名前: ジャウ
性別: 男性
年令: 26
message: はじめまして、初投稿させて頂きます。
これだけ沢山の人が羞恥体験をしている事に驚いていますが、そのためか、僕も告白の勇気がもてたというか、興味をそそられたというか、おそらく、自分に染み付いた性癖なのでしょうが、それを改めて認識させられる思いで告白致します。
それは、僕が中学校二年生の時のことです。
内向的で親しい友達以外とは全く口もきけなかった僕は、ある日、とても中学生にはあるまじき行為をしてしまったのです。
それは、「お洩らし」です。
僕の中学校には年に一度か二度くらいの割合で劇団がやって来ました。
そして、生徒を二分して時間をずらして体育館で鑑賞するというのが、年間行事の中にあったのです。 事件はその時に起きてしまいました。
冬服を着ていたのを覚えているので、季節は秋以降でした。
確か二年生と三年生の半分は、三、四時間目が鑑賞の時間だったと思いますが、劇が始まって直ぐに、僕は尿意を催したのです。
辺りは照明が落とされて暗くなっており、大半の生徒は劇に集中しているので、別にトイレに行くことくらい何でもなかったはずですが、当時の僕にはそれが出来なかったのです。
列を作って座る生徒達の後ろ、体育館の出口付近には先生達が並んで立っていました。
それを見たら余計にトイレに行くことがためらわれ、しばらくの間その場で我慢しました。
その時やっていた劇が前半・後半に分かれていたので、その間の小休憩まで待つつもりだったのです。 でも、まだ劇が始まって半分も経ってないため、頭の中は不安ばかりでした。
そして案の定、僕は劇の前半が終わるまでも我慢出来なかったのです。
尿意が強まって何度か立ち上がろうとしては止め、自分の限界と意味のない勝負をした結果、もはや自分では抑えようのない状態にまでなっていたことが分かりました。
今までにないような強い尿意に、僕は「もう駄目だ」と悟り、他のことが考えられなくなったためか、ようやくにして立ち上がったのです。
ほとんど無意識だったと思いますが。しかし同時に、オシッコも洩れていました。
頭が真っ白になりながらも、僕は慌てて出口の方向に走り出しました。
さすがに多くの生徒がいる体育館で洩らし続けるのはまずいと、本能的に思ったのかもしれません。
とにかく思考停止の状況でしたから、あの時の行動分析は後付けするしかありませんので・・・。
しかし結果から言うと、この時の僕には幸運があったと思います。
体育館にいた生徒には誰一人として、僕がお洩らししたことは気づかれなかったのですから。
ばれずに済んだのは、何にも増して、体育館が暗かった事、そして、膀胱に溜まりに溜まったものが堰を切ったように全て洩れてしまうかと思ったら、立ち上がって膀胱への圧迫が軽減された結果、洩れだしたオシッコは床を濡らすことなく、ある程度洩れたところで止めることが出来たからです。
勿論その時の僕には絶望的な焦りしか無かったため、その場から逃げ出すようにして出口に向かったのですが。(出口に向かう時に、何人もの生徒の足や手を踏みつけていたようです。後で苦情を言われ、結局「トイレに行きたかった」と言い訳することにはなりました。)
洩れが止まったとはいえ、パンツにはグッショリとした感触があり、皆の前でお洩らしをしてしまったというショックで混乱していました。
露骨に自分の股間を触って確かめることも出来ないし、辺りが暗いために洩れたものが染み出しているかも分かりませんでした。
それでも逃げ出したい一心で上着の裾を抑えるようにして出口に向かい、先生の一人に「具合が悪い」と言って体育館から退出させてもらいました。
ここでも「トイレに行きたい」とは言えませんでした。
先生にお洩らししてしまったことに気づかれたくなかったからでしょう。
なぜこの先生を選んだかといえば、ただ単に出口の扉の前にいたからです。
今にして思えば、それも幸運の一つと言えるでしょう。
