記録片 -在北師大日子-


  2001年1月1日〜

2000年12月31日(星期日)

 大晦日、今年最後の、そして今世紀最後の日です・・・?中国では他の欧米諸国と同じく2000年である今年に21世紀を迎えたはずなのでは?報道では全然普通に「本世紀最後的・・・」という文句が頻繁に使われています。どういうことなのでしょう?今年の元旦、中国では「21世紀を迎えて・・・」ってな感じで盛大に祝っておいて、僕が日本では2001年から21世紀なんだよというと、「日本はおかしい」と口を揃えてバカにしていたくせに。何て都合のいい国なんでしょう?こういう大事なことくらいちゃんと統一して欲しいですね。
 今年一年このホームページを訪れていただいたみなさん、掲示板に書き込みしてくれた方、また大連のjumeishuさん、上海のヤナギタくん、天津のbeicunさん、本当にありがとうございました。来年も、どうぞよろしくお願いします。

 beicun 在天津的日子更新しました。

2000年12月29日(星期五)

 北京も年末を迎え、街のイルミネーションも「歓度元旦」やら、「新年快楽」やらに変わりつつありますが、いまだにクリスマスソングを流して、サンタクロースの人形を表に飾っている店も結構あります。きっとそのまま春節まで飾っておくんでしょう。
 みなさんもご存じだと思いますが、中国では元旦をあまり盛大に過ごしません。中国での新年は旧暦の一月一日である春節に迎えます。単位によっては休みになるところもありますが、おそらく多くとも元旦のみ休み程度でしょう。公共機関やデパートも春節の休み期間には短縮営業になったり休業になったりしますが、元旦はほぼ通常営業します。この間北師大内の郵便局のおっちゃんに元旦は休みなのと聞いたら、休みは日曜日のみと言っていました。
 北京人は普段散々外地人を忌み嫌っているくせに、春節になるとこの北京という都市が、人口の約半分を占める流動人口つまり外地人の出稼ぎ労働者で成り立っているということを身をもって感じさせられます。街を掃除したり、ごみを集めるおっちゃんや、通りでいろいろな食べ物や新聞を売っているおばちゃんは姿を消し、北京中はごみだらけになります。多くのレストランは門を閉め、早点(朝ご飯)の屋台や自由市場もなくなり、野菜や果物、肉も買えなくなってしまいます。今はそこらじゅうにスーパーができているので、そこへ行けば買えないこともありませんが、外地人がいなくなってしまったことに、非常に”不便”を感じる期間です。

2000年12月27日(星期三)

 王小姐が骨折で入院してしまったことと、馮小姐が休んでいること、更に春節を控えていることから第二公寓は急遽新しい服務員を入れたようです。しかも三人。今日掃除に来たのもその新しい小姐の一人。髪の毛がちょっと茶色でパーマかけて、そこの厚い靴を履いて掃除してました。他の二人も見かけましたが、共通する点はめっちゃ田舎臭いです。きっと数日後にはどれかがいなくなっていると思うので、残った小姐をまた写真で紹介しようと思います。去年の春節前も、やはり新しい服務員を入れていたのですが、ホームページで紹介したなと思ったら、みんな数日でやめていってしまうのです。そして残ったのが、今のデーブ大久保こと蔵小姐。今年は誰が残るのでしょうか?

 遅くなって済みません、beicun 在天津的日子更新しました。

2000年12月26日(星期二)

五道口の韓国焼き肉屋にて。 久しぶりに夏まで第二公寓に住んでいた柳川さんと名倉くん、そしてまたまた一緒に住むことになった柿崎くんと4人でご飯を食べました。場所は五道口の韓国焼き肉屋。4人で200元ちょっとと、値段は少々張りますが、テーブルいっぱいに並べられるキムチなどの小皿料理、野菜で巻いて食べる本格的な(?)カルビはとてもおいしいです。

2000年12月25日(星期一)

 第二公寓の小姐「小王」がスケートをしているときに転んで骨折して現在入院しているそうです。先日什刹海のことを触れた矢先です。どこでスケートをしていたのかは知りませんが・・・。更に4階の馮小姐も何かあったようで今休んでいて、今日は残った小姐たち総動員で仕事してました。おかげで久しぶりに于小姐のお手並みを拝見できました。

 今日307に住んでいる日本人留学生が病気で倒れて、校医が二人来て見ていたのですが、救急車を呼んだのですが、何と来た医者は一人。しかも布団をとれとか、担架を持ってこい、患者を持ち上げろと、僕らに命令しまくって、自分は何もしません。挙げ句の果てに救急車の中では運転手がタバコを吸っている。信じられない!おまえら何しに来たんだ?

