第23回川中島合戦戦国絵巻  


                                       

  平成十三年四月十四日の早朝、猛馬飼育係さんと私は東京を出発、石和川中島合戦に上杉方として出陣すべく甲州へ旅だった。まず大聖寺の宝物を収蔵している中富町歴史民俗資料館を訪問し、伝信玄(穴山梅雪)寄進の茶道具と梅雪・勝千代・織田信忠書状等を拝見した。その後同寺ご住職のご厚意で不動明王(国重文)を拝ませて頂いた。それから河口湖畔にある冨士御室浅間神社前の勝山村歴史民俗資料館に足を運び、信虎・信玄・勝頼・小山田信有(信茂の兄)・跡部勝忠・板垣信安らの書状を堪能した。コピーではあるが質量ともにすぐれているので皆さんにもお勧めしたい。その夜、石和町健康ランドで石野真琴さん・マンノウォーさんと合流し、大広間でお食事を共にし、歴史談義に花が咲いた。ステージでのカラオケも短い時間ではあったが実に楽しいものであった。
 翌十五日、早起きして露天風呂に浸かった。雲一つない快晴であり、爽快な気分を味わった。朝食を済ませ石和南小学校へ行き金吾右衛門さんと合流、ここに宮下帯刀隊五名が一堂に会した。金吾さんは前日遅くまでお仕事をされており、夜を徹して駆けつけてくれた。またマンノウォーさん(武田連 伝説衆 世谷一族管理人)も前日早くにお仕事を切りあげ、お越し下さった。なんとお礼を申し上げればよいのであろう。



茶碗・茶入・茶器・香炉など
(戦国期のものは僅かである)


木造 不動明王坐像(平安末期)



穴山梅雪斎不白 大聖寺宛寺領証(天正九年八月十二日)





 畳具足に着替え、小学校体育館前で集合写真を撮った。大将は別として、なかなかの強者揃いである。中央の風流武人や小田原北条氏援軍(多目周防守もしくは石巻隼人)の存在は見逃せない。




 謙信公の出馬が遅れたので、我々は床机に腰掛け、記念撮影をした。サングラスをかけ、将棋士・米長邦雄さんの「大道無門」の扇子を広げておられるのが、弊サイト「信濃先方衆・真田氏家臣総覧」を担当して頂いている石野真琴さんである。







 私はかねてより用意していた五社神号に「宮下帯刀左衛門尉」の指物を背に差した。そして猛馬飼育係さんには三階菱紋に「小笠原土佐守」と墨書した白地の旗を差し上げた。喜んで頂けたのが、なによりも嬉しい。彼は上杉軍の武士のなかで一番目立っていたという。武田方の確かな証言である。





 総大将・上杉政虎公との写真撮影を終え、マンノウォーさんが用意してくださったお酒(ワンカップ)を皆で飲み回し戦場へと赴いた。


 我々は不本意ながらも、村上義清の中老職であった綿内内匠頭満行(高井郡綿内城主)に属し、川中島八幡原に着陣した。本陣を見ると政虎公が僧侶を伴われておられた。誰であろう・・・。

上杉軍が西条山を降りたことを伝える武田の赤母衣武者である。
 
 

 騎馬武者同士の戦闘模様。あの赤武者は誰であろうか。「馬上の巧者」(『信長公記』巻八)上州小幡氏の者と思いたい。

 政虎公が単騎でお屋形様(信玄公)に斬りかかるも失敗!上杉軍に属すも心はお屋形様にある我々は、胸を撫でおろした。



 惟新入道さんとの記念写真。惟新さんは長身の上に自前の見事な甲冑を着用しており、とても凛々しく見えた。私も来年は自前の甲冑で合戦に臨もうと思う。兜ではなくカツラをかぶることも考えている(笑)。

 こたつ隊・上総介おめぐ隊の皆さん、惟新入道さん、それと我が隊に属して下さった石野真琴さん・マンノウォーさん・猛馬飼育係さん・金吾右衛門さんには、大変お世話になった。この場を借りてお礼を申し上げたい。来年は是非武田軍として参陣したいものである。


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第24回 川中島合戦戦国絵巻参陣レポート

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