長野オリンピックから1年がたちました

オリンピックでの森選手の活躍は、私たちに感動を与えてれました

感動を今ふたたび!


選手に長野オリンピックにいてインタビューをしてみました。
想をはるかに上回る誠実さでお答えいただき、感激いたしました。

森選手の長野オリンピック時の気持ちが皆さんに少しでも伝われば嬉しく思います

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hayashi:森選手、よろしくお願いいたします。はじめにオリンピック代表の決定はいつ頃だったのしょうか

森選手:代表は1月のはじめかな

hayashi:
オリンピックへの出場は「親子三代の夢」だったとお伺いしております。 オリンピック時の新聞に掲載されていました。

森選手:
それは小さい頃から 私の祖父は全日本選手権を勝っているのですが、そんな話しとか、父の新聞の切り抜きを 見せられたりして、、、、

hayashi:
皆さんやっていた競技は違うのですよね。

森選手:
祖父とその弟がジャンプで、両親がアルペンです。 それで、祖父がオリンピック前に転倒してだめで、祖父の弟が戦争でだめで、父はその年に怪我で骨折しただか、 手術をしたとかで出れなくてとか。。。

hayashi:
オリンピックに出場できるということはやはりすごいことなんですね。 なにもあってはいけないわけですから。
そうですか、そういう風に小さい頃から

森選手:
洗脳されていた。

hayashi:
洗脳されていたんですか。。。

森選手:だから森家はオリンピックに出れないって。

hayashi:
でもそのジンクスを打ち破ったわけですね、森選手は。

森選手:そうですね。結果的には

hayashi:実際に試合に出場できるのが決まったのはいつ頃なんでしょうか?

森選手:
前の日です。

hayashi:
前日ですか?

森選手:前日。

hayashi:
決まった時はどんな気持ちでした?

森選手:
次の日になにが起こるかわからないからね。とりあえず本当に出ないと。  


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10年2月13日 白馬ジャンプ競技場にて

ジャンプ

本目 27番スタート 85m
2本目 29番スタート 78m
結果 34位

hayashi:個人戦のジャンプ。テレビ中継の解説で三ヶ田さんが森選手のジャンプの調子はとってもいいとおっしゃっていましたね。しかし、、、いまひとつ伸びませんでしたね。

森選手:うん、まあね。いろいろね。調子っていうのといろいろな条件とか、、、

hayashi:
風も悪かったのでしょうか?

森選手:
風も確かに良くはなかったんだけど、そういうのじゃなくって、かみ合わなかったとだけね、言っておこうと。

hayashi:
多くは語らないと、自分の胸に止めておこうということですね。わかりました。深くは突っ込みません。

平成10年2月14日 白馬スノーハープにて

ク ロスカントリー

 
4番スタート   結果 38位

hayashi:38位という成績でしたが、どうでしょう?ご自身の中でこの成績は?

森選手:
だめだね。

hayashi:
わかります。悔しかったでしょうね。

森選手:
いやぁ あれはだめですよ。まぁ ああいう時もあるのですよ。長い競技人生。
あれぐらいはたいしたことないです。

hayashi:
そうですね。。。ソルトレイクもありますからね。

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〜団体戦の選手決定について〜

hayashi:この団体戦のメンバーが決まる前、前日の公式練習で古川選手が転倒し骨折をしてしいましたよね。

森選手:はい。

hayashi:
皆さんその時はどのような感じだったのでしょうか?

森選手:
そんなに慌てるとかじゃないけど、まぁそこで慌てても仕方ないからね。転んでしまったものは仕方ないし、 誰が出るという問題もありましたけどね。 動揺がなかったといえば嘘になりますけれどね。
それでもやるべき事は、選手ひとりひとりベストのパフォーマンスを することだからあまりそこで動揺してもいけないので、選手はあまり動揺の色は見せなかったですね。

hayashi:
そうですか。。。

森選手:
コーチは大変悩んだと思います。

hayashi:
決定したのは前日の夜ですか?