2000年12月24日(星期日)

 今日はとんでもなく腹が立つことを発見してしまいました。一週間ほど前にアメリカへ帰国した僕の同屋ですが、やつは僕のプレステを壊しただけでなく、帰国前にコントローラーをやつの友達のプレステのコントローラーと交換していたのです。泥棒ですよこれは!
 ふと、プレステを片づけようと思ってコントローラーを手にすると感触が違います。何だか安っぽいのです。それにボタンが押されたままで跳ね返ってこない。裏返してみるとそこには「made in malaysia」と書いてある。リアルショック対応のものだったのに、普通のやつに変わっている。彼が帰国する数週間前には確かに変わっていませんでした。彼に壊されたという確かな証拠がないために追求はしなかったのに、まさかこんな事までするとは。

 アメリカ人最悪だ!何ヶ月も一緒に住んだ同屋のものを帰国に乗じて盗むなんて、信じられない。なんて常識のない奴らだ!

 僕はただでさえアメリカ嫌いなのに、その感情は憎みへと変わろうとしています。少しでも彼を見送ろうと思ったことがばからしく思います。

2000年12月23日(星期六)

氷った什刹海。 昨日ふれた什刹海のスケート場の写真を撮ってきました。土曜日だけあって、結構たくさんの人が遊んでいました。写真を撮ろうとしていると、どこからともなくおばちゃんが近付いてきて、「スケートやる?」なんて聞いてきます。何だこいつは?と一瞬びっくりしましたが、何のことはない、スケート靴やらそりやらを貸していたのです。でも、まだ完全に氷っていないところもあって、管理している人がいるわけでもないので、こりゃ危ないなあと思いました。

2000年12月22日(星期五)

 池や堀の水は完全に氷り、日に日に気温が下がる北京は冬本番を迎えようとしています。北海公園の北、什刹海も大きなスケート場と化していますが、気温を考えるとまだちょっと早いんじゃないかと思ったりもします。
 確かに北京留学に当たって、冬越えというのは1つの問題ではありますが、これから留学を予定しているみなさんも、そう悩むことはありません。寒ければ着込めば何とかなるし(中国人はズボンを3枚履きます)、部屋は暖気が効いていて暖かいので、寒いときには部屋にこもればいいのです。そして、じっとこらえていると春が・・・なんて消極的なのは僕だけでしょうか?
 中には、春節の休みにはハルビンへ雪祭りを見に行ったり、スキーをしたりと東北へ旅行に行く留学生も多く、冬ならではの楽しみ方も多様です。

先日アップしました中国へ行こうへのリンクがうまくできていなくてすみません。修正しましたので、どうぞご覧下さい。

2000年12月20日(星期三)

 在天津的日子で留学体験記を書いてもらっているbeicunが留学日記ホームページ中国へ行こうを開設しました。留学準備から天津南開大学での留学生活について紹介しています。写真も豊富に取り入れ留学生活の様子がよく伝わってくるとても雰囲気のいいページです。どうぞご覧下さい。

 久しぶり!ヤナギタ 在上海的日子更新しました。

2000年12月18日(星期一)

