なぜに君は帰らない 後編
一日の勤務を終え漸く家に帰り着いた峰は、いつもそうしているように、まず、バスルームへ向かった。バスタブのコックを捻り、お湯を溜めている間にメイクを落とす。暫くするとブザー音が鳴り響き、水量と湯温が設定済の規定値に達したことを知らせてくれる。
気分によって替えている入浴剤を今日は選ぶ気になれず、疲れきった身体をバスタブの中へ沈めた。
何の成分も含まれていないお湯が、峰の肌を微かにチリチリと刺激する。
本日の午後も遅い時間に医局で感じさせられて以来、己の裡へ巣食ってしまった諸々の複雑な気持ちが、自分の中にある想いと悉くかみ合わない。それはどうにも座りの悪い事象で、例えていうなら胸の辺りに渾沌たる何かが大きく閊えているような状態だ。一体、この有り様が何に根差して生じたのか、また、この気持ちを切り替えるにはどうすればよいのか、今の峰は何一つ思いつけないでいる。
手で掬ったお湯で、顔を擦る。目を瞑ると、石川の熱っぽく辛そうな顔が、瞼の裏へ映し出される。
朝から体調の悪かった石川の症状を正確に把握できていたのは、司馬だけだった。その事実は、峰に大きな敗北感を覚えさせていた。
私は全然、気付けなかった。いくら石川先生が隠そうとしたにしても、主任だって気がつかなかったのだとしても、司馬先生は見抜いていた―――
中川淳一外科部長からの命令で担当医変更が為されてから、カルテを挟んで対話している『担当医と担当患者としての司馬と石川』という画図が、ごく偶に医局でも見受けられるようになった。だが、本来業務としては、抱えているその他大勢の担当患者への対応が優先であり、同業者でもある患者を診るのは後回しだ。それ故、毎日忙しい第一外科では"司馬が石川を特に気遣っていない"のが常だった。尤もそれは、病院内ではあくまでも"そう見えない"というだけであり、担当患者の状態について別の場所での掌握が可能な担当医にとっては何の不都合もなかったのだが。
確かに、本日夕刻の時点では、誰が見ても石川の体調不良は一目瞭然だった。
そして今や石川の担当医である司馬は、当然、為すべきことをした。担当患者の処置が残っているからと、医者としての本分を貫こうとして自身の容態を更に悪化させかねない石川を、叱り飛ばして帰らせたのだ。
もしも、自分がまだ、彼の担当医だったとしたら―――いつも石川の言うことへ追随する形でしか意思表示のできない自分に、果たして、そのような断行が可能だろうか?
クランケのみならず多くのナースや同僚達から頼りにされる石川という男の本質は、求められば求められただけを返そうとする姿勢であるように思う。病を得て不安に苛まれる患者という人種からすれば、親身になって接し、明るい笑顔で励ましてくれる、若くてハンサムな先生に診てもらいたいと願って当然だろう。だから、常に彼の周りを多くの人が取り巻き、自然とその存在を頼ってしまうのかもしれない。しかしそれは、時として、石川本人が約一年前に大手術を受けたクランケであるという事実を失念してしまうほどの勢いともなる。
あの頃、担当医であった自分は、当人の検診を押し退けてまでも割り込んでくる患者側の窮状を受け止めようとして検査待ちの椅子から立ち上がってしまう石川を止められなかった。そうして、ずれたり飛んだりした検診順番の調整を図り、せめてもの協力をするのが精一杯だった。その結果、内科の検診担当医からは何度も嫌な顔をされたが、それよりも石川の意志を優先させてあげることの方が、自分には大事だった。
今となっては、中川が自分を石川の担当医から外した本当の理由が、患者に対する医者としての姿勢に大きく不足があったからであろう、と納得がいく。執刀したのは司馬先生ですから―――と、部長が前面に出してきたのは執刀医がそのまま担当医へとスライドする外科の一般ルールだったが、その裏には内科からの陳情があったに違いなかった。
だが、石川の担当医を司馬へ変更すると外科部長から聞かされた途端、峰の中へは、どう形容してよいのか判らない不愉快な感情がいっぱいに拡がってきた。
「嫌、です」
自分でも吃驚するような、低く冷たい声が出た。いつも穏やかな部長の目が、軽く見開かれた。
「司馬先生は、信用できません」
