2002.8.29(Thu).24:05
このごろ、ナビは、朝起きるなり、「きょう、ほいくえん?」と聞いてきたりする。
「そうだよ。」っていうと、「ほいくえん、や!」
それでも、お仕事だもん、連れて行くしかない。
行けば行ったで、いつも楽しんでいるみたいだけど、
やっぱり「家族とのんびり遊ぶ」に越したことは無いみたい。
だから、お迎えに行った後は、どうしても、甘くなってしまう。
保育園で、少しでもストレスを感じているとしたら、
家では、それを解きほぐすような気持ちでいて欲しい。
でも・・・ね。
難しいなぁ。
欲求に全て答えていたら、生活にならない。
暗くなるまで外にいて、お菓子を食べたいだけ食べて、
TVゲームをして、ご飯は食べなくて、お風呂も入らず、歯も磨かず、
いつまでたっても寝ない。・・・・・
飴と鞭の上手なバランス。
子育てのテーマです。
2002.8.25(Sun).23:30
デパートのチラシの、「トミカ・プラレールフェア」という見出しに、
ビビっと反応してしまう、母親な私。
今日は茅ヶ崎の実家に行った後、
パパと三人で、「休日な親子」してきました。
ナビは毎晩「トミカ大集合」という本を読んで寝ているのだけど、
トミカの車は、実は一台も持ってなかったの。。
今日は、一気に3台ゲット!
「組立工場」というので組み立ててもらったクラシックカーと、
「プラレールあみだくじ」で、はずれでもらった、大好きな「ユーノスロードスター」
買っちゃいました、憧れの、「ランサーエボリューション」
大きなプラレールには2回も乗ったし、
幸せな日曜日だったね。
2002.8.24(Sat).23:35
この夏2度目の海に行った。
お葬式を終えて日常の生活に戻ったら、
なんだか秋みたいになってしまっていたから、
なんとなく「水遊び欲」が満たされていない感じだった。
8月のはじめに行ったときは、
すごーく暑くて、海は穏やかで、
ナビは、浮き輪につかまって「ぷ〜かん♪ぷ〜かん♪」
海が大好きになったんだけど。
今日は、「午前中穏やかだったよ。」と、
ヨットに乗りに海に出ていた父から聞いて、
2時半ごろ出て行ったら、
風がビュービュー、波は大きい音を立ててこっちに向かってきていた。
ナビは、「こわい。だっこ。」だったし、ちょっと寒かったし、砂遊びになった。
じじが、ナビが乗れそうな車を、砂で作り始めたから、
私も参戦。
「ポルシェにしよー!」とボンネットに凹凸を作り、大きなライトを作り、
じじはシートとハンドルを。ばばはタイヤを。
ナビはご機嫌にシートに座り、お手伝い。いろんなところに砂を盛ってくれた。。
最後にエンブレムを。「ベンツにしちゃえ!」
潮が満ちてきて、波が車に近づいてくると、
「海、ダメ、きちゃダメよ!!」と、ナビは、海に向かって半泣きになっていた。
楽しかったね。
2002.8.23(Fri).01:10
久しぶりに、Chihulyのページを見た。
サイトが広すぎるし、英語だし、何度見ても、どこが新しい情報なのかも分からないのだけど、
今日は、久々に感動した。
タコマの橋の映像を、初めて見た。
ガラスの作家に、橋のデザインの仕事が来るなんて、
日本では考えられない。
でかい。
Chihulyの作品は、 ガラスが成し得る可能性を、
すべてシンプルな美しい形で、表現しきってしまっているのではないかということは、
Chihulyに出会った時からの、私の変わらない思いではあるのだけど、
今日は、その物理的なでかさに、改めて、羨望の念を感じてしまった。
(Victoria
& Albert Museumのシャンデリアを見て。)
だってさぁ、重いよ、あんなにいっぱいぶら下げたら。
無理だ、って、思っちゃうもん。
物理的に、どういう仕組みなら、それを支えられるのか、
とかを、考えたくないがために、諦めてしまうもん。