 もうすぐクリスマスですが、北京ではほとんどそれを感じさせられません。「クリスマス?あっそう。」って感じです。それは僕がほとんど外へ出ないからかも知れませんが。ただ、中国人が全くクリスマスを過ごさないというわけではありません。一部の人たちは僕ら日本人と同じ様なクリスマスを過ごしているし、デパートではクリスマス商戦が繰り広げられています。
 クリスマス商戦といえば、北京では「満100送?0」というのが流行っていて、買い物100元ごとに何十元かの商品券をバックするというものです。そのたびに北京人は民族大移動かのように、おしよせます。先日そごう(北京では健在です)では「満100送50」というとてつもないイベントが行われましたが、行ってみるとそう人は多くありませんでした。実は、その商品券の使用に制限があり、商品価格の半額以下までしか使用できないということでした。
 しかし、昨日まで西単商場で行われていた「打7折・満100送30」は、割引した上に商品券をバックし、更にその商品券を使って購入した場合にも、更にバックするという、とってもおいしいイベントでした。僕もその民族大移動に乗じスーツを一着購入しました。1380元の7折で966元→270元の商品券バックで原価455元割引後386元の革靴を購入。更に90元のバックで、136元のネクタイを購入。またまた30元バックで、35元の靴下を・・・という様に没完没了でまんまとデパート側の戦略に引っかかり、合計で1131元もの買い物をしてしまいました。しかし、それにしてもすごい人でした。お金を払うのも、商品券をバックするのにも行列で、更に裾を直すにも20人以上の行列ができていたので、それはさすがにあきらめました。日を改めて直してもらおう・・・。みなさん、クリスマスはどう過ごすご予定ですか?

 beicun 在天津的日子更新しました。

2000年12月17日(星期日)

棚橋さんと、自家製麻辣湯。 北京では今日HSKが行われました。みなさん結果はどうでしたか?HSKお疲れさまということで、柿崎くんと棚橋さんの三人で、麻辣湯を食べました。スーパーに売っている麻辣湯の素とネギとショウガをベースにして、ゴマみそタレを醤にして食べました。具は肥牛、羊肉、えのき、魚肉団子、白菜、レタス、揚げ豆腐です。本当は麻辣湯の素は一袋全て入れるのだそうですが、それだととんでもなく辛くなってしまうので、5分の1くらいにしておいたのですが、それでも十分に辛かったです。でも、とてもおいしくてお腹いっぱいになりました。外で食べると150元くらいかかってしまいますが、今日は60元ほどですみました。北京でも冬は鍋が一番ですね。みなさんもどうぞ自家製の麻辣湯をおためし下さい。

2000年12月16日(星期六)

 昨日は同屋たちの帰国を見送ると書きましたが、結局同屋から僕には、一言も帰るということを言われなく、最後まで再見も言わないままで、また、僕が同じように帰るとしても絶対こいつは見送りなんてしないなと思ったら、何でわざわざこいつを見送らないといけないのだとバカらしく思えて、見送るのはやめてしまいました。
 そして、今日から晴れて一人でこの部屋を占領できます。こうして彼の汚い洗濯物や荷物がなくなると、この部屋もずいぶん綺麗に見えます。彼は着る下着がなくなると、ヤマの中から洗濯物をつまみ臭いをかいで確かめ、裏返して着るのです!「こち亀」の両さんみたいなやつなのです。

 同屋のことはもういなくなったのでいいとして、今日は何と北京で始めて海鮮料理を食べました!「景泰宮」という平安里の十字路のところに新しくできた結構高級なレストランなのですが、ある祝い事でちょっといい食事をしようということでここを選びました。一キロの伊勢エビ(体長30センチくらい?)を注文しました。一匹300元以上もするので、6人で一匹を分け合って食べましたが、肉はプりっと引き締まり、本当においしかったです!あいにくデジカメを持っていくのを忘れてしまって写真に収められなかったのが、とても残念です・・・。

 beicun 在天津的日子更新しました。

2000年12月15日(星期五)

 第二公寓の何人かのアメリカ人留学生が明日の帰国を控え、僕の同屋もそわそわと荷物の整理をし始めています。おそらく今日は晩会か何かあって帰りが遅くなるんじゃないですかね。明日は6時に出るそうだから徹夜の覚悟かな?ああ、今夜はうるさくなりそう・・・。
 フィリップとの4ヶ月の同屋生活もこれで終わりです。無口で、部屋にいるときにはほとんど小説を読んでいるか日記のようなものを書いているかの彼とは、楽しくはありませんでしたが、お互いに干渉し合あうこともなく、・・・ただ同じ部屋に住んでいるというだけの関係でしたね。結局プレステが壊れた原因を突き止めることもできず。でもまあ、明日はちょっと早起きして第二公寓の門まで見送ろうと思います。

