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いつか飛行船はけむりを納めて、しばらく挨拶するやうに輪を描いてゐましたが、やがて船首を垂れてしづかに雲の中へ沈んで行つてしまひました。受話器がジーと鳴りました。ペンネン技師の声でした。
「船はいま帰つて来た。下の方の支度はすつかりいゝ。雨はざあざあ降つてゐる。もうよからうと思ふ。はじめてくれ給へ。」
ブドリはぼたんを押しました。見る見るさつきのけむりの網は、美しい桃いろや青や紫に、パツパツと眼もさめるやうにかゞやきながら、点(つ)いたり消えたりしました。ブドリはまるでうつとりとしてそれに見とれました。そのうちにだんだん日は暮れて、雲の海もあかりが消えたときは、灰いろか鼠いろかわからないやうになりました。
受話器が鳴りました。
「硝酸アンモニアはもう雨の中へでてきてゐる。量もこれぐらゐならちやうどいゝ。移動のぐあひもいゝらしい。あと四時間やれば、もうこの地方は今月中は沢山だらう。つゞけてやつてくれたまへ。」
ブドリはもううれしくつてはね上りたいくらゐでした。この雲の下で昔の赤鬚(あかひげ)の主人もとなりの石油がこやしになるかと云つた人も、みんなよろこんで雨の音を聞いてゐる。
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