2002.1.27(Sun).13:35
大学1年の時から、自由課題でよく「実」とか「木」を作ってきた。
卒業制作も、まさにそんなイメージ。
でもまだそうそう、って、イメージがちゃんと形にはなっていない。
このごろホントの木を使ってみたくなった。
いままでも自己流で使ったことはあるけど、
植物で作品を作っている人の技術を教えてほしくなってきた。
つる工芸がいいかな。
近くで教えてくれる人いないかなぁ。
検索中です。
2002.1.22(Tue).22:40
カルザイさん、かっこよかったねぇ。
「食料が欲しいわけではない。教育が欲しいのだ。」
なるほどです。
世界中がお金を出し合って、一つの国を救う、
テロがきっかけで、よい方向に行っているように見える、今回の会議だったように思います。
なかなか現実には難しいけど、「人類みな兄弟」的です。
豊かになりすぎたって、ろくなことはない。
現代が抱える問題の大半は、豊かになってしまったが故の産物に思えることが、たたある・・。
ドライでやる気のない子供たちだって・・・
アフガニスタンの航空写真で見る、あの何もない「荒野」。
莫大なお金をかけて、宇宙ステーションを作ってそこに住もう、なんてやる前に、
地球中のあんな荒れ果てた土地に、木を植えろ、って気もしないでもない・・。
2002.1.16(Wed).15:25
ママ友達とたまに話をすると、焦ってしまう。
「習い事」とか「お受験」とか、じわじわと、人ごとではなくなってきている。
今の子供を取り巻く世界がどうなっているのか、
テレビや周りの噂話を聞く限りでは、
世の中おかしくなってしまったような、絶望的な気分にさえなってしまう。
自分は十数年前まで、公立の小学校に行っていた。
その頃と、何がそんなに変わってしまったというの?
「公立」で育ってきたけど、自分はそれで、特に問題もなかったと思うから、
自分の子供に「お受験」とかをさせるなんて、考えたこともない。
本当のことは、中に入って当事者になってみるまで、わからないと思うのだけど、
私ももうちょっと真剣に、
「現在」のことを知らないといけない。
親は何をすべきか、もっとちゃんと考えなきゃ。
知ったうえで、余裕ぶちかましていたい。
どんな環境であろうと、その中で自分で考え、より良い事を選択していくすべを、
ナビには学んでいって欲しい。
2002.1.16(Wed).00:15
パンパカパ〜ン!!
旦那の仕事が決まりました。。
ずいぶん長い間、「目がさめるまで寝ている」生活だったから、
目覚まし時計に起こされるのって、つらいね。
決まったリズムのない生活が、ずっと嫌だったから、
しばらくは、パリっとした感じを、楽しみます。
奥さん業も、ちゃんとやります。
ちょうど稲垣吾郎と同じ期間休んでいました。
せっかく暇な時間がいっぱいあったけど、収入がないから、
旅行に行くとか、平日の遊園地に行くとか、しませんでした。
「暇なうちにやっておけばよかったぁ」ってことが、いろいろ出てくるとは思うけど、
ほとんど毎週末、旦那の実家の手伝いやお見舞いに行けたし、
ナビとパパが、すごく仲良しになったし、
まぁ、そんなもんかな。
お給料少ないけど、がんばろ〜!
