モモやん小泊の日々つれづれ日記
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2005年9月1日(木) 新駐車場。携帯モバイル
駐車場の契約を変えた。朝イチで車を移動する。本来なら昨夜12時の時点で移動すべきだったのだが、すっかり忘れて酒を飲んでしまい、まぁ、数時間は大目に見て貰うか、という感じ。
しかし、この駐車場、一通に面しており、うちの方からだと入りにくいのが難(契約前からわかっていたことではあるけど)。家からの距離はそれほど変わらず、歩いて家から行く分にはいいのだが、クルマで一旦家に荷物を降ろして、そこから駐車場に戻ろうとすると、まるまる2区画分戻らなくてはならない。すぐそばに細い路地があるのだが、そこから入ると5m位バックしなくてはならないのであった。ま、安いし、いいんだけど。
ネットの広告で、ボーダフォンのデータアクセスというコースを知る。結構安いのと、384kbpsでの海外ローミングがちょっと魅力。うちの社長はauの携帯なのだが、端末次第ではこれに替えるという手もアリかな?とちょっと思う。もちろん、ナンバーポータビリティが稼働してからの話である。
144kbpsのサービスなら相当安い。細かく状況を調べて計算する必要があるが、今の携帯+エッジよりも安く、速く、エリアが広がる可能性がある(エッジも128kサービスは結構するから)。
しかし、パケットあたりの値段、ボーダフォンではMB相当にして表示してくれているが、これが必要だよな。やっぱり。auのパケットWINも、PCでのアクセスコースをやってくれれば(多少高くなっても)考えるんだけど。
ナンバーポータビリティを見据えて各社値下げのニュースは出てきているけど。データアクセス関係はまだわからないことが多い。また、ホリエモンのとこに対抗して、無線LANの状況も劇的に変わる可能性がありそう。これから数年はちょっと面白くなりそうだ。
昨日メールアドレス変更の連絡を入れ、各所から返信が来た。結構ご無沙汰している人からメールが来たりして、そういうのも嬉しい。しかし、楽天のメールマガジンが相変わらず来る。昨日の時点で一つ来たメールマガジンで変更を行ったのだが、まだ来る。どこで変更すれば全部変わるのかわからない。複数のショップで買い物をしているので、メルマガはそのたびに登録を聞かれたりしてはいるわけなのだが。楽天自体に登録しているアドレス&アカウントは一つのはずで、それ一つを変えれば全部変わるようになってないのがおかしいわけなんだが。
BBSで知った
変な写真。なかなかすごい。輪切りの飛行機の奴はどこかで見た記憶があるが。巨大トラクター系と、飛行機に引っかけた奴がすごいね。
2005年9月2日(金) KLRを仕上げて出品
友人が筑波で練習走行をするというので、行くつもりでいたのだが、ちょっと飲み過ぎて断念。行けなくはなかったのだが、今晩からF1がまた始まってしまうので、昼間無理すると夜響く可能性があるので、ちょっと辛い。もうちょっと涼しくなるといいんだが。
仕方ないので、KLRの外装ペイントをする。写真を撮って出品。いくらになるでしょーか。

近くで見るとアレだけど、ぱっと見綺麗な外装になった。 やっぱかっこいいんだよなー
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2005年9月3日(土) ちょっと昔話なんぞを
横浜へ、三菱のラリーミーティングというのを見に行く。以前はチャンピオンズミーティングという名前だったはずだが、さすがにそう着けるのは苦しいか(調べたところ、2003年まではチャンピオンズ−であり、昨年は中止)。パジェロを持ちこめば、一応チャンピオンと呼んでもいいはずだが、ここのところのランエボの苦戦も考慮しての名称変更なんだろう。
昔ラリーの現場でお世話になった広報の人や、ジャーナリスト関連と会えないかと思って行ってみたのだが、知った顔にはほとんど会えず。デカイ顔の某ヒョウンカ(誤字にあらず)を見かけたくらい。
イベントとしては、デモランとトークショー、サイン会が主なわけだが、あの炎天下、延々とご挨拶を述べるのはいかがなものか、という感じ。イベントとしては、基本的に、来る(そして、三菱にとっては初めての)ラリージャパンへ向けてかなり気合いが入っており、走りは販促もあってエボワゴンでドーナツやってくれたりして、多分面白かったんだろうが、イマイチ見にくかったのと、もうそろそろこれだけ、というのは飽きられるんじゃないかと思う今日この頃なのだが。
当然のことながら三菱ファンのためのイベントであり、あれだけの人数が集まったというだけでも、まだまだ捨てたもんじゃないのかな、なんて、三菱ファンから石を投げられそうだけど。
最初のデモランが終わったところで、オイラだけ一足先に帰途へ。首都高をかっとんで、4時からの公式練習を見なくちゃならない。
戻ってきて、公式練習3回目を見終わったあたりで、こっちに出てきている見習いの若い子(やはり横浜に行っていた)も戻ってきたので、4回目を見終わった後、予選までの間に飯。
飯を食いながら会社やオイラ、社長なんかのこれまでの話をする。しながら、今の仕事を始めてからのここ10年くらいの、あまりの技術の進み具合に今更ながら驚く。
PCの進歩は言うまでもないのだが、やっていること自体はたいして変わらない。文章を作って、1枚の紙に体裁を整えて配信しているだけだからだ。配信メディアとしてメールとかWEBが増えたというくらいのもので、それも、ここ数年という感じではない。
大きいのはデジカメの存在と、その解像度、そしてネット環境と回線の太さだ。最初の頃は、デジカメそのものがなかった。さすがにオイラが仕事を始めたときにはもう存在したが、それでも仕事に使えるようなものではなかった。つい最近まで、スキャナは必需品だったことも確かだ。
最初の頃は、向こう(海外)でスキャンした写真を、国際電話で直接2台のPCを繋いで、ZMODEMとかのプロトコルで送っていた。オイラの頃にはさすがになかったのだが、その前は、アナログ電送機を使っていたそうで、確かに事務所の奥には馬鹿でかい電送機が置かれており、保存用のDATデッキなんてのもあった。
そこまで行かなくても、最初に海外取材に出たときはコンパックだったかの、モノクロ、486SX-25のコンパクトノートか、もしくはPC110で、まだWin311+WFWだったはずだ。Win95が出ていたし、インターネットもあったが、基本的にはCompuserveで接続して、メールのやりとりが主だった。Win311上でインターネット、というとカメレオンが思い出されるが、オイラは基本的にCompuserveの接続ソフト上からインターネットには繋いでいたような気がする。もちろん、写真なんて使えなかった。その頃最初に購入したデジカメがチノンのDC1000だったか(コダックのDC20OEM)。25万画素で、内蔵メモリのみ。フルサイズで取ると8枚しか取れないと言う、今時の携帯以下のカメラだった。
これ、わずか10年位前の話である。今考えると、なんて激しい動きの10年だったんだろうか。
その後、事務所で仕事を終えた後は、元ラリードライバーのやっている飲み屋へ行き、最後まで飲んでしまう。
2005年9月4日(日) F1ベルギーGP決勝
今日も事務所で仕事。台風が来ているので、まだ降りだしてはいないが、クルマで事務所へ。車に乗ろうとしてつい前の駐車場へ向かってしまい、自分の行為に苦笑する。
F1決勝は、マクラーレンのドラマティックさに、思わず社長と「こうでなくちゃなぁ」と感心する。
トヨタは、みんなのコメントにあるように、現状で言えばベストな結果なのだが、淡々とこの結果(もちろん頑張った結果ではあるが)というのは、見ている側としては退屈なだけである。もちろん、マクラーレンのあのドラマティックさというのは、圧倒的な速さがあってこそのものではあるのだが、ライコネンが1ストップ作戦に行くところなど、見ている側にもスペクタクルを感じさせてくれる。みんながこういうレースを出来るようなレースならいいんだけどね。
全車完走はかなり久しぶりのことらしいが、そこまで行かなくても、ここのところ、F1は異様に完走率が高まっていると感じる。悪いことではないはずだが、でもレースって、やっぱりスペクタクルがないと、という気もする。
それ以外では、やっぱりクラシックなコースという印象、というか、マクラーレンの2台は別格として、それ以外はあんまりタイム差が出ない。でも、ライコネンですら最初ジャックを抜きあぐねたくらいで、やっぱり抜きにくくて、予選の状況が結構響くコースなのだな。トヨタは上手くやったとは思うけど、そういう意味では差がでにくくて、あんまり面白いコースじゃないんだなぁ。
なんやかやと作業をして、やっと寝るか、と思ったら朝の6時半だった。うーん。
2005年9月5日(月) へろへろの月曜日
結局貫徹してしまったので、へろへろに眠い。
ちょっと寝ては起き、でへろへろの状態なのに、夕方になって、やっと寝付きそうなときに電話で起こされ、新しい、急ぎの仕事の依頼。あわててクルマで出かける。仕事はいいんだが、ちょっと面倒そうだ。
2005年9月6日(火) サイバラ問題
サイバラが地元の学校ともめているというニュースを今頃知る。うちは読売なんだけど、朝刊のみの契約なのでこの新聞(該当記事は夕刊)、来てないのよね。サイバラの、学校とかに対する不信感というか、対抗したがる感じもやや受けなくはないけど、でも、それで体調を崩したというくらいだから、子供のことでもあり、やはりショックだったんだろう。
学校側の、妙に保身だけに走っているような印象は確かに受ける。あそこで個人に文句を言ったら、表現の自由に対する干渉になるとかそういうことは考えないんだろうか。来る10日にロフトプラスワンでまたトークライブをやるそうで、その辺もきっとしゃべってくれると思うのだが、オイラはF1なので行けないのだっが。悔しい。
何のことだかわからない方、「読売新聞」「西原理恵子」あたりでぐぐるといっぱい出てくるはずです。
2005年9月7日(水) 祭りの準備で飲み過ぎ
夜は、祭りの準備の飲み会だというのだが、なんだかメンバーが気になって(みんなは気にするなと言うのだが、一応こっちは新参者で、しかも借家だし)、近くの飲み屋に行ったら、他のメンバーがおり、本家が終わったメンバーもどんどんやってきて、延々飲んでしまう。いつものメンバーといつもの店に流れては行ったが、最終的に残っていたのはオイラだけ。どうしてこーなっちゃうんでしょうか。
2005年9月8日(木) だめな一日
いつものことながら、飲み過ぎて死んでいた。
ニュースでもやってないかな、と仕事をしながら、夕方TVを着けてみたら、NHK総合で、可愛い子が料理紹介をやっている。調べたところ、
佐藤まり江ちゃんという子で、とくにNHKのキャスターというわけではなく、フリーみたいだ。
2005年9月9日(金) 都内をかけずり回る
めちゃめちゃ忙しい一日で、夕方の都内をかけずり回る。気温も高いのだが、めちゃめちゃバイクが熱い。
明日は友人のレースを朝から見なくてはならないので、土曜日中、という今回の仕事は、今日中に終わらせなくてはならなかった(作業そのものはそんなにきついものではない)のに、クライアント側の都合で追い込みの作業が全く出来ず。結局明日の夜、F1やりながらまたやらなきゃ。。。
紙を選ばなくてはならないので、まず池袋のハンズへ行き、クライアントの所へ行き、その後銀座の伊藤屋というでかい文具屋へ。そこから事務所へ戻ってコピーできるかチェックした後、再びクライアントの所へ。
大会社なので、一応失礼のないように、とジャケットを持っていった(下はTシャツとジーンズなんですけど)んだけど、クールビズだって、全然冷房が効いてない。社員もポロとか着てやんの。くそー。
2005年9月10日(土) 筑波へ行って地獄の夜
地獄のように忙しく、全く寝られてないのだが、今日は筑波で、知人の復帰デビュー戦。その知人の娘(うちの娘と同い年)も来るようなので、こっちも、カミさん・子供を乗せて出かける。
今回は撮影用に、脚立と一脚を持っていくつもりだったのだが、結局買ってない(買う暇はあったはずだけどね)。首都高に乗る直前のドンキで、三脚だけ買って筑波へ向かう。
前回行ったときは、完全な練習走行日だったので、走っているバイクもバラバラだったが、今回は、地方選とはいえ一応大会なので、カテゴリごとにいろいろちゃんとバイクが揃っていて楽しい。
メインはやっぱりST600クラスやGP250/125クラスとかなんだろうが、個人的には、TC400/250という、昔のF3みたいなクラス(CBRやFZR/ZXR400や、TZR&NSR&ガンマ)が興味深かった。で、走ってるのを見てたら、すごい図太い音をさせたシングルが走ってる。特別待遇?なのかTZ(だかTZR)にYZ426Fのエンジンを搭載したマシン。それが2台もいる。RZRとかR1Zまで走ってるのが楽しい。
それから、最近その手の雑誌は全く見てないのだが、ネットで名前だけは聞いてたGP-MONO。GP125クラスのシャシーにモトクロッサー用の4スト250エンジンを搭載した奴だ。YZF、CRF、RMZの各エンジンが走っており、これも楽しい。
もう一つ、S80クラス(RS125とかにモトクロッサー用の2スト80エンジン搭載)に、4ストエンジン搭載車がいた。CBR150RR(タイの)エンジンのようだったが、チューニングパーツとかあるんだろうか。排気量的にはCBR600の1気筒分ではあるわけだが。タイではこれでレースとかもやってるみたいだから、そっちから持ってこられるんだろうか?にしても、モトクロッサー用の2スト80ccエンジンは30馬力弱出てるはずなので、150ccとはいえ、4ストシングルだと相当ハイチューンにしないときついはずだ(モトクロッサーの80クラス用4ストマシンも、その辺の排気量に落ち着くらしいが)。ディティールを知りたいものだ。