森選手:
前日の公式練習の後です。

hayashi:
その時に飛ぶ順番も発表されたのですか?

森選手:
……わすれた……

hayashi:
……そうですか。

平成10年2月19日 白馬ジャンプ競技場にて

前半ジャンプ
本目 27番スタート 90.5m
本目 29番スタート 85.0m

本チーム結果 5 位


hayashi:一番の切込み隊長、大変な役目でしたね。

森選手:
何番で飛んでも一緒かな。

hayashi:
1本目、90.5m。凄いジャンプでしたね。

森選手:
あれはこう風がね、完全に止まっちゃってて、「いや〜風止まっちゃたよ」って、、、 その割に飛んでたんだよな。
よかったんじゃないかと。

hayashi:
風、なかったのですか?

森選手:
風はなかった。

hayashi:
はぁ〜。。。なくて90.5m!すごいですね。
みんなまずまず、調子よく来て2本目ですね。

森選手:
まぁ、あんなものじゃないですか。        
こんなところにしておきましょう。

hayashi:
はい、わかりました。

森選手:
深くは語りません。

半を終えて〜

hayashi:結局、前半を終えて21秒差で翌日スタートということになりましたね。           
その夜、皆さんで作戦会議はしたのですか?

森選手:
作戦会議……?

hayashi:
4人集まって

森選手:
作戦会議っていうかね、ミーティングも作戦会議というほどでもないけど、どういう順番で行って、くらいかな。
選手間では「最初から飛ばし過ぎないように」っていうようような話し、そのくらいかな?

hayashi:
眠れましたか?

森選手:
うん、ぐっすりと

hayashi:
ぐっすりとね。ちゃんと8時間睡眠をとり、ですか?

森選手:
そう、ちゃんと8時間睡眠をとらないと。基本ですから。

hayashi:
オリンピック期間中 緊張して眠れないとか、食事が喉を通らないという事は なかったのですか?

森選手:
ん〜 夜はね。

hayashi:
昼間はあったのですか?

森選手:
個人戦のジャンプの後かな。

hayashi:
食べられませんでしたか。。。。。

平成10年2月20日 白馬スノーハープにて

クロスカントリー
   ップから  21秒差の5位スタート 
 チーム結果     5位
hayashi:後半クロスカントリー。第一走者の荻原次晴選手が帰ってきました。          
スタジアムのスクリーンに次晴選手の姿が見えてきましたね。

森選手:いや。。。まさか前のオーストリアの選手に追いつくとは思ってなかったから。      
自分の頭の中ではオーストリアに途中で追いついてというイメージがあったから。。。 まあ、あの時点で。。。       で、オーストリアの奴が選手が性格がよくないんだよ。奴が後ろに来るのかぁ と思ってね。

hayashi
:オーストリアの2番手ってどなたでしたか?

森選手:
クリストフ・ビーラーっていう選手なんだけどね、もうねぇ性格が良くないんだ本当に、、、
後ろでスキーをガシャガシャ踏んだり、ストック何回も踏まれたりしてそれで走れなかったんだよね。

hayashi:
そんなことがあったのですね。

森選手:
もう、あからさまに。オリンピックの団体の時は特にひどかったね。 後ろにいて常にスキーを踏んでいたから。

hayashi:
うわぁ。。。         
森選手のクロスカントリーの滑り、とっても感動的でしたよね。会場では,森選手が走っている間、 ず〜っと盛り上がっていたとお聞きしました。

森選手:
走っている本人は大変なんだぞ〜!

hayashi:
ご自身でも満足された走りだったのではないですか?

