すべてがそこにありますように。 2
09:37 田村 のえ
ナースステーションは、潜水艦のブリッジに似ている―――そう言ったのは、誰だっただろうか。実際には乗ったことなどないし潜水艦そのものにも全く明るくない自分にしてみれば真偽のほどは判らないが、なんとなく頷ける比喩のように思う。
いつも騒がしく、ひっきりなしに電話が鳴りナースコールもしょっちゅうだけれど、人が一堂に会するのは朝夕の日勤と夜勤の交代引継ぎの時のみ。受け持つ患者やその日の業務内容により、行動パターンは様々に分かれる。皆が己に課せられた使命をてきぱきとこなすことで病院内の業務がスムースに回ってゆくあたりは、乗組員が銘々の任務をキッチリ果たした結果、深く静かに潜航していられる艦と、状況的には似通っていると言えなくもない。
天真楼病院第一外科担当ナースの田村のえは、壁にかかっているカレンダーへ目をやった。そういえば、今日はバレンタイン・デイだ。
朝の通勤途中で、チョコレートフェアと冠したピンクと茶色の派手なディスプレイが為された地下鉄構内のショーウィンドウを見かけた。昨日今日の飾り付けではなく、数日前からそれはそこにあったのだろうが、自分が認識したのは今朝が始めてだった。ここのところ仕事のことで頭がいっぱいだったから、目にはしていても気にするまでには至らなかった光景なのだろう。
つまるところチョコレートメーカーの扇動による消費意欲の誘引にすぎないバレンタイン商戦だが、最近では海外の高級チョコレートがこの時期に合わせて空輸されてきたりもするので、沢山の工程を経て製造されるこの甘味を愛好する人々にとっては寧ろありがたいイベントともいえる。そりゃあ、不味いより美味しい方が良いに決まっているが、そういう製品は同時に値も張るものだ。チョコレートに対し、人並みの嗜好しか持ち合わせていない自分にとって、その辺りは縁のない話であり気に病むことでもない。
小・中は共学だったが高校で女子高に進学してからの のえ にとって、バレンタインは傍迷惑なイベントでしかなかった。名実ともに器械体操部のエースであり校内有名人の一人としてその名を知られていた のえ は、2月14日には結構な数のチョコレートを押し付けられたからだ。その頃からショートヘアでボーイッシュな雰囲気を纏っていたのも、災いしたのだろう。彼氏や片想いの相手がいない女生徒達にとって、丁度いい疑似恋愛感情の捌け口となってしまったという訳だ。
看護学校時代にも似たようことが起きるかと身構えたが、幸いそんな事態にはならなかった。病院実習へ入った途端に多くの『男性』が視界をよぎるからか、大半の同級生や先輩の注意はそちらへ向けられた。
そして、ここ天真楼病院に勤務しだしてからは、バレンタインは意識しなくてよいイベントとなった。個人の交際事情はともかくとして、公的には病院スタッフ間でのチョコレートのやりとり―――いわゆる義理チョコである―――は禁止されていたからだ。
社会人一年目のこと、バレンタイン・デイのチョコレートをどうしようかしら、と口火を切った化粧過多な同期の一言が、なんともいえぬ妙な空気感を醸し出した時のことは、記憶からまだ薄れていない。鼻白む先輩達の視線をものともしなかった彼女は、配属された当初から「将来有望な若い先生をゲットするために、ここにいるのよ」と公言して憚らなかった。だからあの子としては、ちゃんと皆の了承を取り付けたうえで、チョコレートをばら撒くつもりだったのだろう。しかし、そんな彼女の野望は、当時の婦長から木っ端微塵に砕かれてしまった。
「いつまでも学生気分が抜けないようでは困ります。先生方や先輩にチョコレートを配るよりも、一つでも多く仕事をこなせるようになることの方が重要ですし、皆さん自身の為にもなります」
正論で切り返された当の同期は一瞬ムッとしたようだったが、新人だからというだけでなく、元より、自分達ナースの最上位で全てを束ねている婦長へ刃向かえる筈もなかった。
