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五輪バイアスロン会場、管理棟の起工式 野沢温泉村

 下高井郡野沢温泉村は二十六日、九八年冬季五輪バイアスロン競技会場となる「ふれあいの森公園」の管理棟の起工式を行った。村や議会、工事関係者ら二十五人が参加し、工事の安全を祈った。
 管理棟は、昨年六月から工事が始まったコース全体約一四・五ヘクタールのうちのメーン会場(四ヘクタール)の中心部で、約四億円をかけ、鉄筋三階建て、延べ床面積約千三百六十平方メートルの建物を建設する。

 五輪施設の中では最も遅く整備が始まった会場だが、現在の進ちょく率はメーン会場五五%、コース部分二二%。来年三月には長野五輪のテストイベントとして位置づけるワールドカップが開催されることから、今年十一月末の完成を目指している。

(1996年4月27日 信濃毎日新聞掲載)


長野五輪 野沢温泉のバイアスロン会場が完成

 下高井郡野沢温泉村豊郷の長野冬季五輪バイアスロン競技会場「ふれあいの森公園」の完成式が二日、現地で行われた。総面積は一四・五ヘクタール。射場や管理棟などのあるメーン部分(四ヘクタール)と全長八キロ、幅七メートルのコース部分からなり、五輪後は、クロスカントリースキーなどのトレーニングセンターにする予定だ。
 完成式には、村や県、長野冬季五輪組織委員会(NAOC)などの関係者や地元住民合わせて約二百五十人が出席。テープカットや施設内見学、祝賀会を行った。

 総事業費約三十一億円。昨年六月に着工した。会場に入る約一キロのアクセス道路も完成した。今シーズンは、五輪やパラリンピックの前大会として、来年二月十三日に「国際障害者クロスカントリースキー・バイアスロン競技大会」を、三月六―九日には「バイアスロンワールドカップ野沢温泉大会」を行う。

 同公園は野沢温泉スキー場の南側。安全確保のため、両大会期間中や練習の際には、同スキー場柄沢ゲレンデを時間を限って閉鎖する。

 バイアスロン競技は当初、北安曇郡白馬村で予定されていたが、予定地でオオタカなどの猛きん類の営巣が確認されたことから、九三年十二月に野沢温泉村に変更された。

(1996年12月3日 信濃毎日新聞掲載)


長野五輪・支える(4)=盛り上げよう“バイアスロン

<地元住民が会、応援呼びかけ>
 バイアスロン競技を地元から盛り上げようと、住民組織「バイアスエイド」が十月下旬、発足した。会場の下高井郡野沢温泉村や周辺の飯山市、木島平村、栄村の若手経営者らでつくるみゆき野青年会議所、同地域の商工会議所、商工会青年部、JAいいやまみゆき青年部などがメンバーだ。

 名前は英語で「BY US AID」(私たちによる支援)。バイアスロンとの語呂合わせでつけた。十一日には野沢温泉村で、競技の盛り上げ策を話し合うパネルディスカッションを開く。今はその準備に追われる毎日だ。

 メンバーは、大会のスタッフでもなければボランティア登録もしていない。「観客として、にぎやかに応援することで、地元で開くオリンピックを盛り上げたい」と、リーダーの松沢英市さん(38)=飯山市南町。みのがさ姿、顔に国旗シール、ペットボトルの空き瓶に小石を入れた鳴り物など、独自の応援グッズをつくっている。

 地元でさえ関心がもうひとつのバイアスロン。問題は、どれだけの人が会場に来て一緒に応援に参加してくれるかだ―と、メンバーは心配する。競技当日は周辺地域の小中学生が観戦に来るため、学校へも働きかけている。「大人たちは、仕事はあるし、会場は寒いし、テレビで見たほうがいいっていう人もいるし…。『そこを何とか』というのが今の私たちの合言葉です」と松沢さん。

 五輪開催まで残り百日を切り、声をかける範囲をどんどん広げている。地域の各種活性化グループのほか、隣接している新潟県新井市や上越市の青年会議所など「使えるつては全部使って」協力を求めている。

 野沢温泉村にそびえる毛無山に雪が降り、スキー場のゲレンデが白くなった様子が里からも見える。「あれを見ると、いよいよ、という感じだね」とメンバーたち。松沢さんは「気負いすぎたら疲れてしまう。今は自分たちが楽しむための準備ですよ」と話した。

(1997年11月3日 信濃毎日新聞掲載)


「長野五輪近し」 野沢温泉・バイアスロン会場 聖火台の試験式

 下高井郡野沢温泉村豊郷の長野冬季五輪バイアスロン会場で四日、村が設置した聖火台の燃焼試験式が行われた。長野市の開閉式会場に設けられる聖火台の縮小版で、勢いよく燃え上がる炎が、集まった関係者らに「五輪近し」を感じさせた。
 聖火台が設けられたのは、メーン会場にある射場から五十メートルほど北側の地下通路出入り口の上。高さ二メートルの架台(ガスの供給施設)の上にかがり火をイメージした高さ一・一五メートルの聖火台が立ち、メーン会場のほとんどの場所から見られるように配慮されている。