「峰先生―――それは、どういう意味ですか?」
面食らったような口調で、中川が峰を見返してきた。言葉を発するよりも前に、己の表情が強ばる。今、自分は上司を睨んでいる筈だ。
そんなこちらの様子を目の当たりにしてか、部長も最早、呆れ声を隠そうとしなくなった。
「信用、ってねぇ」
「司馬先生は、石川先生に恨みを持ってます―――私には、わかります」
「あのねぇ―――」
いつの話ですか、と呟いた部長先生は、軽い動作で天井を振り仰ぐ。
「そう、言わないでくださいよ。司馬先生がここに残っていれば、担当は当然、そうなる筈だったんですよ?」
「でも・・・あの時、司馬先生は辞めていかれました」
「そうでしたね―――でも、司馬先生、戻ってきてくれましたから」
淡々としたその言い方に満足げな色合いを感じたのは、何かの錯覚だろうか。部長だって、司馬にはさんざん振り回されてきている筈なのに―――
二十日ほど前のこと、病室で或る患者からその名前を聞くまで、峰はすっかり司馬の存在を忘れていた。自分の一番大切な男の命を救ってくれた大恩人にも拘わらず、多忙な毎日の中では、彼(か)の天才外科医について思い出す余裕など全く無かったのだ。しかも患者の言葉を信じるのなら、『司馬』の名前を口にしたのは石川本人だという。
その、どうしても認める気になれない情報は、峰の心を混乱の極みへ投げ入れた。石川が『彼』とのことを人に、それも自分の担当患者―――いくら、同い年の親しい患者とはいえ―――へ話すなんて、と訝しさよりも奇異な印象をまず受けたものの、すぐに(なぜ石川先生か?)という大いなる疑問で全身を埋め尽くされて、うろたえるばかりとなってしまった。更に同日、ケースワーカーの稲村寛から「司馬先生が、ここへ戻ってくる」と告げられた時の衝撃は、既にかなりダメージを負っていた峰の精神を呆然自失の態にまで追い込んだのだ。
それが、目前に控えた天真楼病院の一大事である『冠状動脈肺動脈起始症の手術依頼』のためであったことは、後に病院中へ告知されることとなった。実は今日の昼休憩時にもその話題が出て、峰は「僕も症例研究でしか、知らないけど」と前置きした石川から、その病状と術式について大雑把ながらも判り易い説明を受けていた。それ故に、中川と司馬という『奇蹟の指を持った外科医二人』の執刀でなければとても成功へ至れない難病であることは、彼女にもはっきりと認識できていた。
しかし。
司馬が第一外科へ戻ってきたことと、だから担当を当時の執刀医に替えるという理屈とは、そもそも全く次元の違う話だ。
「私、反対です」
「どうして?」
困惑しきった中川の瞳を前にして、一瞬だけ、申し訳なさが頭を擡げてくる。だが、引き下がることなど論外だった。
「恨みや憎しみは、そう簡単に、消えたりしません」
中川の口から溜息が漏れた。
「それは・・・司馬先生が故意に石川先生へよくない治療をする、とか―――そういう意味での『反対』ですか?」
随分とストレートに問われた。今更、取り繕ってもしかたがないので、峰は「はい」と首肯した。目前の上司が今一度、大きく溜息を吐いた。
「司馬先生は、ちゃんとしたドクターですよ?」
「信用できません」
「彼は、最高のドクターです。オペ技術も超一流ですが、彼ほど真剣に、加療行為と対峙する医者をボクは知りません」
日頃の飄々とした風情を纏いながらも、真剣な眼差しで中川が諭してきた。
それでも、
「信用、できません」
と、峰は言い募った。
「司馬先生のことは、ボクが保証します」
「でも」
「彼は、ボクの教え子ですから―――」
揺るがぬ信頼を糧としている声だった。しかし峰は、司馬に対する中川の絶対評価を認める気になれなかった。
確かに、外科医の本分ともいえるオペ技術はもちろん病理診断に於いても、司馬の的確な対処は他の医者から一歩抜きん出ている感がある。百歩譲って、クランケへの接し方も人の道からは外れていない範囲内であるとしよう。だが、司馬に石川という患者を受け持たせるということは、石川の生殺与奪権を司馬へ託すことに他ならないのだ。
そして何よりも、石川自身が司馬を、担当医として受け入れるとは思えなかった。
―――なんで、司馬が執刀するんだ?
