Web 絵草紙
「身貧しき男の去りたる妻摂津守の妻と成れる語」 2/4

妻は年も若く姿形もよかったので、そののち、何とかいう人の屋敷に使われていましたが、気質が上品でしたから目を掛けられ、その人の妻が亡くなると、主人はこの女をさらに身近に使うようになり、寝室にはべらせるなどして次第に思いを寄せるようになって、ついにはこの女を妻として家事を任せるまでになりました。
そのうち、主人は摂津(せっつ)の国司に任命され、女はいよいよ幸せに日を送っておりました。
ところで、夫の方は新たな道に出直そうとしたものの、その後はますます落ちぶれてゆくばかりで都にもいられなくなり、摂津の国のあたりに流れて行き、土地の家に作男として雇われましたが、もともと農業などの心得はなく、使い道がないというので芦刈りを命じられ、難波(なにわ)の浦に芦を刈りに行っておりました。
摂津の守はその妻を連れて任地に向かう途中、難波のあたりに休憩して歌枕「難波の浦」を見物させ、一族のものと食事や酒を楽しみ、北の方(妻)は車の中で、仕える女房たちとめずらしい景色を眺め興じていました。
そこには大勢の下人たちが芦を刈っていましたが、その中にひとり、下人ながらなんとなく品があってそれらしくない男がおります。
北の方はこの男を見て「なんと不思議に昔の夫に似ている者」と思い、見間違いかとさらによく見れば、もとの夫に違いありません。

あさましい姿で芦を刈っているのを見て、「やはり、気の毒な人だったのですね。どんな前世の報いでこんなことになるのでしょう」と思えば涙がこぼれそうになるのを隠して人を呼び、
「あそこで芦を刈る下人のうちで、こういう男を呼びなさい」