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山歩日記「石老山」2/4 |
顕鏡寺は小ぢんまりした寺で高野山真言宗とあり、門前の立札に寺の由来がありました。昔風の書き方のうえに苔が生えていて読みにくいのですが、だいたい下のようです。 「今を去る一千余年の昔、人皇第五十五代文徳天皇仁寿の御宇の草創にかかるとかや。その洛陽高家の宮人 二條貴丞の若君に武庫郎おわして、時の八條殿の姫君と相恋愛慕の末、せかれし思いの止み難く、深更、名馬に跨りて都を立ち出で、此の地に世を忍び、かくて一念発起して剃(?)髪し道心となり道志法師と号せり。 |
其の子 岩若丸も亦、菩提心を起し、父母を弔いて源海と称せり。かくて此の地に顕鏡寺を建立し、三昧に入りし其跡とぞ。これは源海法師が鏡を抱いて父母に邂逅せしよりして顕鏡寺とは称し山号を石老山とは称すなり」道志法師、源海法師が住居とした「道志岩窟」→。 藁屋根のようにみえますが、大きな岩がかぶさった岩屋といったもの。 中には水も湧いていて、暮らしに便利そうです。 下はこの山で一番大きな岩で、下の「飯綱権現」を守るような形から「擁護岩」。 高さ22m、幅19mだとか。 |
↓八方岩。「この上から八方が眺められるところからの名だが、実際は南東 方向しか見えない」と説明にありました。
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←八方岩からの眺め。右端は津久井の城山、その左に少し見える津久井湖からさらに左の山腹に「峰の薬師」という寺があって、以前、南高尾といわれるこの辺りを歩いたとき、立ち寄ったことがありました。 今は忘れられたような、「姿三四郎」という小説の中で、主人公の柔道家三四郎と空手の檜垣ゲンノスケとの決闘の場になったそうです。 左下は点線枠部分(地図に依れば目黒区・品川区方面)の拡大で、高層ビルが見えます。 |