水波霊魂学
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地上の著者・水波一郎師霊魂との交信霊魂小説について|霊魂小説製作の現場(初期の頃)|霊に聞くのは

〈霊魂小説製作の現場(初期の頃)〉 

 たとえば、『霊魂イエス』は、水波師が霊魂からの通信を取り始めて、まだ、それほど経っていなかった初期の頃の作品です。

 この頃の自動書記はまだ手書きでした。その上、地上の霊力者も霊魂の方も、今に比べると、馴れていなかったのでしょう。霊力者の疲労は甚大なものでした。

 その頃の水波師はアパート住まいでしたので、周囲の幼児の泣き声もうるさく、図書館や喫茶店などを利用して自動書記を行なっていました。

 ところが、どこへ行っても、側を通った人の目が、水波師の手に釘づけになってしまって、邪魔になるのでした。

 何しろ、物凄いスピードでペンを動かし、10分経っても20分経っても一度も考える様子もなく、ただただ書き進めるのです。そのスピードは並大抵のものではなく、偶然見た人の目が点になってしまう有様でした。そうした悪環境も手伝って、この頃は、1時間書くと2時間倒れる、といったことも日常的でした。書き始める時の緊張はまさしく、オリンピックの短距離ランナーを思わせるようで、とても他者が話しかけられるような雰囲気ではありませんでした。そうした過度な緊張を30分も続けると、心身共に過労になる様子でした。

 ひとしきりして、お茶でも飲むと、今度は書いた原稿を読んで、書いた本人が感動するのです。何と、本人は自分が一体何を書いたのか、覚えていないし、よく分かっていないのでした。また、私が原稿の内容や今後の展開について質問すると、書いた本人もこれからどうなるのかと楽しみにしているといった具合なのでした。

 技術が上達した今では、当時の事は、まるで、昔話のようになってしまいました。

 周囲に低い霊魂がいたりして霊的な環境が一定水準以下になると、急に何も書けなくなってしまう事も、しばしばでした。
そんな時は、後で霊魂に聞くと、今はまだ低い霊魂には正体を見せられない、と言われました。邪悪な霊魂のために、日本に誕生した達人を駄目にしたくない、という高級霊魂の考えだったように思えます。

 水波師は悪い環境の中で霊魂に自分の身体を提供し、難易度の高い技術を行っていました。しかし、それは、間違えば、邪悪な霊魂に人生を取られてしまう事だ、と常に言っていました。それでも、恐れていては霊的な使命が達成出来ない、そう言って、いつでも命を取られる覚悟で、この作品を書いていました。

 自分に意識がない時に、低い霊魂に入られると、ビルから飛び下りたり、車道に飛び出したり、といったような、危険な行為を、霊がしてしまう恐れがあったのです。それでも、本人は全くひるみませんでした。

 この原稿を世に出す、そのために、人生を捨てる覚悟だったのです。

 そうした悪環境の中、やっと完成したのが、イエス・キリストの霊魂としての人生を語る、本書だったのです。

 残念ながら、出版社には、 霊が書いた という原稿を信じてはもらえませんでした。

 そして、今、この書を掲載してはどうか、という話が出た時、HPの管理人である私は、今すでにいらっしゃる、そしてこれからも後に続くであろう熱心な方々に、ぜひ読んでいただきたい、そう考えたのでした。

 何も知らないのに、無知な知恵で誹謗中傷し、呪ってやる、などというような事を掲示板に書いてくるような、そんな人達の目には触れてほしくない、それが私の偽らざる思いです。


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