2002.1.10(Thu).14:05
ディスニーシーに行ってしまった。。
たまびの仲間、女4人と子供2人で。
2日前に、「行こうか」という話になって、前日に浦安の子の家に泊まって。
楽〜しかった。。。私は・・・ね。
マーメイド・シアターという子供向けのアトラクション、
円形の広い劇場の中で、お客は丸く列になって座り、
天井をいっぱいに使って、人魚姫の格好をした人と、いろんな魚たちの大きな人形が
空中で物語を演じる、子供のための短いミュージカルなのだけど、
ナビは、最近聞いたことがないくらい、ものすご〜く泣いた。
3〜4mもある巨大な悪魔の顔が出てきた瞬間から、大泣き。
「ごわい」「ごわい」って言いながら。でもじっと見ているの。
私は、ナビが「こわい」って言葉を知ってるって、知らなかったのだけど。
逃げるわけにもいかないし、音はすごいし、
心臓がバズーカーの連射みたいに、ダダダダダダダダってなってた。
でも隣にいる、ナビより8ヶ月小さいミヤちゃんは、「なんだなんだ?」って感じで、きょとんと見ていた。
ナビはいろんなことが解かってきているんだな〜、ということを感じた。
そして、ものすごく純粋であることにも変わりはない。
そんな時期の経験として、
あの壮大な仮想空間は、単純に「夢を与えるもの」とも言い切れなさそうな、
ものすごいショックをナビに与えてしまったのかもしれない。
わからないけどねぇ。
何がどう影響するか、なんて。
怖いものもいろいろあったけど、楽しいものもいっぱいあったよね?ナビ。
しかし平日なのに、人がいっぱいいた。
お店もごったがえしてた。
あれだけのものを作っただけのことはあるんだろうな。
作った人たち、楽しそう。
2002.1.5(Sat).23:50
祖父の喪中なので、新年の挨拶は控えさせていただきます。
ぜんぜん治りそうな病気だったのに、手術がうまくいかなくて、
なんだかにわかに信じられないまま、おじいちゃんは亡くなってしまったので、
なんとなく形だけでもきっちりしようと思って、「喪中」だと言っているけど、
おせち料理を作らないとお正月に食べるものがない気がするし、
やっぱり年を越してはじめて会う人には、「おめでとう」と言ってしまうものです。
今年は主婦になって3回目の年越し。
母の中で、今まで1人でせかせかやっていた年末の仕事を、
一緒にやってくれる人ができた、と、
すっかりあてにされるようになりました。
わたしも、旦那の実家の母が体調が悪く、入院しているので、
旦那の家におせちを持っていく、という大役もあり、
今年は、年末の3日間まるまる空けて、
実家に缶詰で手伝いました。
おせち作りというのは、それ自体を用意して作ることに加えて、
同じ台所でその日の昼食や夕食も、考えて作らなければいけない、というのが、
また大変さを増しているのだと、初めて知りました。
母が毎年年末に機嫌が悪くなるのが、よ〜く解りました。
余裕を持って3日かけたことで、
けっこう楽しめました。
双子の妹がそろって家にいるのを見るのは久しぶりだったし、
栄養士の妹が「うちの包丁は切れない」とか文句を言いながらも、手伝ってくれて、
母と三人並んでなんだかんだしゃべりながらキッチンに立っている姿も、
めったにないことだけど、
父ががんばって、広いキッチンを作ってくれた甲斐があるというものです。
ナビがいると仕事にならないので、
旦那もほぼ3日、うちの実家に来てくれて、
今まではなんだか居心地が悪そうだったけど、
いつのまにか父の庭仕事の手伝いなんかに借り出されていたりして、
そんなに退屈もしていないみたいで、よかったよかった。
結局、年末3日間、うちの実家で夕食をいただくことになって、
妹たちがいて、兄が旦那に替わって、ナビが加わったけど、
懐かしい森永家の夕食を思い出して、
なんだかいい感じでした。
毎日6人だった夕食が、今は母と父の2人だけになってしまっているから、
母と父にとっても、なんだかいい年越しだったんじゃないかな、と、
想像しています。
そしてお正月は3日間とも、旦那の実家にいきました。
こちらも、今は、お姉さんも1人結婚して家を出ていて、
お母さんは入院していて、みんなそろうことが珍しいだけに、
全員そろってご馳走食べて、
箱根駅伝を沿道から旗振って応援したり、
餅つき機でついたつきたてのおもち食べたり、
いいお正月でした。
そんな感じで、くたびれて、4日はだらだら。
今日は雨が降って、だらだら。
あ〜あ。