そこに担任がいなくて、本当に良かったと思います。
その先生は四十歳前後の女性で、一年生の時の国語担当でした。
といっても、ほとんど口を利いたことはありませんでしたが、印象は静かな感じで、二年生になっても同じ学年なので結構顔は合わせる先生でした。
お姉さんではないですが、オバサンでもない清楚な雰囲気の人でした。
その先生は初めは疑うことなく、直ぐに扉を開けて僕を外に出してくれました。
明かりが差して体がはっきり見えるようになると、僕は自然と確認するようにズボンを見ましたが、オシッコが染み出てるようには見えませんでした。
制服は紺のブレザーだったので絶望していたのですが、見た目には全く分からないように見えたのです。
ホッとしました。
でも先生には分かっていたみたいです。
これは後で分かったことですが、お尻の方はオシッコが滲んでいて、お洩らしの跡がくっきりと出ていたのです。
「具合が悪い」と言ったのだから当然ですが、その先生が僕を保健室へ連れて行こうとして、明かりの中にいた僕の直ぐ後ろにいましたから、はっきり見えていたでしょう。
でも、その先生は僕の背中に手を添えて「大丈夫?」とだけ言って、僕を保健室に連れて行こうとしました。
お洩らしを無理やり止めてもまだ尿意はあったし、既に洩れた部分もどうにかしたくて、トイレに行きたかったのですが、当然言える筈もありません。
その先生に背中を押されるようにして、黙って保健室に向かいました。
僕が中学校時代に保健室に行ったのは、後にも先にもその時だけです。
皆勤賞では無かったのですが、健康だった僕は学校で実際に具合が悪くなることなどなかったし、体育も控えめに動いていたので怪我をすることもありませんでした。
それに、その時保健室で体験したことを思うと、それ以後は、例え怪我をしても行けなかったでしょう。
二年生と三年生の半分は体育館、それ以外は教室で勉強をしているため、廊下は静かでした。
始めて行く保健室は一階にありましたが、体育館は校舎の二階から出入りするようになっていたため、移動に時間がかかりました。
長い廊下を歩いて階段を降りて行く道のりは、何とも言えない沈黙だけが漂っていました。
結局トイレに逃げ込めなかったのです。
僕の本当の羞恥体験はここからです。
保健室に着くと付き添いの先生がノックもしないで扉を開けました。
そして背中を押されるように中に入ると、保健室の先生(以後、保健医)が奥の方から歩いて来ました。
どんな保健医だったかと言うと、実はあまり覚えていないのです。
チラチラと伺っていた筈ですが、あの時は、とても顔を上げられる状況ではありませんでしたから。
白衣を着ていたのは確かです。ただ、今卒業アルバムでそれらしき人の写真を見ると、年は三十代の前半、やや小柄で目が大きく、肩まで髪を伸ばした明るい感じの人に見えます。
芸能人の渡辺典子さん(分かるかな・・・)に似ています。
その保健医は僕と付き添いの先生を交互に見て、こちらが口を開くのを待っている感じでした。
僕は何も言えずにいましたが、付き添いの先生は「この子が具合が悪いみたいなので」と静かに言いました。
保健医は当然僕に詳しい病状を尋ねてきましたが、その時は口篭もることしか出来ませんでした。
僕の頭の中は、また真っ白になっていました。
その時です。
付き添いの先生が、今初めて気が付いたかの様に、僕のズボンが濡れていることを指摘したのです。
「あれ、お尻が濡れてるわね」
と言って、お尻のポケットの下辺りを摘んで上に持ち上げてきました。
僕は慌ててお尻に手をやりました。
股の下の方、ほとんど内腿のあたりが濡れていました。
「どうしたの?」
と先生は聞きました。
でも僕は絶句して何も言えなかったのです。
今思えば、先生には既にばれていたと判断出来ますが、その時は、たった今遂にばれてしまったという思いと同時に、まさか同じクラスの生徒達にも見られていたのではという思いが混同して完全に絶望しました。