高校時代の友人が務めている職場―――国内屈指の巨大メーカーだ―――では、部署の全女性社員から徴収したお金でチョコレートを購入し男性全員へ配るという『行事』が定着していて、新人は諾々とそれに従わざるをえないのだといった話や、勤務先が自分以外は全て男性という紅一点状態でどうしたらいいか解らないと悩んでいる幼馴染みと比べれば、そんな事に煩わされないでいられるだけでも、ありがたいことだ。学校や職場でのコミュニケーション円滑化を主目的とした義理チョコ配布が横行する世間では、それらと区別する意味で『本命チョコ』なる言葉も出てくる始末だが、バレンタイン・デイとは本来、『女性から好きな男性へチョコレートを贈って告白する日』なのだから。
のえ にだって、過去には何度かチョコレートを渡したいと思った『誰か』が存在したこともあったが、贈った実績は皆無だった。中学時代に片想いしていた野球部の先輩にはとうとう告白できず仕舞いだったし、研修の時に憧れた内科の先生にも想いを伝えられなかった。彼女がいるらしいと噂を聞いただけで、躊躇ってしまったのだ。
その、快活な口調や所作のせいか、周りからは何事にも物怖じしない前向きな性格だと思われているようだが、それは勤務態度に限ってのことだ。本当の自分は、人前で発言するのも率先して動くのも、さほど好きではない。だから、恋愛においても自分から積極的にアプローチする勇気などは無く、男性側から告白してもらいたいのが本音である。
「素敵な彼氏がほしい」と夢見る気持ちは、女性なら皆、一度は持ったことがあるだろう。職場恋愛という観点で考えると自分達ナースにとって一番身近な男性の多くは医者達であり、看護婦の大半が優秀な男性ドクターとのゴールインを願っているといっても過言ではない。
そして、この天真楼病院第一外科には石川玄という、まさに『彼氏にしたい男 No.1』といえる医師が、いる。
外見の良さもさることながら、仕事熱心で患者への接し方も思いやりに溢れ、皆に分け隔てなく優しい、理想的なドクターが彼だ。事実、患者からの人気は凄まじいもので、多くが石川に担当してもらいたがった。他の科からの評価も高い人気ドクターと仕事で一緒になれる毎日は のえ に多くの勤労意欲をもたらすだけでなく、その鼻も高くした。
そんな訳で僅かでも空き時間が発生すれば、(石川先生がアタシの彼氏だったら・・・)と、妄想するのが目下、のえの密かな楽しみとなっている。
アメリカ帰りの彼のことだ、レディファーストも板についているだろうから、どんな場所においてもきちんとエスコートしてくれるに違いない。高級レストランで食事をする時でも、気後れしているアタシのことをさり気なくフォローしてくれそうだ。二人で休みを合わせて、映画を見に行ったり、天気の良い日には少し遠くまでドライブへ出かけたり。帰りは絶対、きちんと家まで送ってくれる。そして―――車を降りる前にはきっと、自分だけを映した優しい瞳が「好きだよ、のえちゃん」と、囁いてくれるハズだ。
(きゃああ、アタシってば、夢、見すぎ!!!)
とめどなく溢れてくる妄想はどこまでも甘く、こそばゆい。この、緩んだ頬を誰かに見られでもしたら大変、と慌てて顔を俯けるしかなくなるが、心の中ではペロリと舌を出す。
(でも、想像するだけなら個人の自由、だもんね)
相手側の真実や自分に具合の悪い事情を一切考慮しないで脳内へ構築される空想世界は、多かれ少なかれ、誰もが己の裡に持っている心の娯楽設備だ。それに、自分は石川のプライヴェートについてほとんど知らない。だからこそ、いくらでも理想の王子様へ仕立て上げられるという利点もあったりするのだ。
とはいえ、現実がそんな都合の良いものであるはずもなく、冷静になって考えてみればみるほど、己の首が傾ぐのを止められない。
(大体、あの、仕事人間な石川先生が、彼女を作るヒマなんて、あるのかしら?)