森選手:
うーん……でも、最後の登りで10mほど足が出なくてね。そこがちょっと悔しかったな。 その10mが……

hayashi:
疲れというか。。。

森選手:
う〜ん、疲れっていうか。皆さんが思っている疲れとはまた違うんだけど。        
身体が動かなくなる限界のところで、もうちょっと足が出なかったその10mが悔しかったな。

hayashi:
その10mが重いのですね。5kの中のたった10mが。。。

森選手:
後でね、テレビを見たらテレビに写っていなかったんだよ。

hayashi:
ちょうどいい感じに、カットされていたのですね。

森選手:
そう、ちょうど本当に苦しくて足が出ていないところがテレビに映っていなかったんだよ。
ちょっとした裏話でした。

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hayashi:長野オリンピック全体を通して ”選手 森 敏”として感じたことをお聞かせ下さい。

森選手:
ん〜長野オリンピックね。面白かったなとは思うけどね。オリンピックというものに出れたということだけでも凄いこと だからね。まあ、でも実力が実力だとやっぱりああいう大きなBIG大会ではそれなりのことしか発揮できないんだなって 実感も自分の中ではあったし、自分の実力ではそういう風になってしまったのは まだまだあれが現実かなと。
ま、それ以外では日本選手活躍したし。それを喜んでいる余裕はなかったけどね。全体的に面白かったですよ、地元の オリンピックだったし。

hayashi:
私たち一般の日本国民は、長野オリンピックでいろんな感動をもらったと思います。私は本当にコンバインドファンだった から、コンバインドのことが一番どんなものよりも感動があったのですが、”選手 森 敏”といことを離れて、"森 敏" 個人として感動的だった、印象に残ることって?

森選手:
閉、開会式。         
やっぱりそれは選手として離れて いち参加する人みたいな感じで純粋に楽しめたっていうのがありますけれどね。

hayashi:
閉会式って結構盛り上がったかなって私たちも画面を通して伝わってきたのですが、開会式って賛否両論でしたよね。 選手の方々は結構盛り上がっていたのですね。

森選手:
いや、面白かったですよ。いいんですよ、自分が面白ければ。反対の人の意見なんて、そんな。。。そんなの聞いててもね。

hayashi:
5大陸の合唱とか。あれは感動的でしたよね。

森選手:
あれはでも、スタジアムにいれば結構もっと面白かっただろうね。

hayashi:
そうですか、閉、開会式ですか。森さんの ”奮闘記”の閉会式の写真、いい顔してますものね。

森選手:
あ〜閉会式の。
あれね。あれ入場してすぐ、つんさんがカチャカチャって来て撮った。

hayashi:
あの写真、大好きです。 

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hayashi:長野オリンピック、野沢温泉村でもバイアスロンが行われましたよね?

森選手:
うん

hayashi:
野沢の盛り上がりはどうだったのでしょう。

森選手:
全然予想されていたよりすごい。1回6位に入賞した選手が最初のうちに出たんで、テレビにも結構出たので結構観客も来て まあ予想以上に盛り上がりましたよ。

hayashi:
そうですか。野沢温泉村全体も盛り上がっていたのですねぇ。

森選手:
村の中はスキー客が少なくって大変だったみたいだけど

hayashi:
そういうところもあるのですね。観光で持っている村というのは。。。 

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hayashi:長野オリンピックが終わって、自分の中で変ったこと、自分の周りで変った事、何か気づいたことがありますか?

森選手:
自分の中ではどうかな?ま、ああいう大きな大会を経験して今後の大会にプラスになれば。まあ、それが見える部分、 見えない部分といろいろあるかとは思うんだけど。と思っているけど。        
周りはどうかな?ちがう友達が出来たと。

hayashi:
親戚が増えたとか?

森選手:
親戚はいっぱいいたから分からない。

hayashi:
そうですか

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hayashi:最後に、もしも、もしもですよ もう一度日本で冬季オリンピックが開かれたとして「何でも森選手にやらせてあげる」と 言われたら何をやってみたいですか?

森選手:
かなり現実的じゃないんで。今、もしそういうのがあったとして、仮定したら私はかなり年を取っている時なので、 その時の選手のサポートが出来ればいいなと。。。

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