夢のあとさき 2
「いただきますっ」
その所作が、いつも目にしている石川のそれと重なる。
使いにくい大人サイズのカトラリーに苦戦している動作を助けながら、司馬はチビに食事をさせた。玉子焼きは自分でも一、二切れ食べて味を確認した。
少し甘味が薄かったかな、と心配したが、
「おいしいっ!!」
チビのお気には召したようだ。
パンダの顔が焼き付けられたトーストも、ほうれん草とベーコンのホワイトスープも、玉子焼きも、均等に食しているところが妙な行儀良さを感じさせる。食べ方も大人しやかで、カウンターテーブルの上は然程、散らかっていない。この年頃の子供なら食卓を汚すのが普通なのだろうが、こうも綺麗に食事ができているのは、明治生まれの祖母から厳しく躾けられた成果に違いなかった。
司馬はいったん席を立ち、冷蔵庫の前へ戻った。中から総菜の入ったタッパーを一つ取り出し、そこから取り分け用小皿へ盛り付けると、タッパーを戻すついでに缶ビールを一本取り出した。
(こんな状況だ―――飲まなきゃ、やってらんねー・・・って)
好奇心いっぱいの目が、酒とつまみを手にして戻ってきた司馬を追いかけてきた。喉に詰めていた何かを「ごっくん」と音がしそうな勢いで呑み込んだチビは、早速、質問した。
「それ、なに?」
「大人の食べ物、だ」
小皿の中身を凝視していた顔に、考え深げな表情が宿った。
「おばあちゃんのと、おんなじ・・・だったら、たべられる」
司馬は手許の取り分け皿を見直した。
料理というより常備菜に近いようなその総菜は、切り昆布とじゃこ、油揚げをさっと煮詰めたもので、元々は石川の祖母から伝えられた味だ。
切り昆布を胡麻油で炒め、旨味が出たところへ、短冊切りにした油揚げとじゃこと辛味を加えてサッと煮込む。味付けは醤油と三温糖のみ。確かに子供でも食べられそうな材料ばかりではある。だが、問題は辛味が『鷹の爪』であることだ。元のレシピでは使うのは輪切り唐辛子、それもひとつまみ程度であったらしい。ところがカンザス時代に入手しづらかった日本食材を他国のもので代用したりしているうち、この料理のベースである甘じょっぱい味には明確な辛さの方が合う、と思うようになった石川は、日本へ帰ってきてから、専ら『鷹の爪』をひと掴み入れるようになっていた。
初めて食べた時、甘味と辛味の対比が面白いと評した自分へ「昔はもっと、優しい味だったんだよ」と、はにかんだ笑顔が返されたことを思い出す。
つまり、子供時代の石川が口にしていた品と比較した場合、辛味だけがグレードアップしているのだ。果たしてそれを食べさせてよいものかどうか、判断がつかない。
じっとこちらを見ているチビの眼差しは揺るがない強さで司馬の意識を搦め捕る。
(食わせてみる、か・・・)
辛さが我慢できなかったら、まだ残っている玉子焼きを頬張らせればいい。
「それじゃ、食べる、か?」
「うん!」
司馬は小皿の上で鷹の爪を除け、箸でつまんだ切り昆布とじゃこと油揚げをチビの口許へ運んだ。小さな口が大きく開いて箸先をあむっと食んだ。一番、甘じょっぱさが感じられる筈の油揚げを多めに掴んだつもりだが、さて、どうだろうか。
もぐもぐと咀嚼している様子は特に問題なさげだ―――と、その時、チビの眉間に寄った皺を司馬の目は見逃さなかった。
「玄、大丈夫か?」
「ちょっと・・・からい」
水を汲んでこようかどうか迷っている間に、チビは目の前のカップに手を伸ばしていた。ホワイトスープを少し口に含み、辛味を薄めようとしたに違いなかった。
やはり子供にはキツかったな、という得心は、しかし早計だった。なぜなら司馬の目を真っ直ぐに見たチビが、やや興奮した面持ちでこう宣ったからだ。
「でも、こっちのほうが、すきっ」
(そりゃ、大人のおまえが作ったんだから、な・・・)
表情が自然に弛み、司馬の口からフッと笑みが漏れた。チビは、にこにこしてこちらを見ている。
「まだ、食うか?」
「うんっ」