―――僕は・・・あいつを倒すために、命をかけてきたんだ・・・
―――あいつに助けてもらうなんて、そんなことは・・・だったら僕は、死を選ぶ・・・
―――今更、あいつの力に縋って、生き永らえるなんて・・・
最終的には自分の説得へ応じてくれたものの、直前まで執刀医に対する強い拒絶反応を示していた姿が、今だ脳裏から離れない。
あれ程までに敵対していた相手へ自身の治療方針も含めた管理を任せなければならないとしたら、石川はそれを我慢できるのだろうか? またしても昔日の激闘が、あの二人の間で繰り返されたりはしないだろうか? そしてそうなれば、精神面も含めた石川の健康状態に悪影響が出るのではないだろうか?―――これらの懸念が払拭できないからこそ、部長の担当替え命令を諾々と受ける訳にはいかなかった。
そりゃあ、自分が担当医として最適者であるとは思っていない。あの、奇蹟の生還から約八か月間、石川の病状へは気を配ってきたつもりだが、それも月一回の検診周りの雑事に関わる程度で終わっていた。石川本人からも特に何も言われなかったし、何しろ多忙極まりない第一外科の業務量を考えると、研修医の自分にはそれで精一杯だった。
しかし、司馬が担当医となったなら、石川というクランケには放置される未来が待っているに違いなかった。この、益々忙しくなってゆく年の瀬の急患対応だけでなく、部長と自身宛てに届いている超難関手術の準備も含め、司馬にはやらなければならないことが山積している筈だ。そんな状況下に於いて、仇敵に等しい相手の病状管理など、あの男が真面目に対処するとは到底信じられない。
「―――嫌、です」
声だけでなく全身から、はっきりした反感が発せられていた、と思う。
「せめて、今月いっぱいは、私を外さないでください」
月末に予定されている冠状動脈肺動脈起始症の執刀が終われば、少しく司馬にも余裕ができるだろう。だから、それまでは―――という気持ちから出た言葉だった。だが、部長先生は首を左右に振った。
「そういう訳には、いきません。今月の検診より前に、担当を司馬先生へ替えます」
12月度の月次検診が来週に迫っていた。やはり部長先生は今、ここで、私から『石川先生の担当医』という役目を取り上げようと決めているのだ―――
「私、嫌です」
こうなるともう、理由はどうでもよくなった。ただただ、石川を司馬に任せることが、我慢ならないだけだった。
「絶対、嫌です」
反意を繰り返すだけの自分を見つめる中川の眼差しが、徐々に憐みを帯びてきている。小さく息継ぎした上司は、更なる裏事情を峰へ告げた。
「石川先生の術後経過報告ですが―――実は毎月、山川記念病院へも送付していたんですよ」
「・・・え?」
「司馬先生がここを出て行く時に、約束させられましてね―――執刀医として、今後の経過を見守る義務と権利がある、と・・・」
「司馬先生が・・・ですか?」
それは初耳だった。天真楼病院を離れた司馬が石川の経過観察へも心を砕いていた、という真実は、峰にとってまさに青天の霹靂であった。
落ち着いた中川の声だけが、外科部長室の中を漂っている。
「何しろ切ったのは、ボールマンW型アドバンステージのスキルスですから・・・再発しないとはとても、言い切れません。万が一、そうなった時にまた、石川先生を助けられるのは、おそらく司馬先生だけでしょう」
「でも・・・」
まだ何か言おうと足掻く気持ちが、喉元までせり上がってきた。だが、口をついたのは、やりきれない虚しさが吐き出した溜息だけだった。
司馬は外科医として超一流のオペ技術を持つドクターに違いなかった。石川の、胃全摘・膵脾合併切除術で第一助手を務めた時のみならず、何回かのオペで助手を経験してみて、その技術力とスピードが他の追随を許さない高みにあることは、峰も充分実感させられていた。中川が今、口にしたように、もしも石川の身体へ再び非常事態が起きたなら、救えるのはまたもや司馬しかいないだろう。
最終的に外科部長命令として下された担当替えへ逆らうことなど可能である筈がなく、そうして自分が石川の担当から外されたのは、昨年の12月初旬のことだった。
尤も、石川の担当医が司馬に変更されて以来、内科からの苦情は、完全に鳴りを潜めた。
