを明らかにした。また、ボグドラマがモンゴルに到着するまでその事実を知らなかったこと、虚偽の目的で入国したことに対して遺憾の意を表明した。

ボグドラマ九世はハラホリンを訪れた際、この国の精神指導者であることを公式に宣言した。また、信者からこれまで数百万トゥグリクの寄付金を集めている。

ボグドラマは政府当局とは公式に接触していないが、その息子に対して対外関係省がビザの期限延長がなされていないことを理由に国外退去を要請した。

オーバーステイが発覚すると鬼の首でも取ったように騒ぎ出す政府当局も相手が相手だけに慎重な態度を崩していません。また情報が少ないためか一般の人々はほとんど関心がない、もしくは知らないといった状態です。

なんせ取材力がないのでこちらのメディアに頼るしかないのですが、事実上黙認と自分では解釈しています。
1999/10/31
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Ishiguro Shigeki
石黒茂樹
Ulaanbaatar,Mongolia
xxxxxx@xxxxxxxx.xx
http://xxxxxx.xxxx.xxxx/xxxxxx/xxxxx.xxx
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