RS125シャシーにCRF250エンジン搭載。ハルクプロのマシン。 1コーナー内側からだと流し撮りが難しいがこんな感じで撮れる。 |
写真は、行きがけにあわてて買って行った脚立のおかげで、ちょっとは改善されたが、壁越しに、カメラを振っていくと、腕がフェンスにぶつかってブレる。やっぱり一脚が必要だし、脚立ももうちょっと高い奴に座れるようにしないとだめかなぁ。持ち運びの点で、今回買った短い奴は楽でいいんだが。椅子にもなるし。
今回の目的である、知人のレースであるが、今回は復帰第1戦ということで、ST600(600ccクラス市販車のほとんどノーマル状態)クラスの下の、初心者向けクラスである。1分3秒台が出たり、優勝したりするとST600クラスに昇格しなくてはならないという。
前もって行われた予選で7番手。そんなにきっちり攻めたわけではないという状態で、前3台くらいとはほとんどタイムが変わらない。ただ、トップ3台は全然タイムが違い、この3台は、そのままでST600クラスの予選を通ってしまう速さだ。なんなのよこれ。
予選は1ヘア外側、スタンドの脇の穴の部分で、動画を主に撮影。予選が終わった後、他のクラスをいろんなところで撮ってみる。1コーナー内側は、うちの脚立だと上に立つ感じになってちょっと怖いのだが、短い方のズーム(35mm換算でロング側が105mm)でも十分に撮れる。流し撮りの練習には良さそうだ。
面白かったのはリッタークラス。なんと、エントリーが4台。そのうち1台は予選中にトラブルに見舞われ決勝が走れず。そしてもう1台も、スタート直前にトラブルでピットスタートに。グリッドには2台しか並ばないというすごいレースだった。走っていたのは前のドカ916系とZXR750?、そして最新のCBR1000RR。マシンだけ見ると明らかにCBR有利なのだが、ライダー的にはドカの人が相当速く、ピットスタートから怒濤の追い上げであった。このクラスだと、筑波は結構辛いんだろうな。
決勝では、1ヘア外のスタンド最上段で、三脚上に立って撮影することに。1周目は、集団に巻き込まれたのか、9位くらいで入ってきた。何周かそのまま行ったあと、順位を数えていたが、戻ってこない。アレ?と思ったら、14,5番手に落ちていた。後で聞いたところ、1コーナーで前走車に追突しそうになり、コースアウトしてしまったとのこと。そこから、結構な追い上げを見せたが、最後、ZX6Rがなかなか抜けない。タイム的にはそっちよりも速いはずなのだが、ライン取りとかがあるのか、どうもストレートエンドの伸びが違うようだ。ファイナルもあるんだろうか。そのままフィニッシュ。まぁまぁ、見る側としては面白いレースであった。
決勝レースが終わってあわてて帰る。高速は全部ガラガラで、一般道込みでも1時間ちょっとで帰り着いた。しかし、それからが問題。
まずはF1公式予選の仕事。午前中(現地)の公式練習を終えた時点で、あわてて首都高に飛び乗って銀座へ。こんな、全く寝てない状態だというのに、首都高は結構な混雑。へろへろな状態ですり抜けまくって伊東屋へ。ところが、昨日チェックしておいた紙、A3サイズではまとまった数がないという。全紙から切り出すことになるが、上がりは水曜日朝になるという。クライアントに連絡し、火曜日夜までに必要な分、最低限の50枚なら何とかなるというので、それだけ入手し、残りの200枚は水曜日に切り出して貰うことに。
そのまま事務所へ行って予選の作業をする。なんとか終えて、1時頃、とりあえずの50枚を持って、新宿西口のキンコーズにデータを持ち込む。なんとか時間的には、明朝までにカットと折りまでやってくれると言うが、50枚で2万かかるという。完全に赤字だが、もう仕方がない。
へろへろになりながら、腹も減っているが、どこか店に入る気力もなく、2時頃家に帰り着くと、飲んだくれたカミさんは、帰ってきてバタバタしているオイラの立てる音にも気付かないほど熟睡している。冷蔵庫を開けたら、ビールも一本もない。泣きながらコンビニへ行って夜食とビールを入手。でも350缶2本でダウン。
2005年9月11日(日) 朝から仕事をして、地元の御輿
朝5時半にキンコーズから完成の電話。あわてて飛び起き、新宿西口(小田急サザンタワー)までバイクでかっとんで行く。山手通はガラガラで、これだと工事中のくねくね曲がっているのも楽しい。そして、昔はよく通っていた、新宿駅前のロータリーを抜ける。懐かしい。
完成品を受け取り、そのまま千駄ヶ谷の事務所へ。誰もいない事務所にブツを置いて、今度はガラガラだけどなんだか信号のつながりの悪い外苑東通で帰宅。トータル45分。ちょっと涼しくなった朝方、これだけバイクでかっとべると面白い。都心のあのくらいの道をすっ飛んで回るのに、650シングルはちょうどいいんだよね。
一眠りして、次は祭りだ。朝10時にいつもの店で集合して、担ぐ前にちょっと引っかける、という話だったのだが起きられず、10半過ぎに直接社務所へ。
この、地元町会で御輿を担ぐのは、もう今年で何年目になるだろうか。慣れてきたせいなのか、ここのところハードな御輿を担いでるからなのか、最初はものすごく重く感じて、辛かった地元の御輿は、それほど重く感じず、みんなが下がってきたところで、オイラが入って持ち上げる、というくらいの余裕は出るようになってきた。しかし、今回はコースが辛いなぁ。こういうのは難しいんだろうけど。
夜はF1ベルギーGP決勝。勝てるか?位の勢いだったのに、タイヤ変更のタイミングをミスって後退。惜しい。でも、こういうレースをいつも出来るくらいになれば、そのうちに好成績は付いてくるはずなんだよね。
結局寝たのは4時過ぎ。まただよ。
2005年9月12日(月) 仕事ばっかの一日
オイラにとって忙しい、週末のピークは、月曜日までのことなのであった。F3×2とIRLまであって、へろへろになりながらもまだ終わらない。結局全ての作業が終わったのは夕方だった。
IRLシカゴランドではライアンが大クラッシュらしい。心配したが、無事らしいということでとりあえずほっとする。仕事が終わった後、動画がアップされているという情報を見つけて
IRLのページへ。(上メニュー中央の「multimedia」から「Video Highlights」の「Peak Antifreeze Indy 300」をどうぞ)。ものすごいクラッシュだな。本当に無事で良かった。
この週末はそんなこんなで、まともにネットも見ていなかったので、久しぶりにちょろちょろ見て回っていたら、のまネコのニュース。CCCDを採用したエイベックスがこういうことをしちゃう、というあたりがマヌケですな。
夜、やっと落ち着いた、という感じで、筑波の写真なんぞをじっくり見直してみる。全然だめだなぁ。もっともっといっぱい撮りに行かないと。
TVで、実車版頭文字DのCMをやっているが、アジア5カ国では、スターウォーズよりも売り上げよかったってマジか? 思わず吹き出してしまった。
2005年9月13日(火) お休みの日
やっと、昼までゆっくり寝る。
明日は忙しくなりそうなのだが、紙が来ないと何も出来ないので、今日はお休みだ。
昼間、バイク屋に行ったら、冷凍庫の中に、飲みかけの日本酒を発見。ちょっとフローズン日本酒を楽しんでしまったら、ただでさえ暑い日だったというのに、ますます暑くなってしまった(アホ)。
2005年9月14日(水) 伊豆へ
朝から忙しい一日。
子供をカミさんが保育園に送っている間に、バイクで銀座へ向けて出発。開店したばっかりの文具店で、頼んでおいた紙を受け取り、そのまま新宿のキンコーズで印刷の手はずを頼んでおく。家へ戻って、カミさんと共にお出かけの準備。
荷物を積んで、早退の子供を乗せて、再び新宿のキンコーズへ。ここで刷り上がったものを受け取り、その場である程度折って数をまとめる。折る作業もキンコーズで頼めるのだが、時間が無く、忙しい時間帯だということで、急ぎの折り作業は断られてしまったのだった。
ある程度折れたところで再び出発。池尻から首都高3号線に乗り、そのまま東名で沼津まで。そんなに混んでもおらず、ここまでは順調。
しかし、やはり沼津を降りてから伊豆中央道に入るまでが結構渋滞している。伊豆中央道から修善寺道を抜け、修善寺の温泉街へ。そういえば、4輪で来るのは初めてだろうか。やっぱりかなり狭い。
独狐の湯が無くなったというのは聞いていたが、やはり、完全にお湯も出していないようだ。独狐の湯のあった部分、川の中の、あのあずまや風の部分は残っているのが寂しい。
なんとか社長とは連絡を取り、折り終わっている部分だけを渡す。これでも、今日・明日くらいは持つはずだ。どこかその辺の喫茶店ででも、続きの作業をしてしまおうと思ったが、そんなもの全然見あたらず、どうせどこかで泊まるつもりなのだから、戸田まで行って、宿で折って残りは明朝届けようということになった。
修善寺から戸田なんてすぐだと思っていたのだが、走ってみたら結構距離がある。しかも、かなり霧が辛くなり、思ったよりも時間がかかってしまった。
宿は、戸田と言えば、国民宿舎の戸田荘に何度もお世話になっているのだが、戸田の港に入るところに観光案内所があり、そこで聞いてみる。戸田荘だともう食事は間に合わない(5時ちょっと前)らしく、間に合う宿が一軒だけあるという。戸田荘にとまれば、別にこの戸田港の周辺で、宿屋を兼業している居酒屋みたいなのがいっぱいあるし、そっちで食べるよ、と言うと、そういうお店は、6時くらいには閉めてしまう、という。おいおい。そんなに早かったっけ。結局諦めて、その食事が間に合うという旅館に泊まることにする。
紹介された旅館は、戸田の市街地からちょっと山の方へ入ったところにある、新しめの建物。綺麗だが、個人的にはちょっと落ち着かない感じも。えぇ。貧乏性なんですよ。
食事は部屋食ではないが、そこそこうまい。風呂は、露天がちょっとで、ほとんど外も空も見えない感じなのが寂しいが、男女別の他にちゃんと貸し切りの風呂があって、そこに露天もあるのは結構いい。
他の泊まり客もそれほど多くなく、結構自由に出来た。夜中起きてしまったので、ここぞとばかりに、露天風呂にビールを持ち込んで飲む。星空も楽しめたりして、なかなかの一夜であった。
2005年9月15日(木) 伊豆でイルカタッチ。帰りは濃霧
夕べ露天風呂で楽しんでしまったりしてちょっと寝不足。朝食を食べてすぐ出発。修善寺で仕事のものを渡し、ループ橋を経て下田へ。今日の目的は、久しぶり(そして娘は初めての)下田の海中水族館だ。
この水族館、入江を閉鎖した部分で飼われているイルカにさわれる、というアトラクションがあり、カミさんと、結婚を決めてすぐの頃来て以来。展示自体は、いわゆる水族館と比べると貧弱なのだが、その分アトラクションが充実している。平日でそれなりに空いていたのと、やはりちゃんと各アトラクション(ショー)のスケジュールが考えられており、楽しめた。
そしてメインのイルカタッチ。ちょっと寒かったが、娘もカミさんも喜んだようで何より。