担当医変更を言い渡された数日後の検診日当日に内科の待合室をこっそり覗いてみて、峰は驚いた―――本人が大人しく椅子に座っていたのにも少々奇妙な印象を受けたが、丁度、石川に相談しようとやってきたらしい看護婦の田村のえを内科の浅野和之医師が追い返す瞬間へ遭遇したからだった。
不貞腐れた表情のままで踵を返した のえ の後ろ姿を見送った後、峰は思わず浅野に声をかけていた。
「今の―――患者さんの病変、知らせにきてくれてたんですよね? でしたら、担当医の石川先生にお伝えすべきです!」
「そういうのは、主治医の司馬先生から、取り次がないよう言われてますから―――石川先生のことは、今日はクランケの一人として扱ってください、ってね」
冷ややかな口調を隠しもしない浅野から言い放たれた言葉は、見えない刃となって、峰を突き刺した。まるで、司馬の方が自分よりも彼の担当医に相応しい、と糾弾されたような気がした。
凡そ医局ではそのような様子を見せることのない司馬だが、彼は石川をきちんと『一人のクランケ』として捉えている。
石川が優秀な医者であると同時にクランケでもあるのだという現実に対し、自分はきちんと対処できていなかった。担当患者から石川宛にSOSが発せられれば、何の躊躇もせず、それを取り次いでいたのだ―――検診日には、石川自身が患者であるにも拘わらず。
峰は、湯船の中で膝を抱えた。
目の奥が熱くなる。判りきっていることだったけれども―――司馬先生の方が、私より上だ。
就業年数は自分より多いのだからそれも自明なのだが、まず、医者としての心構えが決定的に違う。
皆で確認したCT写真に対しても、そうだ。見ているものが全然、別だった。
明確に映っていた患部だけで診断を終えようとした自分達と異なり、司馬は見えてこない病巣の可能性を示唆した。それは今まで彼が経験してきた数多の執刀歴や、症例研究や学術書を検めてこその結果なのだろう。そしてその司馬と同じ見解へ至っていたのは、石川だけだった。だから、里村があの二人を『第一外科のツートップ』と評したのだ。
患者への接し方はともかく、医者の本分ともいえる病理と診療に於いて、いかに正しく症状を把握し病因を突き止め適切な治療方針を打ち出せるかが、最も重要で必要とされる能力なのだ。経験値にも左右されるとはいえ、医師免許を得た後でも、個人がどれだけ向学心を失わず己を高め続けられるか―――斯様に忙しい毎日の中で、日進月歩の著しい医療業界の最新情報を状況に応じて取り入れ、手術前には入念な術式検討と過去例の確認といった下準備を地道に行ってこそ、真に高品質な医療の提供が可能となるからである。そのようにして、見えない部分で重ねられた努力の量が、延いては医者当人の評価となって返されるのは当然の帰結であろう。
そして―――多分、石川も司馬も、そういった意味での『学習』を怠ってはいないのだ。
私、やっぱり甘い、よね・・・
石川の、爽やかな笑顔が脳裏をよぎる。
己の意見をはっきりと主張する、アメリカ帰りの青年は、自分の取るに足らない言葉にもきちんと耳を傾けてくれていた。それはつまり、医師免許を持っている以上はひよっ子であろうとも一人の医師として行動すべきだという彼の考え方からきていたのだと思う。
初めて石川と会ったあの夜、手術室で発せられた一言は、峰自身の存在理由を問うていた。
―――君は医者じゃないのか?
厳しい声に怯んで逃げ腰となった自分は、その直後に司馬へ緊急オペの執刀を頼み込みに行ったのだったが、あっさりと拒絶されて戻ってくるしかなかった。続く一連の出来事が嵐のように過ぎ去った後には、宿敵として運命づけられた石川と司馬の壮絶な闘いへ巻き込まれ続ける日々が到来してしまったのだが。
出会って以来、何かにつけて頼るようになってしまった自分を、石川はどう思っていたのだろうか。
そういえば司馬からも、言われたことがある。
―――お前、いっつもそれだな! 石川無しじゃ、なんにもできないか?!
あの時も、自分は何も言い返せなかった。そして、人間ドックを終えたばかりの石川へ無理に頼み込んで、本人も未経験だったラパコレを代わりに執刀してもらったのだ。
これらが甘えでなくて、何であろう?
自分が「無理です」「危険すぎます」といった後ろ向きな発言をする度、優しい石川は一瞬だけ困ったような顔を見せたが、すぐに手を差し伸べ、引っ張ってくれた。しかしそれはきっと彼の本意ではなく、頼まれると断れないという気質に付け込まれた結果の対応だったのではないだろうか?
