12月31日(木) 今日で1年が終わると思うと,走るしかないという気持ちになった。朝,散髪に行くときから走っていった。帰ってから,あすか&はるなと一緒にマラソンをした。ああちゃんコースを走る。途中であすかの幼稚園時代のお友だちに会う。やっぱりお父さんと一緒だ。2km走った後は,3人で小学校の校庭へ。あすかは一輪車の練習。はるなは自転車の練習。親父はマラソンの練習だ。それぞれが別々に目標を持って,学校に行くところがなかなかいい!?1周200mの校庭はとても走りやすかった。でも,「パパ,見て!ちょっと乗れたよ。」という声が1周するうちに2回ぐらい聞こえてくるので,首をまわしながらのジョギングになった。プレーリードッグのように背中までまわる首が欲しい。と,突然,はるなが大声で,「乗れた!」と叫んだ。ふりかえってみると,ホントに自転車に乗っていた。1998年12月31日ははるなの自転車記念日になった。あすかも負けじと一輪車の練習をしていた。一輪車用の補助バーがあるので,たすかるたすかる。5km走ったら疲れたので,あすかの練習を見て,家に戻った。はるなは家に着くやいなや,母親に「乗れたよ。」と実演して見せた。「午後からパパとセブンイレブンに自転車で行くんだ。」と勝手に話を決めこんで。午後からは約束通り,自転車でコンビニに行った後,もう一度学校に行って,それぞれが午前中と同じメニューで練習した。1年間に感謝しながら走った。勝田マラソンを,手賀沼ハーフを,日々のジョギングを,そしてBRCを思い,走った。練習量には不満は残ったが,来年も「豊かに走ろう」をキャッチフレーズに走りたい。今日は12km(計195km)愛読してくださったみなさん,ありがとうございます。来年もまた遊びに来てくださいね。できたら,一緒に走りましょう。ではよいお年をお迎えください。
12月30日(水) 先週はたったの7kmしか走れなかった。通知表が仕上がったら,無気力症候群に陥ってしまった。2学期の間,張りつめていたものがぷつんと切れてしまった感じ。24日に終業式があったが,子どもたちはまるで登校日のような雰囲気だった。やはり終業式は22日でいい。25・26日と初めて冬山に挑戦した。27・28日と年賀状の日々。29日は大掃除。そして30日はひっさしぶりのTDL。というわけで今週はまだ1kmも走っていない。7km(計183km)
12月19日(土) 今日はうどん作りの日。車で行ったので,朝,相棒と4kmランだけ。よし,午後からはLSDだ!とはりきって手賀沼に向かったら,足が動かず,6kmぐらい走ってダウン。LSDで疲労抜きをしているというkantaさんは怪物だ。でも「たまには手賀沼沿いを散歩してもいいか。」と考え直し,のんびり歩いた。この遊歩道はジョギングする人,ウォーキングする人が多い。特に中高年の夫婦が多い。ちょっとうらやましい。帰ってからは,娘のお友だちも連れて,温水センターへ。みんながゆっくり湯につかっているうちに500mスィム(2kmも泳いだというノリさんも尊敬する。)&4kmエアロバイク&お風呂。充実の1時間半だった。おかげで,足がよれよれ。今日は16km(計176km)
12月18日(金) このページを更新するのは1週間ぶりだ。ずっとしつこい風邪と通知表と悪戦苦闘していた。最近やっとその闘いに勝利をおさめ,更新の運びとなった。ほっ。土曜日に3km(娘達は1km),日・月と2kmずつ走った後,2日間の完全休養がよかったのかもしれない。木曜は10km,そして昨日は18km走れた。走れるってことは,幸せなことだ。これもブルースカイ・ランニング・クラブの仲間たちと同僚の先生のおかげ。今朝,中央学院高校の前を走っていたら,学生さんが,バス停付近の落ち葉を掃いていた。いい光景だった。やらされているのか,自分からやっているのかそれはわからない。でもこういう人たちのおかげで街がきれいになるということは忘れてはならない。学校に着いて,校庭を走っていたら,大の苦手の犬がまぎれこんできて,私も学校はパニック!犬騒動で,朝のジョギングは中止になってしまった。「あれは**ちゃんちの犬だよ」ということで,その家に連絡して,やっと解決。ええ,まとめて35km(計160km)
12月11日(金) 昨日に続いてアクシデントが発生した。「郡司先生,奥さんから電話があったわよ。」と言うので何だろうとかけてみたら,鍵がないというのだ。もしかしたら・・・バックを見てみたら,家の鍵と車の鍵のセットが2つ仲良く入っていた。家から出られない,車を使えない。二重苦にさいなまれた家族を助けようと,1時間年休をもらって駅に向かって走った。筋肉痛で走りたくない時に限ってこんなことが起こる。でも悪いのは自分だから,いつもよりスピードアップして走った。でも,結局子どもたちのお稽古ごとの時間には間に合わなかったので,ファミレスで食事をすることにした。ハンバーグで許して!今日は15km(計125km)
