宮沢賢治幻燈館
「グスコーブドリの伝記」 44/54

 ブドリは技師心得になつて、一年の大部分は火山から火山と廻つてあるいたり、危くなつた火山を工作したりしてゐました。
 次の年の春、イーハトーブの火山局では、次のやうなポスターを村や町へ張りました。

「窒素肥料を降らせます。
 今年の夏、雨といつしよに、硝酸アムモニアを
 みなさんの沼ばたけや蔬菜(そさい)ばたけに降
 らせますから、肥料を使ふ方は、その分を入れ
 て計算してください。分量は百メートル四方に
 つき百二十キログラムです。
 雨もすこしは降らせます。
 旱魃(かんばつ)の際には、とにかく作物の枯れ
 ないぐらゐの雨は降らせることができますから
 いままで 水が来なくなつて 作付しなかつた沼
 ばたけも、今年は心配せずに植ゑ付けてくださ
 い。」
 その年の六月、ブドリはイーハトーブのまん中にあたるイーハトーブ火山の頂上の小屋に居りました。下はいちめん灰いろをした雲の海でした。そのあちこちからイーハトーブ中の火山のいたゞきが、ちやうどしまのやうに黒く出て居りました。その雲のすぐ上を一隻の飛行船が、船尾からまつ白な煙を噴いて一つの峯から一つの峯へちやうど橋をかけるやうに飛びまはつてゐました。そのけむりは、時間がたつほどだんだん太くはつきりなつてしづかに下の雲の海に落ちかぶさり、まもなく、いちめんの雲の海にはうす白く光る大きな網が、山から山へ張り亙(わた)されました。