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                 地上脱出のための3条件 (パート2)

 パート2

 条件1 地上にいる間にできる限りカルマの解消をする
 カルマの法則、すなわち、因果応報という現象が、実際にあるかどうかは慎重に吟味しなければなりませんが、私たちが人格を向上させていく上では、ないと考えるよりも、あると考えた方が、道を歩んでいく上で大きな指針となり、有利となります。したがって、カルマの法則は存在すると仮定して話を進めていくことにします。
 さて、カルマの法則によれば、今まで私たちは、何回もの生まれ変わりを通して、さまざまなカルマ(行為)を積んでいます。善いカルマもあれば、悪いカルマもあります。いずれにしろ、それらはいずれ報いとなって現れます。
 悪いカルマは、魂にこびりついた汚れです。この汚れを落とさない限り、高い霊的世界に行くことはできません。世俗的なたとえをすれば、一流レストランに入ろうとするとき、もし汚れて悪臭のする服を着ていったら、入店を断られるでしょう。同じように、高い霊的世界は、汚れのないきれいな魂が「類は友を呼ぶ」法則によって集まっている領域なので、汚れがあると、その領域に引き寄せられることはないのです。
 では、どのようにすれば、魂にこびりついた汚れを落とすことができるのでしょうか?
 これには2つの方法があります。
 ひとつは、「報い」として経験することです。つまり、過去の悪しき行為の罰を受けること、具体的には不幸や災難などによって苦しむことです。そうすることで、ある種の潜在化していた悪しきエネルギーが放出され、カルマは解消されます。そうして、魂の汚れが落とされるのです。
 もうひとつは、善いカルマを積むことです。善いカルマは、汚れを中和させる洗剤のような働きをしてくれます。洗剤を使わないで汚れを落とそうとすると、何回もこすったりしなければならず、苦労するでしょう。しかし、洗剤を使えば、楽に汚れを落とすことができます。
 同じように、善いカルマを積むと、たとえば、百レベルの苦労をしなければ解消されないものが、その善の質や量に応じて、半分になったり、十分の一くらいになったりするのです。具体的には、本来なら交通事故に遭って半身不随になるくらいの悪いカルマを持っていたのに、ちょっと打撲しただけですんだ、といったように、軽減されるわけです。

 カルマの汚れを早く落とすコツ
 人格の向上に努めるようになると、魂の汚れを早く落とそうとする働き、つまり、悪いカルマを解消しようとする働きが強くなってきます。そのために、いわゆる不幸や災難、不運や苦労といった現象に、以前より見舞われることが多くなって傾向があります。一見すると、悪いことが起きているように思われるかもしれませんが、それだけ早く汚れが落ちて、つまりは、それだけ早く高い霊的世界に移行して幸せに近づいたということですから、よいことだと考えるべきです。
 特にこれといって、人格の向上に努めることをしない平均的な大部分の人たちは、今後、何回もの生まれ変わりを通して、少しずつカルマを解消して汚れを落としていくことになります。いっぺんに汚れを落とそうとすると、非常に苦しいものとなって耐えられないからです。
 しかし、人格の向上に努め、次に紹介していく残り2つの条件を実践するようになると、魂の力が強化されてきます。苦難に耐えられるようになってくるのです。
 その結果、魂としては、少しでも早く高い霊的世界に移行して本当の幸せを得たいと思っていますから、本来ならあと10回くらい生まれ変わってようやくカルマを解消するべきものを、5回とか3回くらいの生まれ変わりで、できれば今生だけで、すべての汚れを落としたいと思うようになります。そのために、人格の向上に努めるほど、さまざまな苦難が押し寄せてきたりするのです。
 ですから、人格の向上という、霊性進化の道を歩む修行者は、苦しみを怖れてはいけません。ずるく立ち回って苦しみを回避しようとしたり、小手先のテクニックで苦しみから逃れようとはしないことです。「受けなければならない苦しみであれば、堂々と受け入れよう」という覚悟が大切です。
 もちろん、だからといって、やたらに苦しめばいいというわけではありません。意味のない苦しみは避けるべきです。たとえば、痛みの激しい病気になり、痛み止めを飲めば痛みが消えるならば、それを飲んで痛みから解放されるべきです。
 また、あきらかに苦しみをもたらすとわかっているならば、そのような行為は慎むべきです。たとえば、暴飲暴食や喫煙を続ければ、やがてからだを壊して苦しみが訪れます。苦しむとわかっていながら暴飲暴食や喫煙を続けて苦しむのは、間違っています。
 大切なことは、どうしても避けられない苦しみが訪れたとき、あるいは、その苦しみを避けると悪しきカルマをさらに積むことになるとか、人格を貶めてしまうような場合にのみ、ジタバタせずに、その苦しみを受け入れるということです。
 その際に大切なのは、「この苦しみのおかげで、魂が浄らかになり、本当の幸せに近づけるのだ。ありがたいことなのだ」と、感謝の気持ちをもって、心静かに受け入れることです。感謝の気持ちを抱くことが難しければ、無理をする必要はありません。ただ、「これでよくなるのだ」と、希望を持って耐えることです。ここが重要です。一番してはいけないことは、苦しみをもたらした人やもの、世の中を恨んだりすることです。苦しみをもたらした相手が百パーセント悪く、恨んで当然であるとしても、心に恨みという悪しき感情を抱くこと自体が、魂の汚れとなってしまい、せっかく苦しんで魂の汚れが落ちようとしているのに、その汚れが落ちなくなってしまう、場合によっては、かえって汚れがひどくなってしまうということが出てきてしまいます。これは非常に残念なことだといわざるを得ません。
 ですから、人からひどい苦しみを与えられても「過去生で何かその人に悪いことをしてしまったのかもしれない。だから今、その報いを受けたのだ」といったように考えて、恨まないことです。これはときに、非常に難しいことのように思うでしょう。しかしだからこそ、憎しみを捨てることができれば、魂は非常に浄化され、霊性進化はすばらしく飛躍します。

 忘恩や誹謗中傷はカルマ浄化の絶好のチャンス
 その点で言えば、もしあなたが、ある人に何かいいことをしてあげたのに、それに対して感謝もない、それどころか、恩をあだで返されたら、あるいは、自分には何の非もないのに、中傷悪口を言われたり、事実無根のデマを流されたりしたら、カルマの解消、すなわち、魂をいっきにきれいにする「すばらしいチャンス」です。これは本当にその通りなのです。このような不当な扱いをされても、怒ったり恨んだりせず、仕返しをしたりせず、心静かに無抵抗に耐え忍ぶならば、魂が飛躍的に浄化され人格が向上します。しかしそれだけに、非常に難しい。難しいけれども、霊的に見れば、カルマをいっきに解消する千載一遇のチャンスなのです。それを逃してしまうことは、本当にもったいないことです。したがって、このようなことが訪れたら、修行者たるもの、大喜びするべきです。カルマを解消するということは、そう簡単にできるものではないからです。

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