オキゴンドウのジャンボのジャンプ。 前回カミさんと2人で来たときにも触らせてくれた。 今日もドルフィンタッチはこの子だった。 次は一緒に泳ぎたいねぇ。 |
昼食は、下田水族館のは余りよい思い出がないので、どこか通り道で、と、手打ちそばの看板を見つけて入る。3人前頼んだら、そばが2人前しかないという。オイラは天丼とのセットだし、それでいい、と言って待っていたら、他の客が入ってきた。そばないじゃん、と思っていたら、すぐにオヤジさんが帰ってきて(それまではオバサンだけだった)、これから打つので3人前出来る、という。んじゃよろしく、と頼んだが、一から打つんだからそりゃ時間がかかる。ずっと打ち上がるのを見ているのは楽しいが、30分も待ってしまった。
これで予定よりもかなり遅くなってしまい、暗い中を帰らざるを得ない。海沿いの道はそれなりに混んでおり、メインルートよりちょっと手前から山の中へ。伊豆スカイラインをスタートからかっとぶ。暗くなるにしたがってだんだん天気が悪くなり、雨だけではなく、霧がひどくなってきた。黒岳を越える頃にはほとんど何も見えない状態。しかし、ここから熱海に戻っても仕方なかろう、と、運を天に任せて(山の向こう側は霧がないことを願って)そのままターンパイクへと突き進む。そう世の中上手くは行かず、ものすごい霧の中で小田原へと下っていくことになった。
しかし、小田原からはそれほど渋滞もなく、8時過ぎに無事帰着。
へろへろだが、結構仕事があるので仕方なく仕事をして、いくらも飲まずに撃沈。
2005年9月16日(金) 仕事。KLR売却
まだ疲れは残りまくっているが、仕事はせにゃならん。ま、仕事での届け物ついでとはいえ、旅行して楽しんでしまったんだから仕方ないと言えば仕方ないが。なんか1日中リリースとかの仕事で終わってしまった感じ。
やっと終えて、酒でも飲みに出ようとしたら、異様に早いプレビューリリース(ブラジルGP)。もう勘弁して。
夜、先日ヤフオクで売りに出したKLRを取りに来た。XTZ660とファラオ600、ウーノ・ロータックスまで持っているという筋金入りのビッグシングルファンのようだ。最近はもてぎでダートラもやっているらしい。XTZはカムとかピストンとかを替えて(多分SZR用かなんかだろう)、1万回転まで回って強烈に速いらしい。ちょっとうらやましいねぇ。オイラもR用のピストンとカム、FCRあたりやってみたい気はするのだが。今のままでもいいかなぁ、と難しいところだ。
いつか使うつもりで取っておいたKLX用の倒立フォークや、処分できずに残っていたKLR用のノーマル前足まわりもごっそり譲ったので、ちょっと片付いた感じ。
夜は、久しぶりにというか、移転してから一度も行っていないなじみの店に初めて行ってみる。こじんまりとしていい感じ。しかし、雑居ビルの5Fなのだが、外の(壁の)看板が昔の店のままで、ぱっと見わかりにくい。その話をしたら、アレを替えるためには、、クレーンとかを出す必要があり、30万はかかるという。そりゃボリ過ぎだろう。まぁ、元気そうで、いい店でなにより。
2005年9月17日(土) 東池袋と大塚の祭へ
KLRを譲るにあたって、譲渡証と委任状を渡さなくちゃならなかったのだが、すっかり忘れていた。仕方なくネットで探すと、PDFの譲渡証と委任状を発見。そういう時代なんですなぁ。記入して、マニュアルのコピー(こちらもまだ必要なので)とともに送る。
夕べちょっと飲み過ぎて、寝不足と疲れも溜まってへろへろ。でもなんとか昼前には起きて仕事。子供とカミさんは一足先に知り合いの関係で、東池袋の祭へ。そっちを回った後、今度は大塚の祭へハシゴ。子供が山車を惹いているところへオイラが合流し、その後打ち合わせのカミさんと交代。大塚の祭は久しぶり(子供の頃に参加して以来)だ。想像していたよりも、子供が多いことに驚く。今回、実家のおばさんが、姪っ子と共に参加の要請をしておいてくれたおかげで(寄付金も出してるわけだが)、今回参加できることになったわけだが、参加者の証明である色つき手ぬぐいを持っていないと参加できないのだ。それが普通だと言われるかも知れないが、うちの方では子供が基本的に少なく、誰でも参加していいよ、というシステムになっている。東池袋も、子供が全然足りず(といっても六又近くなのであの辺は当たり前だが)、基本的に誰でも参加可能だ。どっちがいいとかって話ではないし、寄付金集めが最近は難しい(特にマンションなどが増えた地域は)というのもわかるのだが、やっぱり自由に参加させてもらえる方がいい気はするね。
実家の周辺から、小学校の方まで、ふらふら歩きながら、御輿を眺める。少しは知り合いがいるかと思ったが、全然見つからずに残念。それにしても、土曜日だからというのはあるにしても、かなり寂しい御輿が目立つ。良くアレで上がるなぁ、くらいの。また、恐らく何かあったんだろうが、かなり近い町会の中で、分裂したのか、別の睦で御輿を出しているのも見かけた。それでも今もやっている、という方が大変なのかも知れないが。
祭りといえば屋台が楽しみなわけなのだが、あまり出ていない。土曜日だから屋台が出ていないのかと思ったが、そうではないようだ。寂しいねぇ。
夜は実家で1歳の姪っ子と。最初は顔を見るだけでも泣いていたが、だんだん慣れてきたようだ。とはいえまだ抱っこはさせてもらえず。
2005年9月18日(日) 祭りのハシゴ
カミさんは夕べ打ち合わせのあと飲み過ぎたようで死んでいるので、昼前から、今日はオイラが東池袋の祭りへ子供を連れて行く。手伝いに来ている御輿の知り合い連中と一緒に、子供の山車及び御輿の付き添い。付き添いにももちろん振る舞いが出るので、今日も昼酒である。電気ブランサワーなんて怪しいのも飲んだりする。

池袋の裏通り、風俗案内所の前を、子供御輿(それも、 子供が圧倒的に少なく、大人ばっかりの奴)が通る。 ちょっと異様な風景。 |
それが終わってすぐにまた大塚へ。また子供の山車を惹かせたのだが、今日は、途中で切って移動だ。次は神楽坂へ。今回は赤城神社の祭りである。赤城神社の御輿は、2年に1回の開催らしいのだが、一昨年はアルペンラリーの関係で出られなかったので、オイラにとっては初めてなのだった。
ちょっと遅刻して行ってみれば、みんなは受け入れてくれた人のガレージで、準備万端で宴会中。あわてて着替える。今回お世話になる人は、相当なバイク好きのようで、大量のバイクと、装備などの関係用品、そして、真ん中にあるクルマはサニトラだ! モトショップ神楽坂の関係者?なのか、全てのバイクにステッカーが貼ってある。初期型のTDM850とか、アルミのCR125なんかもある(R6みたいな今風のもある)のがちょっと好みが合うかも(もちろん、入口にはハイエースもある)。今回は用事があったようで、ちゃんと会って挨拶できなかったのが残念。
御輿自体は、1スティントが長いのに驚いた。普通、この手の御輿というのは、ちょっと担いじゃ休憩、というのを繰り返しながら進んでいくのだが、なかなか休憩に入らない。結構へろへろになりながら、それでも楽しんだ祭りとなった。

