宮沢賢治幻燈館
「グスコーブドリの伝記」 3/54

 ブドリのお父さんもお母さんも、たびたび薪(たきぎ)を野原の方へ持つて行つたり、冬になつてからは何べんも巨きな樹を町へそりで運んだりしたのでしたが、いつもがつかりしたやうにして、わづかの麦の粉などもつて帰つてくるのでした。それでもどうにかその冬は過ぎて次の春になり、畑には大切にしまつて置いた種子(たね)も播かれましたが、その年もまたすつかり前の年の通りでした。そして秋になると、たうとうほんたうの飢饉(ききん)になつてしまひました。もうそのころは学校へ来るこどももまるでありませんでした。ブドリのお父さんもお母さんも、すつかり仕事をやめてゐました。そしてたびたび心配さうに相談しては、かはるがはる町へ出て行つて、やつとすこしばかりの黍(きび)の粒など持つて帰ることもあれば、なんにも持たずに顔いろを悪くして帰つてくることもありました。そしてみんなは、こならの実や、葛(くず)やわらびの根や、木の柔らかな皮やいろんなものをたべて、その冬をすごしました。けれども春が来たころは、お父さんもお母さんも、何かひどい病気のやうでした。
 ある日お父さんは、じつと頭をかゝへて、いつまでもいつまでも考へてゐましたが、俄(には)かに起きあがつて、