だめだねぇ。そんなんじゃ。
でもさぁ・・・。
やっぱり行ってやる。
いつか、また。
Chihulyのもとで仕事をしたら、いつかあのスケール感を、
日本に持ち込むことができるかも。
アートが人に与えられるパワーを、見直すことができるかも。
2002.8.20(Tue).10:05
ナビが生まれて、わずか1ヵ月半後の、2000年6月15日に、
旦那の父が、脳梗塞で倒れました。
それから半年くらいして、母の白血球の異常が分かりました。
父は、10ヶ月間の入院を経て、自宅に戻りましたが、
右半身は動かなくなり、言語を発することに支障をきたすようになりました。
母が亡くなって、親戚に連絡を入れ、お坊さんに連絡を入れ、葬儀の手配をし、
何もかもを、旦那と、2人のお姉さんで、相談して決めていきました。
全てを任せられるような、近しい親戚はいなかったのですが、
幸い、20年来お世話になっているお坊さんがいて、
(私たちの結婚式も、そちらのお寺さんで挙げさせてもらったのですが、 )
その方に相談して、日程や形を決めていきました。
父が倒れて以来、私たち3人も、ほぼ毎週、実家か病院に通っています。
父がやっていた会社を閉めた、という過去もあり、
旦那の姉弟(私も含め)は、ずいぶん結束が固くなっています。
両親が元気だったら、こんなにも家族が一体になってはいないだろう、ということは、
言うまでも無いかもしれません。
お坊さんの都合により、葬儀は、亡くなってから5日もおいた8月16・17日になりました。
親戚からは、「もっと早くに」という声もありましたが、
何より、他のお坊さんに頼む、ということは考えられなかったので、決定しました。
遺体は葬儀屋が預かってくれ、
上の面がガラス張りになっている冷蔵室にお棺が入れられる面会室があり、
いつでも会いに行けるようになっています。
お坊さんは、1週間でも10日でも、遺体は大丈夫だと言っていました。
亡くなった瞬間から、家族が何をしたらいいのかが、分かりやすく書いてある、
「喪主マニュアル」という冊子を、葬儀屋がくれ、
周りの人への挨拶の仕方や、香典などの礼儀、
儀式やお供物の、由来や意味など、
あまり知りたくは無いけど、勉強になります。
なんだかものすごく長いような、何も無かったような、一週間でした。
うちの両親は、いいお葬式だった、と言ってくれました。
麻紀子さん、麻衣子さん、孝幸、
本当に、お疲れさま。
こんな悲しい思いを、これからの人生で、まだ何度もしなければならないんだよね。
苦しいね。
2002.8.13(Tue).16:25
旦那の母・殿木二紀恵が、8月11日午前2時43分に、亡くなりました。
59歳になったばかりでした。
1年10ヶ月前に白血病であることが分かり、
その後、入退院を繰り返していました。
すごーく明るく、前向きで、ある意味楽観的で、
病気のことを知っても、周りに暗い雰囲気を感じさせずに、
本人も周りも、治ってしまうと信じざるを得ないほど、
笑顔で過ごしていました。
亡くなる2日前までは、意識もちゃんとしていて、
咽喉の痛みから、声が聞き取りにくくはあったものの、
私とも、ナビとも、話をして、
ナビのおかしな行動を見て、笑っていました。
私とは、「嫁・姑」とかいう厄介そうな関係は、全く無く、
心から、信頼して、愛してくれていたと、私は思っています。
おかげで、旦那の実家に行っても、気を使ってくたびれたりすることも無く、
毎週ナビを連れて会いに行っていました。
呼吸が止まった瞬間、私が一番近くにいました。
「孝幸と会えて幸せだよ。」「ありがとう。」と、
私が声をかけた直後に、心拍数が下がり、
それまで一定のリズムを保って、していた呼吸が、ぴたっと止まってしまいました。
目は開かなくとも、何も言えなくとも、
周りの声を聞いていたのだと思いました。
ありがとう。