2000年12月13日(星期三)

 重要書類を中国から日本へ”挂号信(書留)”で送ったのですが、2週間経っても届きません。郵便局に問い合わせてみると、普通なら7日から10日で着くはずだといいます。そこで登録番号で郵送状況を調べたいと申し出たのですが、これがまた面倒なのです。僕はてっきりパソコンに番号を入力すればすぐに分かると思っていたのですが、まず、必ず送った郵便局へ行かなければならなくて、更に2枚の申請用紙に名前、住所、宛先、内容物、送った日付等々いろいろ書かされて、さあこれでいいだろうと提出すると、「何か分かったら結果があなたのところに届くから」の一言。えっ!すぐに分かるんじゃないの?何か分かったらって、一体何日かかるんだ?ただでさえ到着が遅れているのに、これ以上見つかるかどうか分からない郵便物を待っていられるかっちゅうに。ということで、こんな事もあろうかとあらかじめ用意しておいた同一の書類をEMSでもう一度郵送し直すことにしました。初めからEMSで送ればよかったのです。でも、EMSだと125元もかかってしまいました。上述の挂号信は全く同じ内容物で19元でした。

2000年12月10日(星期日)

 昨日に引き続きリンクのお知らせです。掲示板にも何度か書き込みをして下さった、西安に留学する純平さんが西安的生活という留学日記ホームページを開設しました。西安の街と生活の様子、そして地方での留学状況を知りたい方は是非ご覧下さい。

 先日第二公寓の二階の踊り場に、なにやら電気の線らしいものが新しく取り付けられており、付小姐にあれは何だと聞いたのですが、どうやらインターネットのケーブルらしいです。何と、第二公寓は各部屋にインターネット専用のケーブルがつくのです!LANなのかISDNなのかそれともただの専用線なのか分かりませんが、とにかくインターネットのケーブルらしいです。これで第二公寓は北師大の宿舎の中で一歩抜き出ましたね。

2000年12月9日(星期六)

 山東省の煙台師範学院に留学する松さんのローカルな留学、旅行情報サイトcool YANTAeをリンクに追加しました。山東省へ留学、旅行の予定の方は必見(?)のサイトです。

2000年12月8日(星期五)

虫歯になった親不知 昨日の決断は、今日になっても冷めておらず、更に胸を高鳴らせ意気揚々と東門の歯医者に向かって出陣しました。北京で歯を抜くのはこれで2度目。最初は約2年前、やはり親不知が痛み出し、どうすることもできなかったし、保険にも入っていなかったので、普通の歯医者に行くしかありませんでした。今回は、どうも親不知が虫歯になってしまい、痛みはないのですが、手で触っても分かるくらいの大きな穴が開いていて、これは時間の問題だなと感じ、痛くなる前に抜いてしまおうと決断しました。
 衛生面等いろいろ心配しましたが、別に問題はありませんでした。今回抜く歯は完全に露出していたので、錆びたカッターの出番もなく、とても順調に抜くことができました。順番待ちの時間も入れて30分くらいでしょうか。費用は88元でした。どうしてこんなに縁起のいい数字なんでしょう

 beicun 在天津的日子更新しました。

2000年12月7日(星期四)

 僕は一大決心をしました。明日、あの東門の歯医者さんへ行って、虫歯になってしまった左上奥の親不知を抜いてきます!さびたカッターをメス代わりに使っていても、中国のエイズ患者が100万人いるといわれていても、この忌まわしき親不知を抜かないとどうもすっきりしないのです。僕がもし中国人だったら、やはり中国の医者を信用するはずだし、何の迷いもなく中国の医者にかかるはずだと、自分で訳の分からない説得をして気持ちを納めています。何だか、そう決めてから心臓が高鳴っていて、今晩はなかなか眠れそうにないな。

2000年12月6日(星期三)

 西平安大街にアリさんの看板が掛かった「虫馬蟻専売」という店があります。やはりアリを売っているんだと思いますが、一体誰が何のためにアリを買うのでしょう?食べる為なのでしょうか?それとも飼うため?漢方薬に使うのかな?生きたまま売っているとしたら、不注意でふたをしっかり閉め忘れたりなんかしたら、店じゅうがアリだらけになって大変そうだなあと、余計な心配をしてみたりしながらいつもバスの中から見過ごしています。