司馬は注意深く昆布とじゃこと油揚げの量を調整し、箸でつまんだそれを、また、チビの口許へ持っていった。再び、大きく口を開けた子供は、箸の先をしっかり咥えてから舐った。
自分の箸先から受渡した総菜が、噛み砕かれ嚥下されていく様子を司馬は暖かな気持ちで眺めていた。小さな身体が一所懸命、食事をしているだけのことなのだが、『子供』という存在そのものが自分には新鮮であったし、石川本人を彷彿とさせる言動やしぐさが目を離せないほどに愛おしかった。
結局、小皿の中身は大半をチビに食べられた。二口分ほど残した中に除けてあった鷹の爪全てを混ぜて、司馬は自分用に取り分けた筈の総菜を食べ終えた。一緒に飲むつもりだった缶ビールは開けずじまいだ。残っていたトーストと玉子焼きを司馬が胃の中へ収めたのと、チビが自分用に出された食器の中身をほぼ空にしたのは同じ頃合いだった。
「ごちそうさまでしたっ」
食事前にしたのと同じように胸の前で両手を合わせた仕草も、大人の石川のそれと変わらない。まさに『三つ子の魂百まで』である。
司馬はチビを高椅子から降ろしてやり、カウンターテーブル上の食器やカトラリーをシンクへ下げた。洗い物を済ませようとしていると、キッチンの入り口からこちらを覗き込んでいるチビと目が合った。
向こうへ行ってろ、と言おうとして、この家には小さな子供が一人で遊べるような玩具の類が一つも無いことに思い至った。
(相手してやんねーと、マズイか・・・)
使った食器類をシンクの片隅に寄せてから手を洗って、チビの方へ向き直った。調理台の上にあった台布巾で両手を拭ったのを目にしたからか、司馬が自分を構ってくれそうだと判断したチビが嬉しそうに笑いかけてきた。
「こうたろう、こっち」
来て、というようにチビから手を取られてキッチンを出た司馬は、リビングのソファ脇にあるサイドテーブルの前まで引っ張っていかれた。其処には最近届いたばかりの学術雑誌が未開封状態で置いてあった。
大抵の書籍郵送物がそうであるように、この本もOPP袋でパッキングされた簡易梱包だ。宛先シールが貼られている面こそ濃紺一色だが、裏面は透明で表紙が丸々透けて見える。そして、今月号のそれはなぜか雄ライオンの顔面アップ写真だった。
「ご本、よんで」
その部分だけを見れば、チビがこれを絵本だと思ったとしても、いたしかたないのだが・・・
(Cellだぞ? なんで、動物が表紙なんだ?)
とりあえずチビをソファに座らせると自分も隣に腰掛けて、その封を切った。
パラパラと捲って中身を確認した司馬は、生物が学術誌のカバーへ抜擢された理由に見当がついた。絶滅危惧種の遺伝子解析に関する特集記事が載っていたのだ。当然だが、本文の方は、大量の文字情報に化学式や構造式の図をほんの少し付けてあるだけで、野生動物の写真など一枚もない。
(いくらなんでも、コレの読み聞かせは無理、だろ・・・)
見せた方が早いかと思い、司馬はチビの膝上に雑誌を広げて置いた。
「残念だが、この中にライオンの写真は、無いんだ」
ふーん、と少しつまらなそうに応えた子供は、それでも熱心に何かを見ている。アルファベットと数字と図形しかないページの何が気になっているのか、司馬にはさっぱり解らなかった。
「これ、なに?」
チビが人差し指で押さえた図を目にして、司馬は固まった。多くの薬剤に基本骨格として含まれる六員環の図式が、その指の下にあったからだ。記事を斜め読みした限りでは、置換基の汎用的なパラ位変換反応に関する実験データの考察であり、その解説として構造式の遷移図が提示されるのに違和感はなく必要な絵図でもあるのだが、それらを説明したところで到底理解はできないだろう。かといって、指された構造式を言い換えようにも適切な単語が全く思い浮かばない。仕方なく、正式名称を告げた。
「・・・ベンゼン環」
「べん、ぜん、か、ん?」
「ええと、だな―――」
なんだって、こんなチビに化学式の話をしなきゃなんなくなったんだ?