夜の御輿はライトアップが綺麗。 カミさんがわざと狙って撮ったらしい一枚 |
打ち上げは、勝手知ったる神楽坂、ということで、大学時代から行っている居酒屋へ。池袋に戻っての二次会は1時過ぎまでどんちゃん騒ぎ。ちゃんと娘が寝たりぐずったりせずに付いてきたのに驚く。大きくなってるんだのぉ。
2005年9月19日(月) まったりバイク屋
今日は暑い。さすがに機能の疲れでへろへろ。
バイク屋で、久々に会った知人と話す。Dトラオーナーなのだが、最近21/18インチのオフ車仕様にして、凸凹ランドというコースで走っているらしい。1日3000円というのはやっぱり安い。今度一緒に、と言いかけたのだが、今は走れるバイクがないのであった。その辺を目標にKDXを直さなくちゃね。
2005年9月20日(火) メガネを物色
子供を送った後昼まで寝て、カミさんと昼飯がてら池袋へ。久しぶりにメガネを新調しようかと、ビックカメラのメガネ売り場へ行く。昔から狙っているのは、ジョンレノンコレクションのまん丸な奴。今かけているのは、オークリーのOOというオーバルタイプで、気に入ってはいるのだが、あまりウケが良くないのであった。ま、まん丸タイプもウケがいいかどうかはわかんないけど。あの手のかけると、どうしてもオイラ、謎の中国人になっちゃうのよね。
ビックカメラのメガネ売り場には、ずいぶん前から気になるのが置かれている。その一つは、オイラのメガネフレームになっている(カミさんがグラサンとしてかけていたが、レンズが傷だらけになったのでオイラが度付きレンズを入れた。今は綺麗な奴をもう一本持っている)OOのシリーズ。すでに廃盤なのだが、売れ残った奴が結構安く売られているのだ。
そしてもう一つは、リーボ(revo)というメーカーのサングラス。これもいろんなデザインはあるが、一番無難なオーバルタイプが、結構売れ残ったまま今も置かれているのだ。リーボと言えば、オイラがルマンに行っていた頃の右京さんとか、CARTを走っていたプルーエットあたりがかけていて、めちゃめちゃかっちょよかったのだが、当時でもかなり高価なレンズなのだった。それが、売れ残ったせいなのか、かなり安くなっている。うーん、欲しい。
でもまぁ、カミさんの手前衝動買いするわけにも行かず、メガネの方も、いろいろととっかえひっかえしてみたが、結局買うまでには至らず。
戻ってきて一応仕事。NASCAR、勝てないとやっぱりイマイチね。
2005年9月21日(水) クラウザーのパニア装着
祭りなど、ここ数日のハードスケジュールでちょっと疲れ気味。カミさんが気を遣ってくれたが、朝から起きて仕事をした後、バイク屋で昼食。そのまま、モトコへ行って、懸念だったクラウザーのパニア用ステーを購入した。ついでに、パニアケース用の必要な細かいパーツ(壊れていた)を購入。鍵も欲しかったのだが、シリンダごとだと結構な額になる(今回入手した中古本体よりも高くなる)ので断念。鍵単体だとずいぶん安いのだが、シリンダを見ただけでは鍵の番号はわからないという。でも、シリンダを持ち込めば、店にある在庫の鍵で調べてくれるという。ありがたいことだ。
とりあえず一旦家に戻って、仮取り付けをし、バイク屋に戻って取り付け作業。一本、完全にキャリアに穴を開けないと付かないステーがある(左右で2本)のだ。その加工も行うが、それでもまだ合わない。微妙な調整を繰り返しながら取り付ける。これで強度的には大丈夫なもんなのかしら。とはいえ、やっとフルパニア状態となり、ちょっと満足。ツーリングにも行きたくなるってもんです。
先日KLRを売った人からメール。バルブがひん曲がっていたそうだ。やっぱりカムチェーンがチャンプして、バルブタイミングが狂い、今回は運悪く(というか、これまでが運が良かっただけだけど)ピストンヘッドとバルブがごっちんこしちゃったわけね。ま、それだけで直るならいいことだと思うんだけど、でももうあのエンジンはいいや。トラブル多すぎだ。
今日はカミさんの誕生日なので、子供を迎えに行ったあと、ケーキと酒を買いに東武へ。カミさんお気に入りのケーキ屋、というのに行ってみるが、今のケーキって高いのねぇ。シャンパンも買って、夜は出前の寿司。
2005年9月22日(木) ゲームやるかい? オクトーバーフェスト
任天堂の次世代機「Revolution」のニュースだが、オイラ的には、戦略の中にある、「ゲームから離れてしまった人」というのが引っかかった。
確かに、うちは、オイラはそれなりに(仕事や友人故の部分もあるが)ゲームをやってはいたわけだが、結婚してめっきりやらなくなった。子供が出来る前は、カミさん含め、多少PCゲームなどもやっていたのだが、子供が出来て、それもやらなくなった。もうちょっと大きくなれば、子供が絶対にゲームを始めるだろうから、そしたらまた多少はやり始めることになるだろうが、
ま、もともとオイラはあまりコンシューマ派ではない(PCゲーム派)んだけど。
任天堂の姿勢は否定するものじゃないけど、単に初代ファミコン世代への、懐古的な引っ張り込み(今のゲームボーイミクロのように)だけでは、一時的には引き戻す力があるかも知れないが、その後広がるとはあまり思えない。
ゲームシステム的には単純で、ちょっとやってすぐにやめられるようなものでありながら、でも画面や演出はものすごい派手、リアル、というような方向性でいいんじゃないかと思うんだが。もちろん、そうでないゲームでも面白ければいいわけだが。新しいゲーム機である必要性があまり感じられないようでは、次世代機で引っ張るのは辛い気がする。
夕方、日比谷でオクトーバーフェストというビールのイベントがあるとカミさんがネットで発見し、行くことに。
行ってみたらものすごい人!座る席がないことよりも(みんなその辺で座ってたり、立ったまま飲んでる)、ビールやつまみを買うために長蛇の列が出来ており、腹は減ったし喉も渇いているのに、こんなに待っていられない、と、子供とアトラクションの小型SLに乗った後、早々に退散。銀座のライオンかミュンヘンあたりでビールを飲もう、ということに。
ちなみに、この小型SL、ちゃんと石炭を炊いて走る奴で、なかなか可愛い。カミさんがビールとつまみを仕入れている間(まだこのときは日比谷公園で飲むつもりだった)、子供だけ乗せて写真を撮ろうと思ったのだが、受付で年齢を聞かれ、正直に子供が答えてしまったら、5歳までは親が一緒じゃないとダメらしい。仕方なく、一緒に乗ることに。程なく、並ぶのを諦めたカミさんが戻ってきて、2人揃っているところをぱちり。
芝を守るために当然だろうが、芝の上に線路に沿って敷き詰めたベニアがあり、その上に線路が敷かれているのだが、やはりそれだけでは安定しないのか、乗っていると結構左右にも揺れる。シートのクッションが薄く、線路幅は狭く、重心は高くなるので、安定という点では結構怖い。線路の継ぎ目の振動もそれに拍車をかける。まっすぐ乗っていれば問題はないだろうが、シートの上で、それこそハングオンみたいにちょっと左右にバランスを崩したら、あっという間に横転して脱輪するだろう。このときは、我々以外にも大人が4,5人グループで乗っていたが、あれだけ乗せて軽々と走るのは大したものだ。
芝の広場に楕円形に敷かれた線路を一周して200円。高いか、安いか。ま、楽しかったし、子供も喜んでいるようなので良しとしよう。

