ノルディックスキー複合の荻原健司の弟もW杯参戦
ノルディックスキー複合の第一人者、荻原健司(北野建設)の双子の弟、次晴(同)が今季から兄とともにW杯に参戦、
"オギワラ・ブラザース"として世界デビューを果たすことになった。五月の全日本スキー連盟競技本部会議で正式に決定する。
同連盟では、今季から代表枠を六人にする方針で、兄と河野孝典(野沢温泉スキークラブ)、阿部雅司(東京美装)、
古川純一(リクルート)の四人に加え、弟と森敏(野沢温泉スキークラブ)を昇格させる予定。
1994/04/07 読売新聞
スキー W杯29日 複合第1戦 アーペラントが優勝
▽複合第1戦(29日・米スティームボートスプリングズ)
〈1〉クヌートトーレ・アーペラント(ノルウェー)(ジャンプ〈4〉230・0点、距離〈3〉43分0秒1)
〈2〉ビーク(ノルウェー)タイム差4秒6(〈5〉229・5、〈4〉43分1秒7)
〈3〉ルンベルク(ノルウェー)1分11秒2(〈7〉220・5、〈5〉43分14秒3)
〈4〉河野孝典(野沢温泉ク)1分18秒0(〈2〉234・0、〈12〉44分42秒1)
〈5〉荻原健司(北野建設)1分18秒5(〈6〉228・5、〈9〉44分9秒6)
〈6〉荻原次晴(北野建設)1分21秒8(〈1〉235・0、〈15〉44分51秒9)
〈24〉阿部雅司(東京美装)6分5秒4(〈26〉193・5、〈19〉45分26秒5)
〈25〉古川純一(リクルート)6分18秒5(〈10〉213・5、〈34〉47分39秒6)
〈35〉森敏(野沢温泉ク)8分27秒4(〈22〉197・0、〈39〉48分9秒5)
(アーペラントはW杯通算3勝目、丸数字は各種目の順位)(時事)
1994/12/01
スキー W杯1日 複合 スプリントで荻原次晴、河野組が2位
【スティームボートスプリングズ(米コロラド州)1日=共同】
ノルディックスキーのワールドカップ(W杯)複合第二戦は一日、当地で二人一組によるスプリントを行い、
ノルウェーA(ルンベルク、アーペラント)が優勝。日本A(荻原次晴=北野建設、河野孝典=野沢温泉ク)は二位だった。
日本は二十九日の開幕戦(個人戦)に続いてノルウェーに敗れ、昨季のリレハンメル五輪後のW杯は5戦連続で優勝がない。
日本Aは、ラージヒル(K点=極限点112メートル)で実施された前半ジャンプで、河野が一回目に最長不倒の115・5メートルを
マークして首位に立ったが、後半の距離リレー(15キロ)で11秒差でスタートのノルウェーAに逆転された。
日本C(森敏=野沢温泉ク、古川純一=リクルート)は七位。
日本B(阿部雅司=東京美装、荻原健司=北野建設)は、阿部がジャンプで転倒、左手を打撲し後半を棄権した。
1994/12/02 読売新聞
スキー W杯10日 複合 前半のジャンプで荻原兄弟は3位と5位
共同通信に入った連絡によると、ノルディックスキーのワールドカップ(W杯)複合第三戦(個人第二戦)は十日、
スロバキアのストラブスケプレソで前半飛躍が行われ、マリオ・シュテヒャー(オーストリア)が223・5点でトップに立ち、
荻原健司(北野建設)は217・0点で三位、双子の弟、荻原次晴(北野建設)は211・5点で五位につけた。
阿部雅司(東京美装)は八位、古川純一(リクルート)は十二位、河野孝典(野沢温泉ク)は十四位、森敏(野沢温泉ク)は十七位だった。
1994/12/11 読売新聞
スキー W杯3日 複合 団体で荻原兄弟が3位
【ライトインビンクル(ドイツ)3日=時事AFP】
ノルディックスキー複合のワールドカップ(W杯)第四戦は三日、ドイツのライトインビンクルで二人一組による団体戦が行われ、
日本の荻原健司、次晴(ともに北野建設)は前半のジャンプでトップに立ったが、後半の距離でノルウェーの二チームに逆転され、
三位に終わった。
優勝はノルウェーのビーク、ルンベルク組で、河野孝典(野沢温泉ク)、阿部雅司(東京美装)組は五位
、古川純一(リクルート)、森敏(野沢温泉ク)組は十四位。
1995/01/04 読売新聞
種 掲載日 本支社 行数
記 1995/02/10 東京 16
スキー W杯8日 複合スプリントで日本A2位
▽複合第10戦=スプリント第3戦(リレハンメル=共同)
〈1〉ノルウェーA(スカート、ビーク)(飛躍〈2〉487・0点、距離〈2〉35分41秒8)
〈2〉日本A(荻原健司、河野孝典)タイム差28秒2(〈1〉491・5点、〈4〉36分23秒0)
〈3〉米国A(ヘックマン、ロドウィック)2分1秒1
〈6〉日本B(阿部雅司、古川純一)4分57秒8
〈10〉日本・チェコ(森敏、マカ)5分22秒4