私、今のままでは、駄目だ―――
自分には国家資格の医師免許が与えられている。それは、職場では研修医であっても患者からしたらそうではない―――あくまで一人前の医者として見られている、ということなのだ。
だからこそ、医者としての自分に責任を持たなければならない。人の命を預かることもある職業だからこそ新人が軽はずみな判断をしてはならないという言い訳を先行させて、自分はいつも誰かを頼ろうとしてきた。しかし、それは裏を返せば、己に自信が無いということだ。何のために勉強してきたんだ、と言われた時の、絶望感をいつまでも覚えていたくない。毎日が忙しいからと逃げるのではなく、先達の医師から得られるもの全てを取り入れる程の決意で臨むべきだ。
そういった観点から今の職場を眺めてみると、石川や司馬といった異なるタイプの外科医が在籍している天真楼病院第一外科は、理想的な学舎と捉えることができるかもしれなかった。患者個人の事情によって大きく左右される臨床部分はともかく、医者の本来業務である診断と治療に関しては、峰よりも遥かに多くの知識と経験を持ち得ている、指導医としても理想的な人材がすぐ近くにいるのだ。そう―――彼らの持つ智見や考察を少しでも自分のものにできたなら、私の、心許ない自信も幾らかはしっかりするかもしれない。
そしてこの多忙さも、考えようによっては良い修練となる。OJTだと思えばいいのだ。数多の患者達を受け入れ治療し手術する日常は一日として同じ事の繰り返しとはならない。都市部の総合医療施設へは、毎日、多くの患者が足を運び急患が担ぎ込まれていて、その一つ一つの病状にきちんと対処することが有効な実地体験となろう。
漸くお湯の中から身体を起こした峰は、バスルーム内の鏡に映った自分の顔が微笑んでいることに気がついた。
私、もっと、頑張らなきゃ。いつか、石川先生から頼ってもらえるように・・・
彼のことは、今も好きだ。自分から告白することなどできそうにないけれども、ある日、想いは通じるかもしれない。
でも今は、その気持ちを心の中へしまっておこう。
恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす―――石川への恋心は秘めた分だけ一段と募ってしまうだろうが、それは却って自分の拠り所となる筈だ。あの人が頑張っているから私も頑張れる、といった青春小説のような一節しか思い浮かべられないあたり、己が想像力の貧困さには苦笑するしかなくなってしまうのだけれど。
優先させるべきは、医者として一人前になること。
『研修医』という立場に甘えたりせず、また、むやみに石川先生を頼ったりしないこと。
一人の医者として、きちんと患者や患者の家族と接するよう心掛けること。
そうすれば、きっと―――
いつか、司馬先生にも認めてもらえるかも、しれない・・・
浮かび上がってきた思いが明確な目標となって、峰の心を引き立てる。
まずは、医者として評価されるよう、研鑽を積もう。
毎日を丁寧に積み重ねてゆき、医療従事者としての礎を確固たるものにしてゆこう。
医局を後にして以来、ずっと自分の中に燻っていた鬱屈からやっと解放された気がして、峰はバスルームを後にした。(2022/10/15)
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う〜〜〜ん、かなり消化不良な話になってしまいました。ここまで筆力不足だと、言い訳のしようもないという……(死)
一応、脱稿しましたが、裏でコソコソ書き直していくかもしれません←オイコラ
元々『天使が隣で眠る夜』3話の番外編として考えてあった分なので、執筆当時にお蔵入りさせた、中川と峰の遣り取りの一部(字数の関係で全部は入れられず・涙)を復活させましたが、却って散漫な出来になったかも。描きたかった『峰サイドの不信・不安や甘え』も書き切れていないので、あと一編くらい、書くかもしれないです。
もんの凄くヘンな患者にしてしまった北別府さんですが、実は本放送を見た時から「この人が石川の患者だったら、どんな感じかな?」と興味がありました。あの時点では己の病状について白紙状態だった石川に対し『癌』という単語を連発しまくって(もしかしたら…?)という疑心を植え付けた人物ですし、これは是非ともウチの『振り奴』世界で、生きてる石川先生と絡んでもらわねば!ということで出演していただくことに(大笑) 尚、本放送7話を見直しても、北別府さんの下のお名前は特定できなかったので、演じた方から借用しています。
そしてそして、どうしても書きたかった浅野先生(笑) 役名無いので、こちらも演じた方のお名前をそのまま拝借しました。
タイトルは、またも某アルバムの2曲目からですが、寧ろ、歌詞とは反対で、帰ろうとしない石川とひっかけました。アップ直前に、言葉としての整合性を指摘してくださった篠原祐理様へ深く感謝いたします!! どうも、ありがとう。
そして、前編で司馬が医局を出て戻ってくるまでにしてた事ですが……興味のある方は裏話をどうぞ
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