12月10日(木) 今日は工場見学。学校から5kmほど離れた工場にどうやって行こうか思案していたら,教頭先生が,「自転車で行けば?」と言ってくれたので,早速校長先生に話すとOKが出た。せっかくだからと家からサイクリング。でもちょっと後悔した。足先が寒いのなんのって。走った方がよっぱどあったまる。さあ,2時間目,牛乳工場に向けてサイクリング!みんな教室では見せたことのない笑顔で,「行ってきます!」と学校を出た。筑波山や日光・那須の山々がくっきり見えて,気分も最高。30分ぐらいで着いてしまい,子どもたちは「先生,もっとサイクリングしようよ。」と物足りない顔をしていた。ひととおり説明・見学が終わると何と工場側から,アイスクリームのプレゼント。寒さを忘れて,アイスクリームを食べた。そこまでは良かった。しかし帰りにアクシデントが発生した。私は先頭を走っていた。後ろにはもうひとりの付き添いの先生がいたから,安心しきっていた。それがいけなかった。「先生,**君と**先生が来ません。」あわてて戻ってみた。すると,**君が**先生の自転車に乗っていた。そしてずっと後方に根元から片方のペダルのはずれた自転車を押す女性の姿があった。「ごめん。ごめん。」そこからは私が自転車のハンドルをおさえて走り始めた。2kmぐらい走っただろうか。「先生,がんばって!」と3人しかいない女の子達が応援してくれた。というわけで,今日は自転車24km(÷4=6),ジョギング5kmで11km(計110km)
12月9日(水) 朝のコースを変えてみた。まずは天王台駅までバスのかわりに走ってみた。やっぱり6時20分に家を出るのはきついから。このコースなら6時45分で大丈夫。今朝はあたたかい。すぐほかほかしてきたので,ウィンドブレーカーを脱いで走った。駅に着くと,いつものバスとほぼ同時に着いた。明日は6時50分に出てもよさそうだ。もちろん藤代駅からも走った。ミニバスの指導者をしている青年があいさつしてくれる。子どもたちにもいっぱい会う。最初は子どもたちの意識を変えるためにも走っていたが,今はもう意識していない。「先生,物好き。」「変わってる〜。」と思われたって何とも思わない。子どもにマラソンを押しつける気持ちもない。でも担任している3年生に対してはちょっとちがうかな・・・。学校に着いたら,相棒がすごいスピードで走っていた。これはついていけないなと思ったが,一緒に走る。こっちは息を切らして会話しているのに,向こうは息ひとつ乱れない。うむ・・・やはり努力だけではだめか。帰り,学級通信を書いたりして遅くなったけど,駅までは走った。今日は14km(計99km)
12月8日(火) 今日は娘のマラソン大会。病み上がりで心配だったけど,「せいいっぱいやってこいよ!」と声をかけて学校に行った。車で行ったので5km以上は走ろうと,7時45分頃から校庭を走り始めた。雨を含んだ校庭は,雪の積もった後の校庭に似て,きれいだった。自分が走ると足跡が掘られていく。それが集まってだんだん道になっていく。獣道もこうしてできたんだなと感慨にふけりながら走っていると,子どもたちが登校してきた。今日は6年生が教室を「おばけ屋敷」に改造し,各学年を招待してくれる日なので,子どもたちはうれしそうだ。何より6年生がうれしそうだった。校庭がどんどんにぎやかになっていく。熟年パワーで4年生の先生と教務主任の先生もジョギングの輪に加わる。かれこれ42分,7kmも走ってしまった。体育の時間にも2km。今日は娘あすかへのエールを込めて走った。3時半からの出張に行く途中,どうしてもあすかのマラソンが気になって,電話をした。「6位だったわよ!」予行練習の時は3位だったから,ちょっと複雑な気持ちだったけど,やっぱりうれしかった。
マラソンは努力と比例する。そう信じてきた。体育的な行事でもいつもマラソン大会には一番力を入れてきた。「継続は力なり」だからこそ,マラソンを通して精神的な力をつけることができると信じていた。だから何をやってもどんくさかったあすかと3歳の頃からずっと走ってきた。4歳のときはじめて「タートル親子マラソン1.6km」に参加した。5月には「チビリンピックのマラソン大会」にも参加した。そして,何度も何度も「ああちゃんコース」「はるちゃんコース」を一緒に走った。そんな今までの日々がすべてこの日につながっているのがうれしかった。走ることぐらいでしか父と子のふれあいをしていないけれど,そんな共有体験が今ちょっとだけ実ったのがうれしい。