そして急に怖くなって泣きそうになったのです。
すると、保健医も僕の方に寄って来て後ろからズボンの汚れを見下ろしました。
そして、驚いたのか不思議がっているのか、それとも軽蔑なのか、上ずった声で
「オシッコしたの?」
と言ったのです。
決定的な言葉でした。
堪えていたものが切れ、僕は泣きました。
声は出ていなかったのですが、体を震わせて涙を流しました。
もうどうすればいいのか分からず、その場から動くことも出来ませんでした。
でも、結果的に生徒達にはばれていなかったし、この時も保健医と先生の『計らい』があったため、午後からは何事も無かったかのような学生生活を送れるようになったのです。
「どうして黙ってたの?」
と先生が慰めるような口調で言ってきました。
でも、余りの恥ずかしさに顔を上げることも出来ませんでした。
口をほとんど利いたことが無いとはいえ、一年の時から関わりのある先生だけに余計に羞恥が募っていたのでしょう。
でも、その時はこの先生がその場をリードしていたように思います。
その時のことを思うと、今でも体が熱くなります。
その先生が、
「大丈夫だよ、今乾かしちゃえばばれないから」
などと言って、僕のズボンを脱がしにかかってきたのですから。
さらに
「そこ貸してあげて」
と言って、奥にあるベッドの脇にまで移動させようとしました。
初めは呆気にとられていたように思えた保健医の方も、戸惑った感じではありましたが、僕に部屋の奥にあるベッド脇を提供してくれました。
保健室には僕以外に「患者」はいませんでしたし、そこはついたてのような物で遮られていたので、誰の目にも触れずにズボンを脱ぐことは出来た筈です。
でも、先生と保健医はそれを許してくれなかったのです。
ベッド脇に移動した僕は、泣いていたこともあってか、もうどうでもいいという気持ちではありました。
でも、さすがに
「早く脱ぎなさい」
と言われた時には躊躇しました。
声には出せず、目で「あっちへ行ってて」と訴えたのですが、先生は僕を慰めているようで、実は無視していたみたいです。
高圧的な口調であれば反発する気くらいは起きたかもしれませんが、静かな口調で
「早くしないと給食までに間に合わなくなっちゃうよ」
などと脅迫されて、こっちは気にしないから大丈夫のような落ち着いた態度で見られてしまうと、何の抵抗も出来ませんでした。
でも、脅迫観念ではなく、あの時は実際問題として何とかしなければならなかったためか、僕は先生に背を向けてズボンを脱いだのです。
靴を脱いでから静かにズボンも脱ぎました。
勿論その頃には経験はまだでしたが、性への目覚めはありましたし、異性への関心もありましたから、たとえ四十歳前後だと思われる先生の前でも非常に辛かったです。
もう一人、保健医の方が若い筈ですが、その時にはなぜか先生の存在の方に異常な羞恥を感じていました。
ズボンを脱ぐと急に下半身がひんやりするのを感じました。
やはりパンツはひどい状態でしたから。
前はほとんど全部、そして股の方が染まっていました。
どうやら重力によってオシッコが股の方に溜まった結果、ズボンのお尻の方が重点的に染みたようでした。
足の方まで滴っていないのは幸いでしたが。
ちなみにパンツは白いブリーフでしたから、前は肌の色が透けていました。
この惨めなお洩らし姿になると、本当にこんなことして大丈夫なのだろうかと、急に不安が強くなったのを覚えています。
こんな姿のまま部屋を追い出されたら・・・などと、恐怖の妄想ばかりが頭をよぎっていたのです。
でも、今なら分かりますが、そんなことされる筈は無かったのです。
先生にも立場があるわけですから。
だから、あの密室で楽しむことを考えたのでしょう。
先生の表情などとても分かりませんでしたが、きっと大好きなおもちゃを前にしても、大人だから対面を気にして喜ぶに喜べない社会人のような顔をしていたのでしょうね。(今となっては、そうあって欲しかったと思うだけですが・・・)