写真がわかりにくいが、ちゃんと石炭を炊いて走る。 スペア?汽車も用意されていた。明るいうちに見たかったな |
SL乗車の後、店を探しながら銀座へ向けて歩いている途中、JRの高架を越えたところで、ドイツ料理屋の看板を発見。どうせだから、とそちらへ入る。「ローレライ」という店。ちょっと年季の入った店構えだが、悪くなさそう。
まずはレーベンブロイの生で乾杯。といっても、これ、アサヒで入れてたよな、確か。しかし、他にも、見たこともないようなビールがいっぱい置いてあって楽しい。そのものオクトーバーフェストというビールもある。そして、ホール係の女の子が明るくて良い。なんか、家族とか親戚でやっているような感じの店だ。マニュアル的な丁寧さはなく、そういうのに慣れていると、ちょっと不躾かも、位の感じだが、フレンドリーで個人的には好み。ただ、やっぱり場所柄なのか、ちょっと全体に高いんだよね(いや、飲み過ぎだという意見も)。
飲んでいたら、いきなり歌の時間になってびっくり。歌本が回ってきて、店員の伴奏で、みんなで歌う(ほとんど歌ってるのは店員だけど)。楽しいのは楽しいが、これはちょっと微妙かも。
まだ少し腹が足りないということで、飯が食えそうな店を探す。ガード下の飲み屋がめちゃめちゃ美味そうなのだが、結構混んでいるし、子供連れなので断念。回転寿司でも、というと、子供が大喜び。考えてみたら、うちの娘、普通の寿司屋には何度も連れて行っているが、回転寿司には行ってないのだ(オイラがあんまり好きじゃないので)。で、有楽町駅前の回転寿司に入ろうとしたが、結構混んでいて待つらしい。仕方なく、池袋まで移動。ところが、駅前にあるだろう、と楽勝に考えていたのに、意外にない。というか、普段意識して見ないので、どこにあるかもわからない。なんとか見つけた一軒は、日本酒がないという体たらく。それでも、子供は喜んでいたようだし、良しとするか。
そういえば、今回行き帰りの地下鉄の中でちょっとメールチェックなんかもしようとU50を持ち歩いていたのだが、意外に入らない。まえにT41を持ち歩いて作業をしていたときは、もっと入ったような記憶があるのだが。やっぱり感度がイマイチなんだろうか。OQOの超小型PCのサイトでは、たしか内蔵無線LANカードからコードを引っ張り出して、感度を上げるという改造を見かけたことがある。ああいうこと、出来るかな。
2005年9月23日(金) パニアの修理他バイクの準備
朝、社長から昨日の打ち合わせでの、今後の仕事に関する連絡。この先辛くなりそうだなぁ。
ついでに、北海道行きの話をして、バイクで行くことは許可されたので、チケットをネットで抑えた。
バイク屋で北海道行きの準備として、オイル交換。ちょっと悩んだが、ワコーズのタフツーリングという新しい銘柄の、10W-40(柔らかい方)を入れる。オイルフィルターも交換したのに1リッターちょっとしか入らなくて驚く。やっぱり抜き方が甘いのかなぁ。
バイク屋で、北海道へ行くことになったから、と伝えたら、壊れるぞー、止めとけー、というような脅し。まぁ、そういうのを気にしだしたら、バイクでロングツーリングなんて行けないんだけど。出きる限り、自分でなんとかできる程度の工具はちゃんと積んでいくつもりではいるのだが。
その後、中古パニアケースの、ひびが入っている部分の穴埋め。当初ホットメルトでやるつもりだったが、そんなんじゃくっつかないよ、と言われる。確かに、ホットメルトで直そうとした後が見えるが、全然くっついていない。一番確実なのは、グラスファイバーを貼って、レジンで固めることらしいが、それは面倒なので(場所的にも手間も)、ハンダゴテで周辺ごと融かして固める。
パニアケースをバラしていて気付いた。使用限界値として、10kg、130km/hまで、と書かれている。結構潔い。
そんなもんなの?とバイク屋の大将は言っていたが、PL法だかなんだかしらんが、3kgとか5kgとかお為ごかしみたいなことを言っている国産のキャリアに比べれば、十分実用的な数字だと思う。3kgだと、ヘタすると箱積んだらそれだけでオーバーしちゃうもんね。10kgって、ほんとに箱に積んだら、止めた後、その箱を外して持ち歩くのが大変な重さだし、両側に付けることを考えたら十分だろう。両方で20kgも積んだら、マジで運動性に大きく影響するだろう。
夜はたけしの誰でもピカソで天才子供特集。ま、別にいいんだけど。うちのはそんな英才教育するつもりはないし、している人をどうこういうつもりもない。ただ、書の天才、と言われた子供を見ていて気になったことが一つ。子供にのびのびやらせることは否定しないし、書かれたものもなかなか面白いとは思うんだけど。ああいうものが、立派な書画として通用するよ、と専門家が言ってしまう、そういうレベルに書画自体がが行ってしまっているということは問題じゃないんだろうか、とちょっと思う。デザイン的なおもしろさ自体は否定しないが。ある意味、「上手な」字を書くために訓練させられ、下手な字にたいしてコンプレックスを持つようになるような教育の産物のような気がする。
天才書画少年と言われた彼は、今後文字をちゃんと訓練していくことで、そういう苦しみに相対するはずだ。普段の手紙とか、ノートとか、みんなあんな字で書かれたら不便でしょうがないしね。
夜はブラジルGP公式練習。何度やってもブラジルGPは辛い。公式練習2回目が終わるのが午前3時である。リリースだのなんだのという作業をやっていたらすぐ明るくなってしまう。必死に作業をしていられる間はまだいいのだが、いろいろと、他人の作業を待たなくちゃならないときが辛い。
琢磨のシートが無くなったことで、ホンダに問い合わせが殺到し、ホンダとしてのリリースが出た。知人にホンダの問い合わせ窓口で働いているのがいるんだけど、ホント、こういうのは困るらしい。ホンダの問い合わせ窓口に言ったってしょうがないってことがわからないのかねぇ。
2005年9月24日(土) 今年のふくろ祭土曜日は雨だった
本当に朝方まで仕事をして、そのまま寝ずに、起きてきてしまった子供の相手をし、ぶらり途中下車の旅を見てしまう。そのあと、食彩の王国も見たかったのだがさすがに辛いので、録画してやっとお休みなさい。
昼間ぐーぐー寝て、夕方雨がちょっとやみかけたので、買い物ついでに子供を連れて池袋の西口公園でやっている縁日&ライブへ。着いたときはそこそこ降っている中でラテンのライブをやっていたが、すぐ終わってしまった。子供の縁日に付き合っているうちに、また雨が強くなってきてしまったので、その後のジャズライブも見たかったが撤収。
そして夜はまたブラジルGPの予選。なんか調子があんまり良くない。午前中の公式練習と午後の予選では、気温が大きく変わってしまったので、そのせいだろうか。どうも、気温とかの大きな変化に弱い感じがする。
琢磨に関しては、各所のBBSなんかで相変わらず激しい言い合いが繰り広げられているようだ。ジョーダンが食指を動かしているなんてニュースがあったが、トヨタ側としては、あれだけホンダ色の強いドライバーは使いたくないだろうな。
2005年9月25日(日) ふくろ祭で御輿
昼から池袋のふくろ祭りに参加する約束になっており、10時半に集合、だったのだが、さすがに5時過ぎまで仕事をした後だと寝不足気味で、このまま祭りに参加してしまうと、今晩もGT、F1、IRL、NASCARと仕事が連続しており、朝まで寝られないことは明白なので、少し遅刻させて貰うことにして、昼過ぎまで寝る。
ゆっくり目に社務所近くに着いたときには、もうそろそろ昼の回は終わり、という時間で、休憩から参加。ちょっと気持ちよくなったところで、夕方からの、御輿のパレードに参加するのだ。
我々が手伝いに行く御輿は、大抵が担ぎ手が足りないので助っ人として呼ばれることが多いのだが、さすがにふくろ祭り参加ということで、地元だけでなく、複数の同好会や睦にも声をかけているようで、人数は余りまくり。かなり無理矢理入らないと担ぐことが出来ない。それでもスタート直後はまだ良かったのだが、だんだん興が乗ってきて、どんどん担ぎ手が入ってくるので、我々のような助っ人はどんどんはじき出されてしまう。仕方ないと言えば仕方ないのだが。
で、当然のことながら打ち上げ宴会。近場のメジャーな居酒屋チェーンに入ったら、牡蠣フェアとかいって、NZ産の牡蠣をメチャ押ししている。ダース単位で殻付きを注文できるなんて。
NZで牡蠣と言えば、以前(98か99くらいか)WRCの仕事で行ったとき、泊まったホテルの向かいのホテルのレストランがオイスターバーで、食い放題で壁際に山のように積まれていたのを思い出す。めちゃめちゃ食べたかったのだが、仕事前でもあるし、もし当たっちゃったら洒落にならないということで、仕事が終わるまでお預けにしていたのだ。んで、やっと終わった、という最終日にそのオイスターバーに行ったら、もう壁際の牡蠣はあまり残っていなかったという、悲しい思い出があったのだった。
牡蠣も食べ、まだまだ飲む気らしい若い連中を置いてオイラ達は撤収。ブラジルGPの決勝だ。火曜日には北海道へ向けて出発だというのに、大丈夫だろうか。
2005年9月26日(月) ちょっとPCとかの準備
F1はメタメタの成績だったが、GTではトラ組スープラが勝ち、IRLでも久々にディクソンが勝ち。NASCARでもボダインが勝つと、なかなか景気のいい週末となった。しかし、仕事は忙しい。
へろへろで眠いし、なんかバタバタしているうちに時間が経ってしまい、明日からの北海道行きの準備なんてまるで出来ない状態となってしまった。
夜、仕事をしながら、とりあえずデータ全てのバックアップ及び、持っていくT41とVAIO U50のデータ統一作業と、ついでなので、高速やフェリー内で見たり聞いたりするための、音楽データや動画データをコピーする。U50は携帯オーディオプレーヤとして使うことも考えられているらしく、結構凝ったリモコン付きヘッドフォンが付属するのだ。オイラは普段使わないのだが、例えば、ベッドで1人で動画を見ようとしたときに、やっぱりいるだろうし、ということで、買ってから初めて袋を破って引っ張り出す。
まずはどのソフトを使えば音楽が聴けるのかがわからない。デスクトップでTV番組の録画用にデスクトップ(VAIO)でも思ったのだが、VAIOの標準装備ソフトは、その用途が、ソフト名ではわかりにくいものが多く、マニュアル無しでは何も出来ない。
とりあえずリモコンをつなぎ、これかな?とSONYオリジナルのソフト(SonicStage)を起動してみる。ボリュームは変えられるのだが、再生や早送りなどの機能は使えない。よくわからないが、とりあえず聞くだけは出来るし、とそこで終了。残りの準備は明日午前中だな。
2005年9月27日(火) 北海道へ出発。準備&仙台へ行ってフェリー搭乗
9時起床。夕べは2時頃に寝たとはいえ、やっぱり眠い。出発は昼なので、もうちょっと寝ていたいところではあるが、昨日何の準備もしていないので、午前中は準備に費やさなくてはならない。
トリプルパニアフル装備となれば、普通はテントとかのキャンプ装備を積んでも全然余裕なはずなんだが、うちのは、トップケースがちょっと薄い?(GIVIのE36という奴のパチモンらしい)のと、そこがカメラバッグ、PC関連だけでほぼいっぱいになってしまうこともあり、サイドケースに着替え、工具、シュラフ、シュラフカバーまで入れたところでいっぱいになってしまった。テントとマットを入れるスペースがない(マットはもともと入らないけど)。どうしようか悩んだのだが、やはり、向こうでキャンプがしたくなったときに出来ないのは悲しいので、シート上にくくりつけることにした。それでも、かなりスマートなパッキングになったと思う。箱は偉大だ。
とはいえ、これだけ積むと、さすがに重い。
次の問題は服装だ。去年は9月頭だったので、メッシュジャケットにウィンドブレーカーでそんなに問題はなかった(寒かったのは北海道での早朝のみ)。しかし、今年はそうはいくまい。でも、どこまで防寒装備を持っていけばいいのかがわからない。とりあえず長袖Tシャツとフリースを用意。その上はウィンドブレーカーのみにすることにした。これが一番かさばらないウェアリングで、ぎりぎり寒くはないだろうと言う予測だ。下も、せっかく買ったFOXのパンツ(バギータイプ)+オフブーツという手もある(林道走るつもりだし)のだが、やはり荷物が増えるので、いつも通りGパン+スニーカーで決定。