「おめでとう!!」帰宅してから,あすかとはるなと3人で2kmコース(ああちゃんコース)を走った。はるは「来年は私1位をとる。」なんて夢のようなことを言っていた。でもこうして続けていれば,夢も目標にかわる日が来るかもしれない。−−−福岡国際マラソンで2位になった旭化成の佐藤選手のことば”これでシドニーが夢じゃなくて,目標ぐらいになったかも”より引用−−−途中はるなはお姉ちゃんにライバル意識をむき出しにして,転んでしまった。声をあげて泣いていたが,「家に帰って,キズばんはろうね。セーラームーンの。」と言ったら,「ポムポムプリンのにする。」と言って泣きやんだ。2人を家に送った後,2km走ってしあげた。2度と来ない今日という日をかみしめながら。今日は13km(計85km)
12月7日(月) 目覚めたら,ぽつぽつやっていた。「あぁ走れないや。」という気持ちとホッとする気持ちが半分半分だった。仕事から帰って,”さあ,風呂はいって,夕飯でも食おう。その前にインターネット”と思って,のんきにブルースカイ・ランニング・クラブのふれあいボードをのぞいてみたら,札幌の2人の書き込みがあった。熱かった!!雪上でもトレーニングしようとするその熱気にほだされて,外に出た。明日マラソン大会のあすかを連れだって。彼女とは1kmほど一緒に走り,その後はひとり旅。帰り,ラジオから「冷たい雨」(ハイ・ファイ・セット)が流れてきたが,その冷たい雨もあがり水たまり以外に障害はなかった。2kmコースを2回走り,仕上げは5kmコース。このコースは3年前の夏の朝,よく走ったコースだ。暑くなる前に走ろうと,早起きして走っていた懐かしいコースだ。思えば,ジョギングを始めてもうすぐ4年になる。肝機能異常と診断されて始めたウォーキング&ジョギング。出会いが遅かったけど,残りの半生はマラソンとかかわっていたい。遠い空の下,雪上を走る2人を思い浮かべながら,10km走った。55分もかかっちゃったけど,気持ちよかった。家に着いて飛び込んだお風呂は最高だった。adidas親娘の父さんとしげおっちさん,ありがとう。今日は10km(計72km)
12月6日(日) 今日は,あすかとはるなのバレエの発表会。(チャリティコンサート)そして,早明戦,アジア大会開幕,福岡国際マラソンの日。お昼過ぎに出かけることになっていたので,午前中は高橋尚子さんと甲斐智子さんのマラソン応援をした。高橋さんの最初からのぶっちぎりに気分をよくし,自分も走りに出かけた。8kmほど走って,戻ってくると,気温は32度,湿度90%の中で高橋さんが走っていた。夏に走った経験のある人ならあの苦しみはわかるだろう。5km続けて走るだけで,ぐったりするのに,日差しを真正面から受けて,彼女はさらにきらめいていた。「え,日本記録を4分も?」と自分のなしとげた大偉業におごることなく,びっくりしていた。すごい女性だ。小出監督は「おさえろ。」と必死にとめたが高橋さんには届かなかった。いや届いていたけど,彼女の自信がそれを上回った。豊富な練習量が自信を大きく大きくふくらませたのだろう。彼女は3回目のフルマラソン挑戦で2回日本記録を書き換えた。今回は最悪ともいえる条件の中でそれを成し遂げた。どんな状況でも力を発揮できる人間は,「性格」がいいという。不平不満を言わず,人をねたまず・・・云々。そう増田さんが言っていた。きっとそれはあたっているだろう。意地だけでは人間の精神はかたくなる。やわらかな心を持つ人間のしなやかな強さ,そんなものを高橋選手からは感じた。今日は8km(計62km)
12月5日(土) 「はだしのゲン」の発表の日。児童朝会の準備があるから,遅れるわけにはいかないのに,こんな日に限って車のバッテリーがあがる。焦った。電車とバスを使ったら,遅刻してしまう。決断するしかなかった。運良く財布の中には福沢さんがいた。−−−4300円かかった。−−−3600円ぐらいでおさまるかと思ったが,あまかった。めまぐるしくメーターは数字をかえた。帰りは小雨の中,傘をさして歩いたり走ったりした。農道が工事中だったのであぜ道まで歩いた。子どもの頃の風景やや安曇野の風景を思い出しながら。また安曇野行きたいなあ。今日は4km(計54km)
