宮沢賢治幻燈館
「銀河鉄道の夜」 59/81

(どうして僕はこんなにかなしいのだらう。僕はもっとこゝろもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向ふにまるでけむりのやうな小さな青い火が見える。あれはほんたうにしづかでつめたい。僕はあれをよく見てこゝろもちをしづめるんだ。)

ジョバンニは熱(ほて)って痛いあたまを両手で押へるやうにしてそっちの方を見ました。(あゝほんたうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだらうか。カムパネルラだってあんな女の子とおもしろさうに談(はな)してゐるし僕はほんたうにつらいなあ。)ジョバンニの眼はまた泪(なみだ)でいっぱいになり天の川もまるで遠くへ行ったやうにぼんやり白く見えるだけでした。
 そのとき汽車はだんだん川からはなれて崖の上を通るやうになりました。向ふ岸もまた黒いいろの崖が川の岸を下流に下るにしたがってだんだん高くなって行くのでした。そしてちらっと大きなたうもろこしの木を見ました。その葉はぐるぐるに縮れ葉の下にはもう美しい緑いろの大きな苞(はう)が赤い毛を吐いて真珠のやうな実もちらっと見えたのでした。それはだんだん数を増して来てもういまは列のやうに崖と線路との間にならび思はずジョバンニが窓から顔を引っ込めて向う側の窓を見ましたときは美しいそらの野原の地平線のはてまでその大きなたうもろこしの木がほとんどいちめんに植ゑられてさやさや風にゆらぎその立派なちゞれた葉のさきからはまるでひるの間にいっぱい日光を吸った金剛石のやうに露がいっぱいについて赤や緑やきらきら燃えて光ってゐるのでした。