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夏コミ(3日目)。さすがに本業が忙しくなってきたし書店買いの割合も増えてきたので,カタログだけ買って参加は見送ろうと考えていたが,チケットをもらえることになったので,急遽参加することにする。一応,正当な手段で入手されたチケットらしい(私の分は)。
考えてみると,コミケへの参加は晴海の頃から10年以上になるが,チケットで入るのは今回が初めてということになる。小雨のぱらつく中,並ばずに入場できるのは,快適きわまる。
チケットの代償としての今回の任務は,真っ先に某サークルの新刊を購入すること。サークルカットには惹かれるが,特段聞いたことのないサークルで,場所も端の方とはいえ島である。
「10時前になったら列ができるのでこの辺をうろうろしていてください。」と言われ,同サークルの周辺をうろつく。周囲を見ると,同じような目的を持っている人おぼしき人が多く,立ち止まってはスタッフに散らされていく。
10時になると場所を移動して売り始めたため,慌てて並ぶ。任務として1枚,もう1周して自分用のもう1枚を購入。搬入部数は500より少なかったようだが,ぐるぐると5周した人もいたらしく,10時20分を待たずに売り切れたようだった。
こういうサークルは,徹夜しようが一般入場で購入することは不可能なのだと思うと,長時間露天に並んで一般入場することが馬鹿らしくなる。
10時15分頃には,自由に買い物に行けるようになった。始発で並んだとしても,東について買い始められる時間はそう変わらないことからすると,ヒモ付きのチケットでもあるに越したことはない。
結局,1時ころまで東館を回って,92冊/55700円の同人誌を購入。西と企業にも欲しいものはあったのだが,既に気力が尽きたので,「良いものはどうせ売り切れに違いない。」と自分に言い聞かせながら,タクシーで会場を後にした。
今回の経験から,私がサークルチケットの金銭的価値を見積もるとしたら,4000円〜5000円といったところか。ちなみにコミックマーケット準備会はチケットの有償譲渡を禁止しているわけだが,合理的理由を見いだしがたい。
準備会のスタッフの一部には,チケットがふんだんに分配されているわけだが,当然それは,無償で働くスタッフというフィクションを支えるための対価であって,受け取ったスタッフがチケットを利用して何らかの利益を得ることを前提としている。
サークル参加者が受け取るチケットも,スタッフが受け取るチケットも,チケットとしての機能には相違がないにもかかわらず,前者は譲渡禁止,後者は譲渡が前提とされているということになる。率直に邪推すれば,スタッフに与えられるチケットの経済的価値を高めるため,それ以外のチケットの自由な流通を阻害しようとしている,ということになる。
後日談:1週間後,虎の穴で21冊/19200円の新刊同人誌を購入。前述の某サークルの作品をヤフオクで検索したところ,5000〜9000円ほどで落札されていた。
先日から続いていた試験が一段落。午前10時20分から午後5時50分まで7時間30分,途中で昼食を挟みながらの試験は肉体的にも疲れた。今日などはメモをとりながら飯を食べていて,ボールペンで弁当をつまみそうになった。
長丁場の試験なので自席を離れて喫煙所に行ったり体操するのも自由だが,廊下には10メートルごとに監視員が配置されているので,なんだか落ち着かない。毎日A4で120〜150ページほどの記録を読んでから30〜60ページほどの解答を作成するわけだが,5日間の筆記試験が終わったところで緊張の糸が切れた。
来週の口述試験が終われば当分は試験を受けずにすむかと思うと嬉しい反面で一抹の寂しさも感じるのは,試験漬けの半生を送ってきた弊害かもしれない。この次は留学でも考えて,TOEFLでも勉強するかなぁ。
大学の入学を辞退した場合の入学金返還請求事件について,最近の京都地裁と大阪地裁の判決について,地裁段階での判断が食い違った,と指摘する例が目につく(例えば,バーチャルネット法律娘 真紀奈17歳のH15/9/22)。
しかし,以下に述べるように,一見矛盾するように見える京地判平15.7.16と大地判平15.9.19の判断は,抵触するものではない。
京都の事案が平成14年度,大阪の事案が平成12年度・13年度の入学に関する問題と聞けば,いわゆる入学金ぼったくりについて多少なりとも関心のある人であれば,ピンとくる。
そもそも,このところ入学辞退者による入学金返還請求訴訟が頻発しているわけだが,その原因の一つとして,平成12年に成立した消費者契約法の影響が考えられる。
消費者契約法は,9条1号で,
第9条 次の各号に掲げる消費者契約の条項は、当該各号に定める部分について、無効とする。