ズボンを脱いだ途端、直ぐにそれを取られました。
僕が手渡そうとしたわけでもないのに。
そして更に次々と僕の衣服を奪いにきたのです。
「汚しちゃうから」
と言ってブレザーの上着を取られました。
裾がびしょ濡れのパンツに触れていましたから。
後で気が付いたら、それはベッドの柵に畳んで掛けられていました。
不安がもっと募りました。
本当にこんなことして大丈夫なの?と自問自答していたみたいです。
ということは、ある程度覚悟もしていたのだと思います。
先生は当然のようにパンツも脱がしにきました。
「洗ってあげるから脱いで」
と言いました。
ワイシャツの後ろの裾を持ち上げて、わざわざ濡れたパンツを脱ぎやすくしてくれました。
先生の前でパンツまで脱ぐ。
強烈な羞恥だったし、何よりも怖かったです。
見た目にも体は震えていました。
でも、僕はパンツも脱ぎました。
先生に背を向けて濡れたパンツの感触に不快感を覚えつつも、なぜか先生の前でパンツを脱いでしまったのです。
これで大丈夫と思ったわけではないのですが、その時には、もはやそうする以外に考えが及びませんでした。
脱いだパンツは自分から先生に渡していました。
左手だけで右脇を通すようにして。
やはり怖かったのだと思います。
こんな格好のまま追い出されるのが。
でも先生は僕の汚れたパンツを受け取ってくれました。
それでなぜかホッとしたのです。
本当に洗ってくれるんだと、黙っていてくれるんだと感じたのかもしれません。
先生はワイシャツの裾を離して一度僕から離れました。
下半身を覆うものが靴下だけになって、更に外気の刺激を受けました。
自然と自分の下腹部に目が行ってしまいましたが、その時はまだ何ともありませんでした。
むしろあの時の心情を思えばもっと縮んでいた筈です。
また、いつ頃から下の毛が生えたのかは定かではないのですが、その時には生えていました。
その日、その事を指摘されたから覚えているのです。
僕は背を向けて、ワイシャツで前を隠しました。
背後では先生ともう一人の保健医が何か小声で話しながら、僕の汚れたズボンとパンツの処置をしています。
といっても、どちらがどっちを担当したのかは分かりませんが、それを履くことを許された時には、パンツは完全に水洗いされて干されていましたし、ズボンは汚した部分に外側と内側から乾いたタオルを当てて折り目正しく畳んでありました。
匂いが付かないように、ズボンも水で拭いたようですが。
話の内容は聞き取れませんでしたが、僕のことを話しているのは明らかでした。
推察ですが、この後僕が受けた「お仕置き」の打ち合わせをしたのでしょう。
最初に言葉を発した保健医の口調が、先ほどまでの一歩引いた感じとは違ったので、先生と一緒に遊ぶことに同意したに違いありません。
「一時間もすれば乾くでしょ」
と保健医が言ったのを覚えています。
小声だったのが、急に普通の声で言ったので、それが合図だったのかもしれません。
先生達が一通りの作業を終えるまで、僕はずっとベッド脇に立っていました。
ズボンとパンツを取り上げられて、全く身動きが取れなかったのです。
それに、ズボンとパンツが乾くまでこのままでいるのかなと困惑していました。
でも二人はそれすら許してくれませんでした。
「xx君」
先生に突然名前を呼ばれたんです。
急にまた恐怖を感じました。
一年の時の国語の先生で、お洩らしを見られた先生が僕の名前まで知っていたのです。
同じ学年であれば、そんなの当たり前かもしれませんが、こんな姿を見られるのなら、自分のことを知っている先生よりは疎遠な人の方が良かったし、一年の授業以来会話などない先生からの呼びかけは、何か違和感を感じましたから。
僕は黙って先生の方を振り返りました。
顔はうつむいていましたが。
直ぐ横に保健医がいたと思います。
「こっちに来て」
先生はそう言いました。
僕は
「えっ?」
