宮沢賢治幻燈館
「黄いろのトマト」 8/15

 そして二人はもちろん、その黄いろなトマトをとりもしなけぁ、一寸(ちょっと)さはりもしなかった。
 そしたらほんたうにかあいさうなことをしたねえ。」
「だからどうしたって云ふの」

「だからね、二人はこんなに楽しくくらしてゐたんだからそれだけならばよかったんだよ。ところがある夕方二人が羊歯(しだ)の葉に水をかけてたら、遠くの遠くの野はらの方から何とも云へない奇体ないゝ音が風に吹き飛ばされて聞えて来るんだ。まるでまるでいゝ音なんだ。切れ切れになって飛んでは来るけれど、まるですゞらんやヘリオトロープのいゝかをりさへするんだらう、その音がだよ。二人は如露(じょろ)の手をやめて、しばらくだまって顔を見合せたねえ、それからペムペルが云った。
『ね、行って見ようよ、あんなにいゝ音がするんだもの。』
 ネリは勿論、もっと行きたくってたまらないんだ。
『行きませう。兄さま、すぐ行きませう。』
『うん、すぐ行かう。大丈夫あぶないことないね。』
 そこで二人は手をつないで果樹園を出てどんどんそっちへ走って行った。
 音はよっぽど遠かった。樺の木の生えた小山を二つ越えてもまだそれほどに近くもならず、楊(やなぎ)の生えた小流れを三つ越えてもなかなかそんなに近くはならなかった。
 それでもいくらか近くはなった。