司馬は思わず天井を振り仰いだ。隣に目を戻すと、チビはまだ誌面に見入っている。小さな指がベンゼン環の角をなぞっていたが、
「しかく・・・じゃない」
戸惑った声音が呟いた。
「これは、ヘキサゴン―――六角形だ。この形が、気になるのか?」
こちらをを見上げてきた顔が真剣な表情で首肯した。ふと思いついて、司馬は更にチビへ問いかけた。
「玄。数は、かぞえられるか?」
「うん―――いち、にぃ、さん、しぃ、ごぉ、ろく・・・」
紅葉みたいな掌を広げたチビは右手の指を折って十までを数え、更に左手で十一と十二を付け足した。概念としての数字は把握できているらしい。十二まで知っているのなら、時計もそこそこ読めるだろう。
しかし、生活の中で目にする図形の中に、五以上の多角形はあまり存在しないのが常だ。指して確認していた『角』が己の知る四角以上の数であったことを不思議に感じるあたりは、幼少期の石川にもありそうなことだと思えた。
次の瞬間、司馬に天啓が閃いた。
(図形認識できて数が判る、ってんなら・・・丁度いいもんが、あんじゃねーか!)
ソファの後ろに立てかけてあったアタッシュケースの中を検めて、司馬は一組のトランプを取り出した。一昨日の空き時間に沢子から、同僚の前野健次へ返すよう手渡されて、預かったままになっていたのだ。
「神尾先生と山村先生と―――ここでポーカー、やったんですって? あんたも、いたんでしょ?」
持ち込んだものはちゃんと持って帰ってよね、と続けた元恋人は別段、怒ってはいなかったものの、少しぱかり拗ねた色が見てとれた。皆でゲームをしたのは彼女の公休日で、自分の不在時に麻酔科の部屋を遊びで使われたことが、本人としてはやや面白くなかったのだろう。
「今度は、お前がいる時にやるから、さ」
そう言って背を向けた途端、「ばかっ」と後ろから結構な勢いで小突かれた記憶が甦ってきて、つい、失笑しそうになる。
ケースの中からハートとスペードのカードだけを選り分けると、司馬はその二十六枚を全て裏返しにしてソファの手前に敷かれているラグの上へ並べた。チビを下ろして床に座らせ、自分もその隣に胡坐をかいた。
「玄、ゲームだ」
チビの瞳が興味津々といった態で瞬いた。
「なに、するのっ」
「神経衰弱」
「しん、け・・・なに?」
伏せられたトランプのうち二枚を捲ってみて同じ数字のカードだったら取っていくんだ、と教えて、司馬は手近な二札を表に返した。ハートの7とスペードの6。数が合わない時は、元通りに裏返しておくのだと説明した。
「次は、おまえの番だ」
チビは自分の前にある一枚とやや離れた場所の一枚を捲った。スペードの10とスペードの7が、出た。次の回でわざと見当違いなカードを捲った司馬は、その後にチビが赤の7と黒の7を表に返したことを確認した。
『神経衰弱』は、記憶力だけでなく空間認識力が問われるゲームだ。表に返したカードそのものの情報と位置を同時に記憶していかなければならない。先刻、六角形を気にしていたくらいだから図形を覚えることも得意だろうと踏んだのだが、チビの出来は思った以上に優秀だった。初めて見た筈の絵札も、左上に書かれているアルファベットを形として覚えさせると、すぐに呑み込んだ。
自分は適当に札を捲りつつもチビにはじっくりカードを選ばせて、司馬は遊びに付き合った。初めは伏せたカードがなかなか減らなかったが、勢いがつくとチビはどんどん札を取っていった。二回目からはトランプ本来のカード数である五十二枚全てをラグの上へ伏せてばら撒いた。
微動だにせず床面を見つめ、表返すカードを吟味している姿が、今や自分と一番近しい存在になった男のそれと重なる。何かを考え込んでいる時の石川は素晴らしい集中力を発揮するのだが、それもこの頃からある特性らしい。自分の番を終える度に司馬の方をチラリと見上げる眼差しから強い専心が伺えるものの、やはり子供ゆえか、甘えたそうな風情の方を多く感じる。