出発時は、これから4時間くらい高速走行する事を考え、半袖Tシャツに長袖のTシャツ、そしてウィンドブレーカーというウェアリングだが、止まっているとそれでも暑い。
11時半頃出発。まずは地図を買おう(去年の奴が見つからなかったのだ)と、首都高入口手前のブックオフと、そこになかったので普通の本屋にも行ったのだが、なぜか、ツーリングマップル、北海道だけが売り切れ。そういうシーズンなんだろうか。
ま、また仙台ででも買うか、多分早く着きすぎるはずだし(とかいって昨年は仙台では見つけられず、結局苫小牧で買った)、とすぐに首都高に乗って北上。最初はやっぱり、スピードに対して体が慣れていないので、100km/hでもちょっと辛い。R100GS用の鉄ハンドルに替えたことで、振動も結構伝わってくる。
羽生のPAで一旦止まり、荷物やその他のチェック。サイドのパニアケースをつけて、ちゃんと荷物を積んでからは初めてのツーリングだが、特に問題はなさそうだ(当たり前だが)。しかし、タイヤが結構すごい。こういうときにじっくり見るのは初めてなのだが、さすがにハイグリップラジアルだけあるとでも言うのか、暖まって、センター部分はちょっとべたべたになっている。ツーリングだとこれはちょっともったいないのかなぁ。
ウェアのバタつきが気になるので調整し、U50を引っ張り出して音楽を聴きながら、を試してみる。このU50に標準で付いてくるヘッドフォンは、完全なインナーイヤータイプで、ヘルメットを被るときにも邪魔にならない。これは結構いいかも。ただ、音楽プレイヤーとして使うときに、画面表示を消すとか、ぎりぎりの省電力設定にする方法がわからない。バックライトを消し、ホールドモード(省電力モード)にしただけで出発。
走っているうちに、テント&マットが結構都合いいことに気付いた。前後に動く余裕は減るし、とは言っても寄りかかれるようなポジションではないのだが、それでも、腰がうまい具合に固定されてコレはコレでいいかも。ただ、どうせもうちょっと走ってればケツが痛くてどうしようもなくなっちゃうんだけど。
ウェアの方は、やっぱり選択を間違えたっぽい。かさばらないから、と、FOXのフード付きを選んでしまったのもあるが、走っていると、内側に折り込んだフード(格納は出来ない)がだんだん出てきてしまう。中に来ているものも少ないのでばたつきも結構大きく、思っていたよりも疲労が厳しい。
とはいえ、仙台まで350km強(家から)、結局、一瞬、ほんのちょっとだけパラパラとシールドに雨粒が付いた程度だけで、後半は晴れ間も除くくらいで、濡れることなく到着した。昨年、仙台の市街地でびしょびしょの合羽を脱いでいたことを考えれば雲泥の差だ。装備も全然違う。
高速を降りてから仙台市街へ向かうバイパス路などは結構混んでいるが、とてもじゃないがすり抜けなんて出来ない。考えてみれば、このフル装備状態で初の市街走行なわけだが。これ、走っているうちに慣れるかなぁ。
去年は停める場所にも悩んだが、今年は時間も、天候的にも余裕がある。仙台市内到着が4時過ぎ。4時間半くらいで到着したことになる。途中で飯を食ったりガスを入れたりしたことを考えればまぁまぁだろう。船は8時の便だから、今後は1時くらいに東京を出ればほぼ問題ないということになりそうだな。
まずは地図を求めて歩く。ロフトがあり、入口には腕時計屋。腕時計もちょっと欲しかったので見てみるが、やっぱりこう言うところのは結構する。後で安売りカメラ店かディスカウントショップ、もしくは100円ショップでも探して、格安のを買うか。地図は、上の階に本屋があるが、またしても北海道だけ売り切れ。マジ?
その後、2,3件本屋を回って、なんとかツーリングマップル北海道を購入。100円ショップもいくつかみかけたが、腕時計は売り切れらしい。仕方なく、駅前のヨドバシで、ブレスレット(つーかなんつーか)みたいなタイプの奴を買う。
仙台でちょっと時間をつぶして、日が落ちかけてきたところで仙台港へ。去年は地図もなくうろうろしてしまったが、今年は地図あるし。なんて、いい加減に近道しようとしたりしたら、やっぱり迷ってしまう。気は焦るが、すり抜けは出来ないし、たまにスペースが空いても、ふらふらして怖い。やっぱり重いんだなぁ。
停めて地図をチェックして、なんて繰り返していたら、ライトが点いてないことに気付いた。また壊れたか!と色々やってみて、一度エンジンを切ってかけ直したら無事点灯した。このKLXは、キーオンではライトが点かず、エンジンがかかった時点で点灯するのだが、その部分のリレーと、HIDの回路の部分で、タイミングなのか、電流なのか、たまに点かないことがあるみたいだ。また、いじってて気付いたのだが、ハイ/ローの切り替えが出来てないみたいだ。とりあえず点くのは点いてるから、帯広で時間を見つけて直そう。直らなかったりして。とりあえず今回のツーリング中はこのままでもいいだろうが。戻ったらまた考えないとなぁ。やっぱりデカイライトにしておいた方が良かったか。ビッグタンク&パニアという組み合わせだと、ライトは確かにデカイ方が似合う。そうすると、完全なモタード仕様じゃなくて、せめて19/17くらいでアナキーでも履いた方がいいんだろうな。次はそれかなぁ。
そうこうしているうちに真っ暗になって、でも正しい道になんとか戻った。フェリー埠頭も見えてきたところで、脇に南海のショップ(バイク用品店)を発見。こりゃいいや、と飛び込み、懸念だったタイヤチューブを探す。これだけ用意する暇なかったのよね。
ところが、21インチや18インチはいっぱいあるが、17インチの太いのは一本もない。17インチコーナーに置いてあるのはカブ用(?)の細い奴だけだ。仕方なく、いざというときはこれでもなんとか走れるだろう、とそれだけ購入して、いよいよフェリー埠頭へ。
フェリー自体は、昨年も乗った路線だし、もう慣れたものだ。乗り場で先に付いていたバイクの一台は、東北道で一度追い抜いたジェイドだった。もうさすがに時期が時期だし、バイクはほとんどいない。一台、キャンプ道具など満載のシェルパがやってきた。あとはNS400R。今回はこの4台のみらしい。
乗ってみたら、A寝台、電源ないじゃん!て、昨年もそうだったんだ。忘れてた(昨年の北海道日記を参照)。ま、B寝台との値段差を考えたら、別にA寝台でいいんだけどさ。
もうU50の方はバッテリが終わっちゃってるし、なんとか充電したいんだが。去年みたいに、またラウンジ近くで電源を乗っ取るしかないのかなぁ、などと思っていたのだが。
A寝台、TVがあるんだから、電源は来てるんだよなぁ、と眺めていたら、そういえば、プラスドライバー付きのアーミーナイフを持っていたなぁ、と思いだした。それ以上は書けない。でも今回はとても快適な旅行となった。太平洋フェリーに乗る際には、A寝台でプラスドライバーを持っていくこと。これは重要だ。
ちょっと仕事をして、昨年も飲んだ、ラウンジ横のクラブでの、ビール&ソーセージ。大ジョッキを頼んだら、まずは馬鹿でっかいジョッキが出てきてびっくり。これなら安い。
しきりにアナウンスで、貴重品はフロントに預けろ、というので、昨年は確かロッカーに入れたけどな、でもタダならその方がありがたいか、と頼んでみると、用意された貴重品袋に入るサイズじゃないとダメだという。大きい方でも、B5が入るかどうか、だ。U50は入るが、T41は入らない。結局、200円払ってロッカーにしまうことに。小銭も全てロッカーに放り込んだら、風呂場のロッカーは、こちらは戻ってくるものの、もう100円いるという。あっちゃー、と思ったが、そういえば、さっき脱いだGパンの中にまだちょっと小銭が残ってたかも、と漁って事なきを得た。ノートPCをロッカーに入れて風呂に入るときは300円必要、と。
ベッドに戻り、PCを充電しながら、U50の再生ソフトを調べる。オンラインマニュアルがHDD内にあったので、それを追ってみればいいだけの話であったのだが。どうも、Do VAIOというソフトを使うらしい。ただ、それを立ち上げただけではダメで、先に一旦、SonicStageで音楽ファイルなどを、アルバム単位などにして登録する必要があるみたいだ。色々やってみるが、Do VAIOで読みとれない。おかしいなぁ、と諦めかけたところで、何が上手く行ったのか、やっと表示されるようになった。これで楽曲やアルバムなども、リモコン上に表示され、リモコンで操作できるようになった。ので、今までいい加減だったアルバム名やアーティスト、曲名も(わかる限り)入力して整理する。ただ、このリモコンでの階層構造を操作するの、ちょっとわかりにくいな。2次元(縦軸方向と横軸方向)のDo VAIOのデータ階層を、一列に並んだ、2つの横方向のボタンで操作しなくてはならない。4方向に動かせるスティックタイプか、上下方向にも操作できるグルグルピッピ(ジョグダイヤル)、もしくは、SOの携帯なんかで使われていた、上下ジョグダイヤル&左右ボタン、みたいな操作形態には出来なかったんだろうか。
夜食で、乗る直前に買ったカップラーメンを食うが、いまいちの食欲。酒も、日本酒を買ってあるが、あまり飲めないまま、そして、船の中で見ようと持ってきていた、プロジェクトXの動画(DVDに焼いた奴)も、途中まで見た時点でダウン。
2005年9月28日(水) 北海道上陸。波乱のツーリング
夕べは結構遅くまで、台風の影響なのか、ギシギシと揺れており、イマイチしっかり寝付けない感じのまま朝を迎えてしまった。ぎりぎりまで寝ていようと思ったのだが、朝っぱらから騒いでいる中国人らしい団体の声で目覚める。
もうプロジェクトXを見る気にもならず、もう一つ持ってきていた、X-GAMESのスーパーモトを改めて見直す。やっぱり面白い。ちょっと40周は長すぎるかな、というのと、ピット作業も入れることは賛否両論あるだろうが。終盤マグラが追い上げられたところを考えても、最後はスタミナだったんだろう。もうちょっとトラビスに活躍して欲しかったところ。しかし、このコースはやっぱりスーパークロスライダーに有利すぎただろう。フープスとか、ダートのコーナリングでマグラとか全然違った。水を得た魚のように他のバイクを抜いてたし。舗装部分でも、ヘンリーがリードをパスするシーンとか、ほとんどモトクロス(というよりスーパークロスのタイトターン)である。ま、個人的にはヘンリーはすごく好きなライダーなので嬉しいのだが。
ヘンリー、ウェアがモトクロス用のジャージに見えたが、多分下に革ツナギ着込んでるんだろうな。マグラは多分BELLの新型メット(最近ヤフオクとかでも見かけるようになった。すげぇかっこいい)だと思うのだが、ゴーグルがどうもスミス臭い。もうSPYはやめちゃったのかな。共同オーナーだったはずなんだけど。SPYからスミスに換えたといえばパストラーナ。パストラーナもどうもマグラと同じメットを被ってるみたいだ。アレのレプリカが出てたらマジで欲しい。
やっぱり食欲はあまりないのだが、腹自体は減っているようだし、食わないと荷物になってしまうのでカップラーメンを食う。こんなの(超大盛り)買うんじゃなかった。しかし、給湯室を見る限り、オイラしか使ってないっぽい(ゴミ箱とか)。
乗り込むときには早く降りられそう、みたいなことを言われていたのに、やっぱり乗用車とトラックが出るまで待たされ、降りたのは11時過ぎだった。早速国道から支笏湖方面へと向かう。一本道で迷うこともないし、平日の午前中ということで、それほど交通量もないのだが、そこら中で工事をやっており、そのたびに対面通行で車が滞る。
去年は、苫小牧から帯広方面へ直接行くルートの途中にあった林道をいくつか走りついだだけだったが、今回は、ツーリングマップルの写真の中にあった、8kmもの直線林道というのに惹かれて、ちょっと遠回りをしてみよう、ということで、支笏湖へと向かったのだ。だから、支笏湖そのものにはなんの興味もなく、支笏湖が見えるポイントに着く前に、右折して林道へと入ってしまった。
確かに、直線ではあるのだが、期待していたほどスッカーン!と抜けている感じではな
い。飛ばせるし、ビッグオフでも走りやすい道ではあるのだが。
この、イマイチ感があとに響くことになる。その後、まっすぐ新千歳のあたりに出られるはずだったのだが、ちょっと南に「緑のトンネル」というのがある、とツーリングマップルに書かれており、林道の分岐点にも、看板が出ていたのでそっちに向かう。