と、聞こえていたけど聞こえないかのように、確認の意も込めて聞きなおしましたが、先生達には無駄に出来る時間は無かったようです。
「体が汚れてるでしょ、そっちも綺麗にしとかないと」
僕を呼び寄せる理由を言ったのは保健医の方でした。
自分がどのような状況に置かれるのかを悟りましたが、その言葉に、僕は胸が痛くなりました。
でも体は動きませんでした。
まだ背を向けたまま、何も言えずにベッド脇に立っていました。
覚悟はしていたと思いますが、歩き出す勇気が出なかったのです。
すると、保健医は僕にその勇気を与えてくれました。
「早くしてくれる。三時間目が終わったら誰か来るかもしれないよ」
少し怒ったように言うのです。
その言葉の意味というよりは、保健医の語気に僕の足は動いたみたいです。
怒らせたら終わりだと感じたのでしょう。
俯いたまま二人の所に歩いて行きました。
そこからはもう先生と保健医の姿はほとんど視界に入っておりません。
焦点が定まっていませんでしたから。
また、リードも先生から保健医に変わったのです。
先生はただ僕と保健医の遊びを見ているだけでした。
僕が保健医の言うことに従うと言う遊びでしたが・・・。
保健医は濡れたタオルを手に、僕の右前辺りに膝をついて座りました。
そこで逃げられない事を悟らされます。
「xx君がいけないんでしょ、お洩らしなんかするから。恥ずかしくても我慢しないと終わらないよ」
そう念を押してから、この問題の元凶を覆っていたワイシャツの裾を上げるように言って来たのです。
「邪魔だから上げて」
とあっさりと。
さすがに正面方向にいる先生の存在が意識されて手が震えました。
でも先ほどのようなことは無く、僕はためらいも無くワイシャツの裾を静かに上げました。
上げたつもりだったんです。
しかし保健医には、それが正面にいる先生から下半身の視界を遮る仕草に見えたようなのです。
実際、裾は上ではなくやや前方に持ち上げていましたから。
この保健医は間違いなくサディストでした。
先生は参加者というよりは傍観者でしたが、その前で僕とソフトSMを始めたのですから。
「ワイシャツも脱がした方がいい?」
そんな事を言うのです。
僕は慌てて首を振りました。
すると裾を掴んでいる僕の両手は裾ごと一気に首元まで引き上げられました。
「じっとしてて、拭いてあげるから」って。
信じられませんでした。
第二次性徴期には、変化のある部分を見られるのは同姓でも恥ずかしいのに、目の前にいる女性に見られているのです。
しかも一人は一年の時から知っている先生でした。
既に顔は真っ赤になっていた筈ですが、今度は全身が熱くなるのを感じました。
その時です。
保健医が僕の下の毛について言ったのは。
「なんだ、もう生えてるじゃん。それなのにお洩らししたんだ」
からかったように言われました。
SMなど知らない僕には屈辱感などありませんでしたが、ただただ恥ずかしくて立ち尽くしました。
当時は当然包茎でしたが、そんなことを意識する年齢ではありませんでした。
それよりも我が身に起きた最初の変化(実際には二番目でしょうが)について指摘されたので、保健医の言葉に反応することすら恥ずかしくて、体を硬直させました。
それでも責めは止めてくれませんでした。
直ぐにタオルで僕の股を拭いてきたのです。
どこをどうされたかなど分かりませんが、下腹部が強烈な快感に襲われたことだけは覚えています。
きっとただ拭いていただけなのでしょうけど。
まだ子供だったのだと思います。
下半身を見られていることに強烈な羞恥を感じてはいても、それだけで妄想によって下腹部を膨らませるような過度な反応は見せていなかったのですから。
それなのに、保健医にタオル越しに触れられて直接の刺激を受けた瞬間に、僕の物は反応してしまいました。
十歳頃に初めて我が身に起きた、第一の変化が今起きてしまったのです。
「待って」
と僕は叫んでいました。
慌ててワイシャツの裾を降ろして股間を隠しました。