三回目のゲームで札の残りが十枚を切ったあたりから、チビが目を擦りはじめた。腹が膨れた後に脳を随分と働かせたのだ―――眠気を催す頃合いとしては妥当だった。
「眠くなったか?」
と声をかけると、チビは反射的に首を左右に振った。何事に於いても手抜きができないのが石川だと判っていても、その性分すらこの幼い時分から持ち合わせているのかと思うと、苦笑するしかなくなる。司馬はチビの顔を覗き込んで目線を合わせ、おもむろに諭した。
「玄。昼寝しろ。ここは、このままにしといてやる―――後でまた、やればいい」
「・・・う、ん」
しぶしぶ頷いた頭を撫でてやると、チビは漸く腰を上げてくれた。再びチビと手を繋いで寝室へと戻った司馬は、その身体を抱き上げてベッドへ上げてやった。
(こいつが寝付けば、やっと一服できる、か・・・)
そういえば、起きてから一本も吸っていない。家でも一息つくタイミングでの喫煙が習慣となっているにも拘わらず、目覚めた途端に想定外すぎる事象へ対処させられ続けた所為か、今の今まで煙草のことは失念していたのだ。
司馬はチビの身体へ毛布をかけた。肩が出ないようしっかりと包み込んでやり、上半身を起こそうとしたその時、右腕が引っ張られた。
「こうたろうも」
大きな瞳が縋りつくように、司馬を見上げてきた。
「ひるね、しよっ」
ひたと見据えられて、司馬に一瞬の迷いが生じた。一人で寝ろ、と突き放すことが躊躇われたのだ。
石川の祖母が躾けた厳しさは食事どきの行儀だけでなく、おそらく生活習慣全般に渡っているだろう。その中には『一人で寝ること』も含まれているような気がする。しかしこれは夢の中の出来事で、自分はこのチビにとって今日初めて会った人間なのだ。冷たく当たって恨まれたくない、という気持ちもあったし、何よりも日々大人しく言いつけを守っているに違いない子供なら夢の中で甘やかしても構わないだろうという想いが、司馬の中へ強く湧き上がってきていた。
毛布の端を持ち上げて、己の身体を隣へ潜り込ませた。すぐにチビが引っ付いてきた。先般、そうしていたように小さな背中へ手をまわしてやる。
少し経つと、腕の中の気配は静かになった。ささやかに刻まれる寝息のリズムが司馬の耳にも伝わってきた。
抱きかかえていた手を引っ込める。伏せられた睫毛が微かに揺れたような気がして、司馬は息を詰めた。暫し様子を見た後、チビが起きそうにないとの確信を得てから振動を伝えぬよう注意して身体を後退りさせた。
司馬は、そうっとベッドを抜け出した。絨毯敷きの寝室は普通に歩いても物音を響かせないが、殊更に気を遣い、静かに足を進めた。開け放してあったドアから廊下へ出ると、リビングの方へ数歩進んでから浅く息を吐き出した。
煙草は各部屋に置いてある。
リビングと寝室と書斎代わりにしている洋室と―――吸いたいと思った時に探し回るのが嫌で、自然とそうなった。以前はキッチンや洗面所やトイレにも置いてあったが、石川がこの部屋へ来るようになった頃に、それらは回収した。きみの嗜好だから僕にとやかくいう権利はないけど、と言った傍から、トイレや浴室で喫煙することの不健康さと料理中の一服が火災へ発展しかねない危険性を一頻り説教してきた男に、逆らうのが面倒だったからである。
尤も、寝室で煙草を置いてあるのはベッド脇のチェスト最下段の抽斗だ。ごそごそやっていたら、チビが目を覚ます恐れがある。寝室に一番近い部屋は書斎用の洋室だが、音を響かせまいとしてドアを閉めずに出てきた手前、ほぼ正面に位置している洋室への出入りに際して発生する物音がチビの耳に届くかもしれないと思うと、把手へ手を伸ばす気さえ起らなかった。結局、リビング奥の本棚に置いてある分を取るしかない、か―――そう考えて前方へ踏み出そうとした、その時、
