宮沢賢治幻燈館
「グスコーブドリの伝記」 46/54

そしてあすの朝は、見違へるやうに緑いろになつたオリザの株を手で撫でたりするだらう。まるで夢のやうだと思ひながら雲のまつくらになつたり、また美しく輝いたりするのを眺めて居りました。ところが短い夏の夜はもう明けるらしかつたのです。電光の合間に、東の雲の海のはてがぼんやり黄ばんでゐるのでした。
 ところがそれは月が出るのでした。大きな黄いろな月がしづかに登つてくるのでした。そして雲が青く光るときは変に白つぽく見え、桃いろに光るときは何かわらつてゐるやうに見えるのでした。ブドリは、もうじぶんが誰なのか何をしてゐるのか忘れてしまつて、たゞぼんやりそれをみつめてゐました。受話器がジーと鳴りました。
「こつちでは大分雷が鳴りだして来た。網があちこちちぎれたらしい。あんまり鳴らすとあしたの新聞が悪口を云ふからもう十分ばかりでやめよう。」
 ブドリは受話器を置いて耳をすましました。雲の海はあつちでもこつちでもぶつぶつぶつぶつ呟(つぶや)いてゐるのです。よく気をつけて聞くとやつぱりそれはきれぎれの雷の音でした。ブドリはスヰツチを切りました。俄(には)かに月のあかりだけになつた雲の海は、やつぱりしづかに北へ流れてゐます。ブドリは毛布をからだに巻いてぐつすり睡(ねむ)りました。