緑のトンネル。綺麗なのは綺麗だけど。 なんでこんな何もない林道の途中に、唐突にこんな看板を置くかね。 |
しかし、これがまた拍子抜け。そこまでの道の方がずっとトンネルっぽいくらいである。問題はそこからだった。もう、地図では林道はいくらも残っていないっぽいので(北海道版ツーリングマップルは縮尺が違うのに)、もうちょっと、もうちょっと、とダートがありそうな方へと分岐を行くうちに迷い込み、すごい道へ入ってしまった。ものすごい凶悪なアップダウンの連続。やっと降りられた、と思ったらその先はまた壁のような登りなのだ。そして、急角度の坂ということで、どのみちもかなり凶悪に浸食されている。平らな上り下り(って変だな)ならどうにかなるが、浸食されて大きく削られている坂を、ましてモタード仕様、荷物満載のミドルオフで上がっていくのはかなり辛い。そして、部分的にフカフカの砂の部分もある。このモタード仕様、泥ヌタも辛いのだが、砂が結構辛い。タイヤが太いので潜ることはないのだが、フロントが小さく太いのがダメだ。何度も転びそうになりながら、ひいひい言いながら走る。

写真ではわかりにくいが、かなり急な下り。 道の先の方がもっと下っている。 降りるわけには行かず、バイクの上から撮った一枚。 |
これ、いつまで続くんだろう、と泣きそうになりながら走っていると、このアップダウン林道と垂直に、あまり人は通っていなさそうなルートがあることに気付く。こっちの方がまだマシかも、とそちらへルート変更。しかし、走れど走れど抜けられそうな感じではないし、だんだん道は悪くなり、終いにはほとんどクルマの轍もなく、所々シカ?らしき動物の足跡が残っている、という程度のケモノ道というか廃道状態に。そして、倒木が道をふさぎ始めたところで、マシンのオーバーヒートも心配になり、一旦エンジンを止める。上空では飛行機らしき音も聞こえる。恐らく、新千歳空港からそれほど離れていないはずだ、と、倒木をどかしながら進行。その後も3回にわたって倒木越えをする羽目になったが、もう戻ることも出来ない。

廃道同然の道を倒木がふさぐ。 この後、もっと太い倒木越えをもう2回する事になる。 |
いつまで続くのか、ガスはまだ心配ないが、オーバーヒートと、オイラ自身の体力がちょっと心配になってきた。携帯も圏外だし、どうしようもなくなったらバイクを置いて歩いていこう、とも考えたが、何より怖いのは熊なのだった。迷いはじめの頃、分岐点に「熊出没注意」の看板が出ていたのを見てしまったのだ。あのステッカーは、北海道に行った連中とかがクルマやバイクに貼っているのを見かけてはいたわけだが、実際に北海道の森の中で見ると異常に怖い。そりゃ、バイクなんだから、エンジンをかけてれば寄っては来ないと思うが、そう考えると、エンジンを切るのすら恐ろしくなるのであった。
などと苦闘した末に、なんとか普通の林道らしき道へと到着。

これまたわかりにくいが、廃道から出たところ。 バイクのうしろに見える、草が多い茂っている ところの向こう側が、通ってきた廃道。 |
その林道をちょっと走ったら、ゴルフ場の真ん中に出た。天気のいい日だったというのもあるが、結構プレーしている人たちがいて、注目を浴びてしまっている。とりあえずキャディさんに、クラブハウスの場所を聞くが、イマイチ要領を得ず、何人かに聞くが出られない。3,4人目のキャディさんの言うとおりに走ったら、コースの芝の部分に出てしまった。芝の中にちょっとした林があり、そこにカートのタイヤ跡があるので、ここは抜け道なんだろうけど。路面へのインパクトを考えたらモタード仕様で良かったかも。
なんだか、とにかく広いゴルフ場のようで(まぁゴルフ場ってそういうモンなんだろうけど)、とりあえず外周の林道に出たようなので、クラブハウスに戻るのは諦め、外周をぐるりと回ることにした。ほどなく、高速道路らしき道の下をくぐるトンネルへ。くぐり抜けて上を見れば、そこには苫小牧東出口まで1kmの看板。これで自分の位置がやっとわかった。迷い込んだのは、北大の演習林らしい。しかし、自衛隊ならわかるが、なんで大学の演習林があるんだろう。で、なんであんな道が造られてるんだろう。
やっぱりGPS買っておくんだったなぁ。今回迷ったルートもある程度わかっただろうに。

ゴルフ場を抜けて(実はまだ敷地内)、高速道路をくぐる。 トンネル内にでっかい(迂回できない)水たまりがあり、 バイクはドロドロ |
そのまま道なりに抜けていくと、ゴルフ場の正門に出た。おいおい、これ全部一個のゴルフ場なのか。そのスケールにびっくり。
そこからこっちの方が近そうだ、という道を走り出すと、また路面はダート。しかも、かなり広く、きちんと整備されている。北海道がダート天国だというのもわかるねぇ。次は本当に、もうちょっとオフ指向の足回りで来たいもんだ。
ちょっと一般道を走り、そば屋で昼飯。天気もいいし、去年も走った林道2本を走りついでも、十分夕方までには帯広に到着できるだろう、とルートを確認して出発。ところが、1本目の林道を走り始めたところで、進行方向の空が真っ暗なことに気付いた。

林道入口。ダムまで路面は舗装されているが、 前方に見える立派な橋が建設中。 どうも、ダムまで専用の道くさい。 その先、林道しかないんだもん。 |
なんとか峠を越えて、林道を抜けるまで持ってくれないか、との一縷の望みも叶わず、パラパラ、と落ちてきたと思ったらあっという間に大雨になった。
合羽を着るまもなく、雨宿りする場所もなく、とりあえず腰に付けていたカメラバッグだけケースの中に放りこむ。その後は必死に走るだけだ。路面状況だけを見ながら、ひたすら転ばないように、それでもある程度のペースで走り続ける。途中で、いきなり子鹿(だと思う。あまり大きくなかった)が飛び出してきて、目の前でこちらに気付いてフルブレーキング(こっちも)。一気に向きを変えて林の中へと消えていった。こっちはあそこまでの機動性は無いなぁ。
基本的に、路面は濡れてもヌタヌタになるようなことはなく、硬くしまった土の上に砂利、という走りやすい路面だった。とはいえ、前の林道群含め、転ばずに抜けられたのは結構奇跡的だったかも知れない。
もちろんずぶぬれである。上はウィンドブレーカーだったので最小限の濡れで済んだものの、下半身はパンツも靴下もぐっしょりだ。それでも、峠を越えると雨は止み、日高の市街に着く頃にはほとんど乾いていた。
そして、懸念の日勝峠である(昨年は往路大渋滞、復路はおまわりとエンジンを気にしながら、地元ナンバーに煽られるという嫌な経験をしており、印象悪し)。手前で、また山の方は暗いなぁ、と思っている間に降りだした。あわてて合羽を着る。着ている間に日がさしはじめたが、でも雨はまだ降っている。そういう状態のために、ちょっと先に虹が出来た。ほんとに、2,300m位先の地面から生えてるんじゃないかと見えるくらいくっきりした、近くて明るい虹。まだ雨が降ってたために、写真が撮れなかったのが残念。
それでちょっと気分を直し、上っていくが、合羽を着ているのに寒い。5合目くらいか、登りの途中で道沿いに出ている看板では9度と出ている。寒いわけだ。こりゃ、下にフリースを来ておくべきだったな。
がたがた震えながらなんとか峠を越えれば、また天気は回復。下りきったところのコンビニに飛び込んで暖かい缶コーヒーを買う。寒いー!と言いながら入っていったら、店員さん達は笑いながら、「そんなに寒いですか?」と言っていたが、既に、店の中の方が暖かいということは、一応暖房が入れてあるのか、外が寒いってことだろうに。
あとはひたすら帯広市街へと急ぐ。市街に入って、国道38号線を走っていたら、スバルの販売店に、見慣れたスバルワークスカラーのインプレッサが2台。そして、店の中には人が集まっている。どうもイベントでもやるみたいだ。ちょっと停めて、誰か知り合いがいないか探すが、特に誰も発見できず。そのままホテルへと急ぐ。
ホテルは向こうで取って貰ったものだが、駅前の一等地、立派なホテルで、温泉付き、しかも、有線LANもあるという、至れり尽くせりのホテルであった。クルマの駐車場は裏にある立体なのだが、バイクは入口脇のスペースに停めさせてくれるという。しかも、ドロドロのバッグを部屋に持ち込むのがちょっとなので洗えないか、と言ったら、水&ホースを使わせてくれた。なんと素晴らしい。
そこで社長と合流して、帯広駅近くの屋台街へ。まだ本格的なラリーは始まっていないため、メディアのために、フォードが特別なサービス(メディアに、各店で使える500円相当引き替え券を配っていた)をやっており、関係者がいっぱい。本当にラリーの現場も久しぶりなので、ジャーナリスト、カメラマン、その他関係者(海外の人も含め)が入り交じってすごい宴会に。うちの社長、やっぱりすごい人脈なのだな、と改めて実感する。
2005年9月29日(木) 搬入。セレモニアルスタート
朝9時に、搬入のクルマが来るということなので、ちょっと前に現場へ。
馬鹿でかい専用ローダーで、懐かしのラリーカーを運んでくる。クラシックカーではあるが、一応ワークスマシンの本物なので、取り扱いも、ローダーも、専門の業者だ。当然のことながら、自走はしないので、ローダーから降ろすとき、そして降ろしたあとは、我々が手で押して移動することになる。モーターショーなんかではみんなこんなことをやってるんだろうけど。オイラは初体験。
今回うちで持ち込んだのは、セリカのST165サファリ仕様と、TA64のツインカムターボサファリ仕様。165はちょっと前にお台場で藤本さんがデモランをやった車体で、2002年には、オベの運転でグッドウッドでも走っている。さすがに古く、それ以来のメンテもしていないらしいので、多少トラブルはあるようだが、ちゃんと走らせるのもそんなに難しいことではないらしい。もう一台のTA64の方も、2003年のグッドウッドで走らせたはずだが、その後やはりちょっとトラブルが出て、現在は走らせられない(もちろん直せば走る)という。押してみて、FRのTA64が明らかに軽いのが実感できた。しかし、改めて見ると、前後タイヤサイズの違いに驚く。Rなんて今の4WDでは考えられない太さだ。
同時に展示することになった某社の2台も運び込まれてきた(写真でまるわかりだっつーの)。ただ、全く担当者も来ないので、搬入手伝い及び配置は我々も手伝うことに(というか我々がメイン)。ここでびっくり。めちゃくちゃ重い。2台とも4WDなのだが、ハンドルを切ったとたんに全然動かなくなってしまう。無理矢理押すと、タイヤがずるずると滑っているのがわかる。ものすごいセンターデフが硬く締め上げられているんだろう。要するにタイトコーナーブレーキング現象なんだよね。思わぬ発見であった。ハンドルを切るのに中も見たが、一台の方は、参戦初期の車体なので、ほとんど市販車そのままっぽいのがなかなか新鮮。ま、ラリーファンの方々にとっては垂涎ものの体験だろうとは思いますが。