12月4日(金) 総合学習を学びに台東区の大正小学校に視察に行った。走れない分歩こうと張り切っていたら,靴の底の部分がはがれてしまった。スニーカーを買うかアロンアルファを買うか迷った後に,アロンアルファを買った。何事もなかったかのように研修をした後,東京の街を歩いた。上野−お茶の水あたりを。聖橋,ニコライ堂。青春の街を歩いた。12月下旬に行く冬山洋品を買う目的もあった。さがしていたビクトリアスポーツは何軒もあって,山専門店にはなかなかたどり着けなかった。噂通りそこの店員さんは親切だった。冬用シュラフに雨具,強盗犯人のように目だけが出せる帽子,肌着などなど,わずかしかない万札が飛んでいく。そこで購入できなかったアイゼンを買いに***スポーツに行った。ここは噂通り,高飛車だった。初心者を馬鹿者扱いして,むかっときたけど,我慢して目をあわせないように話した。夕方空気も財布もさむくなった。今日は6km(計50km) よく歩いた。
12月3日(木) 地球一周3日目の朝,軽い悪寒と頭痛といっしょに目が覚めた。外は,昨日に続いてオホーツク海で見たような曇天。小雨もちらついいている。こんな天気が続いたら,気が滅入ってしまう。電車を1本遅らせ,バッファリンを1錠飲んで家を出た。歩いてもいいという気楽さがあったから,傘を持って電車に乗った。走ると頭の芯にひびくので,早歩きにした。体がだんだんあたたまり,脳もぼーっと麻痺してきた。今日は1時間目から「はだしのゲン」の劇の練習をする日。先生がテンション高めていかなくちゃ,子どもたちだってテンションが高まらない。学校に着くと,相棒が事務を執っていた。「今日は走るのお休み!」たまには走ることを休むのもいい。同僚から,「陽が差してきたわよ。がんばったら。」と冷やかされながら,出勤簿の印を押した。帰りも寒かった。でも歩いた。4kmと8kmでは気分がちがう。水たまりの中を歩いてしまい,靴下までぐっしょり!風邪ひきそう・・・。今日は8km(計44km) 明日は東京に出張だ。
12月2日(水) コースはほぼ昨日と同じだった。でも大きな違いは気温。北海道は大雪にみまわれているから,このくらいで泣き言はいえないが,寒かった。そのうえ,冷たい雨が降っていた。朝はまだよかった。昨日の勢いがまだ残っていた。しかし,帰りはもうそんな元気がなかった。早くも筋肉痛とお友だちになり,「ううん,走って帰るよ。ネットの仲間と地球一周してるから。」そう強がるのが精一杯だった。天王台で降りて,バスを見つけた瞬間,小躍りした!バスには”無料貸し出し”の傘が置いてあった。「次に乗車するとき,お返しください。」と添えて。ああ,こういうのいいなあ。今日は16km(計36km) まあがんばったな。
12月1日(火) ブルースカイ・ランニング・クラブの地球一周がスタートした。いつもより1本前の電車に乗ろうと張り切って家を出た。霧が深い。”霧煙るガス燈の灯が・・・”と拓郎の『舞姫』が鳴り出す。霧の中目覚める前の朝を走りぬけ,駅へと向かう。朝から9kmコースに挑戦だ。相変わらず霧が深い。まるで中国の山水画のよう。今度はさだまさしの『はるなかる雲南』が耳元で鳴り始めた。そういえば,『長江』という映画を作った頃,まさしは集中砲火を浴びていたなあ。右翼だの左翼だの女性蔑視だのと言われて。まさしの歌などろくろく知らない友人までがマスコミにのっかって,まさし非難をはじめた時には怒りを通り越して,あきれたもんだった。そんなこと思っているうちにいつしか学区に入った。6年生のお母さんがすっぴんであいさつしてくれた。時々,すっぴんだと別人になるお母さんがいるから,目を凝らさないと・・・。目を凝らしても,霧で学校が見えなかった。もうすぐ学校という農道で,見えてきたのはパトカーだった。霧で交通事故が起きたらしい。ワゴン車の横っ腹がべこんとへっこんでいる。学校に着いて,少し休憩したあと,また相棒と走る。朝から,大汗をかいてはあはあいっていると,「激冬」の服装の先生がやってきた。昼休みはサッカーをした。
そして,帰り,「帰り,大丈夫ですか?」というやさしい声かけをしてもらったが,ふりきって走ることにする。「暗くて見えないから頭にろうそくつけたら?」なんて言われながら,学校を後にする。まだ秋のにおいがする。天王台駅を降りた時にはすでに16kmを走っていた。あと4km走るかバスに乗るかは,降りたときバスが来ているかどうかで決めることにした。ラッキーなことにバスは到着していなかった。心を決めて,家まで走る。ゆっくりゆっくりと走った。明日も元気に走れますように。筋肉痛なんかおきませんように。と願いながら走った。家の近くに来た時,空を見上げてみた。♪ひさしぶりだね,月見るなんて♪月の明かりが目の前を照らしてくれた。今日は 20km(計20km) ちょっと飛ばしすぎ!?