それだけで何が起きたのかバレバレでしたが、あの時の僕は、これだけは絶対に見せてはいけないと絶望的に思ったのです。
あの保健医の悪戯にまんまとはまっているのに、それにも気づかないで、あろうことかこんな所で下腹部を勃起させてしまった自分を責めたのです。
先生がこの時どんな表情を浮かべていたのかは全く分かりません。
完全に保健医のおもちゃにさせられていたからでしょう。
「何してるの?シャツも取る?」
と尚も追い詰められて、本気でもう駄目だと思った僕は、またそこで泣いたのです。
今度は本泣きに近かったと思います。
その場にへたり込んでワイシャツで股間を隠して。
ここまでの反応はさすがに先生達を驚かせたみたいです。
大人にしてみれば、魔が差したように子供をエッチなことでちょっとからかった程度だったのかもしれませんし、それをお洩らししたお仕置きという形でしてみせただけなのかもしれません。
でも僕には、人生最大の羞恥と純然たる恐怖があったのです。
先生がそばに寄って来て
「もう、おしまい」
と言って、今度は正真正銘慰めてくれました。
あくまでこれはお仕置きであるという体裁は保っていましたが。
保健医も涙を拭うように僕の頬に手を添えて来ました。
優しい触れ方でしたが、
「泣くことないでしょ」
と言った言葉は、やはりサディスティックでした。
これで僕の恐怖は消えたのですが、羞恥はもう少し続きました。
体はまだ汚れていましたから、結局はそれを拭かなければならないわけで。
保健医が
「もう怒らないから」
と言って、尚も拭いてきたので、僕は再びその場に立つ羽目になりました。
ワイシャツの裾もまたお腹まで上げられましたし。
触れられた刺激によって膨張しただけだったので、下腹部は既に収縮しつつあったのですが、保健医の献身的作業によって、再度の勃起をしてしまいました。
僕は腰を引くようにして嫌がったのですが、全部分かっているとでもいうように、
「いいから・・・」
と一言。
先生の視線も強く感じましたが、泣いた後の脱力感でもうされるがままになりました。
でも、結局射精まではいかなかったのです。
下腹部を拭くと直ぐにお尻の方を拭いて保健医の攻撃は終わりましたので。
本当にただの悪戯的お仕置きだけでした。
また時間を気にしていたこともあったでしょう。
間も無く三時間目終了のチャイムが鳴りましたから。
誰か来たら困るので休み時間中は奥のベッドに隠れていました。
今にして思えば、休み時間じゃなくても僕みたいに患者は来る可能性はあった筈ですが、良くあんな体験をしたものでした。
僕は四時間目終了まで、一人で保健室にいました。
先生は四時間目開始とともに体育館に戻ってしまい、最後の一時間は保健医と二人きりでしたが、乾いたパンツとズボンを返してもらう時まで、一言も会話はありませんでした。
「今度はちゃんとおトイレに行くんだよ」
からかい半分に言った、それがあの保健医の最後の言葉でした。
最後までサディスティックだったと思います。
僕はそれ以来保健室に行くことはありませんでしたので、卒業するまで一度も会うことはありませんでした。
行くのが怖かったのではなく、恥ずかしかったのです。
目的が見え見えでしたから。
一方先生の方は、卒業まで何度も廊下ですれ違うことがありましたが、あの時のことを意識しているのは僕だけのようでした。
三年になっても僕のクラスの担当にはならなかったし、今までと同じようにほとんど口も聞かない生徒と先生の関係は、向こうが距離をとることによって保たれたのです。すれ違う時に、口元はなんとなく笑っていても、目を合わせることはありませんでしたので。
大人の女性の戯れは遊びにしては過激すぎて、僕の人間性に作用したようです。
あの時は快楽は得られなかったにもかかわらず、今、自慰行為においてあの体験を超えるネタはありませんから。
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