1 当該消費者契約の解除に伴う損害賠償の額を予定し、又は違約金を定める条項であって、これらを合算した額が、当該条項において設定された解除の事由、時期等の区分に応じ、当該消費者契約と同種の消費者契約の解除に伴い当該事業者に生ずべき平均的な損害の額を超えるもの 当該超える部分
と規定して,消費者が支払う「契約の解除に伴う損害賠償の額を予定し,又は違約金を定める条項」について,平均的な損害の額を超える部分を無効としているからである。
したがって,在学契約が消費者と事業者との間で締結される契約,入学金不返還特約が消費者が支払う損害賠償の額を予定する条項等,にあたるとすれば,入学金不返還特約がある場合の既払い入学金についても,入学辞退により大学側に生ずべき平均的な損害の額を超える部分については,返還請求が可能ということになる。
ちなみに,消費者契約法の附則は,
この法律は、平成十三年四月一日から施行し、この法律の施行後に締結された消費者契約について適用する。
となっている。
もうおわかりと思うが,京都と大阪の事案の勝敗を分けたのは,単純に消費者契約法が適用されるかどうかという,時的な問題にすぎないのである。
上記両判決における当事者の主張を比較してみよう。
両事件とも複数当事者訴訟であるが,便宜上,京都については原告A,大阪については原告Bで代表する。
京都事件
1.請求原因
2.抗弁
3.再抗弁
大阪事件
1.請求原因
2.抗弁
3.再抗弁
上記争点整理によって明らかなように,両事件では,主に再抗弁の段階に違いがある。京都事件における抗弁(1)を除くと,消費者契約法に基づく主張の有無が,両事件の差異であることがはっきりとする。
両事件とも,請求原因と抗弁(学納金不返還特約)は,認められている。
京都事件については,再抗弁(1)が認められたことにより,抗弁(2)の効果が障害され,再抗弁(2)・(3)の判断をするまでもなく,請求が認容されている。
大阪事件については,再抗弁(1)が認められなかったため,抗弁(1)の効果として請求原因が障害され,請求が棄却されている。
したがって,京都事件の判断で重要なのは,「在学契約は,消費者契約であって,学納金不返還特約は,同法9条1号の消費者が支払う損害賠償の額を予定する条項に当たる。」との部分であり,「学納金不返還特約が公序良俗に反するか否か」については,何ら判断がない。
これに対して,大阪事件では,「学納金不返還特約は公序良俗に反するとまでは言えない。」との判断がなされているが,当事者の主張していない消費者契約法については,当然のことながら判断がない。
以上のように,京都と大阪における裁判所の判断は,同じような類型の請求に対して結論が認容と棄却に分かれたものではあるが,要件事実のレベルで抵触する判断がなされたものではない。
私は,在学契約における学納金不返還特約が消費者契約法の適用される問題であること,学納金不返還特約が公序良俗に反するとまでは言えないこと,の両判断は,学生と大学の利害のバランスとして,妥当なものだと感じる。
京都事件については,平均的な損害の立証がない,として全額が認容されているが,控訴審でこの点に関する主張・立証が尽くされば,入学辞退によって大学が被る平均的な損害を超える部分についてのみ返還請求を認める,との一部認容判決も考えられるだろう。
口述試験も無事終了。これで10月から社会人〜。
ちなみに,私のいる業界での就職活動は,こんな感じ。
私の世代が小学校高学年だったころ,バブル期の就職活動は,多くの業種でこんな感じだったとか。需要と供給の関係は身も蓋もないものである。
内定が出た後も,食事会,クリスマスパーティー,内定者旅行と,数ヶ月に1度は会社と連絡を取る機会があるが,それでも数割の辞退者は出た。
雇用の安定性はともかく(非自発的退職者は少ないと聞いたが……),仕事の専門性・留学制度・破格の初任給など,待遇は良い。
4年生大学卒業からさらに2年半と,高等教育には確かに時間とコストがかかるが,それに見合うだけの効果はあるといえるだろう。
働き始める時点では,ギリギリ四捨五入して20代。長い長いモラトリアム期間もこれで終わりと思うと,感慨深い。
初出社。各部署からのオリエンテーション,偉い人のお話,昼食会,指導担当の先輩や自分を担当する秘書との顔合わせ,ワインパーティー,等々。
執務スペースは7畳程度の個室で,先輩と相部屋。机は役員用,椅子はアーロンチェア,PCのモニタはSXGAと,物的設備もなかなか快適。
これから1ヶ月程度は,1日中新人講習で,実際の仕事は少ない。新人講習自体は1日6〜8時間程度だが,実務的で高度なものなので,予習・復習に時間がかかる。講義によっては,質量ともに大学での1単位に相当するとすら思える。
宿題をこなすため,神保町で専門書を大量に購入。ある課題を解くための専門書(全く扱ったことがない分野における大学院レベルの理論書)では,本の中で扱われている数式や数学的概念を理解するため,高校数学(数I・A〜III・C)の参考書を買い込む羽目になった。