2000年12月3日(星期日)

福奈特クリーニングに出したダウン ちょっと前に、去年買ったダウンがあまりに汚れてしまったのでクリーニングに出しました。北師大周辺のお店でも紹介している南門交差点の側のクリーニング屋です。25元で次の日の午後には受け取ることができました。毛がずいぶん減ったような気がしないこともないけれど、襟と袖のところも綺麗になっていたので、結構満足していました。
 しかし、さすが北京。大気汚染はこういう目の届くところに現れています。いくらも経たないうちにまた汚れてきました。袖のところなんてもうかなり黒ずんでいます。

2000年12月2日(星期六)

 夜中にふと目を覚まし時計を見ると2時半。部屋の外がやけににぎやかで目を覚ましてしまいました。大音量のテレビ(音楽?)と甲高い笑い声や叫び声が廊下に響いている。外の喧騒が気になりそのまま寝付けず、30分ほど寝ようと努力したけれども、我慢できずに静かにしてくれと注意をしに行きました。
 その後、しばらくして第二公寓の各階の廊下に取り付けられている服務員専用の電話が交互に鳴り出したのです。数回鳴っては止み、違う階の電話がすぐに鳴る。最初は誰かが外国から間違いでかけているんだろうと思っていたのですが、いっこうにおさまらず、たまりかねた僕は電話の線を抜いてやりました。それから、案の定三階の電話は鳴らなくなったのですが、違う階の電話は鳴り続けて、まあ一番うるさいのは止まったからいいかと思っていると、誰かが電話の線をつなげる物音が聞こえ、しばらくした後また電話が鳴り出しました。
 間違いじゃない。第二公寓の誰かがいたずらでやっているのだ!しかも、服務員電話の番号を知っているやつが。僕はもう第二公寓に2年以上も住んでいますが、この廊下の電話の番号は知りません。別に知る必要もなかったし、知りたいとも思いませんでしたので。しかし、そんな内部事情に詳しいへんなやつがいたずらでかけているのです。夜中の3時過ぎに。
 今度は電話ごと部屋に持ち帰り様子を見ましたが、それから電話は鳴りやみ誰の仕業か確かめることはできませんでした。
 以前にも何度か今日の様に夜中に廊下の電話が幾度となくなるということがあったような気がします。一体誰がこんな訳の分からないいたずらをしているのでしょう?静かで平和なこの第二公寓に何か異変が起きている?
 第二公寓OBの方、若しくは現在第二公寓に住んでいる方、もし何か知っていることがあったら、是非教えて下さい。

2000年12月1日(星期五)

 先日のカレー会食で北師大の教学について触れましたが、ある人から「これから北師大へ留学しようと考えているのですが、北師大って大丈夫なのですか?」なんてメールをいただきました。その他にもいろいろ誤解なさっている方(あるいは共感なさっている方)がいると思いますので、先日の記述について、補足いたします。

 あれはあくまで僕ら一部の留学生の受けた印象もしくは教学そのものであって、全てが全てよくないと言っているわけではありません。はっきり言って北師大の場合は先生の当たりはずれが大きいので、それによって大きく左右されます。クラスのレベルはある程度選択できますが、先生は選択できません。いい先生に当たればとても満足のいく留学生活を送ることができるし、そうでなければ授業がとてもつまらなくて、無意義な一年間を過ごしてしまう可能性があるということです。
 それから先生以前に、北師大の場合は「会話」と「聴力」の一部は北師大出版社の教科書を使うのですが、これは先生がよくてもお手上げです。というのは教科書の出来がとってもよくないからです。他の授業は語言学院や北京大学のものを使っているのですが、なぜか上述の授業は北師大のものを使い続けていて、留学生全般でもかなり評判悪いです。
 僕の場合は前期の「聴力(史老師)」、後期の「読み書き(qi2華老師)」はとてもいい先生に当たり、満足のいく授業が受けられたと思っています。その他は駄目でした。これは運ですね(笑)。

 beicun 在天津的日子在大連的日子更新しました。

  2000年11月1日〜2000年11月30日