|
「まことに、今は生かすも殺すも、お心のままです」と男が言えば、女は
「ほんとうに嬉しいお言葉ですこと」と喜ぶのでした。
食事を終えると、いつものことで昼はふたりきりでおりましたが、女は男を離れに連れてゆき、背を裸に剥いで幡物(はたもの)という拷問の台に縛り付けました。
女は烏帽子(えぼし)に水干袴(すいかんばかま)という男装で、肩脱ぎになって、むちで男の背を力いっぱい八十回打ちました。
そして「どうですか」と男に聞くと、男は「どうということもない」と答えます。
「そういう方だと思いました」と女は感心し、かまどの灰を湯に溶いて飲ませ、また酢を飲ませて、土間を掃除してそこに寝かせ、二時間ほどして起こせばいつもと変わらぬほどに回復していました。
それからは、いつもよりはよい食べ物が運ばれました。
|
|
そんなふうに三日ばかりも養生して、むちの傷もおおかた治ると、また前の場所に連れて行き、同じようにしてむち打てば傷が開いて血が飛び肉が切れる上を、また八十ほど打ちました。
そして、「我慢できますか」と聞けば男は顔色も変えず「できる」と答えるので、今度は以前に増して感じ入った様子で、よく手当し養生させました。
四五日ほどしてまた同じように打てば、男も同じように「我慢できる」と言うので、裏返して腹を打ちました。
それもまた「何でもない」と答えるので、女はこの上もなくほめ感じ入ってさらによく介抱したのでした。
傷もすっかり治った頃、夕暮れ時に、女は黒の水干袴(すいかんばかま)と立派な弓矢、すね当て、わらじなどをそろえて男に着せ、身支度を整えさせました。
|