まだ時間が早いので客は少ないが、それでもかなりの注目度。 |
そして、徐々に周りの露店も準備が整い始め、いろんな客が集まってくる。目を引いたのは制服のままの女子高生グループ(地元の子なのだろう)。彼女らにとってはお祭りの一つなんだろうけど。制服女子高生が、配られていた三菱などの応援旗を持って歩いていたのはちょっとおかしかった。
しかし、我々がいるのは、オーロラビジョンと、地元ラジオ局などが設置している目の前なのだが、その2つの音が全く統制が取れていないのだ。しかも、途中からは出し物のジャグリングが始まり、ジャグリングのBGMとMCも加わってめちゃくちゃである。こういうの、もうちょっと統制は取れなかったんだろうか。
夕方からセレモニアルスタート。これは、昨年見られなかったのだが、ものすごい人だということで、楽しみにしていたのだ。パンフレットには、スタート地点近くで、スタート前にヒストリックカーの展示をやっているというので、それを覗きに行く。

恐らく隣にいるのはオーナーなんだろう。 結構自由に触らせたり、こうやって乗らせたり、 まぁ、ハレの日なんだろうけどね。 |
そろそろセレモニアルが始まる、というちょっと前に、関係者から呼び出し。社長はVIP席で見ることになるらしく、そちらへ行ってしまったので、オイラは1人ぶらぶらと人混みを歩く。三菱が、綺麗なおねーちゃんを大量動員して、旗を配ったり、顔に貼るタトゥを貼っているのが目立つ。
歩いていたら、ラリージャーナリストの飯島さんとばったり会う。以前ラリーの仕事をしていた頃にお世話になった、ラリージャーナリスト界の重鎮であるが、カメラマンのベストも着てないし、カメラも持ってない(というか、カメラマンはこの時間、みんなスタート台の前にいるはずだ)ので、仕事は?と聞いたら、日本のラリーで写真なんて撮らないよ、とのこと。ほどなくラリーパークにもやってきて、久しぶりに話をしていたら、めざとく見つけられたファンからサインをせがまれていた。やっぱりまだまだ、ラリーファンには名前(顔も)の知られている飯島さんであります。
実際にラリーカーがパレードを始めると、さすがに駅前もかなりの人混みとなった。そして、パレード終了後は、我々のいるラリーパークへとその人混みが流れてきて、かなりの混み具合となった。子供からお年寄りまで楽しそうにしているのがいい。こういうイベントがいろんな所に根付くといいんだけどね。

先の北海道でもやっと勝てて、地元と三菱ファンの期待を担うカツ。 さすがの人気です。しかし、この旗振り応援て、 要するにマラソンとか駅伝の延長なんだな。 |

ゼッケン15のフォーカスはD.ソラ。 昼間、1人でラリーパークへやってきて、 地元ラジオ局に捕まり、「今回は観光ですか?」とか 聞かれて「俺はドライバーだっ!」と怒っていた(笑) ま、知らないわな。 |

セレモニアルスタートのあとは、 ラリーパークに人が流れてきてものすごい人。 |
海外のカメラマンや、FIAオフィシャル及びAXNなんかのTVカメラもやってきている。このセリカ、使ってもらえるかな?
夜はまた昨日と同じ店へ。なんか、去年はオフィシャルFIA?の撮影とかで使われたそうで、有名なドライバー(恐らくペター)も来たのだそうだ。そのときにいろいろグッズなどをもらったのだが、みんな客に配ってしまったという。今日見に行ったらみんないい値で売ってるじゃないの、なんて大将は笑っていた。
飲んでいたら、後ろの外人の団体にニッキー・グリストがいるのを発見。うちの社長は昔仕事で一緒だったことがあるそうで、楽しそうに挨拶している。ま、WRCに行ってた頃は、プレスルームとかで何度も見かけてはいるんだが、生グリストの普通のしゃべりを、こんなに近くでまじまじと聞くのは初めてかも知れない。ニッキー・グリストといえば、私の愛するラリーゲーム、コリン・マクレー・ラリーでナビをやっており、あのゲームをやった人はみんな聞いているはずの声だ。普段の話し方も、聞き取りやすい英語と発声なんだな。思いっきりスコットランドなまりのコリンとは好対照であった。
ホテルに戻ってちょっと仕事。ホテルはネット接続可能(有線のみだが)なのだが、作業していたら、FTPが通らないことに気付いた。これはちょっと厳しいかも。
2005年9月30日(金) ラリージャパン1日目
今日はちょっと寝坊。といっても8時には起きて準備して、9時までに現場入り、なんだけど。社長は別対応なので、今日の午前中はオイラ1人で番をすることになる。到着したら早速クルマを拭く。昨日一日&昨夜だけでかなりの埃汚れだ。面白かったのは、うちのクルマじゃない方、横に、泥の跳ね上げ汚れがちょっと付いているのだが、これ、ふき取っても落ちないのだ。ということは、汚れごとクリアで固めてしまってあると言うことだろう。綺麗にはしてあるが、ボンネットなどの凹みもそのままだし、そういうところも確かに演出にはなるけどね。
展示車を4台拭きあげたあとは、クルマの番をするだけなので、持ってきたU50でちょっと作業。さすがは半反射型液晶なのか、バックライトを完全に消しても、曇り空の下とはいえ、屋外で十分に見られるのには驚く。これでどのくらいバッテリ持つかしら。
ちょっと曇っている。暑くなくていいんだが、明日、天気は大丈夫かなぁ。明日は一日、陸別へでもでばって見てこようと思っているのであった。
しかし、すぐ目の前にオフィシャルグッズショップがあるのだが、そこでステッカーが売られているのをちゃんとチェックしなかった!昨日は、まだそれほど準備もちゃんと出来ておらず、ステッカーは恐らく最後に並べたのだろう。オイラはGショックに目が奪われてしまっていたのもあるのだが。気付いたら、小さいサイズの奴は全部売り切れてしまっていた。悔しい。
夕方、そろそろ軽く飯でも、とチーズ(ウォッシュ系を3種類盛り合わせ)を買ったのだが、食おうとしたら社長から呼び出し。待ち合わせて札内のSSSへと向かう。今回は運転手(初代ヴィッツのMTだ!)を兼ねて、最初からVIP用のホスピタリティへ。
ちょっと早めなのは、SSSの前に、ヒストリックカーの走行デモがあり、それも見たいからなのだが、この走行デモの話、知ったのは現地に来てからのことなのだった。実際に走らせる三菱や日産関係者、そして岩瀬さん(その2社以外の外車とかはみんな岩瀬さんらしい)は前から用意はしていたはずで、それは聞けばわかったんだろうが、それ以外の前告知が少なすぎる気がする。
走りそのものは、壊すわけにもいかないし、淡々としたものだが、なんと!スポンサーがマイクロソフトである。このイベントの0カーとして、Officeカラーのランエボが走っていて、ちょっと笑ってしまった。

到着直後は、こんな、子供のATVレースが行われていた。 てっきり、ヤフオクとかで流れている中国製だと思っていたが、 帰りがけに見たら、ちゃんとホンダのマークが入っていた。 今はこんな小さいのも作ってるのね。 |

出走を待つヒストリックカー。 左からRS200、ランサー、Zだ |

この通り、ヒストリックカーランの0カーは マイクロソフトオフィスカラーのランエボ。 |

柵が惜しい!のデルタS4。 ストラトス、MGメトロなんかも走ってて楽しい。 このストレートから向こうのコースだと ストロボが届かなくて真っ黒なのであった |
札内のSSS、昨年も見たのは見たんだが、昨年は安い立ち見席で見たので、イマイチよく見えなかったのだった。スタンド席は翌日取ってあったのに、仕事で帰らざるを得ず、チケットを無駄にしてしまった。しかも、翌日社長に会ったら、ゲストパスがあったという、因縁のSSなのであった。
今回はVIP用ホスピタリティからの観戦である。といっても、ずっとホスピタリティの中にいても仕方ないので、許される限り前まで行って撮影してみる。レンズ的には問題ないが、さすがにストロボが届く距離ではない。こりゃダメだわ。
その後、帯広空港まで関係者を送る。結構遠いねぇ。それよりも、ひたすらまっすぐな道で、左右はどちらも真っ暗。1人で走るなら別にかまわないけど、他の人間を乗せて走るのはちょっと辛い。
ナビが付いているのだが、これが古く、しかも、タッチパネルのキャリブレーションが狂ったらしく、途中から全く操作できなくなった(下の方のセットボタンが押せない)。帯広空港まで送った帰り、すぐ近くに借りたレンタカー屋があったので、そこでクレームを付けて直して貰う。どこか操作すればキャリブレーション出来るはずだ、とは思って、何度か設定画面などを探ってみたのだが、結局見つからず。レンタカー屋の技術者が来てやってくれるのを見ていたら、タッチパネルからのメニューではなく、本体側のボタンを使うのであった。こりゃわからんわ。というか、多分マニュアル見れば載ってるはずなんだろうし、マニュアルもどこかにあるんだろう。レンタカー屋の側からすれば結構迷惑な客だったかも。
戻ってみたら、いつもよりもはるかに早くプレビューリリースが届いていた。今晩はテストのリリースもあるし、寝られないじゃん。明日は天気が悪そうだし、出かけるのはやめよう。と、決心したところで、ここ毎晩の屋台村で、久々のラリージャーナリスト関係者に会って、大騒ぎして2時過ぎまで飲んでしまう。こりゃ、どっちにしても行けないわ。