それに―――仮に自分が本当に、その彼女だったとしたら。
石川の性格や仕事ぶりからすると、患者を診ることの方が先で、彼女との時間は後回しにされるのではないだろうか。いつもクランケを第一とする姿勢は、医療人として素晴らしい資質だと思うし尊敬に値するけれど―――彼にとっては自分よりも受け持ち患者の方が重要なのだという口惜しさや淋しさを、その彼女自身が受け入れられるかどうかは別の話だ。
周囲の誰もが納得する人気 No.1のデキる医者を恋人に持ち、傍からはそれを羨ましがられていたとしても、当人がその境遇に満足できるとは限らない。彼氏の社会的ステイタスを暗に自慢できる優越感と、彼女の自分を最優先に構ってもらいたいという願望とのせめぎ合いは、つまるところ「仕事と私、どっちが大事なの?!」という問題に行き着く。
尤もそれは石川相手に限ったことでなく、医師として働く全ての男性の配偶者や恋人が受け容れねばならぬ現実だろう。実際に医者と結婚した先輩ナースや現在交際中の女友達から屡々聞かされている実情を鑑みると、優秀で有能な医師であればあるほど、仕事が生活に占める割合いは大きくなるようだ。様々な患者と相対して加療を行い、毎日の帰宅時間も遅くなりがちで、オフには当人の心身を労わってもらうのが最優先だという。
夫の公休日が巡ってくる度に、父親と遊びたがる子供達をどう宥めようかと心を砕かねばならぬ、そんな生活がずっと続いていくのだとしたら―――果たしてアタシは、耐えられるかしら?
それに、同じ病院に勤務している同業者同士の場合、プライヴェートであっても、自然と仕事の話が多くなるのではなかろうか。担当患者の様子や治療の進み具合など、どうしたって話題がそちらへと傾いていきそうだ。だとしたら、業務中に話しているのと然して変わらないではないか。
のえ が知る限り、石川の温情と心配りは、患者だけでなく凡そ関わりのある全ての人々へと向けられている。彼の性格からくる他人への普遍的な接し方が、"皆に等しく優しい態度"である所以だろう。しかし、その長所を台無しにする例外的な男の存在―――司馬江太郎という外科医と対峙した時の石川からは、日頃の優しさが消し飛ぶ。これは、悪評まみれの司馬を相手にするからで、石川の所為ではないと のえ は思っている。言動も性格も、石川とは見事に正反対としかいいようのない司馬には、自分だって極力関わりたくない。まあ、石川だけでなく多くのスタッフから嫌われている司馬のことなど のえ にとっては、どうでもいいのだが。
では、石川が誰か特別に目をかけている人物がいるかというと、何ともいえないというのが のえ の見立てだ。強いていえば、研修医の峰春美ということになるのだろうか。しかしその峰の立場も、石川が抱えている数多の患者達よりは下へ置かれているように思える。
「結局、患者サマが最優先、なのよね・・・」
呟いた独り言に混じる恨めしさは、自分が石川のように患者第一に徹しきれていないという自覚からきているのだろう。医療従事者としての立派な姿勢へ文句をつける気は毛頭無いのだが、石川がもっと俗っぽい性格で私事を優先する男だったら、とつい考えてしまうあたりが、この仕事を天職と思い切れない己の限界なのかもしれない。
トゥルルルルル―――
丁度、鳴り響いた内線電話が、とりとめのない思考を断ち切った。
「さあ、仕事、仕事!」
殊更に明るい声を発し、のえ は受話器へと手を伸ばした。To Be Continued・・・・・
(2023/6/16)
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−第2話に対する言い訳−
二番手は のえ ちゃんです。元よりナースから一人出そうと決めていたのですが、一番語ってくれそうな気がしたのと、今まであまり良くなかった扱いへの罪滅ぼしも兼ねて、今回、シッカリ書かせていただきました。現代では『看護師』という名称に統一されていますけれども、1993年当時という世界観に即して、表記を『看護婦』『ナース』としています。
休みの日はひたすら寝ているという"お医者様の休日事情"は、医者の友達から聞いた実話で、ここ数年のコロナ禍により、更にとんでもないことになっているようです。医療従事者の皆様の勤怠をその高邁な使命感に頼っているあたり、制度としてはダメダメでしょう。今もそれが改善されていない実情を思うと悲しくなりますね。
『働き方改革』という言葉が声高に叫ばれるようになって久しいですが、「事実上は母子家庭」と仰った奥様の言葉は約三十年前と何一つ変わっていなくて……本当に、どうにかならないものですかね←自分がいる業界も改善ナシ(滝涙)