「こうたろう、どこ?」
泣きそうな声が、司馬を呼んだ。
振り返るより早く、衣擦れの音と「やだっ」と叫ぶ声がした。
司馬が戻ろうとして身体を動かしたのとチビが寝室から飛び出してきたのは、ぼぼ同時だった。
「やだ・・・おいてっちゃ、やだっ!!」
物凄い勢いで右足にしがみつかれた。司馬は、下を向いている頭へそっと手を置いた。
「こうたろう・・・玄のこと、おいてかないで・・・」
脛に齧りついているいるチビを引きはがし、司馬はその小さな身体へ手をまわして抱きあげた。
チビを抱いたまま、寝室へ戻る。抜け出してきた形になっている毛布を奥へ押しやり、チビを抱えた状態でベッドへ腰を下ろす。
司馬はゆっくりと、その名を呼んだ。
「玄」
「うん」
か細い声が返ってきた。
目線を正面から合わせると、今にも大粒の涙を零しそうな瞳が、それでも強い意志を持って司馬を見つめ返してくる。小さくても、やはり、石川という人間の本質は変わらないらしい。
司馬は腕の中の子供へ、静かに語りかけた。
「玄は、男の子だろ?」
「うん」
「男の子は、泣かないんだ」
「・・・」
「な? 少しの間、だ。我慢できる、か?」
「・・・う、ん」
「約束する。俺は絶対、おまえを置いていかない」
「ほん・・とう?」
唇を噛んで懸命に泣くまいとしている姿が、いじらしい。殊更に優しい声音で、司馬は答えた。
「ああ、本当、だ」
「玄のこと・・・おいて、いかない?」
「ああ・・・何があっても、絶対、置いてかない―――約束だ」
「やく、そく・・・」
「だから、玄も、約束だ」
「・・・うん」
司馬は、チビの視界へ出窓のCDプレーヤー兼ラジオコンポが入るよう、身体を捩った。液晶画面には『14:51』が表示されている。五分くらいあれば一、二本吸えるし、その位なら子供に我慢させても大丈夫だろう―――そう思って、時刻表示を顎で指し示しながらチビへの説明を始めた。
「あの数字・・・いちばん、あっち側だ。見えるか?」
「うん―――いち?」
「そうだ。あの数字が『ろく』になるまで、ここで、俺を待つんだ」
「・・・ひとり、で?」
「一人で、だ」
チビの眦にみるみる涙が盛り上がってきた。
「・・・やだ」
「玄・・・」
「ひとりは、やだっ」
細い両腕が司馬の顔にしがみく。子供は涙声で訴えてきた。
「こうたろう・・・やだっ」
それでも、泣くのを必死に堪えているのが伝わってくる。司馬は、震えている小さな背中を宥めるように撫でた。
「おね、がい―――ひとりに、しないで・・・」
消え入りそうな声が司馬の心に沁み込んでくる。
(こりゃ、ダメだ、な・・・)
一人にされるのを異様に嫌がる、このチビを置いて部屋を出たなら、大変なことになるのは目に見えていた。とにかく、こいつを安心させてやることが先決だ。
「玄」
つい、小さな耳へ口付けたくなる。子供相手に何、しようとしてんだ、俺は―――日頃の習慣へ流されそうな己を抑えつけ、司馬は囁いた。
「解った・・・どこにも、いかない」
「ほんとう?」
まだ、声が震えている。
「ああ、本当、だ・・・おまえと、一緒にいる」
「・・・」
暫く押し黙っていたチビに、精気が戻ってきた。ありったけの力で抱きしめられた司馬の耳許へ、嬉しさではちきれそうな声が叫んだ。
「こうたろう、だいすきっ!!」
司馬はチビと一緒にもう一度、毛布の中へ潜り込んだ。先程、置いていかれたのが相当ショックだったらしく、司馬の右肘より少し上の辺りへ、チビの腕が殊の外強い力で巻きついてきた。これでは、寝入った後でも抜け出せない。煙草は諦めるしか、なさそうだった。
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すいません、チビとの攻防は概ね終わりましたが、話はまだ続きます。
どうか、次を読んでください。