rain tree homeもくじ執筆者別もくじ詩人たち最新号もくじ最新号back number vol.1- もくじBack Numberback number1 もくじvol.1ふろくWhat's New閑月忙日rain tree から世界へリンク関富士子の詩集・エッセイなど詩集など
rain tree vol.1

<雨の木の下で 1>

語りかける rain tree (1997年9月1日)  関 富士子

 「雨の木」(レイン・ツリー)というのは、夜なかに驟雨があると、翌日は昼すぎまでその茂りの全体から滴を滴らせて、雨を降らせるようだから。他の木はすぐ乾いてしまうのに、指の腹くらいの小さな葉をびっしりとつけているので、その葉に水滴をためこんでいられるのよ。頭がいい木でしょ う。
(『頭のいい「雨の木」』より 大江健三郎)
アガーテは、雨の木についてこう主人公の「僕」に説明している。雨の木は、塔のようにそびえるその建物のどの窓からも見えるらしいのだが、外は暗闇で、「僕」にはその巨大な木からしたたる水の匂いしかわからない。建物は階段を上へ上へと小さな箱のように分割されていて、雨の木にかけられた鳥の巣箱のようでもある。

場所はハワイのとある精神障害者のための収容施設で、今セミナーのあとのパーティが開かれている。パーティでは、車椅子の建築家の建築論が、ビートニク詩人でホモのアレンという人物を相手に披瀝されるのだが、参加者のほとんどは給仕役も含めてこの施設の患者たちらしく、こっけいなどたばたのあげく、「僕」とアレンは、「雨の木」の全容を見ずにその施設を去ることになる。
そして結局僕が、暗闇のなかから姿を現わすそれを見ることのなかった、頭のいい「雨の木」の方角から、およそ悲痛の情念に体がうちがわから裂けるような、大きい叫びと女性の泣き声を、二度、三度聞いたのである。
この後に続く「雨の木」をテーマにした連作の中で、作者と同一人物と考えてよいらしい「僕」は、たびたび雨の木(レイン・ツリー)の暗喩(メタファー)について言及している。
びっしり茂ったこまかな草叢から、たえまなくしたたり落ちる雨の滴、そのようなトライアングルの音質と進行に、僕は暗黒の宙空にかかっている幻の樹木を見た。そして僕がこの小説で表現したかったものは、その「雨の木」の確かな幻であって、それはほかならぬ僕にとっての、この宇宙の暗喩だと感じたのである。自分がそのなかにかこみこまれて存在しているありかた、そのありかた自体によって把握している、この宇宙。それがいまモデルとして「雨の木」のかたちをとり、宙空にかかっているのだと。
(『「雨の木」を聴く女たち』より)
また、「ついには僕がどうにも生きつづけがたく考える時、その大きい樹木の根方で首を吊り、宇宙のなかに原子として還元される、そのための樹木でもある。」(『「雨の木」の首吊り男』より)というのは大江らしいものいいである。

雨の木は、ハワイではMonkypodTree、あるいはOhaiともよばれて(『さかさまに立つ「雨の木」』)、幻ではなく実在するらしいのだが、ハワイでなくても、わたしたちは、いつかどこかでメタファーではない「雨の木」に出会ったことがあるだろう。

学校帰りに突然の夕立にみまわれて、一本の木の下で雨やどり。すうっと雨が上がって明るい光がさすと、頭上の重たく垂れた葉っぱから、きらきらと大きなしずくが落ちてくるのだ。

今この時も、みんなが寝んだ静かな夜ふけに、あなたに発信する言葉のいちまいいちまいを探っていると、キーをたたく音が、もうやんだはずの雨の音のように響くのを、きっとあなたもどこかで聴くだろう。

「メガクリどうぶつえん」へ
rain tree homeもくじ執筆者別もくじ詩人たち最新号もくじ最新号back number vol.1- もくじBack Numberback number1 もくじvol.1ふろくWhat's New閑月忙日rain tree から世界へリンク関富士子の詩集・エッセイなど詩集など