初出勤から1ヶ月ほどたつが,職場にもいくらか慣れた。というか,まるまる1月毎日職場に出ていると,生活の全てが職場で行われている感じになってくる。シャワーと寝室が会社にあれば自宅は不要,とすら思えてきた(団体契約している近所のスポーツクラブと会社の仮眠室を利用すれば,それに近い効果を得ることはできるのだが……)。
しかし,秘書さんに用事を頼むのは,いまいち慣れない。考えてみると,ほぼ学生としての生活しか送ってこなかった新入社員がいきなり秘書と組まされるというのも,なかなか大胆なシステムではある。
秘書さんには,手書きのメモをワープロ打ちしてもらったり,書類の束をファイリングしてもらったり,書類を届けてもらったりといった雑用をやってもらえるわけだが,むしろ毎朝出社した際に,前日にコーヒーを入れたまま机の上に置いておいたマグカップが洗って置かれていたり,机の周囲がきれいになっていたり,筆立ての鉛筆が削ってあったりするのを見つけると,なかなか嬉しいものがある。この調子で自宅の掃除とか,クリーニングの受け取りも誰かにやってもらえると助かるのだが,それにはむしろメイドさんを雇うべきか(違う)。
ちなみに,ナイトセクレタリーという職種もあるが,別段「夜のお仕事」をやっているわけではなく,シフトが違っていて普通の秘書の勤務時間後に仕事をしてくれるだけである。
研修期間も先週で終わり,いよいよ本格的に仕事の日々。ところで,この業界の習慣としてタイムシート(time sheet)というものがある。
あまり一般的なシステムとも思われないのだが,要するに,何時間どの顧客のために何の仕事をしたか及びビラブルアワー(billable hours)をメモしたものである。何のためにこんなものをつけるかというと,会社から顧客に対する請求額を特定するためである。
終了した案件に関わった人間それぞれについて,ビラブルアワー×時間単価で料金を算定し,合算したものが請求額という仕組みである。ある意味,明朗会計なシステムといえる。
しかし,このシステムだとそれぞれの人間の活動と会社の売上が直結することになるため,我々のように会社に雇われている人間は「より多くのビラブルをつけなくてはいけない。」というプレッシャーを感じがちである。「ビラブルの多寡で個人を評価することはないので,ビラブルを気にしないように。」とのオリエンテーションも受けたが,ここから「必要以上に気にする必要はないが,ある程度は気にしてもらわなくては困るよ。」という含意を感じ取ることも不可能ではなかろう。
ビラブルについては1ヶ月で400時間とか,1年で4000時間とか恐ろしい話も聞くが,相場としては年2500〜3000時間もつければまずまずといったところか。
1月ほど働いて,仕事のリズムにもようやく慣れてきた。平均睡眠時間が4〜5時間と噂に違わぬ忙しさだが,人間慣れればなんとかなるものだ。
平日の出社時間はだいたい朝10時,退社時間は早いときで24時(終電),遅いときは2時〜7時くらい。仕事をこなす限り何時に来て何時に帰るかは自由といっても,さすがに直属の上司より遅く出社したり早く退社するのはためらわれる。
私の上司は終電前に帰ることが多いので助かるが,上の人が4時や5時まで残る部署に配属された同期は疲労の色が濃い。「直属の上司が午前3時ころに部屋にふらりとやってきて,新しい仕事を振っていった。」などという話を聞くと,「そのとき既に退社してしまって部屋にいなかったとしたら,仕事を振りに来た上司は自分より先に帰った部下のことをどう考えるだろう。」と想像して背筋が寒くなる。
週に3日は帰りがタクシーになるので,定期よりも回数券の方が安くつく計算になる。ちなみに,タクシー代は全額会社負担である(最終的には顧客に請求書がまわることになるらしい)。
土日祝日は休日ということになるが,休日出勤しないことには仕事が終わらない。朝から夜までではないにしても,昼に来て終電で帰るとか,朝に来て夕方に帰るとか,一般的にはフルタイムの労働に等しいぐらい働くことになる。完全に会社に行かないですむ日は,月に1日か2日というところか。
先日,労働基準法を初めて勉強したが,労働者が手厚く保護されているのには感心した。ところで,私と会社との間の法律関係について,私は雇用関係だと認識しているのだが,就業規則も労働協約も見あたらないことからすると,会社の側では別の考えを持っているのだろう。
日頃は人様の法律問題をあれこれ検討しているくせに,いざ自分のことになったら会社のいうがままとは,医者の不養生か紺屋の白袴かといった有様だが,想像していたより多めのボーナス(就職から2ヶ月,実質は1ヶ月程度しか働いていないのに)をもらっただけでもっと働こうという気力がわいてくるのだから,資本家が労働者を搾取するのは分けないことなのだろう。