 燃焼試験式では久保田村長と、デザインを担当した菊竹清文さんの二人の合図で点火。村オリンピック課や長野冬季五輪組織委員会職員らが拍手で完成を祝った。村では「五輪開催の記念として大切にしていきたい」としている。

(1997年11月5日 信濃毎日新聞掲載)


バイアスロン会場 河野さんが点火式

 九日午後から競技が始まったバイアスロン会場では、聖火台の点火式が行われた。野沢温泉村出身で、アルベールビル、リレハンメル両五輪のノルディックスキー複合団体金メダリスト、河野孝典さんが、同村のジュニアスキーチームの少年32人の先頭に立ち点火。「やっぱり(地元での五輪は)いいものですね。自分と競技は違うけれど、バイアスロンの日本選手もベストを尽くして頑張ってほしい」と、健闘を期待していた。

(1998年2月9日 信濃毎日新聞掲載)


雪の観戦、温かい出迎え 野沢温泉バイアスロン

 下高井郡野沢温泉村で九日、バイアスロンが始まり女子15キロ個人が行われた。会場は北信濃独特の激しい降雪にもかかわらず約四千五百人の観客が詰めかけた。会場内外では地元住民が観客を温かく出迎えたり、一生懸命競技を盛り上げようと応援する姿が目立った。
 観客席では同村や近隣市村の有志でつくる「バイアスエイド」のメンバー約二十人がみのかさ姿で参加各国の国旗を振りながら選手たちを応援。外国人観客や海外メディアの注目を集めた。

 競技初日のこの日は、村内二十地区の住民が「一区一品」で観客や大会関係者を迎えた。競技で銃を使用するため一部閉鎖され「無料観客席」になった野沢温泉スキー場柄沢ゲレンデや、シャトルバスの発着所の「ちびっこ広場」では、雪像をつくったり、テントの屋台で「バイアスロン鍋」などをサービスしてもてなした。

 温泉街では民宿、旅館、商店などの前に「YOOKOSO(ようこそ)」と書かれた灯ろうを掲げ、歓迎ムードを盛り上げている。

 競技に先立ち会場では、同村出身の元五輪金メダリスト・河野孝典さんが村のジュニアスキー選手とともに会場内の聖火台へ点灯。続いて、村の小学生らでつくる「キッドビクス」の子どもたち二十人がそろいの衣装で登場し、五輪マスコットのスノーレッツとともに「WAになって踊ろう」のダンスを披露。華やかにバイアスロン競技開幕を告げた。

(1998年2月10日 信濃毎日新聞掲載)


底辺拡大願うバイアスロン 盛り上がる野沢温泉

 下高井郡野沢温泉村のバイアスロン会場で十一日行われた男子20キロ個人戦は、好天の祝日ということもあり、競技初日の九日を上回る五千人を超す観客がメーン会場のスタンドや観覧席を埋めた。国内の競技人口は現在約四百人といわれ、その九割近くを自衛官が占めるなじみの薄い競技だが、今大会の成績はまずまず。この盛り上がりが底辺拡大に結び付いてくれれば―と、競技関係者の期待は高まる。
 メーン会場ではチアホーンや声援が響き、いくつもの国旗が振られた。観客数は四年前のリレハンメル大会には及ばないが、「欧州でもまあこんな感じかな」とドイツ人男性。みのかさ姿で応援したみゆき野青年会議所のメンバーも「昨年のワールドカップの時より盛り上がった」と喜ぶ。

 が、声援を送る日本と本場欧州から訪れた観客では、バイアスロンへの関心度に大きな違いがあった。「(この日行われた)ジャンプやモーグルのチケットが手に入らなかった。せっかくの休みに五輪競技を見たくて来た」と、新潟市近郊から来た三十代の会社員男性。新潟県十日町市から来た会社員女性(26)も「特にバイアスロンに関心があったわけじゃないんだけど、チケットが容易に買えたので」。

 一方、ロシア・ウラジオストクから来たモルグン・ロマンさん(25)は「ロシアでは、ふだんテレビ中継もやっているから、なじみは深い」。国際バイアスロン連合のアンダーズ・ベッセベルグ会長(51)=ノルウェー=は「ノルウェーでは市民スポーツ。日本と違って練習場もあちこちにあるので競技人口も多い」と、日本との制度の違いを指摘した。

 女子15キロ個人では高橋涼子選手(自衛隊)が6位入賞、この日も菅恭司選手(同)が五輪20キロ個人で日本人最高の14位と、力量は着実に世界に近づいている。陸上自衛隊冬季戦技教育隊特別教育課程の片倉幸男・教育室長は「バイアスロンへの関心が五輪後も続いてくれれば、日本のメダル有望種目になるんだが」と話していた。

(1998年2月12日 信濃毎日新聞掲載)


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